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ケチャ  作者: 大間九郎
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サモトラケのニケ



 ホテルに朝までいて、朝飯は一人海岸線でパンをかじっているとデバイスが鳴り本牧・タブーのオーナーから連絡があり今すぐ店に来いというから行くとそこには黒いスーツの男がいた。

「昨日の演奏きいていたよ」

「はぁ」

「いい演奏してたね、君の高音閾の速度、すごくよかったよ、君には力がある」

「力?」

「そう引力さ」

「引力?」

「ヒトを引き付ける引力、魔力、魅力、君はアイドルになれる」

「私はここのアイドルですけど?」

「ここ?」

 黒いスーツの男とオーナーは二人して腹を抱え笑う。まるで映画のようだ。わざとらしく、小ばかにしたような、そんな演技のような馬鹿笑い。


「君はメジャーでアイドルになれる」


「メジャー?」

「そう、デビューしてみたくないか?」

「……トリクみたいに?」

「そうさ、トリクをここのゴミダメからメジャーに引き上げたのも私だ」



◇◇◇◇


 家に帰ると寝ているムウのくせ毛を撫で、シャワーを浴びる。あの黒スーツとオーナーの馬鹿笑いでついた唾の臭いが気になって仕方ない。それにそのあと一晩中咥えた黒スーツのペニスの味が口の中に染みついていて気持ち悪い。

