ACT6 結末
ACT6 結末
1
僕は自転車を漕いで漕いで漕ぎまくって、自宅への道を急いだ。が、漕いでから三分もしないうちに、「あ、スバルんちに電話かけた方が直接行くより早えーじゃん」と気がついた。で、電話をかけてみる。呼び出し音が――鳴りません。ツーツーツー。話し中か? 受話器が外れているのかも知れない。嫌な予感が僕の脳天をかすめた気もするが、不吉なことを考えるとそれが現実になってしまうので、僕はそれについては考えない。また一生懸命自転車を漕ぎ始める。
けれど、僕はまたすぐ漕ぐのをやめた。今度は僕の意思ではない。携帯の呼び出し音が鳴ったのだ。液晶に目をやると、意外な名前が。僕はすぐに通話ボタンを押し携帯を耳に押し当てた。
――あ、ミツグ?
僕は自分の耳が信じられなかった。一瞬目が潤んだ。「スバル! スバルか?!」僕はまだ駅前で通行人もたくさんいるのに、人目もはばからず叫んだ。「無事なんだな、オイ!」
――今どこ?
「駅だよ駅んとこ! 今からお前んちに行こうとしてたんだ! お前こそどこよ? 実はなあ――」
――駅? どっちの? 高校の?
「おい! オレの話を聞けって! 大事な話なんだよ! だから実は――」
――いいから! ベチャクチャ話してる暇はないの! どっちか言って!
「いや、高校の方、だけど」
僕は反射的に答えていた。スバルの声には何かしらの緊迫感のようなものが漂っていて、有無を言わさない迫力があった。
――わかった。今から行くからそこを動かないで!
それで電話はブツリと切れた。僕は呆然とそこに立ちすくんだが、すぐに自転車で駅の改札口近くに移動し、そこで待つことにした。……そこでスバルを待っていると、とにかくスバルは無事だったのだという思いがじわりじわりと僕の胸に染み込んできて、僕はとにかくほっとした。スバルは無事だった。手遅れではなかったのだ。よかった。こんなに嬉しいことはない。
でもスバルは何をあんなに慌てているのだろう? あるいは、何かあったのだろうか? 例えば梶浦がらみで? ひょっとしたら、梶浦はすでにスバルの家に到着して、しかしスバルやら牛頭さんやら鬼島さんやらに成敗されてしまったのかも。その可能性はないとは言えない。いや、けっこう高いかも。そうとなれば僕的には言うことなしなのだけれど。
もちろんそこまでうまい話があるわけはなかった。待ち始めて三分、スバルが僕の前に姿を現した。スバルは僕を見て言った。
「……そのカッコ、何?」
けど僕は僕でスバルに言うことがあった。『よかった! 無事でよかった!』そう言って抱きしめることがこの感動的なシーンではもっともふさわしかったろうし僕もドサクサでスバルを抱きしめられたのならこれはかなり嬉しいし実際待っている時にはそうするつもり満載だったのだけれど、現実には僕はこう言わざるを得なかった。
「お前、どこから出てきた?」
スバルは改札口から出てきたのではなかった。改札とは反対の、僕の背後から声をかけてきたのだ。しかも三分! どこにいれば、電話を切って三分間で僕のところにやってこれるのだ?
スバルは指差した。「あそこ」。スバルの人差し指の先には、駅前の公衆便所があるだけだった。……え? トイレにいたのか?
ガクンとアゴを落としている僕の手を、スバルは強引に引っ張った。
「さ、行くよミツグ!」
「い、いくって、どこに?」
「事情はあと! とにかく来て!」
「いや、でもオレも話が――」
「いいから来いって!」
「でも自転車が――」
抗議の声も完全に無視して、僕はスバルに引きずり込まれた。スバルが先ほど指差した公衆便所に。それも女子便に。「ちょ、ちょっと?!」僕の声はスバルの耳には届かない。スバルはトイレの女子用の一番奥のドアを力強く開け、僕を放り込み、自分も飛び込んで、ドアを閉めた。え? え? え? と僕の頭を疑問符がやかましい蜂みたく飛び回る隙もなく、僕の視界は白っぽい光に覆われていく。失墜感が僕の身体を包み込んでいく。
知らぬ間に閉じていた目を開けてみると、目の前には牛頭さんと鬼島さんと、それから記憶にある神官服に身を包んだ十数名の老人が立っていた。少し離れたところには、蛇子さんらしき人もこちらに背を向けうずくまっていた。どうやら蛇子さんは泣いているようだった。
「おお、戻られましたか!」
一際立派なヒゲを蓄えた老人が叫んだ。
僕は辺りを見回した。
「ここは……コンババオンセンじゃん」
「どうやら、ご友人は無事だったようですな」
同じ老人――僕はその人がコンババオンセンの大神官だったということを思い出した――がスバルに話しかけた。スバルが頷く。
「ええ。おかげさまで何とか」
「ちょっと、これってどういうことッスか?」
わけがわからず僕は誰にとでもなく訊ねた。鬼島さんが「ウガー」。それでは意味がわかりません。「私が説明しよう」そう言って前に進み出たのは、ミノタウロスの牛頭さんだった。牛頭さんの表情には隠し切れない憂いの色がにじみ出ていた(と僕は思ったけど、正直僕に牛の表情なんかわからない。和牛とオージービーフの違いさえもわからないぐらいだ)。
「実はね」という切り出しで始まった牛頭さんの話は、やはり梶浦に関するものだった。そしてそれは恐るべきものだった。以下は牛頭さんの話の内容である。
午後四時過ぎ。鈴木邸のインターホンが鳴った。その時鈴木邸にはスバルを除く鈴木家の人が勢ぞろいしていた。今日は一さんの魔王も定休日だった。門を開けたのは牛頭さんだった。そして牛頭さんはその場でズバっ! とやられてしまった。牛頭さんを斬りつけたのは浮動高校の制服に身を包んだ少年だった。
午後四時五分。今度は庭で仕事をしていた鬼島さんが、少年と出くわした。鬼島さんも相手が何者なのかわからないうちに少年の聖剣で斬られ、その場で気を失ってしまった。
午後四時七分。リビングに少年が押し入った。蛇子さんが一さんをかばおうとしたが、やはり切りつけられあえなく気絶してしまう。
午後四時十分。鈴木邸にスバルが到着。自宅の惨状に驚く。牛頭さん、鬼島さん、蛇子さんを慌てて助け起こし、幸い三人とも怪我もなくすぐに意識を取り戻すも、家のどこにも一さんが見つからない。スバル、使用人たちに話を聞き、家に押し入ったのが梶浦桐人だと断定する。
午後四時十二分。鈴木家の物置から、神官の一人が飛び出してくる。神官はコンババオンセンの勇者候補生の連中が、魔王ベルウッドを捕え、今夜民衆の前で公開処刑を行うという声明を出したとの報せを鈴木家にもたらす。そのリーダーが梶浦桐人ことキリー・ザ・ブレイブハートであることをスバルはこの時初めて知る。
午後四時十五分。スバルと使用人三名。コンババオンセンに到着する。スバル、牛頭さんに指摘され、勇者候補生たちがスバルの身近な人間を襲う危険性に気づく。さっそく幼なじみの天堂貢(もちろん僕である)に連絡を取り、大神官たちの魔法で駅前にこちらとあちらを繋ぐ臨時の通路を作り出し、天堂を迎えに行き――そして僕たちはここにいるというわけだった。
話を聞き終えて、僕の疑問が一つ解けた。なるほど、コンババオンセンでも強力な魔力を使える人間は自由な場所に、こちらとあちらとを繋ぐ通路を作れるらしい。昨日いきなり梶浦が消えたのも、同じ理屈だったのだ。
「でも、どうしてその梶浦は――いやキリーは、一さんを狙わなきゃいけないんですか? だって、一さんは何も悪いことをしてないじゃないッスか?」
僕の質問に大神官が答える。
「その通りなのですがな、ミチッゲさま……」
僕はミチッゲではなくミツグだ。けど話の腰を折るのもアレだし、僕は泣く泣く間違いを訂正せずに大神官の話を聞く。
「勇者候補生たちは、勇者アカデミーという勇者を育成するための生徒たちでしてな、奴らはその、激しい訓練に耐えてきておるわけでして、勇者に必要な能力はもちろん備えておるわけなんですがな、いかんせん、そのそれだけ訓練に明け暮れておりますと、一般常識などを学ぶ暇がないようでして、それに、そもそも奴らは正義感と情熱は人一倍なのですが、その分思い込みも激しいようでして」
つまり、僕らの世界で言うところの勉強ばっかりやって他に何も知らないエリートさんというところなんだね。
「そもそも、勇者候補生だの勇者アカデミーだの、勇者って、何なんです?」
牛頭さんがまた僕に説明してくれた。勇者とは、このコンババオンセンの治安を守る仕事の名前だと。さらに蛇子さんがわかりやすく補足してくれた。つまりは組織力がない、個人活動的警察みたいなものなのだと。
「とにかく、申し訳ございません。今回のことは完全なこちらの手違いでございます。まさか、奴らがベルウッドさまを本物の邪悪な王だと思い込んでしまうとは」
「それで、父さんはどこにいるの?」
「は、ヌカルミ国オペケペ地区にある、三日月の塔に立てこもっておりますじゃ」
「そこにわたしたちを送ってくれる?」
「は、もちろんでございます」
「お、おいスバル!」僕は慌ててスバルに呼びかけた。「ちょ、お前、どうするつもりだ?」
「父さんを助けるのよ。決まってんでしょ」
「バカ、アブねーじゃねえか! 奴は、スンゲー強えー武器を持ってんだぞ?」
「大丈夫。牛頭たちだって斬られたけど、平気だったでしょ」
僕は慌てて屋上で僕の身に起こったことを説明した。言うまでもなく僕が昨日梶浦をストーキングしていた部分は省略して。僕がとにかく伝えたかったのは、梶浦の聖剣が、梶浦自身の意思によって威力の調整ができるという情報だった。
「多分、あいつは牛頭さんたちモンスターの頑丈さを読み間違えたんだ。なんたって牛頭さんは拳銃の弾も効かないぐらい丈夫なんだもんな。けど、お前はダメだよスバル。お前は生身の人間じゃねーか。危なすぎるよ!」
僕はスバルにそんな危険なところに行ってもらいたくはなかった。せっかく、こうしてスバルと再会できたのだ。スバルが無事だと知ったとき、僕は本当に本当に嬉しかったのだ。もう二度と、連絡が取れる前の不安な気持ちなんて味わいたくはない。僕にとっては一さんの安全だって大切だ。もちろん。でも、それ以上に僕はスバルのことが大切なのだ。
「な、考え直せよスバル! 大神官さん、あなた方で何とか一さんを助けて出してくださいよ! もともとそっちの手落ちなんだから、そうするのが筋じゃないですか。な? スバル? それでいいだろ? こっちの世界の人たちに任せておけば大丈夫だよ。オレたちはここで一さんが帰ってくんの待ってようぜ」
