5年前のあの日
その日は姉姫が隣国ザガン王国の王子との婚礼を行う日でレスタークスもリサリアの第一王子として朝から正装させられていた。
要領がわるいレスタークスは幼い頃から「グズ」と陰口を言われていたが、そんな自分を「この子は心がきれいだからきっと立派な王になる」とかばってくれていた優しい姉姫が大好きだった。
大好きな姉姫の祝い席に恥ずかしいマネはできないと、この日ばかりは立派に第一王子として振舞おうと決意していた。
しかし、もともと堅苦しい儀礼が苦手だったのもあって、正装した後も侍従たちをまいて一人で城中をブラブラと散歩していた。これは本人の性格でありどうにもならないらしい。
これに対して侍従長はいつものようにヒステリックな叫びをあげていた。
「またレスタークス様はこんな大事な日に!困った方だ!皆急いでレスタークス様を探すのだ。シーファ、お前はシャルル様の担当だ、しっかりやれよ!」
中年の侍従長はイライラしすぎてその小太りの身体を常に小刻みに震わせていた。
この日の侍従長はレスタークスを探させながら、もう一人の王子のわがままにも気を配らなければいけなかったのだ。
もう一人の王子とはレスタークスの弟のシャルル王子である。
レスタークスより一つ下でこの時十二歳だったシャルルは、多少高慢なところがあるが頭の回転が早く、グズと呼ばれるレスタークスとは対照的に思い立った時の行動に迷いがない。
その堂々とした態度、才気煥発な姿から次のリサリア王はシャルル王子に、という声があるくらいだ。
そんなシャルルは自分の身分を高貴な者だと理解しており、自らの言葉に他の者が従うのは当然だと思っている。
今回の婚礼用の正装についてもそうだ。
兄であるレスタークスに用意されたマントは第一王子らしく金の糸で作れた豪奢なものだったが、シャルルに用意されたものはそれより少し劣る銀の糸で作られたものだった。
それを見たシャルル王子が「兄上と違うものでは嫌だ」と言い出したために急遽同じものを作らせることになったのだが、ようやく婚礼の当日である今日になって完成したのだ。
その受け取りに行く必要があったが、他の侍従たちは遊びに行ったレスタークスを探すのに手をとられていたので、一番みそっかすのシーファが『シャルル王子のマントを町の仕立て屋に取りに行くという簡単な仕事』を侍従長から任されることになったのだ。
『簡単な仕事』とはいえ気の短いシャルルの性格を考えれば気楽な仕事でない。
シャルルの思っている『到着するべき時間』を過ぎれば容赦なく「遅い!」と叱責されるだろう。
シーファは町の仕立て屋からマントを受け取ると、少しでも急ごうと王宮の庭を通る。王宮の庭には大人たちは知らない抜け道があるのだ。
ただ、『抜け道』と言っても子供達が勝手に作った道なので、草木が生い茂っているとても狭いものだ。
しかし、まともな道を通るよりはかなり早く王宮の中心部に着く事ができるのだ。
「いそがないと・・・。あっ」
あせる気持ちが一瞬の油断に繋がったのだろう。シーファは盛大に転んでしまう。
・・・マントを握りしめたまま。
そして今シーファの腕の中には『マントだった』ものがある。
『抜け道』の手入れをされていない木の枝に引っ掛けて盛大にやぶれてしまったそれはもはやシャルルの望むマントではなくなっている。
(どうしよう。こんな大事な日にこんな大事なものを台無しにしてしまったなんて。誰かに見られる前になんとかしないと。でも、どうしたら、なんとかってどうしたらいいんだろう)
シーファが途方にくれていると、ひょっこりと一人の少年が姿を現す。どうやらこの少年も王宮の『抜け道』を通っていたらしい。
見られた!と思うと同時に少年が誰であるのかを気付いたシーファはさらなる絶望を覚えてしまう。
「・・・レスタークス殿下!」
シーファはもうだめだと思う。
よりによってあのグズと評判の王子に見られたのだ。シーファの失敗を騒ぎ立てられて、それでシーファは終わりだ。
しかし、シーファの予測に反してレスタークスは声一つあげず、シーファと破れたマントを不思議そうな顔できょろきょろと見ているだけだ。
(この状況が一目で理解できないなんて、この王子様は本当にグズなのね)
シーファは危機的状況に陥っているにも関わらず、自分より三つも年上の王子のまぬけな行動がなんだかおかしかった。
このグズだけど面白みのある王子にきちんと説明しなければいけない気になり、
「レスタークス殿下。私の不注意でシャルル殿下の儀礼用のマントを台無しにしてしまいました。もうしわけございません。どのような処罰でも受けるつもりです」
シーファはわざわざ自分の過失を告白する。
ばかばかしい行動だが仕方ない。私がしっかりしなければ、そう思わせる何かをこのグズ王子に感じたのだ。
レスタークスはようやく状況を理解したのか「ああ、シャルルの。どおりで俺のマントに似ていると思った」とのんきにうなづいていたが、何かに気づいたらしい。
「・・・だとしたらまずいな。うん、これはまずいよね」
そういいながらもレスタークスはさして困ってもいなさそうな顔だ。
その後もシーファのことを無視してしばらく考えた後「処罰は・・・。シャルルの性格を考えたら悪くすると死罪だな」と独り言のようにつぶやく。
シーファもそれは予想していたが、あらためて言われる事で、恐怖が再び迫ってくる。
