<11>腕輪の秘密(2)
「どうされるおつもりですか」
ディクソンの傍らに立つクリスが、声を掛ける。
アランはゆっくりと首を左右に揺らした。
大袈裟な動作、わざとらしくディクソンに見せつけるように。
ディクソンが慌てた様に声を出した。
「わ……私は宰相ですぞ。私を処分すればこの国の行く末は……」
上擦る声。
落ち着きを無くすのか、瞳の焦点は定まらない。
そんなディクソンをアランは見据える。先程までアリシアを見つめていた、温かなそれとは違う冷めた眼差し。
その表情の変化に、ディクソンは口を閉ざした。
その場の空気が急速に冷えていく。
静まり返る部屋の中、アランの声が静かに響いた。
「ディクソン・バーナムは宰相の地位を剥奪し、南の塔に幽閉。バーナム家の財産は全て国有化。ギルドの管理はスターリン家に移すものとする」
「そんな……!……」
それは、ディクソンを地の底へと叩き落とす言葉だった。
南の塔。
それは入ったら二度と出る事の出来ない監獄。しかし、平和が続いていた近年でその場所に入った者はいない。
つまり、既に忘れ去られた場所となっているそこが、今どのような状況になっているかを知る者はいないのだ。
ディクソンの表情から、一瞬にして血の気が失せた。思わず身を乗り出す。
その動きを制するように、フランクが手綱を強く引いた。
アランはディクソンを見つめたまま視線を動かさない。
美しい顔立ちから放たれる冷めた表情は、どこか恐怖すら感じてしまうほどだった。
「王女を拉致監禁した挙句に、凌辱しようとした罪。本来なら死罪に値する。……それとも」
言いながら、静かに剣を抜いた。そのままディクソンへと歩み寄る。
ディクソンの瞳が大きく見開いた。
アランは、乾いた血液が付着したままの剣先を、ディクソンの鼻先に突き付ける。
「三年前の事を掘り返されたいか」
「……っ……」
突き刺さるのは剣先ではなく、アランの眼差し。
ディクソンは唇を噛みながら視線をアリシアへ流した。
三年前の真相は、既にアリシアに告白している。今更言い逃れなど出来ない。
ディクソンの眼差しはそのまま地面へと落ちていく。
力なく肩を落としていくディクソンを見つめるアランは、やがて剣をディクソンから外した。
「悪いが俺は、アリシアほどお人好しじゃない。これでも一応譲歩したつもりだ」
言いながら、その剣を鞘に戻していく。その剣が鞘へと収まると同時。
言葉は放たれた。
「俺の名は、アラン・プリムローズ。今、この時よりサマーシアの国王だ」
その言葉に、クリスの表情が引き締まる。
それは、フランクも同様だった。
二人はアランに向かって恭しく跪く。
「その言葉。確かに私の耳にも、届いた」
そう言って立ち上がったのはジェイク。
その声に一同の視線が、一斉にジェイクへと向かった。
ジェイクはその場に居る一人一人へ視線を流すと最後、アランへ眼差しを向け
「私が立会人だ。コーエンウルフ国王太子ジェイク・ハルフォードは今、サマーシア国王の誕生を見届けた」
言葉。
風が吹き抜けるように、涼しげな声が渡る。揺らぐことのない確かな音。
ジェイクはアランを見つめたまま口角を上げ、笑みを作った。
「感謝する」
アランは、ジェイクに軽くお辞儀のように頭を下げると、謝辞を。
それは心からの言葉だった。
「く……っ……」
ディクソンが、小さく呻いた。
腕輪が本物である以上、眼前に立つ王子と瓜二つのこの男は、紛れもない王位継承者。しかもその宣言が、西国の覇者コーエンウルフの王太子立会いの下に行われている。
もう、どう足掻いてもこの場を切り抜けられる要素は微塵もない。
ややあって、ディクソンは諦めたように頭を下げた。
「……陛下の、仰せのままに……」
それは、ディクソンが失脚した瞬間だった。
崩れ落ちるようにうずくまるディクソンを、皆が一様に見つめた。
その時。
ジェイクの傍らで、何かがベッドに倒れた。
「……?」
不意に動いた気配に、ジェイクが振り返る。途端、涼しげなその瞳が大きく見開いた。
ベッドに倒れていたのは、他の誰でもない、アリシアだった。
ジェイクは、すかさずアリシアの元へと身体を寄せる。
「アリシア?」
「……どうした?」
ジェイクの声に、アランが眼差しをディクソンからジェイクへ移す。すると視界に入ったのは、横たわるアリシアの姿。
アランの表情に緊張が走った。しかし、それはアランだけではない。
「姫様?」
ぎこちなく響くクリスの声。
立ち上がりながら様子を伺うその表情に、明らかな動揺の色が見えた。
フランクは、固唾を呑んでジェイクの様子を見つめている。
ややあって、ジェイクが静かに声を上げた。
酷く、戸惑うような声を。
「…………寝ている」
その言葉に。
一同の表情が止まった。
「は?」
暫くの沈黙の後。呆気に取られたような声を上げたアラン。
二の句が継げないとはこの事か。開いた口が塞がっていなかった。
「だから……寝てるんだ」
ジェイクは再び同じ返答を。それ以上の事は言えなかった。
俄かには信じがたいこの状況。
ジェイクは困惑した様に藍の髪を掻き上げた。
しかし、アリシアの様子に取り立てておかしなところは無い。聞こえてくるのは安らかな寝息だ。
その時、クリスがおもむろに言葉をはさんだ。
「おそらく、張りつめていた糸が切れたのでしょう。ずっと、休まらない日々でしたので」
その声に、ジェイクは振り返りクリスへと視線を向けた。
クリスはジェイクに謝辞のような一礼を。
「申し訳ありません。姫様は、これ以前に薬を盛られる事件がございまして」
「ああ。その話は、聞いている」
言いながら、ジェイクは跪くディクソンへと視線を落とした。
うずくまったままのディクソンは、自分の殻に閉じこもったかのように、ピクリとも動かない。
「その事件以降、恐らく姫様はほとんどおやすみになられておりません」
「眠っていないのか」
「横にはなられていますが、眠りは浅いようです」
淡々と語られるクリスの声に、ジェイクは細く息を吐いた。
「そうか。無理もない……か」
眼差しはアリシアへ。
どれだけの夜を、不安な気持ちのまま一人で過ごさせてしまったのだろう。それを思うとジェイクの胸の奥が、軋む。
アリシアの肩に掛かっている毛布を丁寧に掛け直しながら、ジェイクは静かに眠るその顔に切なげに瞳を細めた。
「殿下のお顔をご覧になって、漸く安心したのでしょう。事態も収束しましたし。まあ、いきなりそんな風に、おやすみになられるとは思いませんでしたが」
「確かに唐突だったな。ちょっとビックリしたぜ」
アランが、大きく肩を竦めながら金色の前髪を掻き上げると、クリスの声に同意するように頷き
「さしずめジェイクは、安眠剤ってところか。全くごちそうさまだねえ」
ニヤリと。楽しげな笑みをジェイクに向けた。
ジェイクは、その言葉に照れるような、戸惑うような表情を宿す。
けれど
「ああ。もう……俺がいる。傍にいる」
優しく響く、涼しげな声。確かな音。
ジェイクは、深く眠るアリシアの無防備な表情に瞳を細めながら、その頬にそっと触れた。