「申し訳ありませんがミチッゲさま。その、もちろん我々もベルウッドさまを救い出す最善をつくしますが、戦力が整うまでいま少し時間がかかりまして……」
「それでも、何とかしてくれるんでしょ!」
「え、ええ、それはもちろん……」
「そんなの待ってらんない」
スバルはぴしゃりと僕と大神官に言った。
「ミツグ、あんたはここに残っていいよ。もともとこれ以上厄介なことにならないように連れてきただけなんだから。でもわたしは行くよ。待ってなんかいたら、手遅れになっちゃうかも知れない。それに」
スバルはそこで一度言葉をきった。僕は、スバルの大きな瞳に怯みを覚えた。スバルの瞳には、紛れもない強い意志と、それ以上に強い怒りが宿っていた。
「わたしは、絶対あのバカを許さない。わたしのこの手でぶっ飛ばしてやらなきゃ気がすまないもん」
長い付き合いの僕にはすぐにわかった。止めてもムダだ。止めることなんか不可能だ。考えてみればスバルは初めて好きになった男(と考えるだけで僕の胸がズキンと痛む)に裏切られたのである。その上父親を勝手な誤解でさらわれた。その怒りは深く激しくて当たり前だ。
「私もお供します、お嬢さま」
「……ありがと、牛頭」
「ウガガー」
「鬼島も、サンキュ」
「わたしも、行きます」部屋の隅で泣き崩れていた蛇子さんが、立ち上がっていった。「ベルウッドさまを、わたしも、助けたいです」
「当然、蛇子さんには来てもらうよ」スバルは蛇子さんににっこり笑いかけた。「蛇子さんは、父さんの恋人だもんね?」
「ではよろしいですかな、皆さまがた? もし準備がお出来でしたら、塔の前までお送りいたしますが」
結束を固めるスバルたちに、大神官が声をかけた。「よし、行こうみんな」スバルの声を合図に、スバルと使用人トリオが祭壇の上に集まる。
「では、我々の魔力で――」
「待ってくれ!」
叫び声が、大神官の台詞を遮った。声の主は? 僕だ。僕は全力で叫んだ。
「オレも、オレも連れてってくれよ!」
スバルを止めることなんか僕にはとても無理だった。今まで一度だって、僕はスバルを止められたことなんかないのだ。それに、自分がスバルの助けになれるとも思わない。でも、それでも、僕はスバルと一緒に行きたかった。行かなければならなかった。とにかく僕はもう、さっきみたいな思いをするのはごめんなのだ。スバルの安全を、僕はこの目で確認したいのだ。
「ダメだよ、ミツグ。危ないんだよ? 向こうはたくさんいるんだよ? わたしたちだって、自分のことで精一杯で、ミツグのことなんか守ってあげられないんだよ?」
「んなことわかってるよ! 自分の身ぐらいこのデッキブラシで守ってみせるよ。だから、な? いいだろう?」
「でも――」
「いいじゃないですか、お嬢さま。天堂くんだって、ご主人さまの力になりたいんですよ。なあ? 天堂くん?」
牛頭さんの助け舟に僕は感謝。スバルはそれでも「でもー」と渋ったけど、今度は蛇子さんが言ってくれた。
「牛頭さんの言う通りですよ。天堂くんだって、わたしたちの仲間じゃないですか」
ああ、なんていい人なんだ蛇子さん。自分だって恋人をさらわれたって言うのに、僕のことを気遣ってくれるなんて。サンクス牛頭さん。サンキューベリーマッチ蛇子さん。さらには鬼島さんまでが意見してくれた。
「ウガガ、ウガガガガー」
はあ、とスバルは大きくため息をついた。
「わかったわかった。鬼島までそう言うのならミツグも一緒に連れて行く。その代わりミツグ、こっちには余裕はないんだからね? ホントに自分のことは自分で守ってよ?」
「ラジャ!」
そういうわけで、僕はスバルと並んで祭壇の上に立った。周りをぐるりと囲んだ大神官&神官ズが「ホンダラ~ハンダラ~」と僕には聞き取れない呪文らしきものを唱え始める。この呪文が終わった時、僕らは目的の場所に転送されているのだろう。
とにかくよかった。念仏にも似た眠気効果をもつ呪文を耳に入れながら、僕は心から思った。僕は足手まといになるかもしれない。きっと危険な目にも合うと思う。怖くないといえば嘘になる、と言うか勇者キリーみたいな連中がわんさかいるかと思うと正直足元はブルブルだ。けど、それでも、どんな怖い目に合うとしても、スバルだけが危険な目に合うなんて考えるよりはずっとずっとマシだった。僕にとっては本当にそうなのだ。それに、こんな僕でも、蛇子さんが言ってくれたように一緒に行けばきっと何かしらスバルの役に立てるはずだ。立とうと思う。僕がさっき戦うと決意したのは、決して一時の気の迷いなんかじゃないのだから。
……にしても、スバルの気持ちを変えさせてしまうなんて、鬼島さんはさっき一体なんて言ったんだろう。
2
僕たちが転送された先は、周囲を深い森に覆われていた。左斜め前方には美しい湖があり、夕暮れの赤い空に鳥達が美しく飛ぶ姿が映えていた。そして僕たちの真正面には、魔王ベルウッドこと鈴木一氏が捕えられているであろう石造りの塔がそびえたっていた。入り口に、武装した多数の少年たちが待ち構えている形で。
「待ち伏せ、ですか」牛頭さんが言う。
「待ち伏せみたいですね」蛇子さんも言う。
「ウガガー」鬼島さんも言った。
「ひい、ふう、みい……って、もう! 数えらんない! あれ何人? 五十人ぐらい?」
「いや、冷静に人数数えてる場合じゃねーじゃん! 何だよあの数は?! これじゃあ、塔の中に入ることもできねーじゃん!」
「うっさいなー、いきなり弱音を吐くな!」
「いや、だってよー!」
「お取り込みのところすまないが」僕とスバルがもめていると、少年の輪から一人が前に進み出た。「やはりベルウッドを取り返しに来たみたいだね。キリーが言った通りだ。ははは、残念ながらここから先には行かせないよ。言い忘れたが僕はこの《真に世界を救う会》サブリーダーの――」
「黙れ! アンタの名前なんか知ったこっちゃねー!」
サブリーダーの少年は、スバルに怒鳴りつけられ沈黙した。表情には明らかに怯みの色が浮かんでいる。スバルの外見からは想像できない乱暴な口調にびびったようだ。それは他の若者たちも同じようだった。あるいは、エリートである彼らの女性への幻想が、この瞬間に木っ端微塵に砕かれてしまったのかもしれない。
それでも、さすがにサブリーダーを名乗るだけのことはある。少年はすぐに表情を引き締め直した。
「いいだろう、貴様らの言う通りだ。我々は親しい友人などではない。確かに名乗っている場合ではないな」
どうでもいいのだけど、勇者とかいう連中は、全員こういうカッコつけで回りくどい喋り方しかできないのだろうか?
サブリーダーは拳を振り上げ叫んだ。
「総攻撃・開始!」
オー、オーという雄叫びをあげて、勇者候補生らが一斉に僕らに向かって駆け寄ってきた。全員、梶浦のように光り輝くライトセーバーもどきではないにせよ、何かしらの武器を手にしている。僕は「どうしよう? どうすんだよ?」とオロオロした。スバルが「こいつらも全員ぶん殴ってやる!」とファイティングポーズをとる。しかし、そんなスバルを抑えるように、使用人トリオが僕らの前に立った。
「ウガー、ウガー、ウーガガガ」
「ちょ、ここはオレたちに任せろってどういう意味っ?!」
「そういう意味ですよ、お嬢さま」
「牛頭っ?!」
襲いかかってきた若者たちを、牛頭さんは「ウォリャー!」と丸太のような腕を振るって吹き飛ばした。同時に鬼島さんが「ウガガ」という声と共にラリアットを繰り出し、別の二名を地に沈める。さらにさらに「わたしもいるんですからね」と蛇子さんは尾っぽをブンブンふるって近づく勇者候補生どもをなぎ倒した。
「この程度の雑魚どもは、我々だけで充分です。お嬢さま、天堂くん。きみたちは早くベルウッド様を」
勇者候補生どもは、モンスター三人集の暴れっぷりに恐れをなしたようだった。スバルは使用人トリオの顔と残っている敵とを見比べる。地面に倒れてぴくぴくしているのは七人。それでも依然として五十人近くが残っている。僕は無理だと思った。いくら牛頭さんや鬼島さんや蛇子さんが強くとも三人だけで、いや仮に僕やスバルとが協力しても、五十人も同時に相手できるはずがない。
スバルも、同じようにわかったはずだ。牛頭さんたちが無茶を言っていると。でも、スバルは言った。
「わかった。ここは頼んだから」
「――スバルっ?!」
「さ、行こ、ミツグ」
「怯むな! 敵はたった五人だぞ! 総員、突撃せよ! 突撃突撃突撃だぁー!」
後方に一人残っていたサブリーダーが、ふたたび号令を発した。
「オォォォォォ!」それを合図に再び若者たちが突撃を開始する。
「さあ、お嬢さま!」
使用人トリオが壁となり、スバルが進むべき道を作った。走り出すスバル。続く背中にデッキブラシをつっこんだ僕。後ろから聞こえる「ウワァー」とか「オラー」とか「ウガー」という悲鳴や怒号とベキバギ・ボコスカ・バシンドスンという音。
塔の入り口を目指すスバルと僕の目の前に、一人残っていたサブリーダーが立ちはだかった。
「女、ここから先には行かせんぞぉ!」
サブリーダーの手には他の連中と違って何の武器も握られてはいなかった。けれど、僕は見た。サブリーダーの右手に、光りが収束していき、それが形作っていくのを。あれは! キリーのと同じ聖剣だ!
「ジャマだ! どけボケ!」
シュタっ! スバルが跳んだ。「え?」。跳んだ? 「え?」と僕とほぼ同時にサブリーダーがつぶやいた。ズベバシン! てなSEを奏でてスバルの飛び蹴りがサブリーダーの顔面にめりこんで、サブリーダーは新体操の月面宙返りよろしく地面に墜落した。ぴくぴく震えて起き上がってくる様子はない。
スバルはかまわず走り抜けた。僕もサブリーダーの身体を踏みつけてから後に続いた。
「スバルさーん!」スバルが塔に入る直前、僕らの後方から大声が上がった。「わたしのダーリンをー、必ず助けてくださいねーっ!」
それは蛇子さんの声だった。
スバルは振り返らなかった。振り返らず、駆けながら高々と右の拳を天高く突き上げた。そして、塔の中へと入った。
僕は振り返った。
勇者候補生たちの陰に隠れて、もう使用人トリオの姿は見えなかった。ただ、乱闘の喧騒だけは僕の耳にも届いた。
3
スバルって強い。強すぎるって言っちゃってもいいぐらい強い。強すぎる。そりゃ父親は魔王だから少し特殊であることは間違いないけど、だけどなんでフツーの女子高生がこんなにムチャクチャに強いんだろう?
