<14>新たな始まり
見事な快晴だった。
まるで、この日を祝福しているかのような、雲一つない青空。そろそろ暑さも本格的になろうかと言うこの時期に、吹き抜ける風はやや冷たく、優しかった。
この日は王位継承の儀式の最終日。王宮の一角にある礼拝堂で、戴冠式が行われていた。
王位継承の儀式は通常三日ほど掛かる。ほど、と言うのは途中の天気の具合で儀式を中断する事もあるからだ。
まず、次期の王となる者は俗世を断ち切るという意味で身を清める。そして、女神レイアと対話するために、誰とも会う事無く礼拝堂で一日を過ごさなくてはならない。この日の食事は水のみだ。
そして翌日は、歴代の国王に次期国王となる事を報告し、認めてもらう為に、王宮の敷地のはずれにある王家の墓所の中に立ち並ぶ墓の前で、一晩過ごすのだ。この日の食事は、身を清めた護衛隊の隊員が運んでくる。今回その役目は、フランクだった。
三日目。この日は、礼拝堂に参列する王族、貴族の前で次期国王が現国王から王の証である銀の王冠を頂く。
新国王誕生の瞬間だ。
参列した王族、貴族はこの時に新国王に臣下の誓いを立てる。この後、新国王が宣言をするのだ。
しかし、現国王はすでに他界している。新国王に王冠を授けるものがいない。
故に、その代わりとなったのは、王女であるアリシアだった。無垢の象徴である白のドレスを身にまとったアリシアが、銀の王冠を高々と掲げる。
参列する一同に見えるように。
「……綺麗だな」
遠くを見つめるように、瞳を細めながらジェイクが呟いた。
隣にいるマーカスが大きく頷く。
フォゼスタ国境で想定されていたサマーシア侵攻軍との戦闘は、スタンリー一行が引き返したことにより、勃発する事は無かった。
代わりに国境を訪れたのは、内乱終結の知らせを携えたカイルだった。
その情報を受けたマーカス一行は、その後サマーシアに移動する事になる。
今か今かと、緊張しながら待っていたマーカスにとっては些か拍子抜けする結果にはなったが、フォゼスタに被害が無かったのは、何よりも喜ばしい事だっただろう。
二人は今、礼拝堂で行われている戴冠式に来賓として参列していた。
壇上は、今まさに王の証の王冠を頂くために、アランが跪くところだった。
「本当に……姫様だったんですねえ」
ジェイクの隣で、ジェイクと同じように瞳を細めていたマーカスだったが、
どうやら考えていたことはジェイクとは違っていたらしい。
ジェイクは、意外な方向からやってきたマーカスの言葉に、眉根を寄せた。
拍子抜けした様に肩を落とすと
「ディクソン・バーナムに奪われた時に、分かっていたことだろう」
微かな声。呆れたようにマーカスを横目で見下ろした。
マーカスは、小さく肩を竦めると
「そう、なんですが。こうしてお美しい装いで遠くから拝見すると、改めて確認するといいますか……」
そこで、言葉が消えた。
ジェイクは、声を閉ざしたマーカスに首を傾げた。
マーカスは壇上を見つめたまま、ポツリと呟くように声を零す。
「別の世界の方のようです」
マーカスの瞳の先。
国王の正装に身を包み、跪いたアランの頭上にアリシアが王冠を載せた瞬間だった。
王冠を頂いたアランはゆっくりと立ち上がり、参列する一同に正対するように向きを変える。
若く、美しい王の誕生の瞬間だ。
次の瞬間、参列者の最前列にいたスタンリーが声を上げた。
大きく響く声、それは礼拝堂の隅々まで届くように。
「新国王陛下に栄光あれ!」
そうして、アランに向かって跪く。一同がそれに続いた。
「新国王陛下に栄光あれ!」
重なり合い、響きあう声が礼拝堂を埋め尽くす中、皆がアランに向かって一斉に跪く。
アランは、一同をぐるりと見渡し、最後に傍らに立つアリシアへ眼差しを向ける。
アリシアは、穏やかな眼差しで、見守るようにアランを見つめていた。
向けられるアランの眼差しに、小さく頷く。
アリシアの仕草に応えるように、アランはコクリと頷き、再び視線を跪く一同に向けた。
決意の眼差し。
大きく息を吸い込み、声を上げる。
「我は、サマーシア国王アラン・プリムローズ! 約束しよう。サマーシアに平和と繁栄を!」
国王宣言。
一同は立ち上がる。
同時に大きな歓声が、湧き上がった。
その声は響き、震える。礼拝堂が揺れているように思えるほどの大きな、大きな歓声だった。
