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勇者殺しの英雄譚  作者: 長尾栞吾
第二章 いつまでもあると思うな、初心者ボーナス
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勇者ムトウジュンイチ

 次の瞬間、今の一言で心への深いダメージを受けたらしいルータンは膝をついた。

 それはおそらくプライドを傷つけられたからだけではない。古くからの親友による暴言が、彼女の自尊心を大きく掻き乱したのだ。


「ル、ルータン様!」

「エフト、あんまりですわ! 何もそこまでいう必要はないでしょう!」

「待てお主ら。エフトのいっていることに、何ら間違いはない」

「……?」


 しかしルータンの口から紡がれた、予想だにしない言葉にエフトは片眉を上げた。あのプライドの高い彼女が、ここまで自分を下げる言葉を繰り出すとは思いもしなかった。

 ルータンは一度肩で息をすると、握り締めた右拳を床に叩き込んで心を落ち着けた。彼女が冷静さを取り戻す時は決まって、周囲の何かが壊される。今回は高級感ある光沢を放つ大理石の床が犠牲となった。


「エフトよ。お主のいう通り、ワシは時代に取り残された哀れな権力者かもしれん。じゃがな、ワシとて己のプライドより大切なものがある」

「プライドより大切なものだと?」

「ああ。それはお主を含む、仲間じゃ」


 するとあろうことか、ルータンは己の額を床に擦り付けた。魔王であるにもかかわらず、彼女は土下座をしているのだ。これには彼女のプライドの高さを理解していたエフトだけでなく、彼女を慕っていたエルフ兄妹も度肝を抜いた。


「な、何をしているルータン!」

「そうですルータン様! 魔王たるあなたが、そのような振る舞いをしてはなりません!」


 奇行を制止する声には一切の耳を傾けず、ただルータンは、淡々と懺悔の言葉をエフトに向ける。


「わがままで、身勝手な魔王の言葉じゃが聞いてくれ。エフトよ、これまで無理をさせ続けてすまんかった。お主の気も考えず、どれほどワシは鋭い言葉を向け続けてきたことか」

「ルータン……」


 相手のことをわかっていなかったのは、寧ろ自分の方――。エフトはその一心から、ルータンより向けられる視線に目を合わせることができなかった。

 王としての自覚と覚悟。そんなもの、ルータンが備えているはずがないと思い込んでいた。しかし彼女はすでに日頃の生活から身につけていたのだ。エフトの知る身勝手でわがままな魔王の姿は、大昔の幻影に過ぎなかったのである。


 今のエフトの心境を言葉で表すなら、親離れを受け入れられない親心そのものだった。

 真実を話せばルータンが怒り狂ってしまう――。そう思ってこれまで勇者の実力を黙っていたつもりでいたエフト。だが実際はその逆、慣れ親しんだ彼女の高圧的な態度が見られなくなることを恐れてのことだった。


「エフトよ、セレイネや暗黒騎士団の皆を頼む。ワシが頼めるような立場でないのは承知の上じゃが、それでもお主に頼ることしかできないワシを許してくれ」

「ぼ、僕からもお願いします! エフト様、どうかセレイネ様を!」

「私も! セレイネに死なれては、返せる恩も返せませんわ!」


 これ以上己を下げるような言葉はやめてくれ――。顔をしかめつつも、エフトはルータンと同じ目線まで腰を下げて口を開いた。ここまでいわれては、こちらも黙って去ることはできない。


「ふん、お前らしくもない。世界最強のお前はただ、ここでいつものようにふんぞり返っているだけでいいのだ。心配するな、セレイネ達や、俺達が築き上げてきたヘイヴンは、何があろうと守り通す。勇者殺しのエフト、その二つ名に誓ってな」


 かなり背伸びをした言葉を選んだつもりだが、それでも心に迷いが生じていたルータンにとっては救いの言葉だったのだろう。普段より見下していた家臣の言葉に、彼女は柔らかな笑みを浮かべて応えた。


「……ならワシらは、お主が帰ってくる前に宴の準備でもして待っておくか」

「おいルータン、それは勇者達の世界でいう死亡フラグだ。縁起でもないことを抜かすな」

「そうか、それは悪かった。ならエフト、この戦いが終わったら……」

「それも死亡フラグだ! お前、知ってていっているだろう!」

「やかましい! つべこべいわず、早うアラタナヤへ行かんか!」


 もはや逆ギレともいえるルータンの右ストレートを受けたエフトは、豪速球の如き勢いで窓の外へと放り出された。幸い落下する直前で空中を飛行していたバハムートに受け止められたが、身の危険を感じた以上怒鳴らずにはいられない。