塔の螺旋階段を、最上階目指して駆け上る僕とスバル。塔の中にはまだまだ勇者候補生たちが残っていて、そいつらは次々に僕らに襲いかかってきた。
「うぉぉぉー」「うっさい」バシン。ゴロゴロゴロ。「この魔王の手先め!」「手先じゃなくて娘だっつーの」ズベシ。ゴロゴロゴロ。「き、貴様ぁーっ!」「えーと、それ」スバコーン。スッテンゴロリンズッデンデン。
行く手に勇者候補生出現→勇者候補生スバルに襲いかかる→スバルたやすくしのいで黄金の右を浴びせる→階段を転げ落ちていく勇者候補生。
塔に入ってからの僕らの道のりは、ずっとそのサイクルの繰り返しだった。僕のデッキブラシの出る幕なんかどこにもない。
少しだけ、僕は自分が何をしに来たんだろうとか考えてしまう。僕の存在価値ってなんだろう。この調子じゃ、スバルは楽々一さんを助け出してしまうじゃないか。心配する必要なんてどこにもなかった。これなら、僕はやっぱり大神官たちのところで待ってたほうがよかったのではなかろうか。
なんて思っていたら、スバルが僕に叫んだ。「ミツグ! そっち行った!」
「へ?」と正気に戻った時にはすでに目の前にニキビ面の若者が迫っていた。「くらえぇぇ!」と絶叫して、若者が棍棒のような物を振り上げる。「う、うわぁ!」。僕は慌てて避けた。すると若者は一人で勝手にバランスを崩して、「あぁぁぁー」という声を残して他の仲間たち同様階段を転げ落ちてしまった。
「ふう、あぶなかった」
僕は吹き出した額の汗をぬぐった。スバルが僕の頭を引っぱたいた。ずべし。「あつぅ!」
「あつぅじゃないよ。油断すんなって。ったく、足手まといになんないつったっしょ?」
「す、すんません」
「でもさ……」
すでに僕に背を向け階段を歩き出そうとしていたスバルが、急に声のトーンを落とした。
「ん、何?」
「ありがと、ミツグ」
僕に背を向けたまま、スバルが言った。
「は?」
僕はぽかんと口をあけた。
「え、今なんて?」
「ありがと、つったの」
僕を見ずに、もう一度スバルは繰り返した。
ワァット? えーと、あ・り・が・と・う? ありがとう? え? ありがとうってサンクスって意味の、ありがとう? ええーっ?!
僕は自分の耳を疑った。あのスバルが僕に感謝した? 信じられません。だってスバルだよスバル。僕をボケとかバカとか足手まといとか言うスバルだよ? スバルが僕に礼を言うなんて! しかも、僕は今何かをしたわけじゃないのに!
でもスバルはそんな僕のパニックに気づかないようで、背を向けたまま淡々と言った。
「やっぱりさ、少し嬉しかったんだ。ミツグが一緒にきてくれるって言ってくれて。ぜんぜんこの件に関係ないのにね。そりゃ役には立ってないけど、でも、一緒にいてくれるだけでちょっと心強いよ。だから、ありがと」
逃げないでよかった。ここについてきてよかった。僕は思った。僕は幸せ者だ。スバルから感謝されるなんて。ああ、生きててよかった。マジで。
けれど僕にも意地はある。歓喜に打ち震え号泣さえしている内心を包み隠し、ニヒルな口調で僕はスバルに答えた。
「オレだって立派な関係者だよ。んなこと気にすんなって」
スバルは僕を振り向いて、微笑みかけた。
「カッコつけんの、ホント似合わないねー」
そして、ぷぷっと吹き出した。
……うっさいボケ、オタンコナス!
んで、そんなこんなのやりとりをしつつも敵をぶちのめし階段を駆け上り、数分後、僕とスバルは最上階の物々しい黒い大きな鉄製の扉の前に立っていた。扉の上には部屋の名前を示すプレートが貼り付けてあった。
《★×A6◇▽∴ヲ∵◎※》
残念ながら読めません。
4
重く黒く仰々しい扉を押し開けるとそこには浮動高校の教室を二つくっつけたぐらいの円形のホールが姿を現して、僕もスバルも思わず息を呑んだけど、その部屋の一番にいる二人の人物の姿に気がついて、僕らは驚きのあまり一瞬言葉を失うことになる。
梶浦桐人が――いや、勇者キリーが僕らを見据えて立っていた。手には光り輝く聖剣。すでに彼は浮動高の制服ではなく、RPGの説明書とかのキャラ設定に描かれている、ファンタジー丸出しの軽装の鎧に身を包んでいた。背中にはご丁寧にマントまで身につけている。その立ち振る舞いはまさに典雅。高校で見る梶浦はどことなく周囲の風景に馴染まないところがあったが、ここで見るキリーはまさに場に相応しい雰囲気を醸し出していた。
だけど、僕らにとって何より衝撃だったのはキリーではなく、その後ろで壁に磔にされぐったりとなっている人物の姿だった。「父さん!」「一さん!」僕もスバルを我を取り戻して一生懸命呼びかける。
一さんに反応はない。
「やあ、鈴木さん。それに、へえ天堂くん、きみも来たのか。二人ともご苦労なことだね」
「よくも、父さんを……」
「ほう、怒ったのかい、鈴木さん? 僕の聞いてる話だと、きみたちの親子仲はそれほど良くはなかったはずだけどね。むしろ感謝してくれるぐらいだったと思ったんだけど、おかしいなあ」
「ふざけないでよ! 調子に乗ってんじゃねーよ! わたしは怒ってるんだからね。本気で怒ってるんだからね。痛い目にあいたくなかったら、父さんを解放しなさいよ! そしたら、五十発のところを三十発で済ませてあげるから」
「……五十を三十? どういう意味?」
キリーの質問に、パシパシと手と手を打ちあわせて僕が答えてやった。
「パンチだよ、パ・ン・チ」
「……乱暴な人だなあ」キリーは肩をすくめた。「しかし、女性の身で僕をどうにかできると思ってるのかい? それとも、そこの天堂くんと二人がかりなら何とかなるとでも? 甘い、甘いなあ。きみだって甘いぞ天堂くん。きみなんかじゃ僕に触れることすらできないと、もうきみにだってわかったはずではないのかい?」
「偉そうにミツグをけなすな!」
僕より早くスバルが反論してくれて、僕の心にまたまた暖かいものは溢れてくる。スバルはキリーを怒鳴りつける。
「ミツグはたしかに役立たずでボケで根性もなくて貧弱だけど、でも、いいの!」
……おいおい。
「それでもあんたみたいな詐欺師よりもずっとずっとマシな奴なんだから! あんたにミツグをけなす資格なんかないよ! この世界でミツグをけなしていいのはわたしだけなんだから!」
「やれやれ、エライ言われようだなあ。まあきみたちになんと言われようと僕は痛くも痒くもないけれど。きみもあまり利口とは言えない人だからね鈴木さん。天堂くんも天堂くんだけど、きみもきみだ。まったく。僕らの狙いはとりあえずベルウッドだったんだ。向こうの世界で大人しく泣き寝入りでもしていてくれれば、きみらのことは見逃してあげてもいいかと思う可能性だってあったんだよ。それをのこのここんなところまで来るとはね。そんなに、僕の聖剣を味わいたいのかい?」
「嘘つくな!」たまらず僕は口を挟んだ。「オレにはスバルも討つとか言ったじゃねーか!」
「わからないかなあ天堂くん。僕は、可能性の話をしているだけだよ。鈴木さん、きみは父親をそれほど好きではないのだろう? それなら、普通は自分の命の方を大事にするものなのじゃないのかなあ。利口な人間ならね」
「大きなお世話だっつーの。わたしの命のことはわたしが考えるよ。……そりゃ父さんの常識がないところとか他の家の父親とあんまりにも違うところはわたしだって嫌いだけどさあ――だけど、父さんは父さんなの。わたしの父さんは一人しかいないし、そんなの、見捨てられるわけねーだろ」
スバルの言葉に、磔にされた一さんがぴくりと動いた気がした。起きたのか?
「一さん!」
けれど気のせいだったようだ。僕のありったけの大声に、一さんは全く反応しない。そんな僕のことは完全に無視して、キリーは「く、く、く」と笑った。
「まあいいさ。父親の前に娘から始末するというのも悪くはない。どの道、邪悪な血が流れているのだからね。さ、かかってくるならどうぞ、かかってきてください」
カマンベイベーってな言葉に即座にスバルが反応した。「上等ッ!」。ヤンキーみたいに叫んで、スバルはキリーに殴りかかった。
ギュイン! と効果音が聞こえてきそうな勢いで、キリーが両手に持った聖剣を振り下ろす。バックステップでスバルがかわし、黄金の右をがら空きのキリーの右頬に叩き込む。間一髪のタイミングでキリーは姿勢を低くし、そのままスバルの足元を斬りつける。それも見事なジャンプでさけるスバル! スバルは着地と同時にハイキック、かと思えばそれはフェイントで、もう一度電光石火一撃必殺の右ストレートをキリーの顔面にねじ込んだ。
キリーはそれもさえも後方に跳ぶことで見事によけた。よけたはずだった。僕の目にはスバルの拳はキリーの顔面には届いていないように見えたし、キリーの顔にも多少の余裕が漂っていた。しかしすぐにキリーの表情は驚愕に歪んだ。きっと、僕の顔も同じように歪んだ。確実に攻撃をかわしたはずのキリーの身体が、何がしらの衝撃を受けたかのように後方に一メートルほど吹き飛んだのだ。
辛うじてダウンだけは避け、さらに素早く数メートルほど距離を取ったキリーは、驚愕を顔に貼り付けたまま、呆然と言った。
「……なんだ、それは?」
僕の目もそれを捉えていた。スバルの右拳。正直僕は、塔を駆け上っている時からそれに気がついていた。ただ、あまりに不可思議な現象に、オレは幻覚を見ているんだ、こんなことがありえるはずねーじゃん、と自分に言い聞かせ、それをスバルに確認したりはしなかったのだ。
スバルはそれを――黄金の光をまとった右こぶしを顔の前に掲げ、にっこり微笑んだ。
「あ、これ? わたしの武器」
「武器、だと?」
「そ。ほら、あんただって魔法とかいうので、その剣を出したでしょ。似たようなもんだよ。こうすると、ほら」
とスバルはその黄金の拳(比喩ではない)をブン、と誰もいない壁に向けて軽くふるった。ズバシンっ! と壁が大きく振動した。
「衝撃波が出る上に破壊力倍増。(へへん)便利っしょ?」
「……きみが、魔法を使えるなんて話は聞いてないぞ」
「そりゃそうだよ。誰にも言ったことないもん。父さんだって知らないよ」
こともなげに言い放つスバル。動揺をあらわにするキリー。そりゃ動揺するよな。けど、もっと動揺しているのはこの僕だ。何だありゃ? スバルにあんな力があったなんて全くぜんぜんこれっぽちも知らなかったぞ! まさかケンカ無敵だったのは、右腕にあんな力が隠されていたからなのか? まっじで?
