あとがきに代えて
「弾丸に乗って駆けるかのように咆哮する自動車は、サモトラケのニケより美しい」
うるおぼえで恐縮だが、これはイタリア未来派の、未来派宣言の一説だったと記憶している。
未来派とは、反芸術主義の先駆けで、当時生まれた最高テクノロジー(産業革命で生まれた機械達や自動車、兵器など)を、そのスピードを愛するといった一団で、僕のイメージだと、自動車の運搬移動の効率化という根本的部分ではなく、スピードやフォルムなどの二次的産物に美を見出した集団と言ったところだろうか?
つまりは、最新機械ヤベー! めちゃかっけー! 機械の前じゃ、今までの芸術とかクソじゃね?
と言ったメンタリティーを持ったクソ野郎どもである。
僕は未来派が好きだ。
その在り方も、作品群も、最後の消滅の仕方も、全てが好きだ。
ダダも好きだけど、やっぱり未来派のほうがカッコいいと思う。
話は変わるけど、僕はSFが好きだと自分で思っていた。
僕はSF好きだからと、がんばって、古典や海外のSF小説を読んだりするのだけど、そうそう面白いものと出会えない。
いや、読めば結構どれも面白いのだけど、でも、これなら僕の大好きなブコウスキーやランズデールのほうが面白いと感じてしまう。
でも読んじゃう、SF好きだし、面白いものと出会いたいし。
でも出会えない、SF小説、はずれが多い。
そこで僕は気がついたのだ。
きっと僕は、SFの本質的な面白さを理解していないんじゃないかな、って。
僕が好きなのはSFではなく、SFの中に出てくるフォルムなんだと思う。
例えば銃夢に出てくる機械仕掛けの関節。
例えばマップスに出てくる天駆ける宇宙船。
例えばデッカードがもつブラスター。
水蒸気煙るロンドンで蠢く蒸気機関のロボット。
バトーの目、素子のうなじとかとかとか。
(マンガ多くなっちゃったけど)
つまり僕が愛しているのはSFの本質ではなく、二次的に生まれたフォルムなのだ。
僕はぜんぜん書かないけど、小説家なので、自分の好きなものを、書きたいと思っている。
僕が書きたいもの、それはSF的フォルムの小説。フォルムをなぞる様な小説。
それをSF小説と呼ぶのは、SF小説に申し訳ないと思う。
だから、僕の書きたい小説は、本質ではなく二次的なフォルムを愛した先輩にあやかり、未来派的小説と呼びたい(未来派の中には詩や小説もあるのでそれと混同になるとおこがましいので、未来派的)。
そして今作ケチャは未来派的小説を意識して書いた第一弾として、結構気に入っている。
本質ではなくフォルム、機能ではなくスピード、僕の好きなモノてんこ盛りである。
結構頑張って書いたので、面白がってもらえると嬉しいです。
大間九郎




