表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
旅立ちの詩
7/69

<2>意外な立候補

「……今、何と仰いました?」


 静かだが、明らかに敵意を感じるイレーナの言葉。一瞬にして張りつめた空気がその場を支配した。コップへと伸ばそうとしていたマーカスの指先もその場で止まる。

 ジェイクは再度……慎重に……ゆっくりと言葉に出した。


「レイアの娘が欲しい……と」


 ガタン!

 大きな音を立てて勢い良く立ち上がったのは、イレーナの隣に座っていた娘だった。握りしめた拳が震えている。ヴェールの中の表情は、怒りに満ちているに違いない。

 一気に緊張が走る。


「……落ち着きなさい」


 静かに……窘めるようにイレーナが声を掛ける。娘は納得いかない様子だったが、渋々座り直した。それを確認するとイレーナが声を掛ける。


「……事情をお伺いしましょう」

「……恐れ入ります」


 ジェイクは軽くお辞儀を向けた。冷静に振る舞うイレーナに対して、敬意を表すように。

 それに習うかのように、隣のマーカスも頭を下げ、コップの中を一気に飲み干した。

 イレーナは微動だにしない。

 ジェイクは丁寧に、言葉を選びながら声を出した。


「……フォゼスタという国をご存知ですか? 」

「ええ。此処からだとやや南にある国ですね。海が近いことから港での交易が盛んだとか」

「はい。……その国で今、隣国サマーシアからの難民が流入している事が、問題になっているようです」

「……そうでしたね」


 ジェイクの言葉にイレーナは頷く。

 サマーシアでは三年前、国政を揺るがす大きな事件があった。

 王子が実父である王を暗殺し逃亡。その王子の悪行を咎めて宰相が王子を処罰したらしい。

 その時傍に居た王女は兄の罪の深さに嘆き、谷底へ身を投げたという……。

 東側諸国では有名な悲しい話だ。

 それ以降、王位不在のまま宰相が国政を任されている。


「王子が王を暗殺など……誰も信じていませんがね」

「……よく御存じですね?」


 苦々しげに告げるジェイクの言葉は、イレーナには意外だった。

 西側……それも北寄りにあるコーエンウルフの者が南東側の細かな情報など、自ら調べない限り伝わるはずも無いからだ。

 ジェイクはその言葉に苦笑で返す。

 イレーナは静かに言葉を続けた。


「サマーシア宰相による軍事主体の国政への転換と、それに伴う税率の高騰に民が苦しみ、それを逃れようと厳しい山間を超えて、西側フォゼスタの辺境へ流入してきているという話は、聞いております」

「その難民にフォゼスタが苦慮しておりまして……。我々に協力を求めてきたのです。この問題を解決できるなら、我が国の統治下に入っても良いと」


 フォゼスタの申し出は、コーエンウルフにとっては願ってもない事だった。

 東側諸国に隣接するフォゼスタを統治下に置けば、東側統治の足掛かりになる。この絶好の機会を逃すわけにはいかなかった。


「……確かに……。このまま難民が増えれば、サマーシアの侵略行為とも受け取られかねません。お互いに不穏な空気は漂いましょう。当然争いが始まり、怪我人も出るでしょうし……」

「小さな争いは、既に出始めているようです。無益な争いや、それによる負傷者は……食い止めなくてはなりません。……その争いは我々が収めます。ですが、怪我人はどうすることも出来ません」

