狐、或いは旦那様
巫女服の女性を追いかけて森に入ったはいいものの、見失ってしまい何処に行けばいいのか分からない。
しかも木々は鬱蒼と生い茂っており、何処を向いても同じ景色。
方向感覚を狂わせる『それ』はまるでこの森に入る事を拒絶しているようだった。
「マズいな……」
このままでは女性はおろか、四季家に帰ることすら困難になる。
こういう事になるなら、直感で動くんじゃなかった。
自分の頭の悪さ加減に馬鹿馬鹿しくなり、どうしようかと悩んでる時。
フッと、遠くに黄色い何かが見えた。
尻尾、あれは間違いなく尻尾だ。
黄色い何かの尻尾が木の端から見えていた。
何処に行くか分からないなら、とその尻尾の方向に歩いていく。
すると今度は違う方向に尻尾が見えた。
この時本能で悟った。
あの尻尾は間違いなく俺を誘導しようとしている。
あの尻尾が導く先に何があるのだろうか。
ちょっとした好奇心と、先に何があるか分からないという恐怖が心を覆い尽くす。
尻尾の導かれるままに走り続ける。
次第に尻尾の動きは早くなり、まるで急かすように動き出す。
「待て!」
大きな声を上げてしまう。
それは焦りでもなく、はたまた怒りでもない。
恐怖。
あの尻尾から離れた時にこの森を彷徨うのが怖い。
かと言ってこのまま尻尾についていくのもまた怖い。
言葉にできない板挟みに苛まれながら、足は動きを止めない。
―――――
尻尾を追いかけた結果、森がひらけた場所に出た。
辺りを見渡しても尻尾らしきものはいない。
ただ、ひらけた場所の真ん中に小さな社が鎮座していた。
「……なんだこれ」
どう考えても不気味な社ではあるが、きっと尻尾が案内したかったのはここだろう。
その社に近付いてよく見てみると、随分年季が入ってるように感じた。
ところどころ苔が生えているし、枯葉なんかもそのままだ。
だが不思議と、この社から懐かしい気持ちが湧いてくる。
普段よりも落ち着けるような、不思議な気持ちになる。
『ようこそ、いらっしゃいました』
周りから聞こえたわけでもなく、まるで頭の中に直接問いかけるように声がした。
気が付くと目の前には巫女服の女性が立っていた。
恐らくこの森に入る時に見た女性だろう。格好が同じだ。
だが遠くでは気付かなかった事もあった。
それは彼女の頭に狐の耳が、尻には尻尾が生えていた事だ。
俺と同じ、狐の人外と言ったところだろうか。
『ようやくお会いできました、“旦那様“』
「旦那様?それはどういう……」
その時、俺はハッと気が付いた。
気が付いてしまったのだ。
この女性は俺の事を『旦那様』と呼んだ。
女性の姿をして、女性の格好をしている俺の事を。
確かに『旦那様』と呼んだ。
「知ってるのか!?俺の事を!」
『えぇ、知ってます。生まれた頃から、ずっと』
胸に手を当てて大切そうに語る。
生まれた頃からずっと?
目の前の狐娘は一体何者なんだ。
『私の名前は“燈狐“と申します。この地に長いこと暮らしている妖狐という人外でございます』
「……燈狐……」
必死に思い返すが全く思い当たる節がない。
だが必ずコイツは知ってるはずだ。
俺を殺したヤツの事を。
俺がどうして女になっているのかを。
「教えてくれ、燈狐。俺は一体どうしてこんな事に」
『それは、答えることができません』
「何故!」
『申し訳ありません、ですがこれは貴方自身で探し求めて欲しいのです』
全く意味が分からない。
何故探す必要があるのか、何故答えてくれないのか。
『貴方が死んだ理由、それさえ分かればきっと男の姿に戻れます』
「……ったく、これ以上聞いても無駄か」
『すいません』
「まぁいいよ、そもそも俺を殺したようなヤツが悪いんだからな」
『……旦那様、私が旦那様をお呼びしたのには理由がございます』
「理由?」
『旦那様が男の姿に戻るのを、私にサポートさせてください』
「え、いいのか?」
目の前の人外はどうもこちらに協力的らしい。
願っても無いことだが、なんか話が上手くいきすぎているな。
「本当に、信用してもいいんだな?」
『はい、お任せください。この燈狐、旦那様にお仕えすると心に誓っております』
「……まぁ、疑ってもしゃーないか。あ、そうだ。教えて欲しいんだけど、この頭についてる耳と尻についてる尻尾はどうやったら隠せるんだ?」
『あ、それなら……心に思い浮かべてください、耳の無い自分を、尻尾の無い自分を。自分を強くイメージしてください、普通の人間の姿をしてる自分を』
言われた通り、強くイメージする。
耳の無い自分、尻尾の無い自分。
人間の姿をしている自分。
その時、フッと風が吹いたような気がした。
まさかと思い手で確認してみる。
狐耳が無い、尻尾も無い。
『ふふ、上手く隠せたようですね』
「おぉ、これで街中も歩けそうだ」
確かにこの燈狐という狐は『そういう事情』に詳しいらしい。
今は少しでも助力があれば嬉しい、燈狐には今後も助けてもらいたい。
『それで、なんですが。旦那様、折り入ってお願いがございまして』
「なんだ?」
『もし、旦那様が男に戻れたら……なんですが……』
燈狐は顔を赤くしてモジモジとしている。
なんだろう、と俺は首を傾げてしまう。
『男に戻ったら、この燈狐を旦那様のお嫁さんにしてください!』
大きな声だった、森の奥まで響いたんじゃないかっていうくらいすごく。
なんだって?お嫁さん?
そんな小学生の将来の夢みたいな事を、目の前の妖狐が?
「え?あぁ、うん」
ギリギリ出てきた言葉がそれだった。
女になって、狐耳と尻尾が生えて、大概のことにはもう驚かないぞって思ったけど。
妖狐に求婚されるのは、流石に驚く。
『本当ですか!?ありがとうございます!』
さっきの返事を『OK』と解釈したのだろう。
正確には思考が停止して言葉が漏れただけなんだが。
どうも俺、今後は人外から切っても切れない関係になりそうです。
「なんでこうなったああああああああ!!」