 生意気な表情を浮かべるルータンが窓より顔を覗かせた時、それはもう城中に響き渡る勢いでエフトは叫んだ。


「何をするルータン! それが人に物事を頼む態度か!」

「黙れエフト! 頼まれたのなら早う行動に移さんか!」

「……ったく、人使いの荒い魔王様だ」


 エフトからアラタナヤへの飛行指示を受けたバハムートは、彼らのやり取りを硬い表情で笑いつつ、戦場へと飛翔した。そんな彼らの姿を吹っ切れた表情で眺めるルータンに対し、ふとラギは口角を上げて問い掛ける。


「ルータン様、何だか嬉しそうですね」

「何?」

「私もそう見えますわ。あなた、エフトの本心を聞いてから表情に曇りがありませんもの」


 自分が今どのような表情をしているのかわからなると、途端にルータンは自身の顔を両手で覆い隠した。指先より伝わる温かい水滴、その時初めて、彼女は自分が泣いていることに気が付いた。


「お主ら、このことは絶対にエフトにいうでないぞ」


 2


「ゴ主人、本当ニココデイイノカ?」


 生い茂る草木の中にその隠し切れない巨体を埋めたバハムートは、終始歯を食いしばった状態のエフトに尋ねた。

 ここはアラタナヤにある大きな森の中。第二百七十七勇者ムトウジュンイチが降り立ったとされる国の中心部からは、やや離れた場所だった。


「ああ。寧ろ、ここまで連れてきてくれたことだけでも感謝する」


 この森は通称呪いの森といわれており、生息する魔物の気性が荒いことから、滅多に人が立ち入らない禁足地。そのため、体の大きなバハムートが身を隠すのにはぴったりといえよう。


「グルルル……」


 戦地へ向かおうとする主人の背を眺め、バハムートは悔しそうに喉を鳴らす。眷属であるにもかかわらず、戦闘において主人の力になれないことが、彼女の中で一層無力さを痛感させたのかもしれない。


「呼バレタラスグ行ク」

「いつもすまないな。だが身の危険を感じたら、お前もすぐにここから離れてくれ」


 バハムートの気遣いに感謝をしつつ、エフトは聖者の羽衣を魔術師の装いからフード付きのコートへと変化させた。今回は人間の町故、できるだけ目立たぬ服装にしなければ勇者殺しが来たと騒がれてしまう。


「では、行ってくる」


 身体能力を強化するメガブーストを唱えたエフトは、虎のように逞しくなった足で大地を蹴り、あっという間に迷いの森を抜けた。


 勇者が降り立った場所へと辿り着くと、街の騒がしさを感じ取って思わず顔を顰めた。元よりこの街は、魔物、人間問わず様々な奴隷が売買される、奴隷商人の街として栄えていた。

 数年前にセレイネと暗黒騎士団の侵略を受けて以降、奴隷は解放され落ち着いた雰囲気になりつつあったが、裏での取引が表面化し始めた現在においてその片鱗は見えない。


「しかし、この騒がしさは明らかに街本来のものではないな」


 奴隷を売る商人達の声の中に混じる、狂気の催し。トマリカイセの時とよく似たシチュエーションにはデジャヴを感じた。


「なぁなぁ、今広場で暗黒騎士団の団長が捕まってるらしいぞ」

「マジかよ。そりゃあ見ねぇとな!」


 ふと、自身の前を素通りしていく男二人の会話を耳にし、エフトは足を止めた。胸の鼓動が速くなり、ドクドクと血液が身体中に行き渡っていく。フードで顔は隠しているとはいえ、自分が今どんな表情をしているのか不安になってきた。

 すぐにでもここを離れたい――。そう思ったものの、アラタナヤの地理を熟知していないエフトには、暗黒騎士団が捕らえられている場所まで彼らを尾行する他なかった。


 道を間違えることもなく、順調な足取りでその広間に到着すると、まず目に飛び込んできたのは大きなステージであった。さらにその上では、エフトと馴染み深い女が手錠をつけられ座り込んでいた。


「セレイネ……ッ!」


 ボロボロになった鎧はもはや、装着者の身を守る本来の役割を保てていない。加えてセレイネの体に刻まれた多くの傷跡は、いかに彼女が勇者相手に奮闘したかが見て取れた。

 周囲に他の暗黒騎士団は見えないが、奴隷として連れて行かれたのだろうか。

 そして彼女のすぐ横で、誇らしげに周囲を見渡す男が一人。少し歳を取っているであろう完成された顔つきに、どこか頼りなさすら感じさせる風貌は、ルータンから聞いた彼の特徴と合致している。間違いない、あの男こそ第二百七十七勇者ムトウジュンイチだ。

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