「ま、正確に言うとこれ、魔法とはちょっち違うんだけどさ。んなことよりどしたの? クソやろー。まさか、今さら怖くなった? ビビッてもダメだよ。あんたには、この拳を五十発叩き込むって決めてんだから」
ピク・ピクピク。キリーの顔面の筋肉がわずかに痙攣したのを僕は見逃さなかった。
「どうやら、これは予定を変更せざるをなさそうだ。僕も本気を、我が聖剣の本当の力を見せることにしよう」
それを合図とするように、スバルとキリーは同時に走り出し、再び戦いを開始した。そして僕は、それからおそらくはスバルも、キリーの言葉がハッタリなどではないことを思い知る。なんとなんと、キリーの聖剣からも光線のようなものが放たれ出したのだ。
こうなるともう、僕のいる空間は、豪華なCGバリバリのハリウッド映画のようになってしまった。飛びまくる光線。飛びまくる衝撃波。飛びまくるスバルに飛びまくるキリー。そして流れ弾に当たらないように逃げ回る僕。
逃げ回っているうちに僕ははっと気がついた。あれ? 僕、何もしてないじゃん。せっかくデッキブラシを持って勇ましく来たのに、何一つ役に立つようなことをやってない。
それじゃダメだろ。ダメに決まってる。僕も勇気を振り絞って戦うと決めたからには、何かをするべきなのである。じゃあデッキブラシを持ってスバルとキリーの戦いに参戦するか? そうするとどうなるか?――A,ミンチになるでしょう。ミンチになるのはイヤだった。僕は身のほどをしっているつもりだ。あんな人外決戦に割り込めるほど、僕のバイオレンススキルは高くない。
でもこのまま何もしないのもイヤだった。だからそれじゃあダメなのだ。戦えミツグ! でもだから僕はどうやって戦うべきなのか?
スバルとキリーはもちろん今この瞬間も戦っている。バチ! バチ! 部屋を所狭しと動き回り、至るところでキリーのライトセーバーもどきとスバルの光の拳が交差してスパークが巻き起こる。二人の戦いはまったく互角でまだまだ決着はつきそうにないけど、そんな騒動もまるで耳に入らないかのように、壁に磔にされた一さんは身動き一つしない。……一さん?
――そうか!
ついに僕は僕にもできることを見つけ出した、と僕は思った。そうである。一さんを解放して介抱して目覚めさせるのだ。
一さんだって魔王ベルウッドなんてやっているし、部下の牛頭さんや鬼島さんや蛇子さんがかなり強かったんだし、娘のスバルだって密かにあんな力を持っていたんだから、きっと一さんも何かしらの力を持っていて、僕はスバルの助けにはなれないけど、一さんならきっとスバルに協力して、そうすれば二人は勇者キリーを倒せるはずだ。
そうと決めたら僕は動き出す。円形の部屋を壁伝いに移動し、反対側で磔の一さんのところへと移動する。スバルの衝撃波やキリーの光線を食らわないように慎重に移動する。時々目の前に光線が突き刺さって石の壁がすさまじい音をたててホコリが落ちてきて僕を動揺させるけど、それでも僕は移動する。移動する。移動する。移動する。
けれど僕は大切なことを忘れていた。僕自身の運の悪さを失念していた。そして僕は最悪の事態を引き起こした。
一さんまであと少しというところまで迫った時だった。キリーと戦っているはずのスバルの叫び声が僕の耳に届いた。
「――このバカっ!」
僕は反射的に振り向いた。僕の目に映ったものは――僕をかばうようにして立つ、スバルの姿だった。
「――――え?」
ゆっくりと、スバルは崩れ落ちていく。スバルの背中の向こうには、聖剣を振りきった形で静止するキリーの姿。
「――――え?」
どさり。スバルは倒れた。
「きみたちは本当に愚かだな」キリーが、少し呆然とした表情を浮かべながら、ゆっくりと僕に歩み寄ってきた。「天堂くん、きみには隠れて何かをやる才能はないよ。才能もないのにやろうとするからこうやって人に迷惑をかけることになる。それから鈴木さん。戦いの最中に他人をかばおうとするとはね。美しいが、それはとても愚かな行為だ」
「……う、うっさ……い、ア……ホ……」
一度は倒れたスバルが、懸命に立ち上がろうとしながら言った。しかし、そんなスバルにキリーはゆっくりと歩み寄り、手にした聖剣を突きつけた。
「動かないで鈴木さん。死にたくなければね」キリーは言った。「しかしどうしたものかな。予定外だ。まったくの予定外だよ。まさか、こんなマヌケな結末が待っているとはね。きみのせいだぞ天堂くん。正直、僕は少々困惑しているよ。さて、本当にここからどうしたものだろう」
キリーの言葉なんかほとんど僕の耳には聞こえていなかった。届いてはいてもその意味までは認識できてはいなかった。僕はただ、呆然としていた。頭の中では、僕のせいでスバルが殺されてしまうという思いだけがグルグルと回っていた。
スバルが殺される。僕のせいで。僕をかばったせいで。僕がマヌケなせいで。僕が余計なことをしようとしたせいで。どうしようどうしようどうしようどうしよう。そんなの絶対ダメだ!
「仕方がない。とにかく、ひとまずこの舞台の幕を下ろさせてもらうとしよう」
キリーがそう言った瞬間、僕は勝手に動いていた。「ふざけるなぁぁぁっっー!」口は勝手に雄叫びを上げていた。走り出した僕。地面を飛んだ僕。スバルに剣を突きつけるキリーに、飛び蹴りを放つ僕。
キリーが一瞬余裕の笑みを浮かべたのは僕にもわかった。『きみの蹴りなんかハエが止まるほどスローモーションだ。ムダなあがきはやめたまえ』そう言わんばかりの笑みである。
「――え?」
今度のそれは、僕の口からではなく、キリーの口から漏れた。そしてキリーは後方に吹き飛んだ。僕は地面に着地した。
「え?」
今度は僕がそう言った。僕は自分の足を見た。僕の足首から下が、スバルの右手と同じように、黄金色の光を放っていた。
「なんだ、これ?」
わけのわからないエネルギーを、僕は自分の足から感じていた。活力が漲ってくる、とでも言えばいいのだろうか。ホントにわけがわかりません。どうして僕の足が、ピッカピッカ光ってなくちゃいけないんだ?
「やったじゃん、ミツグ」スバルが立ち上がる。僕の足を見る。僕に言う。「ついにミツグも目覚めたんだ! おめでとう!」
「え? は? これ、何?」
「そんなことよりまずはあいつをぶちのめす方が先っしょ」
自分の意志に関係なく、足が変ちくりんな光を放っているんだ。そんなこと呼ばわりはないだろう。第一なんでスバルはそんなに冷静なんだ? でも、スバルは完全に興味を僕からキリーに移していた。
キリーは僕の一撃を食らっても――具体的にどういう風に炸裂したのかは僕にもわからなかったけど――今なお気絶してはいなかった。「バ、バカな」。うめきながら、それでも何とか立ち上がろうとする。「こ、こんな話は、聞いてないぞ」
「だから、どうした?」
立ち上がろうとするキリーの目の前で、スバルが大きく右拳を振りかぶった。彼女の拳がふたたび光を放つ。
「ま、ちょ、待て! 僕の話を――」
「待てって言われて待つバカいるかっ!」
「ストップっ! ストップだ昴っっ!」
ズババババチコォォォォーンッッッ!
スバルの拳はキリーの顔面にめりこみ、この世のものとは思えない音を奏で、キリーは低空飛行できりもみ回転というワイヤーアクション顔負けの動きで飛んでいった。ジェット・リーもびっくりである。
びっくりしたのはジェット・リーだけじゃない。「え?」「え?」僕もスバルも振り向いた。「ストップ」という声を発したのは僕でもスバルでもキリーでもなかったからだ。そして僕らは今度こそ呆然とすることになる。
「ああ……間に合わなかった……」
僕は我が目を疑った。僕の後ろでそう言って頭を抱えたのは、魔王ベルウッドこと鈴木一氏だったのである。磔にされ自由を奪われ気絶さえしていたはずの一さんは、「大丈夫かい?!」と叫んで元気な足取りで、吹っ飛んでぷるぷるするキリーに駆け寄った。
え? なんで?