壇上から、アランとアリシアが一同に向かって大きく手を振っている。
地響きにも似た歓声の中、ジェイクはアリシアを見つめたままマーカスに声を掛けた。
「どんな姿をしていても、アリシアは、アリシアだ」
いつもと変わらない涼やかな声。
それは、先程の呟きの返答だった。
その言葉が歓声に消えないのは、マーカスがジェイクの隣にいるから。
その時、アリシアが、参列する二人に気付いたのだろう。あちこちに大きく手を振りながら、ジェイクとマーカスに恥ずかしそうな笑みを向けた。
向けられる変わらない眼差し、見慣れたいつもの表情。
マーカスは、笑うように息を吐いた。
「ほんとに……そうですね」
礼拝堂に響く歓声は、一向に収まる気配を見せなかった。
王位継承式を終えた日の夕刻。それは、夕食前の事だった。
ここ数日は、今後の事を話し合う為に、国王執務室に集まるのが通例で、この日もジェイクとスタンリーが、アランのいる執務室に集合していた。
その時コンコンと、扉を叩く音がした。
「ああ、来たな」
その音に、アランが立ち上がった。
ソファに座っていたジェイクとスタンリーは音がした扉へと眼差しを向ける。
カチャリと、扉の開く音。扉の向こうから入って来たのは、アリシアだった。
その後ろには、恐らくアリシアを連れてきたのだろうクリスが、控えるように立っている。
「アリシア? どうしたんだ」
ジェイクは、アリシアを見るなり立ち上がり、不思議そうに声を掛けた。
普段アリシアが執務室に来る事は無い。女性が政治に関わる事がないからだ。
けれど、アリシアはジェイクの問い掛けに首を傾げる。
「私も、よく分からなくて。呼ばれて来ただけだから」
「俺が呼んだんだ」
ジェイクの背後から、アランが声を掛けた。
アリシアの元へと歩み寄っていたジェイクは、その場で立ち止まり、振り返るとアランへ視線を投げる。
何故? 眼差しには明らかにその疑問が映し出されていた。
アランはジェイクに歩み寄りながら、小さな笑みを作り
「あんたと、アリシアの話をしようと思ってな」
その声に、瞬時にジェイクの眼差しが引き締まった。
アランはジェイクの表情に、ゆっくりと、頷く。視界の端に、ジェイクへと近寄るアリシアを認めて、瞳を細めた。
「まあ、今更確認する必要もないような気はしたんだけどな」
「いや、大事なことだ。感謝する」
肩を竦めるアランに、ジェイクは首を横に振る。傍らに到着したアリシアへ視線を流した。
アリシアは、戸惑うようにゆっくりと立ち止まる。どこか不安げな眼差し。
ジェイクは一度瞳を閉じて──開く。
すぐさま背筋を伸ばし、姿勢を正すとジェイクはアランを真っ直ぐに見つめた。涼しげな眼差しは、一片の曇りも無い。
ジェイクは確かな音で、言葉を刻んだ。
「改めて言おう、サマーシア国王陛下。貴殿の妹君アリシア・プリムローズ殿を、私の妻に迎えたい。正式な申し出は、追って書面にて提出しよう」
声はどこまでも涼しげで、突きぬけるほどに真っ直ぐで。
言葉には、誓いにも似た決意が込められる。
それは、アランの耳元に確実に届いた。そこに込められた強い意志と共に。
アランは、ひとつ、息を吐く。
「良いのか? 本当に」
「ためらう事など、何もない」
変わらぬジェイクの眼差し。
けれどアランは、突き出した人差し指をジェイクに向け、いたずら気味な笑みを浮かべた。
「わかってんのか? アリシアと結婚するって事は、俺と兄弟になるんだぜ」
「……っ!」
その言葉には、若干ジェイクの肩が委縮した。
たじろぐジェイクの表情にアランは、勝ち誇ったような笑み。
傍に居たアリシアは二人の様子に小さく肩を竦め、やがて、小さく笑った。
そんなアリシアの笑みに、アランは温かな眼差しを。
「正直俺も、微妙なところだけどな。ああ、コーエンウルフと縁が出来るのは、大歓迎だが」
言いながら、アランの指先は緩やかにアリシアの頬へと伸びていく。
その指先に気付いて、アリシアはアランを不思議そうに見上げた。
「嬢ちゃんには、一生かかっても返しきれない借りが、あるんだよな」
アリシアの頬に触れたアランの指先は、そっとその位置を下ろし、アリシアの首筋へ。
「お兄様……」
その場所は、いつかアランがアリシアを傷付けた場所だった。