「それは理解しますが……」


 イレーナは、ジェイクの言葉に軽く頷くものの、次の言葉は良いよどむ。

 サシャーナにとって到底受け入れがたい事実がそこにはあった。


「結局は其方の国の侵略行為に、我々が協力するようなものです。ましてや娘を渡すなど……」


 サシャーナは中立の存在でなくてはならない。何処の国にも加担する事は無いのだ。

 しかも、レイアの娘はサシャーナの宝。

 幼い時分から、手塩にかけて育ててきた数少ない貴重な能力者が、他国へ渡るなど有り得ない事だ。

 イレーナはゆっくりと首を横に振る。


「……では。私が参りましょう」


 ──それは、意外な場所からの突然の言葉だった。

 皆が一斉に発せられた声の場所へと注目する。その場所……部屋の扉付近。

 ──飲み物を持ってきた娘の声だった。


「駄目よ!! 何を言っているの!? そんなこと許さないわ!」


 すかさず異議を唱えたのは、イレーナの隣に座っていた娘。その叫声は部屋中に響き渡る。

 ジェイクとマーカスはいきなり何が起きたのか分からず、唖然としていた。

 扉の娘はトレイを胸に抱えたまま、ゆっくりとイレーナ達の座るテーブルへと歩き出す。一歩……また一歩。

 この場に、おおよそ似つかわしくない──高らかに弾む声と共に。


「あらだって、いつも私たち教わっているでしょう? 大陸の民は皆、女神レイア様の子供だと。何処の国の者だろうと、レイア様のお子に違いないわ。傷ついたお子が居るなら、救いの手を差し伸べるのが私達の務めです」


 まるで歌っているかのようなその声と、今にも踊りだすのではないかと思える軽やかな足取り。

 イレーナは大きく頭を抱えた。隣の娘も、ポカンと……放心状態に陥る。

 その娘の一人舞台を見ているようだった。

 漸く、絞り出すようにイレーナが声を出す。


「ちょ……ちょっと。お黙りなさいフィオナ……」


 その娘の名を呼び、片手を上げて制するように娘……フィオナの顔の前で掌を広げた。フィオナはその場で立ち止まり、きょとんと首を傾げる。

 けれど、立ち止まったのは歩みだけ。

 言葉は再び滑り出す。


「イレーナ様も御存じでしょう? ……サマーシアの民が、サシャーナへも流れてきている事を」

「フィオナ……?」

「サシャーナの中での争いは厳禁です。だから表面上の争いは無いでしょう。……ですが、サシャーナの民は心中穏やかではありません」


 先程の弾むような声とは裏腹に、今度は静かに語るような口調。その場に居る皆がフィオナの声に耳を傾けた。

 フィオナは続ける。


「フォゼスタの案件が上手くいけば、サシャーナまで足を運ぶ者も減るかもしれません。道のりは緩やかですが、フォゼスタに較べるとサシャーナは遠いですからね」

「フィオナ……ですが……」


 イレーナが立ち上がり、フィオナへと向き直る。同じように傍に居た娘も立ち上がる。

 フィオナは二人に向かって軽く……会釈のように頭を下げた。


「私なら……何の問題もありません」

「フィオナいやよ! 私はいや!」


 娘が叫んだ。同時にフィオナへ飛び込むように駆け出す。

 そうしてフィオナに抱きつくと、人目もはばからず泣き出した。


「マリア……。落ち着いて?」


 フィオナが諭すように声を掛ける。しかし娘……マリアの涙は止まらない。イレーナは、深い……深いため息をついた。


「……すみません。見苦しい所をお見せしました……。この件は、改めてお返事させていただきます。……今日はこのままお泊りになってください。後程迎えをよこしますので」


 イレーナは、青年に向き直り丁寧にお辞儀を向けると、娘たちを連れて部屋を後にした。

 取り残された二人は、返事をする事も忘れ、そのまま動けずに居た。茫然自失……といったところだろう。


「な……んだったんだ……今のは」


 そう呟いたのは、どれくらい経っての事だったろうか。

 ジェイクはゆっくりと、娘たちが出て行った扉へと視線を向けた。


「なんだかこう……持ってかれちゃいましたね……」


 マーカスもぎこちない動きで扉を見つめる。

 ジェイクはその言葉を聞いていたのか、いなかったのか……。

 返事は返さなかった。


「……フィオナ……」


 声にしたのは、娘の名前。

 呟いて……考える。何か……前にもこんな事なかったか……?


「殿下?」


 考え込むジェイクの姿に、マーカスが声を掛けるもやはり返事は無く。

 そのままマーカスも黙り込む。


 ──二人に迎えが来たのは、もう暫く後の事だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