5
なんで? は僕だけの思いでは当然なく、スバルが一さんに食ってかかった。
「どぉぉぉーなってんのっ?!」
しかし一さんは一度振り向き「まあまあ」となだめるようにして、それからまたすぐにキリーの介抱に戻った。「……あぁぁ……うぁぁ……」とか何とかキリーはうめいている。
「キリーくん、気は確かかい? 息はあるか? すまない! ホントーにすまない。うちの娘が凶暴なばっかりに」
「ちょっ、父さん! 何でそんな奴の心配すんのよぉぉぉっ!」
叫ぶスバル。けれど一さんはスバルを無視してキリーの傷を丹念に調べる。「ちょっと、ねえってば!」スバルは地団駄。僕は僕の胸になにやら不吉なものが薄もやのように広がっていくのを感じて立ち尽くした。僕が不安を感じたのは、一さんの着ているスーツの背中に張り紙があるのを見てしまったからだった。「貢くん!」一さんが首だけを向けて僕を呼んだ。「悪いけど、彼を運ぶのを手伝って欲しいんだけど」。僕はおとなしく一さんに従いキリーの足を持つ。「昴、きみも手伝いなさい」「ちょ、なんでそんな奴を――」「とりあえず従おうぜスバル」僕も一さんの肩を持ち、スバルは渋々ながら僕とは反対側からキリーを持ちあげた。スバルはわけもわからずに、僕は何となく予想をつけながら、えっほえっほとキリーを運んで扉をくぐり、螺旋階段を下りていく。途中、階段に倒れているはずの勇者候補生の姿が一つもないことで、僕の疑惑は確信に変わった。
長いこと時間をかけて塔を出ると、大勢の人々が僕らのことを待っていた。またまたスバルが驚きの声を上げた。
「牛頭?! 鬼島?! 蛇子さん?! なんでみんな、そいつらと仲良く一緒になんかいるの?!」
使用人トリオは勇者候補生たちの輪から僕らのところに駆け寄ってきた。牛頭さんが未だに「ううぅ」とかうめくキリーを見て顔をしかめた。
「ご主人さま、これは……」
「ああ。……僕らの計画は完全に失敗だ」
「計画? 父さん、みんな、計画って?」
「協力してくれた勇者候補生たちにも、かなりの被害が出たようです」
「そうか。はあー」一さんは大きくため息をついた。「……すまないが牛頭くん、鬼島くん、先にキリーくんを運んであげてくれないか? 一刻も早く治療をしてあげて欲しい」
「は」「ウガー」
牛頭さんが「うぐぅぅ」キリーをおぶり、その後ろについて鬼島さんも歩き出した。さらに二人の周りにたくさんの勇者候補生たちが群がり、「キリーさん!」「しっかりしてくださいキリーさんっ!」と必死に声をかける。牛頭・キリー・鬼島を中心とした一団は、次々と魔方陣の上に乗り、光に包まれ消えていく。
あっという間に、塔の前には僕とスバルと一さんと蛇子さんだけになってしまった。
「説明、してくれるんでしょうね?」
一さんは頷き、「僕らもとりあえず戻ろうか。そこで全て説明するよ」と言った。
かくて僕らも大神官らの待つ祭壇の間に戻り、そして「……さて何から話せばいいかな」という一さんの言葉を皮切りに、僕らは世にも馬鹿馬鹿しい真相を知らされることになる。僕らのもとにアンチ・クライマックスがやってくる。
世の中には知らなくていいことと知ってもかまわないことと知らなくてはいけないことの三種類があるとしたら、僕らがこの時知らされた真相はそのうちのどれになるのだろうか。たしかなことはそれがあまりに馬鹿馬鹿しくて、馬鹿馬鹿しすぎて、そのあまりの馬鹿馬鹿しさに僕の意識は数秒の間どこか見知らぬ世界に飛んでいき、スバルでさえ怒ることもできずにただ呆然となったということだ。
「まあ要するに」と一さんは僕らに言った。「ドッキリ、だったってことなんだけど」
それから一さんは僕とスバルと一さんと蛇子さんに背を向けた。僕はもうそれを目にしていたから、全てを予感していた。スバルは今ようやくそれに気がついたようで、目を大きく見開いた。一さんの背中には張り紙があった。白い紙に、黒マジックが大きく踊っていた。
《大・成・功!!》
……元を正せば全ては大神官のくだらない思いつきから始まったことだった。コンババオンセンの最高権力者にして管理者でもある大神官はある日とつぜんこう思った。そうだ、いつもこちらの世界ばかりスリルやサスペンスを供給してもらっていて申し訳ない。たまにはこちらからサービスするべきではなかろうか。そうだ。コンババオンセンの功労者たる魔王ベルウッドにも、たまにはスリルやサスペンスを味わっていただこう。
こうして梶浦桐人ことキリー・ザ・ブレイブハート、勇者アカデミー二回生首席のキリーが、僕らの世界に送り込まれてきた。
が、それからすぐに計画は変更を余儀なくされる。神官ズと魔王ベルウッドとが飲み会をやった際に(魔王だの神官だのが飲み会をすんな!)、うっかり神官の一人が計画を漏らしてしまったのだ。これでドッキリは成立しなくなってしまった。やはり同じ席に居合わせた大神官は(ってだから大神官が酒なんか飲むなっ!)激怒し落胆しさらには魔王ベルウッドに詫びを入れた。が、その計画を知ったベルウッドこと一氏は、別の新たな話を大神官&神官ズに持ちかけた。どうせなら、自分ではなく娘のスバルを驚かせ、そして喜ばせて欲しいと。
かくて新たな計画は勇者キリーに伝えられた。魔王ベルウッドを拉致し、それを娘のスバルがお供の者たちを連れて救出に向かうというシナリオが。そしてその計画は本日実行され、キリーをはじめ協力者の勇者候補生たちに多数の負傷者が出るという予定外の悲劇はありつつも、こうして一つの結末を迎えたというわけだった。
「……本来の計画では、キリーくんがある程度昴を追い詰めたところで、わざと倒されて、それで昴がボクを磔から解放したときに、ボクが後ろを向いて《大・成・功!》ってなるはずだったんだけどなあ。なかなかうまくいかないものだねえ」
あっはっは、と一さんは笑って話を締めくくった。笑ってる場合か? ドッキリだとは知らなかったスバルがかなり本気で向かい来る勇者候補生達を殴り倒したために、本当にたくさんの怪我人が出たという報告も僕らの耳には届いていた。それで本当に笑っている場合なのか?
「でも、嬉しかったなあ昴。キリーに対するきみの言葉は。何だかんだ言っても、きみはボクのことを父親だと認めてくれたんだねえ。ありがとう。ありがとう」
一さんは両手をガバッと広げた。「父さん!」と叫んでスバルはその胸に飛び込む――わけもなく、「バッカじゃない」とつぶやいて祭壇の間を出て行ってしまった。
僕は手を広げたまま固まっている一さんにため息混じりに声をかけた。
「……せっかく、スバルが素直な気持ちを告白したのに……はーあ、これじゃあ完全な逆効果っすよ、一さん」
蛇子さんがボソリと言った。
「……だからあの時やめましょうって言ったんです」
僕がスバルを探しに行くと、スバルは同じ会のバルコニーから夜空を眺めてたたずんでいた。僕は何も言わずスバルの横に立った。空には二つの紅い月が浮かんでいた。ここが異世界だということを実感させられる。
「はー、くだらん!」スバルは伸びをしながら叫んだ。「まったくどいつもこいつもくだらなさ過ぎ! はー、あー、ったく、あれがうちの父親だと思うと頭が痛い」
僕は何も言わなかった。こんな場合、何を言えばいいのだ?
「……ま、いいんだけどさ。あいつらがバカなのは前からだしね」
「え、いいの?」と思わず問い返してしまう僕。あまりに切り替えが早い。その切り替えの早さ加減に、僕はついつい訊かなくてもいいことを訊いてしまう。「だけどさ、お前、梶浦、いや勇者キリーか、あいつのことだってあるんだぜ? ……怒ってないの?」
「怒ってない」
スバルは即答で断言。そうかそうなのか。それほどまでにスバルの桐人への恋心は深いのか。僕がスバルに何を言われても冷めないように、こんなことではスバルの梶浦への愛も失われないのか。僕がっくし。
「つーかね」肩を落とす僕の耳にスバルの声が聞こえた。「怒る怒らないとかじゃなくて冷めちゃった」
「はあ?」
「こんなバカらしい話聞かされたら、怒る怒らないとかの話じゃないよ。ちょー脱力。なんかもー、どうでもいーやーって感じ?」
「まあ、脱力はするわな」
「百年の恋どころか千年の恋も万年の恋も冷めるって。はーあー。やっぱ、思い込みだけじゃ恋はダメなのねー。よくわからんけど」
スバルはため息をついた。
だけど僕は思う。他の勇者候補生たちはともかくキリーはやっぱり自分の幸運に感謝すべきである。すでに半殺しにしてしまったということも関係しているのだろうけど、スバルを欺いて『冷めちゃった』『ちょー脱力』程度で済むなんて僥倖以外の何物でもない。やっぱり、スバルもファーストキスの相手には情が移るのか優しいというか甘い。これがもし僕だったら……。ブルブルブルッチ。考えるだけで震えが止まりません。好きじゃなくなったなんて言われても、それでもやっぱり僕は桐人がうらやましいし嫉妬してしまう。
だから僕はあえて興味なさげにつぶやいた。
「へー、そうっすか」
顔をあげてスバルが言った。
「でもさ、いいこともあったんだけどね」
「思いっきり人をぶん殴れたことだろ?」
「そうそう、すっごいストレス解消になっちった――って、バカっ!」
えーっ、ノリツッコミ?
「なんでそんな暴力的なことで喜ばなきゃいけないのよ? ほんっと、ミツグってバカ」
いや、あんた暴力的な人間じゃん。
「そういうことじゃないよもーバカ!」
「……わかったからあんましバカバカ言わないで……」
「ったく、もう……」
「で、ホントは何がよかったんですかスバルさん」
「もーいーよ、バカ」
「そんなに怒んなって、な?」
スバルはまた深々とため息をついた。
「だからさ」スバルは僕から顔を背け、なんだか言いづらそうに言った。「さっき、塔の途中で言ったことだよ」
僕はスバルの横顔を見た。
「は?」
「だから、ミツグのこと見直したなーって言うか、ミツグってやっぱホントの友達だったんだなーって言うかさ」
……え、僕のこと? もしかして、僕のことで、よかったとか言ってんのスバル? マジで? マジで?
こんなこと信じられない。一日に二度もスバルからまさか感謝されちゃうなんて、こんな幸運が今までの僕の人生にあっただろうかいや絶対ない(←反語)。もう何もかもが許せる気になってしまう。
なんだよチキショウ、オレ一切無関係だったのにこんなバカバカしいことに巻き込まれてちまったじゃねーか、何のためにオレは斬られたんだ斬られ損だよマジで、オレの浪費した時間と勇気を返してくれよ、バカなことに関わったからオレまでマジでバカみてーじゃんよー、このバカタコくそ梶浦およびコンババオンセンのアホどもが。とかさっきまでは思っていた僕だけど、スバルの一言で全てを許せる気になってしまった。いやいやむしろ、感謝さえしたい気持ちで一杯だ。ありがとうキリー。ありがとう鈴木家の人たち。ありがとうコンババオンセンの大神官&神官ズ&勇者アカデミーの生徒の諸君。おかげで僕は、こんなに幸せになれました。
素晴らしいハッピーに包まれた僕の心に、なんだか勇気とパワーが湧いてくる。この機会に告白しちまうのはどうだろう? イエス。今なら出来る。自分でも信じられないぐらい、ガンガン勇気が湧いてくる。戦うと決めたのだ僕は。もう逃げないと決めたのだ僕は。
「ス、ス、ス、スバル、オ、オレ――」
と顔をあげた時、そこにはスバルが――え? あれ? いないじゃん!