 歯を磨き、ムウの横に寝転がると「ぐべぇー」って父さんの呼ぶ声がきこえたのでベッドまで行くと、気管に痰が絡んで、息がしっかりできず、顔が真っ青になっていた。

 デバイスから管を出し、口からのどに向け突っ込むと、ずびゅびゅびゅぶと、淡が吸い出され、「ぐひー」父さんがお礼を言う。

「死ぬとこだったね」

 と、いうと、父さんは、手のひらのデバイスを転がし、ベッドサイドの白黒モニターに、

『マジ、ヤバかった、ありがと』

 と、お礼をいってくれた。

「母さんは?」

『買い物』

「父さん置いてけぼりで? マジ無責任」

『いや、夫婦なんて、そんなもん』

「さすがベテラン夫婦、達観してらっしゃる」

『それが、長続きの、コツ』

 私が、ふふ、と笑うと、父さんも「ぐびぐび」と笑う。



 私は父さんが大好きだ。



「父さん、この星に移住してきて、よかった?」

 父さんは移民第一世代で、真っ赤な海から赤鹸を拾って生きてきた。

 赤鹸拾いのせいで心肺機能がやられ、今は寝たきりだ。

 父さんが手のひらのデバイスを転がす。

 白黒モニターに文字が浮かび上がる。

『父さんは、この瞳で、色々なものを、見てきた、燃え上がるオリオン座、砂嵐、それを撃ち抜くDレーザー、』

「映画のパクリじゃん、それも間違えてるし」

『ききなさい、ヤナ、君は、美しい、サモトラケのニケのように、』

「ニ、ケ? 誰それ?」

『君は、考えられないし、何一つ、その腕で、抱きしめられない、サモトラケのニケのように、』

「え? ここにきてディス?」

『頭と腕が、ないからこそ、至上の美で、あるのだ、君は美しい、私のニケ、ヤナ、君には、両腕の代わりに、大きな翼が、あるよ』

 父さんは動きにくい左腕を持ち上げ、ぎこちなく、私の、肘を撫でた。

 私も父さんの左腕の肘を撫でた。



『君は、どこまででも、はばたけるよ』



 父さんが背中を押してくれた、何もかも、うまくいかなかった、人生の、帳尻合わせをするチャンスに飛び込む、勇気をくれた。

 私はメジャーアイドルになるためムウを捨てる覚悟を決めた。



 その夜。父さんは死んだ。



 墓場まで父さんの入った黒い死体収容袋を運ばなくちゃいけないので、ミヤムが仕事を休んでやってきた。黒い喪服を着て。本当にこのセンスが気に入らない。

 私とミヤムとで死体収容袋を引きずり、墓場まで向かう。墓場はD突堤の先にある陸続きの小島だ。小島はいつも靄がかかっていて、その形がよく分からない。

「ヤナ、これからどうするの?」

「墓場に行って、父さんを穴に投げ込む、そんなことも分かんないの?」

「いや、この先の生活、君と、ムウと、お義母さんの」

「私メジャーデビューが決まったから、ムウと母さんことお願いね」

 私がそういうと、ピタリと、ミヤムが立ち止まる。

「なんだよそれ」

「は? きいてなかったの? 私アイドルデビューするの、アイドルに子どもとか、老人とかついてきてらおかしいでしょ? そんぐらい分かりなさいよ、あんたバカ?」

 ミヤムは無言で、ただ立って、眉間にしわを寄せ、死体収納袋を睨んでいる。

 そう、この感じが嫌いなのだ。

 言いたいことを言わないし、怒りたいけど怒らない。

 私のことを決して見ない。



 このミヤムの、目が、私は大嫌いだ。



「それじゃ、離婚でいいよね」

 と、ミヤムが言った。

「当たり前でしょ、アイドルが既婚とか、ありえないでしょ」

 と、私が言うと、ミヤムは、黙って死体収納袋の端を持ち、引きずり始めた。

 二人で墓場まで死体収納袋を運び、墓場の真ん中に開いている穴に投げ込む。

 父さんは外から来たのに、この星に吸い込まれていく。

 この星に負けた父さん。私は絶対に負けたくはない。

 底の見えない穴に、転がり落ちていく死体収納袋を見ながら、そう思った。



◇◇◇◇


 家に帰ると寝ているムウのおでこにキスをして、髪を撫でる。

「ムウにはお金がかかるからって、捨てたりしないでよ」

 と、ミヤムを睨みつけると、母さんが私の頬を張った。

「どの口が! そんなこと言うのよ! 捨てるのはあんたでしょうが!」

「私には大きなチャンスがあるの! 作業所で働くしか能のないミヤムと一緒にしないで!」

「そのチャンスだって! ミヤムくんが働いたお金で生活できたから、手にできたんでしょうが!」

「このチャンスは私の力で! 私の力で掴んだのよ!」

「バカが!」

 もう一度頬を張られたので、母さんの頬を張り返すと、母さんは何も言わなくなり、カバンに洋服を詰め始めた。ミヤムは母さんを手伝い出し、私はムウの髪を撫でた。

「どこかで会っても、声とかかけないでよ」

 と、言うと、ミヤムは、ふっ、と鼻で笑い。

「良かった、僕からも言おうと思っていたんだ」

 と、言って、私の前に立ち、私の目を見て、



「もう、ヤナと、僕とを、繋ぐものは何もない。僕はうれしい」



 と言った。



◇◇◇◇


 今日のオープニングアクトはメジャーデビューしたトリクが行い、私がそのあと華々しく演奏、会場には青髪どもに紛れて業界人がいっぱい、つまり私のお披露目ってことらしい。

 そして私は今日の演奏を最後に、この『本牧・タブー』から卒業だ。

 衣装も黒スーツにわたされたパニエで膨らませたフリフリのフレアスカート、ミニだからちょっとでも動くとパンツが見えるけど、そこがいいらしい。

「君はケチャだから、白に赤のレースにしたよ、かわいいよ」

 とか言い出す黒スーツの趣味は気持ち悪いが、アイドルなのでにっこり笑っておいた。

 私とトリクだけ控室が別で、ほかの演奏者はいつもの大部屋にいる。

 ドンドン! 壁を蹴る音がよくきこえる、どうせ負け犬メウロが、私のメジャーデビューが気に入らず暴れているのだろう。壁を蹴っても、メジャーデビューできるわけでも、メウロの演奏能力を世界が認めてくれるわけでもないのに、ご苦労なことだ。

「緊張するかい?」

 と、黒スーツがきくので、

「全然」

 と、答える。

 黒スーツが声をあげて笑った。



「では、いこうか」



先頭は黒スーツ、次にトリクで、最後に私の順番で控室を出て、ステージにむかう途中、メウロたち八人の演奏者がステージの袖で行く手を塞ぐように立っていた。

「今日はよろしく頼むよ」

 と、黒スーツが笑顔で対応しようとメウロに右手を差し出したら、メウロも笑顔になり、右手を差し出し、左手で黒スーツの顔面を殴った。

「ちょっと! 何すんのよメウロ!」

「ケチャ、お前の衣装、ケチャップが足りなくねえか?」

 ニヤニヤしながら私の顔を殴るメウロ。一発、二発、三発、四発。頭を抱えて蹲ろうとしても、髪を掴んで立たされ、的確に、顔だけを殴られ続ける。

 衣装も引き裂かれ、胸が飛び出し、スカートが脱がされる。

「おい止めろ!」

 黒スーツが止めに入ろうとすると、メウロが、

「今なら、トリクは見逃してやる、このまま、帰れ」

 と、言って、

「すまなかった、ケチャ」

 と、黒スーツはトリクを連れ、足早に逃げていった。

 そして私は、殴られ、蹴られ、唾を吐きかけられる。

 蹲っても、ブーツの踵で腹や頭を踏みつけられる。

 声も出ないし涙も出ない、ただ、早く終わってくれ、それだけを思った。



「そろそろショウを始めてくれや」



 本牧・タブーのオーナー、青髪のミツルツクの掛け声で、暴力は終わり、メウロたちはステージにむかって行った。

 蹲っている私の横にしゃがみ込むミツルツク、ガムを口の中に放り込む。

「ケチャ、かんべんしろや、メウロにゴネられたら、ショウが成り立たなくなっちまう、出ていくお前より、ここを守らなきゃいけなーからよ、俺はよ」

 と、言った。

「私、の、メジャー、デビュウは?」

「スカウト逃げちまったし、無理じゃねーか? お前顔ボロボロだし、ケチャップまみれだしな」

「そう」

「ああ、諦めろよ」

「そう、ね」

 立ち上がる。

「なに? ケチャ、ステージあがるの?」

 口の中は血の味で、心の中は、父さんの、胃に流し込む、補液の味がした。

「私は、ニケだから」

一歩歩くごとに、目の奥に、千切れそうなくらい、痛みが走る。

「まあ、なんでもいいさ、客を跳ねさせてくれや」

 下品な笑い声を背に、ステージに上がる階段を、一歩ずつ、上る。

 フロアのライトがキラキラと煌めき、私を照らす。

 両腕がないから何もつかめない、頭がないから何も考えられない。

 大きく翼を広げることしかできない。

 ステージの上でリングを掴む。

 演奏中のメウロを押しのける。

 リングを右手で回す。

 飛び散る花弁を左指で弾く。

 青髪どもの肩が跳ねる。



 私はニケだから、美しくあることしか、できないのだ。




終りです。

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