魔王ルータン
朝食をとり終え、エフト一行が向かったのは王の間だ。そこには魔王ルータンが鎮座する玉座があり、本日の勇者討伐係への命令が下される。
近年、アウターワールドにやって来る勇者はかなり増加していた。それも並の魔物では相手にもならないほどの猛者揃い。これでは影でヘイヴン滅亡を噂されるのも無理なかった。
「今日も早い集まり、感謝するぞ」
玉座にもたれかかるような形で、ルータンはエフト達を堂々迎え入れた。相変わらずの高圧的な態度は、なぜレリが生意気になってしまったのかを物語っている。憧れは、時に人を悪い方向へと進めてしまうこともあるのだ。
艶かしい白い肌に、見ているだけで胸が熱くなりそうな赤いロングヘア。後頭部から生える凛々しい二本の角と、漆黒のドレスから垣間見えるドラゴンの尻尾は、彼女が異形の存在であることを示唆している。
彼女は邪竜族と呼ばれる種族の生き残り。世界を混沌に陥れた邪竜サーシフェルの子孫だった。
「皆の衆、昨日はご苦労であった。エフトはともかく、ラギもレリもよくがんばったのう」
「ありがたきお言葉です、ルータン様」
もちろん美しさだけで忠誠を誓う者も多いが、それだけがルータンの取り柄ではない。
アウターワールドで魔法を使うために必要なマナ、その泉を守護する四大精霊の内二体と契約。さらには世界に二つとない伝説の魔剣エクスバーンの所持者ときた。彼女を言葉で例えるのならそう、才色兼備が相応しい。
そんなルータンがエフトと共にヘイヴンを建国したのは、もう十数年も前になる。
世界を治める魔物国家の王。もちろんそれをあまりよく思っていない者は多くいた。特に彼女が世界各地へと配置した領主モンスターによって、失脚を余儀なくされた人間達がその例だろう。だからこそ彼らの執念深さが、異世界より勇者を呼び寄せているのだとエフトは思う。
「しかしルータン、こうも連日のユニークスキル鑑定では私も疲れますわ。これは何か、ご褒美をいただかなくては」
「レリ、また余計なことを!」
妹の愚行に、再びラギが睨みを利かせる。だがそんな彼を、エフト同様ルータンも宥めた。こうしてみると、エフトとルータンがレリに甘いことは一目瞭然だ。
「ラギよ、そう心を荒立たせるでない。レリのいうことも間違ってはおらぬ。何、近々セレイネも呼んで皆で旅行に行くのはどうだ? のう、エフト」
ルータンの提案にサラッと自分も混ぜられたことで、思わずエフトは眉にシワを寄せてしまった。
「お、俺も行くのか?」
「何をいっておる。こやつらの面倒を見るのは、お主が一番適任じゃろうて」
どうせその前に新たな勇者が現れる――。とは思いつつも、どうせいつもの冗談だろうと聞き流しておく。
「早速で悪いのじゃがな。今朝も今朝とで、予知夢を見た」
「またですか!」「またですの!?」
急に話を破る告白に、目を丸くして驚くエルフ兄妹。実際、彼らのユニークスキルのおかげで勇者の事前情報を得られている。彼らが疲弊する点においては、能力の酷使といった観点からは何の間違いもなかった。
それに彼らはまだ十歳ほどの子供、感情の表現が豊かで偽れない年頃なのはわかりきっている。その彼らに頼らざるを得ないヘイヴンの現状に、内心嫌悪感すら抱いていた。
「ああ。それも今回は、とびきり嫌なヤツじゃよ」
「そういうのはいいから、勿体ぶらずにさっさと教えろルータン」
「お主は相変わらずせっかちじゃのう」
「もう少し焦らそうと思っておったのに」ポツリと愚痴を漏らしながらルータンは続けた。
「ヤツの手にはな、例の剣が握られておった」
「例の剣……ってまさか!?」
「無論、まだ確証があるわけではない。だからこそ、お主ら兄妹に確認してもらいたいのじゃ」
ルータンには、自分に関係する予知夢を見ることができるユニークスキル・未来予知夢が備わっている。アウターワールドに勇者として召喚される異世界からの転生者達は当然、ヘイヴンに大きな影響を及ぼす。故に彼らが転生した次の日には決まって、その予知夢をルータンは見ていた。
ルータンの見た予知夢はラギのユニークスキル・記憶閲覧によってレリへと伝達され、彼女のユニークスキル・鑑定者で分析される。そうすることで初めて、勇者の名前とユニークスキル、所持品が明らかとなるのだ。
「どうじゃ、今回の勇者は」
ラギの右手を自身の額へ押し当てたルータンは、もう片方の左手の先でうなるレリに視線を向ける。
「ルータン、あなたの予想は当たっていますわ。第二百七十六勇者トマリカイセ。その手に握られているのは伝説の神剣アロンダイトに間違いありません」
「やはりのう」
神剣アロンダイトといえば、ルータンの所持する魔剣エクスバーンと対を成す一振りだ。
勇者と剣が交わりし時、全ての魔は祓われる――。その伝承は、アウターワールドの者なら一度は耳にしたことがある。
しかし封印の祠で厳重に保管されていた神剣が、なぜ勇者の手に。不思議に思いつつもエフトは続くレリの鑑定結果に耳を傾けた。
