ケチャップまみれのケチャ
ミヤムがテレパスごしに、
「あっ」
と、言ったから、
「なに?」
と、きいたら、別に、なんでも、とか口ごもりやがった。いやいやいや、そんなはずないでしょ、なんでも、のあと喋らないし、無言だし。
「イヤなによ?」
「ほんと、なんでもない」
「気になるんだけど」
「いやホント、なんでもないし、ヤナには関係ないし」
「いや関係ないことないでしょ、夫婦でしょうが」
私がそう言うと、ミヤムは、ふっ、と自嘲気味に笑った。
「いや、ただ、週末に、作業所で事故のカンパあるなと思い出して、それだけ」
「お金は渡せないよ」
「分かってる、気にしないで」
「気にしないよ、忘れてるアンタがバカなんでしょ」
「うん、それも分かってるから」
ミヤムはもう一度、ふっ、て自嘲気味に笑い、それじゃムウは明日の朝に迎えに行くよと言ってテレパスを切った。あの、ふっ、って笑いかた止めればいいのに、止めればもう少し電話してても、気分が悪くならないのになって思うがそれはそれ、別にどうでもいい、どうでもいいヤツだしミヤムなんて。
デバイスを指から外し、ぽいとクッションに投げ、横で寝てるムウの柔らかいくせ毛を撫でて、布団から出ると、母さんがキッチンで父さんのためにドロドロの補液を煮ているのが見える。
「おはよう母さん」
「もう五時よ、もうすぐ夜、こんな時間まで寝てて」
「そうなの? ムウが横で寝てたから、朝方かと思ったよ。ミヤムからテレパスきたし」
「あら、ミヤムくん元気にしてた? この前のお父さんが入れた心筋補助のデバイス、ありがとうございましたって伝えてくれた?」
「伝えないよ気持ち悪い。あいつ家族じゃないし、それにデバイス買ってきたの私じゃん!」
「ミヤムくんのお金で買ったんでしようが」
「あいつには週二万わたしてるんだからそれ以外は私の金だよ!」
「なにその言いかた! ミヤムくんが真金町の作業所で、お金稼いでくれるから、アンタたち生活できてるのよ!」
「嫁と子供のために金稼ぐのなんて! 夫婦なんだから当たり前でしょ!」
「夫婦って言うんなら! 浮気やめて一緒に住みなさいよ!」
「母さんには関係ないでしょ!」
「関係あるわよ! アンタ! お父さんの移民保護費は! お父さん死んだら入ってこないんだからね! アンタお父さん死んだらどうするの!? ミヤムくんだっていつまでもアンタの面倒見てくれないのよ!」
「なんでよ! あいつは私に金入れるわよいつまでも! 一生!」
「ミヤムくんはあんたにお金くれてるわけじゃないわよ! 娘のムウにくれてるの!」
「ふん、それならやっぱり一生あいつは私に金入れるわよ、ムウは私から離れないもの、一生」
母さんは呆れたように、怒鳴るのを止め、補液をドロドロに煮る作業に戻るが、呆れているのはこっちだ。ミヤムなんか週二万も渡しすぎなんだ。作業所には無料の寮もあるし、昼は無料で、ご飯だって出てる。あいつはそこそこいい生活をしてるんだ、私たちよりもいい生活かも知れないのに。
母さんにはそれが分からない。
そもそもミヤムは家にいないし、一緒に暮らしてないんだから家族じゃない。セックスだってしてないから愛する男じゃない。だから別の男と恋をしたって悪いことじゃないのに。
母さんはバカだ。ミヤムなんかに媚びて気持ち悪い。
汗はかいてないから、水を使いたくないし、水は高いし、タンクトップを脱いで、ブラつけてガットシャツを着る。ハーフパンツをはいて、デバイスホルダーを腰に巻きもう一度寝ているムウのくせ毛を撫でる。
「ムウのことお願い、明日の朝ミヤムが迎えに来るからわたしてね、私、仕事行くから」
「朝までに帰ってきなさいよ! たまにはミヤムくんに顔見せなさいよ!」
「うっさい! ミヤムだって私の顔なんて見たくないでしょ!」
バカみたいに怒鳴る母さんと一緒にいたくないから、ご飯食べたかったけどもう家を出るしかない。靴を履いて廊下に出ると、ここは六階だから、海が見える。暗く、黒に近い青い海。父さんから仕事を奪った青の海。本当に嫌な海。
横浜港。
大っ嫌いな青。
それなのに私の髪は青いし、父さんの髪も青い。ムウの髪が黒くて良かった、これだけがミヤムがムウにした良いことだろう。廊下を歩き階段をくだり団地の駐車場に出て国道まで出ると、海の臭いがする。
六号町まで出るためには、国道から海岸通りに出なきゃならない。まじかで見る海も嫌いだけど、それ以上に、今だに海に入って、赤鹸拾いをする、青髪どもが大っ嫌いだ。
赤鹸なんて今はもうないのに、純度の低い本当にデバイスにもできないクズしか浮いてないのに、海に入って体を壊す。今日だって、海岸通りのガードレールによっかかり、バカで、本当にバカで、動かないで、海ばっか見てる青髪どもが数十人いる。
本当に嫌いだ。
赤かった海なんて、もうないのに。
「あ、ケチャだ」
「おう、ケチャだよ」
「今夜出るの?」
「今夜出るよ、八人出て、頭じゃないけど」
「頭じゃなくてもいいよ、頭は見れないかもしれないし、それよりいっぱい出てよ」
「オウケイ! ガンガン弾くから、好きなだけ踊てってね」
「楽しみ!」
「楽しんでね!」
投げキスすると、青髪の奴らが口笛吹いたり手を振ったりしてる。
あいつらのことが嫌いだけど、私は『本牧・タブー』のアイドルだから、アイドルしなきゃいけない。
そもそも『本牧・タブー』に来る金が青髪どもにあるのかって話だが、入場料は五百円だし、ブラッシュラッシュを一回吸引するのが三百円だから、一世代の奴らは移民保護費から、二世代目は親の移民保護費から、そのくらいスルッて出てくる。
あいつらが今だに、赤鹸なんて拾ってても、生きていけるのは、全部移民保護費があるからだ。私は母さんが黒髪だから、移民保護費の対象にはならない。本当に理不尽な社会、だからあいつらの移民保護費を、アイドルである私が吸い上げなくっちゃいけない。
それこそがこの町、本牧移民街の正義なのだ。