<15>遠い眼差し。見つめた先に
雲一つない青空は、そのまま夜の暗闇を招き入れた。満月だった。
高く、遠い月明かりが柔らかく大地を照らす。
緩やかに流れる風を受けて、藍の髪が揺れた。
ジェイクは、夜の景色を楽しむように王宮の外を庭園に向かって歩いていく。
暗闇の中、足元が不安にならないのは、月明かりが足元を照らすから。
まるで、いつかの夜のようだと、ジェイクは淡く微笑んだ。足取りが迷うことは無い。
一歩一歩。楽しむように、懐かしむように。あの日の夜に帰るように。
やがて見えてくるのは、庭園の花に紛れるように佇む、少し大人びた少女の姿──アリシア。
ジェイクは眩しげに瞳を細めた。静かに空気を動かす緩やかな風が、アリシアを揺らす。
仄かな紅色を纏った銀の髪は、風を孕み広がりながら月の光を浴びて、一面の花の開花を想起させた。
幻想的なその光景に、惹きつけられる──。
ジェイクは、アリシアから瞳を逸らさない。
あの日の少年の眼差しと同じように。
「ジェイク」
不意にアリシアが振り向いた。
気配に気付いたのだろうか。視線の先、眼差しに映るジェイクを認めると、新緑の瞳を和ませ歩み寄ってくる。
ジェイクは、どこか残念そうに肩を竦めた。
「声かけてくれたら良いのに」
「ああ……そうだな」
程なくして、アリシアはジェイクの傍へと。
覗き込むようにジェイクを見上げた。
ジェイクは、その様子に声なく笑う。
「見ていたかったんだ」
風のようなその声に、アリシアは首を傾げる。
「何を?」
そのあどけない表情に、ジェイクは優しい吐息を漏らした。
「お前を」
そう言って、ジェイクはアリシアの首筋へと指先を伸ばす。
ピクン。
くすぐったいのか、アリシアの身体が少し跳ねた。
ジェイクは、その仕草に口角を僅か上げる。ジェイクの指先は首筋を伝い、アリシアの柔らかな頬へと。
「寒くないか?」
静かに。舞い降りるように、言葉がアリシアの耳元に辿り着く。
アリシアは、ゆっくりと首を横に振った。
「もう、寒い季節は通り過ぎていったもの。これからは、暑くなるばかりね」
「そうか。もうそんな季節か」
「マーカス様は、苦労するかしら」
「暑がりだからな、あいつ」
頬に添えた指先をはなした後、わざとらしく肩を竦めながら、ため息をつくジェイクに、アリシアは楽しげに笑みを弾ませる。
酷く優しいひと時だった。
アリシアの笑顔をジェイクは静かに見つめる。
包むように。或いは、抱き締めるように。
「思い出すな」
ポツリ。
ジェイクが呟いた。
具体的な事は、何一つ言わない。呟きは、たった一言だけ。けれど、アリシアは頷いた。同じように感じていたのかもしれない。
二人だけに通じる、それは言葉だった。
「私、裸だったのよね。今思うと恥ずかしいわ」
そう言って、気恥ずかしげに頬を染めるアリシアを、ジェイクは見つめる。あの日の少女と重ねるように、それはどこか遠い眼差し。
ジェイクの唇から、言葉が自然に零れ落ちる。
「あの時、お前に惹かれた」
「ジェイク……」
──トクン──
その言葉に、アリシアの鼓動が大きく動く。
アリシアを見つめたままのジェイクの眼差しは、例えるなら水面の静けさ。吸い込まれてしまいそうな、その瞳に囚われたアリシアは、瞬きひとつ出来なかった。
夜を渡るジェイクの声は静かに続いていく。
「二度目のお前は、俺を変えた」
そう言うと、視線を庭園へと向ける。
微かな夜風に小さく揺れる小花の一つひとつを見つめた。
「お前といると、見える景色が穏やかなものに変わっていった。道の傍らにひっそりと咲く、名前も知らない小さな花を、美しいと思った」
涼しげな瞳を、眩しげに細めるジェイク。月光に照らされる藍の髪と、その端正な横顔は、一枚の絵画を見ているようでもあった。
アリシアは、ジェイクから瞳を逸らせないまま。
つづられていく言葉に、ジワリと胸の奥が熱くなるのを感じていた。
ジェイクは、アリシアへと眼差しを戻す。
何か言おうとして、口を開くけれど、声にはならなくて。
もどかしげにその瞳を揺らすと、苦笑した。
「すまない」
漸く口にした言葉は謝辞。
思いもかけないジェイクの声は、アリシアに動揺を与えた。
大きく見開く新緑の眼差し。
返した言葉は問い掛け。声は戸惑うように揺れた。
「どうして……」
刹那。
ジェイクの腕が、アリシアへと伸びる。その腕は、アリシアをつかまえると強引に引き寄せた。