「彼の持つユニークスキル・停止する世界は、思うがまま世界全ての時間を停止させる能力。強力なユニークスキルに加えて伝説の神剣、これは今まで以上に苦しい戦いが予想されますわね」
「もちろん。そんな忠告されても、俺は一人で行くがな」
毎度毎度のつまらぬおせっかいは聞き流し、戦地へと向かうべくルータン達に背を向ける。だがそれを良しと思わなかったのか、ラギはエフトのローブの裾をぎゅっと掴んできた。
「お待ちくださいエフト様! 確かにあなたはお強い、ですが今回は相手が相手! どうかお一人での討伐はお考え直し下さい!」
「そうじゃエフト。今回の敵は流石に危険過ぎる。前回とて、ワシの話を最後まで聞かずに飛び出したじゃろう」
振り返るや、ざまあみろとでもいいたげなレリの顔が視界に入ったものの、嘲笑して答えておく。
「だからと暗黒騎士団を連れて行くのか? 勇者の討伐は、勇者討伐係の戦力である俺の仕事だ。俺一人でどうとでもなるヤツのために、城を守護する暗黒騎士団まで使うのはおかしな話だろう」
「ですが……」「じゃが……」
「魔王は何の心配もせず、そこで腕を組んで踏ん反り返っていればいいのだ。雑用は全部、お前の右腕である俺が引き受ける。まぁ勇者討伐の後処理ぐらいなら、いつものように暗黒騎士団にも手伝わせてやるがな」
なおも顔を強ばらせてローブの裾を引っ張るラギ。しかたなし、エフトは彼の頭を力強く撫でると、今度はボサボサになった髪にポンと手を置いた。
「ラギ、場所はいつものビーガストか?」
「は、はい。おそらくは」
「一応、俺にもルータンの見たビジョンを流してくれ。正確な場所まで、この場で割り出しておきたい」
近年の勇者は、ヘイヴンから国を一つ挟んだビーガスト、そのどこかに召喚されることが多い。ビーガストは様々な種族の商人が出入りする自由貿易国家であり、特に中央に位置する街ステイシアは欲しいものが安価で手に入ることもあって、居住区としても高い人気を誇っていた。
貿易国家であることを考えれば、装備や仲間を集めやすいビーガストがいかに旅立ちの場に適しているかが理解できる。そこまで考慮して勇者をこの世界に送り込んでくるあたり、神は相当ヘイヴンを厄介者として見ているようだ。
「なるほど、確かにビーガストだな」
自身の額に当てていたラギの左手を離し、エフトはルータンから伝達された情報をインプットした。これが記憶閲覧の真骨頂、閲覧した記憶の共有だ。言葉では伝えられないような正確な景色も、能力を介せば簡単に伝えられる。
記憶の断片から、おおかた勇者の居場所も割り出せた。賑わいは見せつつも、人々の日常が垣間見える住宅地。特に目立つ大きな時計台は、ステイシアの大広間付近にそびえ立つものだ。
そして記憶の断片映像の中心に立つ、旅慣れをしていない雰囲気の少年。彼の背中に装備された柄には、煌びやかな装飾が施された神剣が刺さっている。彼こそが今回の目標、第百七十六勇者トマリカイセその人だろう。
「来い、バハムート!」
途端、光源となっていた天井の窓を大きな黄色い瞳が蓋をした。ギョロリと開かれた鋭い眼光は、無意識ながらも室内にいたエルフ兄妹を威圧する。途端に二人は蛇に睨まれた蛙の如く、息を飲んで硬直してしまった。
「「あ、ああ……」」
「おいエフト! こやつらがバハムートを怖がっておるのを忘れたのか!」
「何をいっている。そもそもバハムートはお前の親戚だろう。契約を破棄させたいのなら、バハムートか俺を殺してくれ」
「馬鹿者! お主もそうじゃが、バハムートを容易く倒せるヤツがこの世におるか!」
「それもそうだな」
エフトは大きな窓から身を乗り出すと、そのすぐ下へと移動してきたバハムートの背中に飛び乗った。
甲冑のように全身を保護する黒い甲殻や鱗。こう見えてバハムートは結構な綺麗好きであり、鋭く白い牙や爪は日頃からの手入れの証が見て取れる。半年前に契約を交わしたが、その癖にはようやく理解を示し始めたところだった。
「バハムート、ビーガストのステイシアまで頼む。一際目を引く時計台、そこを目印に飛んでくれ」
「グルル、ワカッタ」
窓から顔を覗かせたルータンは、怒鳴りつけるようにエフトへ叫ぶ。
「おいエフト! お主、いい加減セレイネだけでも連れて行かんか!」
無論、ルータンの真意は世代交代だ。エフトが人間である以上、邪竜族やウェアウルフのような種族に比べ寿命は短い。そこで彼女は、ヘイヴンでエフトに次ぐ実力者とされるセレイネに勇者討伐係としての役割を引き継がせようとしていた。
とはいえ、そのような面倒くさいことはしたくないのがエフトの本音。ルータンの命令を無視してバハムートに飛翔の指示を仰ぐ。何せルータンはその並外れた実力故に、ヘイヴンの中でもプライドが群を抜いて高い。それもあってこちらがどれほどいい訳を並べようと、彼女が意見を曲げないのは目に見えていたからだ。
バハムートに乗って去っていくエフトを窓際から眺め、ルータンは一人雲の流れを指でなぞる。
「エフトめ、お主は働き過ぎなのじゃ……」