「そろそろ戻るよーミツグ~」
なんととっくにスバルは歩き出していた。僕はスバルを呼び止め改めて告白しようかなとも迷ったけど、タイミングをずらしたことで僕の勇気はすでにエスケープ。「ちょ、ちょっと待てよー」と結局スバルを追いかけただけでした。
……ま、とりあえず、スバルから少し見直してもらっただけでも満足するべきなんだろうな、多分。
とか思って歩き出した僕だったが、とてつもなく重要なことを思い出して叫んだ。
「ああああっ! お、オイ、待てよっ!」
「……いきなりデカい声を出すなつーの」
前を行くスバルが振り向いた。明らかに機嫌を損ねてしまったようだった。だが、僕はそれどころではない。
「そ、それ!」僕はスバルの右腕を指さした。「これも!」僕は自分の足も指さした。「ぴ、ピカピカ光ってたよな?! あれはいったい何だったんだっ?!」
そうですそうなんです。僕はすっかり失念していたのです。勇者キリーとの戦いの最中に起こった、そしてベルウッド軍団のドッキリ企画を完全失敗に導いた、あの奇跡の力のことを。僕らの身体に起こったあの謎の現象を。
「ああ、あれね」スバルはこともなげに頷いた。「ミツグ、もう一度あれできる?」
「できるわけねーだろっ!」
「そ?」と言ってスバルは右手を突き出した。「ほら」ピッカーン。またもやスバルの右手が確かな光を放ち始める。
「そ、それだ! なんだよそれ?!」
「そんなことよりミツグ、目閉じてみ」
「は?」
「いいから閉じて」
スバルの口調にかすかな苛立ちを感じ取って、僕は言われるがままに周囲の風景をシャットダウン。暗闇のなかにスバルの声だけが響いてくる。
「んで、足に力が集まるのをイメージする」
「は?」
「いちいち、は? じゃない! いいからイメージっ!」
なんだよもう、とか思いながらも僕はキリーとの戦いを浮かべていた。キリーの顔面を蹴り飛ばしたあの瞬間を思い出していた。黄金色の光を放つ自分の四股をイメージした。
「ほら、出来た!」
「え?」僕はまぶたを開けて、足を見た。そしてスバルの顔を見た。「だから何なんだよぉこれはぁ?」
「もうちょっとトレーニングすれば、すぐに自由にできるようになるよ」
「だから何なんだよぉこれはぁ?」
「知りたい?」
「教えてくれよぉ、何なんだよぉこれはぁ。オレ、このままじゃ自分のことが怖くて夜も眠れねーよォ」
「そんなビビることじゃないよー」
「だってよぉ、足がピカピカ光るなんてよぉ」
「わかったわかった」笑いながらスバルは言った。「でも、言っても信じてくれるかなあ」
「それでもいいから教えてくれよぉ」
「オッケー。でもミツグ覚えてるかなー。昔さあ、一緒に小学校の裏山に探検しに行ったことあったじゃん」
「……え?」
「あの時さ、ほら、洞窟があって、そこで銀色に光る丸い物体見つけて――」
「やっぱりあれ、夢じゃなかったのか?」
「うん。夢じゃないよ。で、銀色の人に会ったでしょ」
「あ、あれ、う、宇宙人だろ?」
「そう、宇宙人だよ」
「……へ?」
「あの人何とか星の宇宙人。で、ミツグ気絶しちゃってからわかんないと思うけど、ミツグが寝てる間にわたしたちさあ、改造手術されちゃったんだよねー(あっはっは)」
「……う、うそ」
「ホント。『この銀河には各地の星を征服し植民地にしようとする悪の宇宙人もたくさんいます。ここで会ったのも何かの縁です。そんな連中からこの星を守るための力を、あなた方に差し上げましょう』とか言われちゃってさー」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!」僕は叫ばずにはいられなかった。「なんだよそれ! わ、わけわからん! しかもなんでお前、宇宙人の言葉がわかんだよ?!」
「知らないよ、んなの。わかったもんはしゃーないでしょ。別に不思議じゃないと思うよ。わたし鬼島の言葉だって勉強してないけど初めからわかったし」
とんでもないことをスバルは平然とのたまう。
「で、せっかくくれるって言うからさー、遠慮なくもらったんだよねー。あ、心配しなくてもだいじょーぶ。機械の身体にされたとかじゃないから。なんかー、わたしは腕に、ミツグは足に、すっごい小さなチップみたいの埋め込んだんだって。地球の科学力じゃレントゲンとか撮っても見つけらんないらしいよ? まあでも、ミツグこういう話聞いちゃうとショック受けちゃうと思ってずっと黙ってたんだけどさー、まーもう大人だから平気だよねー? いや、よかったよかった。わたしも胸のつかえが取れた感じ? そーんな心配しなくて大丈夫だって。それにさー、けっこうこの力って便利なんだよー? たとえばほら、ミツグが足が速いのだってきっとあのチップの影響だろうし、不良とかにからまれたってさ――」
スバルはさらに僕に色々と力についてレクチャーし続けたが、そんな台詞は当然僕の耳に入るわけもなく、僕は半分無意識の領域に逃避していたというか、魂の抜け殻となってただひたすらに呆然としていた。おいおいおい、いくら何でもこんなのありか? 僕は僕の知らぬ間に、たまたま出くわした宇宙人に、あの時危惧したように、やっぱり身体をこねくりまわされ改造されていたのである。無断で改造なんてひどすぎる。こんな力いらねーよ。教えて僕の身体の所有権! 僕には僕の身体を自由に権利すら与えられてはいないのですか? ああ、ヘルプ神さま!
スバルがバシバシ僕の肩を叩いた。
「もう! わたしと仲間なんだからいーじゃん」
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もしもここで物語がエンディングとなれば僕はわけのわからん力は与えられるしスバルはますます父親のことを軽蔑したみたいだけどまあ一応ひとまず色々収束してるしそれなりに納得のいく終わりとなったのだろうけど、人生は映画じゃないのでこんなところでエンドロールは流れてはこなかった。実のところこの夜だけでもまだまだ終わりにはならない。それどころか、本当にタフでハードな一日はこのあと幕を開ける。
多少ギクシャクした雰囲気を残しつつ、僕らはコンババオンセンから鈴木邸の物置の前に戻ってきた。その時だった。西の空が紅く燃えた。爆音がとどろいた。「な、なんだ?」一さんが叫び、蛇子さんを抱きかかえた。「爆弾?」スバルが言った。でも爆弾じゃなかった。
どこからともなく、街中にアナウンスがひじきわたった。
――ワレワレハウチュウジンだ。
僕とスバルは顔を見合わせた。スバルが言った。「きたよミツグ!」
――コレヨリコノホシヲセイフクスル。マズハテハジメニコノマチカラダ。イタイメニアイタクナケレバオトナシクコウフクセヨ。
そんな馬鹿な。馬鹿すぎる。宇宙人が攻めてきた? しかもワレワレハウチュウジンダって、いったいいつのSF映画だ? でもいくら馬鹿でもそれはSF映画ではなく現実だった。駅前の交差点に落ちた隕石の中から大量のタコそっくりの生物たちが飛び出してきて、街中の建物を光線銃で破壊し始めたのである。朧町は大混乱に見舞われた。
朧町の人々はすぐに区民会館に雪崩をうって非難した。区民会館は臨時の避難所に、同時に宇宙人対策本部に早変わりした。町長と朧警察署長の要請を受けて、一さんが対宇宙人殲滅作戦の指揮をとることになった。一さんは牛頭さんを使いにやり、コンババオンセンから応援を求めた。多数のモンスターたち、そして勇者アカデミーの生徒たちが駆けつけた。そして、朧町と謎の宇宙人との戦争の火蓋は切って落とされた。
街の至るところで戦いは行なわれた。コンビニの中ではゴブリンとタコ星人がインスタント食品を投げあった。小学校のグラウンドではハーピーがタコ星人たちを引っかいていた。勇者アカデミーの生徒たちはタコ星人を斬りつけ、地獄の番犬ケルベロスは業火でタコ星人をタコ焼きならぬ焼きタコにし、車道を挟んで警官隊とタコ星人が銃を撃ち合った。
ミノタウロスの牛頭さんとオーガの鬼島さんの活躍は物凄かった。牛頭さんがひとたび腕を振ればタコ星人がなぎ倒される。鬼島さんのパイルドライバーでタコの頭がコンクリートに突き刺さった。
顔を腫らしていた勇者キリーも他の勇者同様戦いに駆けつけてくれた。彼とスバルとが顔を合わせたとき、一悶着があった。「よく顔出せるね、あんた」「いや、僕はただ命令に従ってだけ……」「よく言うわ、ったく」というやり取りだ。僕は少し落ち込んでいるキリーの、いや梶浦の肩を優しく叩いて慰めてやった。
しかし、その梶浦とスバルとそして僕も、共にチームを組んでこの戦争に参戦した。スバルの黄金の右とキリーの聖剣、そして僕の輝く足は大いに強力な武器となった。スバルが殴る。べし。梶浦が斬る。すばしゅ。さらに僕も蹴りまくる。ずばばば。タコ星人たちは吹き飛び潰れ打ちのめされる。僕らの武器は、タコ星人たちの光線銃も見事にはね返した(もしかすると彼らの武器はたいした破壊力はなかったのではなかろうか)。僕らに倒されたタコ星人たちは、その場で動かなくなり、やがて跡形もなく消えてしまった。どうやらこの宇宙人は、この世を去ると身体が蒸発してしまうらしかった。死体を食品として再利用できないのは少し残念なことだ。
人間で戦っていたのは警官と勇者と僕らとだけではなかった。一般市民のなかにも、勇敢な人々はいた。彼らは自家用車でタコ星人たちを轢きまくった。あるいは彼らは放水ホースでタコ星人に水を吹きつけた。あるいは彼らは、家庭用調理具でタコ星人たちを追い払った。
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僕がこの宇宙人との戦いに参加したのは、もちろん僕に謎の力が備わったせいでもあったけど、それ以上に一連の出来事で少しだけ勇気というものを手に入れたおかげだと自分では思う。くだらないイベントであったのは間違いないけど、そのおかげで僕は少しだけ成長できたのだ。それから一緒にスバルといられたのは大きかった。僕はスバルと一緒にいれば怖くてもけっこう色んなことができる、それがわかったのは自分としても嬉しい。梶浦なんていう余計な奴が一緒にいるのは少し不満だけど。
しかし、その梶浦が僕たちをこの朧町宇宙人戦争のハイライトシーンへと導いた。それは僕たちがタコ星人をタコ殴りにしている時だった。スバルに殴られ顔をぷくっと腫らした梶浦が言ったのである。
「このままではらちが明かないとは思わないかい二人とも。僕はもう疲れたよ」