もとより抵抗するつもりのない、アリシアの身体は、難なくジェイクの胸元へと辿り着く。
ジェイクは細く、切なげな息を漏らした。
「言葉が見つからない。お前への気持ちが強すぎて、どんな言葉を口にしても、嘘みたいに薄く感じる」
感情を持てあますような、ジェイクの声。
ジェイクは、アリシアを包む自身の腕に、ほんの少しだけ力を入れた。
頭上から下りてくる言葉にアリシアは、ジェイクの腕の中で、緩やかに瞳を閉じた。
耳元に、聞こえてくるのはジェイクの鼓動。
少し早いだろうか。そんな事を思いながら、小さく笑った。
「──好き」
その言葉は、アリシア。
ジェイクの表情が止まった。
アリシアは瞳をゆっくりと開くと、顔を上げ、ジェイクを見上げた。
驚いたように、瞳を開けたままの、ジェイクの頬に、指先を伸ばす。
その頬に、触れた。
「独りになった時から、ずっと貴方だけを想って来たの。その想いが、いつ、こんな気持ちになったのか、分からなくなる程に」
アリシアの新緑の眼差しは、ジェイクを見つめたまま。
澄んだ瞳。
指先から伝わるアリシアの体温は、温かくて優しい。
ジェイクは、そのまま動けなかった。
「ずっと、貴方に会える日の事ばかり考えていたわ。私の心は、いつも貴方で満たされていたの。神殿で貴方を見た時、どれだけ心が躍ったか分からない。困ってる貴方に、私が役立つなら、何でも出来るって思った。──役に立ちたかった」
アリシアは、笑っていた。
嬉しそうに細めるその瞳からはけれど、涙が零れた。
アリシアの指先がジェイクの頬から離れていく。消えていくアリシアの温もり。
ジェイクは、思わずその指先をつかまえた。
「アリシア」
アリシアの言葉と、涙に。戸惑うジェイクは、それを表情に宿しながらその名を呼ぶ。
アリシアは、変わらぬ笑みを湛えたまま、言葉を続けた。
「有難う。私を想ってくれて。私を諦めないでいてくれて。……嬉しくて泣いてるのよ? こんなに幸せな事ってないわ」
「アリシア……」
「貴方が、好き。いつでも、何度でも声に出来るわ。──大好きよ」
アリシアが紡ぐ言葉の一つひとつが、熱を帯びる。
空気を震わせ、ジェイクの耳元に届く。
そのままアリシアは、ジェイクの胸元に顔を埋めた。身体をジェイクに預ける。
ジェイクはアリシアの指先を手放すと同時に、アリシアを抱きしめた。
強く、強く抱きしめた。
細く吐き出したのは、安堵の息。
浮かべる笑みは、淡く優しい月光に照らされる。
「簡単な言葉だったんだな」
ジェイクは静かに、けれど確かな音で、アリシアの耳元に言葉を届けた。
「──好きだ。何度も、何度もお前だけを、好きになった」
そうしてアリシアを抱きしめる腕の力を緩め、アリシアの表情を覗くように、視線を落とす。
アリシアは、その動作に呼応するように、胸元に埋めた顔を上げジェイクを見つめた。
重なる眼差し……二人は同時に笑みを浮かべた。
「これからも、ずっとお前だけを好きになる。ずっと……ずっとだ」
「私も……ずっと貴方が好きよ。これからもずっと、貴方への好きを重ねていくわ」
二人は、そのままお互いを見つめ合う。満たされた時間だった。
やがて二人は、その眼差しを遠く空へと向け……月を仰ぐ。
月は、あの日も今も変わらず大地を……二人を照らす。
想うのは──────。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。本当に感謝としか言いようがありません。
初めての小説。稚拙で読み辛い点が、多々あったかと思います。
設定も甘々で、ツッコミどころ満載でしたよね。
自分でも突っ込みたくなるところが多々ありました(笑)
書きはじめたのは、五月位だったと思います。
この時は、八月には書き終わると思っていました。
蛇足ですが、ジェイクは夜の静かな海。アリシアは夜桜をイメージしながらキャラ作りしてました。上手く表現出来ていたかと言えば……わかりませんね。
そして、思いのほか話がまとまらず、あっという間に師走です。長い旅路でした。
けれど、無事に完結することが出来て、良かったです。
それもこれも、温かい目で見守って下さった読者の皆様のお蔭です。
次回作が、あるかどうかはまだ未定ですが、いつかまたお会いできますように。
心からの感謝を込めて──。