侍女見習いとして厳しいしつけを受けているため落ち着いた態度が身についているが、シーファはまだ十歳の子供だ。自分の先のない未来を冷静に突き付けられてガタガタと震えだした。
(まだ、しにたくない・・・)
蒼白になっていくシーファの頬をレスタークスは無造作に両手でつつみこむ。
「・・・?!」
何が起こったかわからず困惑するシーファに
「どうだ。落ち着かないか?俺が困っていると姉上はいつもこうしてくれるのだ」
得意げにいうレスタークスにどう答えていいかわからないシーファだが、確かに気分が落ち着いてきていた。
「・・・落ち着いてきまっぶう!?」
シーファが答えている最中にレスタークスが手を狭めてきたので変な声が出てしまう。
「何するんですか!」
「ははは、怒った。少しは元気が出たか?」
無邪気に笑うレスタークスを見ているとシーファは悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。
(不本意だけど、怒ったら少し元気になった気がする)
「元気でました」
「それはよかった。じゃあ、後の問題は『それ』だけだな」
レスタークスはシーファの持っていたシャルルのマントを奪い取ると、自分の付けていたそっくりのマントをシエナに差し出す。
「ほら」
シーファは思わず受け取るが、なにが起こっているかわからかった。
呆然としているシーファを尻目にレスタークスは破れたマントををのっそりと身につけて
「そういうことだから」
と一言言ってからスタスタとその場から立ち去っていこうとするが、思い出したかのように振り向いて「無駄にするなよ」と一声かけてから今度こそ立ち去っていったのだった。
その後のことはシーファをよく覚えていない。
ただ、マントを持って来るのが遅いとシャルルにひどく叱られたことと、レスタークスが正装のまま遊び歩いてマントを破いたままで婚礼に参加した姿だけはしっかりと覚えている。
口さがない侍女たちは「シャルル様はあんなに素晴らしい振る舞いをされているのに、グズ殿はこんな大事な日にまであんな格好なんてね。本当に同じ兄弟でもこうも違うとなるといくら兄とはいえ次期王としてはふさわしくないのじゃないかしら」などと陰口をたたいていたし、家臣たちもレスタークスの姿を苦々しく見ていた。
ただ、姉姫だけは「私の弟はわんぱくで困ります。だけど、きっとあなたに会えるのが嬉しくてはしゃぎすぎたのだと思います」とかばっていたし、姉姫の相手であるザガン王国の第一王子も「いや、男子はわんぱくなくらいが頼もしいです。私もあのくらいの年の頃は一秒でも大人しくするなどということは考えてませんでしたよ」と穏やかに微笑んで応じていたことで婚礼の儀はなごやかなムードで終わったといえる。
しかし、いつもはレスタークスに甘い父親であるルーデル王もこの時ばかりはかなり怒っており、レスタークスは一ヵ月の謹慎処分を受けている。
レスタークスに非凡なものを見て将来を期待しているルーデルをもってしても他国との同盟を意味する婚礼の場での醜態は目に余る出来事であり、なによりザガン公国の手前もなり何もしないわけにはいかなかったのだ。
当のレスタークスは謹慎を言い渡された事で少々窮屈さを感じていたが、持ち前の脳天気な性格で「まあ、いいか」と軽く考えていた。
しかし、このときシャルル派(主にレスタークス達の叔母であるメリッサだが)はこの機会にレスタークスから王位継承権を剥奪するように働きかけたほどだ。幸いな事にルーデルはそれには耳をかさなかったが、レスタークスへの家臣たちの評価を下げた事には違いなかった。
このレスタークスの処罰に本人以上にショックを受けていたのがシーファだ。
あまりにも簡単にマントを取り替えて去っていたレスタークスだったので、
(私が考えていたほど大変なことじゃなかったのかしら?さすがにレスタークス殿下くらいになると、どんなことでも許されるのね・・・。)
と勘違いしていたが、数々の失敗をしても許されてきたレスタークスが謹慎させられた事により、その重大さを思い知った。
(もし、私があのマントを破ったとばれていたら?)
実際にどれほどの処罰を受けていたかはわからないが、マントを持っていくのが遅くなっただけでもシャルルには「もう少し遅ければ城から追放していたところだ!」と言われて、頬を平手打ちされている。
遅れただけでもそれだけの仕打ちを受けているのだ。破いてしまっていてはどんな目に合わされるか想像に難くない。
(それをあの方はあんな簡単に、笑顔で引き受けてくれた・・・。私のようなものを死なせないために、自分がバカにされてしまっても・・・。)
シーファは叫びたかった
『違う!あの方はグズなんかじゃない!本当に素晴らしい方です。全て私のせいです』
だが、このときになってシーファはようやくレスタークスの「無駄にするなよ」の意味がわかる。
レスタークスが謹慎処分を受けてしまっている今となってはシーファがいくら騒いだところで『レスタークスをかばうため』と思われかねない。本当のことを言うならもっと早いタイミングで言わなければ意味がない。それこそ『無駄』になってしまう。
数年後、シーファはレスタークス付きの侍女になる。
それは偶然ではない。シーファがそうなるために努力した結果だ。(もっとも、レスタークスの侍女になりたがる者はほとんどいなかったので大した競争率ではなかった)
そして初めの挨拶の時にシーファは「命を懸けてお仕えします!」と宣言してレスタークスをドン引きさせていたのだった。