「じゃどーすんだよ?」
「そこだ天堂くん。戦争の基本は何だと思うかい?」
「ハイハイハーイ!」
元気よくスバルが手をあげる。遠くでチュドーンと爆発音が響いた。
「はい、鈴木さん」
「敵をぶちのめす!」
「……まあ、たしかにそれも正解だけどね」梶浦はため息一つ漏らさず即答した。うむむこの野郎、スバルの扱いに慣れてきてやがる。「しかし古来より、戦闘というのは敵の指揮官を先に討った側が常に勝利してきたんのだよ。僕の言いたいことはわかるだろう?」
そして今、僕ら三人は駅前の隕石の最深部に立っている。外観はごつごつした岩にしか見えない隕石だったけど、中にはサイバーパンクチックな世界が広がっていた。もちろん多数のタコ星人らが僕らを出迎えた。そしてもちろん僕らはタコ星人たちを蹴散らしここに辿り付いた。目の前には近未来むき出しの扉が。扉の上にはプレートもある。
《★ア×Z☆※◇■◎V¥#い》
今回もやっぱり読めません。
「司令室って書いてあるからここだねー」
ってスバル、お前は読めんのかい。
わけのわからん機械やら試験官をでっかくしたものやら巨大モニターやらピカピカ光る床やらそういうものに囲まれた部屋の真ん中に、そいつはいた。そいつがタコ星人どもの親玉なのは明白だった。だってデカイ! デカすぎるよなんだこれ! 今までぶっ殺してきたタコ星人たちは僕よりもちょっとちっちゃいぐらいのサイズだったけど、こいつはとにかくビッグすぎるしラージすぎる。ざっと見ても身長というか体長は六メートル以上。八本の足のそれぞれが僕の胴体よりもゆうに太い。僕はびびった。正直、ぶるった。
そいつが僕らに言った。
――デテイケ。ココハワタシノヘヤダ。ミノホドシラズドモメ。デテイケ。
「お前らこそ、うちらの街から出てけ!」という感じで僕らと宇宙人どものラストバトルが始まったけど、これが強い! さすがはボス。巨大な身体はスバルの拳にも僕のキックにもびくともしない。「そりゃ!」ぼよーん。「せいっ!」ぼよーん。弾力豊かな手ごたえに、僕らの攻撃が弾き返されてしまう。梶浦の武器は聖剣なので、これならどうだと思ったけど、やっぱりこれも通用しない。聖剣を八本の足の一本に振り下ろし、しかしまるで通じていないことに愕然とする梶浦。
ボスタコ星人は他のタコ星人たちと違い、光線銃を使ったりはしなかった。奴にはそんなものは必要ないのである。口からはスミを吐き――見かけだけじゃなく中身もタコだな――八本の足で僕らをぶったりつかんで投げ飛ばしたり。僕は不覚にも墨の直撃を食らって壁に吹き飛ばされた。痛いし視界がかなり狭まる。僕は「ううう」とうめいてそれでも立ち上がろうとした。「ミツグ!」スバルが叫んだ時には遅かった。僕の身体はタコの触手に絡め取られて宙に浮いていたのだった。
「天堂くんを離したまえ!」
「このタコやろう!」
「たーすけてー。あ、ぐぅぅぅぅ」
ぎりぎりとタコの足が僕の胴体を締め付ける。苦しい。やばいよ内臓が口から出ちゃう。うっすらと見えるスバルと梶浦は、懸命に僕の名を呼びながらボスタコ星人に攻撃を加え続けている。でも効いてない。ボスタコ星人はうんともすんともいわない。ぎりぎりぎり。ああ骨が軋む。僕はそれでも諦めず、足を思い切り動かして僕の自由を奪っている触手を蹴りつけた。もちろん効果はない。
たった今スバルが別のタコ足に弾かれダウンした。梶浦にも墨が飛んだ。僕はどうなる? 今日一日色々あったけど、色んな危機を乗り越えてきたと思ったけど、結局それは全部作り物だったし、ついにやってきた本当の危機を乗り越える力なんて僕にはなかったということだろうか。あー、これもコンババオンセンの連中がしかけたドッキリだったらいいのに。無理か、無理だよなあ。いくら何でもドッキリで街を壊したりはしないよなあ。隕石を降らせんのだって無理だよなあ。ぎりぎりぎり。関係ないこと考えてれば痛みも少しは忘れるかなあと思ったけどやっぱり痛い。骨が軋む。内臓が口から出る。死ぬたくないよ死ぬなんてイヤだ。
……突然、揺れた。僕の身体だけじゃなくて、僕らのいる部屋自体が、一瞬、大きく振動した。何だ? と思う暇もなく、爆発音が続いた。そして僕はそれを見た。壁の一部に巨大な穴が開くのを。そこから現れた人物たちに、僕は痛みも忘れてくぎ付けになった。
「はーはっはっは」
高笑いのハーモニーが司令室に響き渡る。
――ナンダキサマラハ。
ボスタコ星人の言葉に、最初に部屋に乗り込んできた方の人物が、シルクハットにタキシードにマントというふざけた格好の人物が答えた。
「我が名は、魔王ベルウッドっ!」
「そしてわたしは!」
後から続いてきた人物――下半身蛇で上半身は女性――がさらに叫んだ。
「その妻、ヘビーコ!」
「この悪の宇宙人め! 我々が来たからには好きにはさせんぞ!」
……このあとのことはあまりにも馬鹿馬鹿しいのであまり話したくはありません。
結果から言うと、魔王ベルウッドは、本当に魔王だった。強かった。ただのコスプレおじさんではなかった。ベルウッドはまず僕を発見すると、「今助けるぞ!」と叫んで僕のほうに身体を向け、何もない空間に手刀を振り下ろした。するとどうだろう。あれほど梶浦が聖剣で攻撃してもかすり傷さえ負わせられなかったボスタコ星人の触手が、ぶっつりとちょん切れた。カマイタチというやつらしい。「は?」と僕がつぶやいた時には、僕はもう落下し始めていた。ボスタコ星人は体長六メートル。足はさらに長い。当然僕の落下開始地点はかなりの高さ。一難さってまた一難。またもや迫るミンチの危機に僕は恐慌をきたしかけたけど、そこは恋人同士の抜群のコンビネーションを発揮して、落下地点に素早く走りこんだ蛇子さんが見事にキャッチしてくれた。
「大丈夫ですか、天堂さん?」蛇子さんは僕にあの美しい微笑みを向けてくれた。僕は少しだけ幸せな気持ちに包まれた。蛇子さんのボリューム満点のバストをまたもや感じることができたから。ああ人生って素晴らしい。
なんて僕がうっとりしている間にも、事態はちゃんと動いていた。それどころか、「……すごい」というスバルの言葉に僕が我を取り戻した時には、もう全ては終わっていた。スバルはもちろん蛇子さんの胸のボリュームに驚いたわけではなかった。僕もそれを見たときは驚いた。いつのまにやら、さっきまであれほど僕らを苦しめていたボスタコ星人が、真っ黒焦げになって横たわっていたのである。そして数秒後には、地球征服を企んだタコ星人たちの首領ボスタコ星人――ついに本当の名前がなんなのかはわからなかった――の骸は跡形もなく消滅していた。
ぱちぱちぱち。顔中墨で真っ黒になりながらもなおかつ優雅さを保っている梶浦が、優雅に拍手を送りながら、優雅に一さんに近づいた。
「さすがです。さすがですよベルウッドさん。いつ見てもあなたの《デス・バーニング》はすさまじい。僕などまだまだ未熟ですね。もっと精進しなければ」
「すっげー」スバルも目を丸くして父親に話しかけた。「なに今の? 父さん、あんなことできたの? 手からボオーーって炎が出て、一瞬でタコがまる焦げじゃん!」
一さんは、照れながら答えた。
「はは、遅れてすまなかったね、みんな。少し他の場所の救援で戸惑ってしまったよ。だけどよかった、全員無事で。さ、外もそろそろ片付いている頃だろうし、そろそろ家に帰ろうか」
「その前に父さん、もう一度今の見せてよ! あれ魔法でしょ? ね! ね! 他にもなんかできたりする?」
「もちろん。昴、僕が何年魔王をやってると思ってるんだい?」
ニカッと笑って一さんは手から炎やら竜巻やらを稲妻やら冷気の渦やらを出して、司令室の機械を叩き壊しまくった。やれやれまったく、とんでもない力だった。まさに魔法だ。これに比べれば僕やスバルや梶浦の持ってる特殊能力なんて、マ●ー司郎の手品みたいなものだった。
文字通り飛び上がってスバルは喜んだ。
「なんだとーさん、実はスゴイ人だったんじゃーん!」
しかし心地よいポジションを保ちつつ、僕が思ったことはスバルとは当然別のことだった。一さん、わざわざ魔王のユニフォームに着替えてからここに来たんですか。遅れた本当の理由はそれでしょう。しかもあのタイミング。一番おいしい場面を狙っていたのではなかろうか。「じゃあ帰ろうよ蛇子さん」「はい一さん」むにゅ。ムフフ。ま、なんでもいいや。
かくして唐突に幕を開けた宇宙戦争はやはり唐突に幕を下ろした。幸いなことに怪我人はけっこう出たが死者も出ず、街の各所には無数の傷跡が刻まれてはいるもののとりあえず僕らの朧町は平穏を取り戻した。翌日にはすぐに人々はいつもの生活に戻っていった。
僕は思うのだけど、運命というのはどこでどう転ぶかは誰にもわからない。この宇宙戦争でもっとも劇的に変わったのは、魔王ベルウッドこと一さんの生活だった。一夜にして一さんは朧町の英雄となったのである。もちろん以前からは朧町一の人気者ではあったけど、それはあくまでもオモシロおじさんとしてだった。
しかし今回のことで、一さんは人々から尊敬を集める身となった。あの夜から一夜明けるとすぐに、警察署長と町長から一さんに賞状が送られた。さらに町長は魔王ベルウッドの功績をたたえ、業者にブロンズ像の発注も出したとのことだ。数ヵ月後には駅に魔王ベルウッドの像が立つことになるだろう。シルクハット・タキシード・マントなんての格好の銅像を、他の街の人が見たらなんだってことになると思うんだけどいいんだろうか。
だけどまあ、一般の町民だけじゃなくてスバルも少し一さんのことを見直したみたいで、これはよかったなあと僕も思う。スバルは口には出さないけど、尊敬の念さえ覚えているようだ。この調子で食事のときとかにもっとばんばん話すようになって欲しい。鈴木親子のわだかまりをとくきっかけになったのだから、宇宙人たちに感謝すべきなのかも知れない。まあもうみんな死んじゃったからできないが。
それから、駅前に落っこちた隕石を形どったUFOは、このまま撤去しないでそのままにしておくことになったようだ。どうやら町長は、あれをこの朧町の新名所にするつもりらしい。
僕にはもちろんこの街をどうするかなんて計画に口を挟む権限は何もないので何も言わないけれど、変な街だよなあ朧町。隕石と魔王の像の二大名所って、ちょっとわけがわからなさすぎるよね。しかもここって、ミノタウロスとかオーガとかナーガも住んでいるんだぜ?
8
僕は映画というものが好きで、特にエンドロールが流れたあとにほんの数秒だけあるその後の話、いわゆるエピローグ的なカットがとにかく大好きだ。あれを見ると、ああこの人たち物語が終わってこうなったんだなあという気持ちになって、ちょっと幸せな気分に浸ることができる。〈未来への希望〉と言うと少し大げさだけど、〈ささやかな希望〉という言葉は相応しいと思う。だから僕はエンドクレジットが流れてすぐに幕が下りたりすると、物足りないし寂しいし時には腹だって立つ。
なので、蛇足ではあるけど僕らのその後について少しだけ記す。
牛頭さんと鬼島さんはドッキリ企画に加担して僕やスバルを欺いた罰として、スバルから一週間の朝食抜きを命じられた。それもすでに完了はしたけれど、その一週間、スバルを朝迎えに行くと、牛頭さんも鬼島さんもかなり辛そうな表情を浮かべていた。《ウガガガガ語》を理解できない僕ではあるけど、鬼島さんの「うがー」という声には哀愁が漂っていた。牛頭さんに至っては、鈴木家の食事の準備は牛頭さんの仕事でもあるのだから、自分で食事を作って自分では食べられない牛頭さんは僕から見てもかなり気の毒だった。でもまあ自業自得といえば自業自得だろう。僕だってあのドッキリの件ではかなり迷惑したのだ。同情する気にはとてもなれない。
蛇田川蛇子さんはまだ鈴木一さんとは結婚していない。挙式の予定もまだ立ってはいないみたいだけど、結婚を前提としたお付き合いという奴はちゃんと続いていて、今でも二人は同じ部屋で寝泊りしている。未来の奥方を同列の扱いにするわけにはいかないという意見が牛頭さんや鬼島さんからあがって――と言っても鬼島さんは「ウガー」だけしか言わなかったが――蛇子さんは鈴木家の雑用からは解放され、単なる一さんの同棲相手という身分になった。でも本人は意外と家事が好きらしく、けっこう頻繁に牛頭さんや鬼島さんの手伝いをやっている。
すでに町内では蛇子さんと一さんの中はみなの知るところとなったが、蛇子さんが感じの良い人なので、今のところお袋たちの井戸端会議でも悪い噂は流されていない。
井戸端会議で噂の的にされたのは蛇子さんよりは一さんだった。とは言っても僕の抱いたどうベッドインするんだという下世話な奴じゃない。余談だけどその僕の疑問は今もって解消されていない。ホントにどうやるんだろう? そしてオバサマがたはなぜそれについて井戸端会議らないのだ? 気にならないの?
まあいいや。一さんがどんな噂を流されたのかというと、ようやくネクタイの柄をちゃんと毎日変えるようになったという微笑ましいものだった。もちろんこれには蛇子さんの存在が大きく関わっている。要するに、ここでも二人の仲の良さが強調されているわけだ。
一さん蛇子さんのカップル関連の話題でいくともう一つあって、最近、蛇子さんは一さんの代わりに週一二回のペースでコンババオンセンの女魔王役を務めるようになった。正式ではないものの魔王の妻だからその資格は充分だ。もともとコンババオンセンの出身である蛇子さんは一さんのように名前を変えたりせず、向こうでは《魔王ヘビーコ》と名乗っている。鬼島さんかの話だと、なかなか好評のようだ。あの気立てが良くて美しい蛇子さんがどんな風に人々を怖がらせているかと思うと、僕も非常に興味がある。一度、また見学にでも行こうかなと思う。でも、一さんみたいにヘンタイ丸出しのファッションをしていたらいやだな。
自分の意志とは関係なく街の英雄となってしまった一さんは、今や街のどこに行ってもサイン攻めに会うようになってしまった。そのことを一さん自身も嬉しいらしいし、スバルも誇りに思っているようだ。聞いた話では僕らも卒業した地元の小学校では、なりたい職業の一位に魔王が輝いたそうだ。すごいねどうも。それから一さんは蛇子さんに仕事を代わってもらって開いた時間を、スバルとの溝を埋めることに使おうと決めたらしい。いいことだ。スバルの方も歩みよりの気配を見せていることだし、案外あっさりと二人は仲良し家族になれるかもしれない。ちなみに最近蛇子さんはスバルのことを「お嬢さま」や「スバルさま」ではなく「スバルちゃん」と呼ぶようになり、スバルもそれに反発することなく受け入れている。まことにいい傾向だ。
僕のかつての恋人、赤城江里についても新しい話題がある。僕の旧友と別れた彼女にも新しい恋人が出来た。相手は誰であろう、あの、ムラセであった。なぜ? どういう経路でそうなるのだ? 僕にはさっぱりわけがわからない。世の中はミステリーに満ちている。あるいはあの宇宙人との戦争の一夜に、江里がムラセに救われたとかそういうドラマチックな出来事があったのだろうか。しかしもちろん、江里がどこの誰と付き合おうと僕が口出しするような問題ではない。僕はけっこうなことだと思う。どうか、二人とも末永くお幸せに。と言っても二人とも若いからきっとそのうち別れちゃんだろうけど。
梶浦桐人ことキリー・ザ・ブレイブハートは、日を改めてスバルや僕に今回の騒動のことを謝罪した。宇宙人との戦いで梶浦のことも見直したらしく、スバルは快く梶浦を許した。スバルもずいぶん寛大になったものだ。僕も快くではないけれどスバルが許したので許した。考えてみれば今回の件で梶浦は二番目の被害者なのだから、あんまり怒っては可愛そうだという気持ちも僕に働いた。梶浦は命令されてここにきて、仕事として色々なことをしただけなのだ。彼に責任はないと言えばない。あると言えばあるけど。ちなみに誰が一番の被害者かという質問の答えは当然この僕、天堂貢で、僕にいたっては自分とは無関係なことで振り回され傷つけられひどい目に合わされたのだから、僕がもちろん一番の被害者に決っている。梶浦やスバルは反論するかもしれないが、そんなものは僕は認めない。あしからず。
それからのちに発覚したことだが、僕をあれだけ悩ませ思いつめさせたスバルと梶浦のキス事件、あれは僕の完全なる勘違いだった。思いきって二人を問いつめたところ、二人同時に否定されてしまった。真相は、梶浦の頬についた虫をスバルが取ってあげ、それを僕が見まちがえただけだったのだ。あはは、もー僕のうっかりさん。
僕の気持ちはそれで晴れたが、代償として僕はスバルにぶちのめされ、あの日の梶浦に匹敵するとまではいかないまでもやはり二、三日顔を腫らすことになった。その質問で、僕がデートを尾行していたのが大バレしてしまったからだった。
桐人については他にも話すべきことがまだあるのだけど、それはひとまず後で。
最後にスバルと僕のことを少し。
あの悪夢のような一日を経て、共に肩を並べて戦って、僕とスバルの関係に少しは変化があっただろうか。
それは僕にもわかりませ~ん。あの夜たしかにスバルは僕のことを見直して、僕は実は家に戻ってからスバルのあの感動的な言葉を思い出して、眠いし疲れているにも関わらず一人ベッドの上でシャバダバドゥビっと踊り狂ったりしたのだけど、しかしあの夜から二週間が過ぎて二学期の中間テストも終わったが、スバルは表面的にはまったく変わりナシ。僕はあいかわらず自転車でスバルの送り迎えをやらされているし「ボケ」「ハゲ」「役立たず」などとよく罵られる。僕は声を大にして言いたい。どこを見直したんじゃスバル。オレのシャバダバドュビっをどうしてくれる?
運勢最悪の僕のことだから当然のごとく、悪いことがそれだけで済むはずがない。キリー・ザ・ブレイブハート、勇者キリーのヤローが、未だに我がクラスに席をおき、梶浦桐人を名乗っていやがるのだ。なぜだなぜだなぜなのだ? お前は仕事を終えたんだからさっさとコンババオンセンに帰り勇者アカデミーとやらに復学しろ!
僕がそう言うと、梶浦のヤロー、いけしゃあしゃあとぬかしやがった。
「戻るのはやめにしたよ、天堂くん」
だからなんでだよ!
「こんなことを言うのは恥ずかしいんだが……」梶浦(偽名)がうつむき言葉を切った時、僕の中で悪い予感がよぎった。いつものようにそれは的中した。「どうも僕は、鈴木さんのことを友達ではなく、女性として好きになってしまったらしいんだ」
遠のいていく僕の意識。なんだこの展開は。
「今まで、僕はどこにいても一番だった。誰も僕には勝てなかった。……だが、彼女は違う。彼女に一撃された時に、頭のなかに天啓が降りたよ。ああ、このひとだと。このひとこそ、僕が求めてきた女性だと。それにあの活躍ぶり! 格好良いじゃないかそうだろう?」
お前もかブル中野もといブルータス。殴られて目覚めるなんてお前もマゾか? そうなのか? この世界はマゾだらけか?
「……きみを見込んでこの話を打ち明けたんだ。鈴木さんには言わないでくれよ?」
言うかボケ。ライバルを助けてどうする。しかしこの話をしようとしまいと梶浦は教室にいるわけで、クラスでは依然として梶浦は成績優秀でスポーツ万能で二枚目で『きゃ~、キリー』的な存在なわけで、今ではスバルは「きゃー、キリー」とは言わなくなったけど、あのドッキリ事件前と比べて今の方がむしろ友人としては親しくしているし、僕的には気が気ではない。昨日発表になった中間テストの成績発表だって、梶浦(偽名)の名前は紙の一番右端に書いてあった。(スバルは三番、僕はちょうど真ん中……より三つほど左だった。これでも僕としてはがんばった方だ)。
こんなことではスバルがいつまた桐人に惹かれるかわかったものじゃない。すでに呼び方も僕は「ミツグ!」のままなのに梶浦は「キリーくーん」というところまで昇格している。今日も僕はスバルから言われた。
「ミツグー、今日はキリーくんに部活の応援頼まれたから先帰っていーよー」
そうして結局僕は、スバルと一緒に楽しくもない剣道部の応援をする羽目になる。どうして僕ばかりこんなに苦労しなければいけないのかと僕は思う。僕の胸はばりばりと音をたて、今にも張り裂けてしまいそうだ。
もちろん僕の人生はここではまだ終わらない。この世界は不条理に満ちていて、一寸先に何が待ち受けているかはわからない。僕らはまた宇宙人と出会うかもしれない。UFOが僕らを迎えにくるかもしれない。あるいは梶浦がスバル以外の女性を好きになることだってあるかもしれない。そうなると僕はライバルが一人減ってとても嬉しい。スバルがもし僕に好意をもつようになればもっと嬉しい。
でもたとえどんなことが起ころうと、僕らを取り巻く世界はほとんど変化したりはしない。だけど同時にそれは、少しずつ少しずつでも前進していくものでもあると僕は思う。そのようにして僕らの青春は続いていく。だから僕は願う。いつか僕の苦労に報われる日がきますように。そしていつか僕の人生に、平穏無事で幸せなエンドマークがつきますように。