<10>腕輪の秘密(1)
王家に待望の後継ぎが生まれたのは、ディクソンが宰相として政治に介入しだした頃だった。
王妃ナタリアへ自身の存在を誇示する為か、実際に政治に熱心だったのかは、今となってはわからない。しかし、ディクソンのその尊大な立ち居振る舞いや、攻撃的な言動は、王家にとって脅威な野心家として受け止められる事となる。
かといって、王家と繋がってしまったディクソンを、簡単に遠ざける事も出来ない。
そんな中で生まれた王子だった。
この大陸に双子を忌み嫌うような習慣は無い。全ての命に手を差し伸べる事が、レイアの女神の教えだ。
けれど、この時の国王は素直に二人の王子を喜ぶことは出来なかった。
「二人のうち、一人はいつかあんたに利用される。兄弟で争いが起きるかもしれない。国王は、そう危惧したんだ」
「成程。だから、二人一緒に育てる事が出来なかった」
アランの言葉に納得するように声を出したのは、ジェイクだ。
ジェイクの隣には、王妃の腕輪を元の場所に戻し終えたアリシアが座っていた。
アランは、ジェイクへと視線を向けると軽く頷いた。
「まさに苦渋の選択だったらしいが。俺は、王位継承の腕輪と共に、人知れずスタンリー家に預けられたんだ」
「スタンリー。確かに彼なら……」
今度はアリシアが呟きを。
ジェイクを視界に入れたままのアランには、隣で呟くアリシアの表情が見て取れた。
アランは、視線を動かさないまま瞳を細めた。
微かに笑うような、それだった。
「そう。逆に言うなら、王室護衛隊の隊長だったスタンリーにしか、出来ない事だった。スタンリーは、俺の育ての親だ」
愛しい人を懐かしむような柔らかい表情の中で、紡がれる言葉は優しい声に乗る。いつしかその口調は、いつもの軽薄なものとは、違ったものになっていた。
「スタンリーには感謝している。生まれたばかりの俺を優しく、厳しくも育ててくれた。今俺が此処に立っていられるのはスタンリーのお蔭だ」
「スタンリー家に、王家からの惜しみない援助があったからこそです。陛下は、常にアラン殿下の事を気に掛けていらしたと聞いております」
言葉を紡いでいくアランに、割り込むように声、一つ。
色の無い音で淡々と響いていくそれは、紛れもなくクリスのもの。
ディクソンの傍に立つ長身のクリスが、ゆっくりと見下ろすように視線をアランへと。
ディクソンの腕を拘束している綱は、後から来たフランクの手に渡っていた。
アランはクリスの声に小さく肩を竦める。
「分かってる。傍で見守ることが出来ないと、心を痛めていた事も聞いている。遠くから見る事も叶わない人だったけど、俺は父として大切に思うし尊敬もしている。……じゃなきゃ、こんな事しない」
そう言うと、アランは僅かに瞳を伏せた。
アランとクリスの様子。
どうやら今が初対面ではないような話しぶりと、その対応。
アリシアは、当然のように首を傾げた。
そういえば、最初にアランを双子の兄だと告げたのはクリスだったと、アリシアは今更ながらに思い返す。
「あの……。クリスはどうしてそんな事を知ってるの? 貴方たちって、以前からのお知り合い?」
アリシアの口元からたどたどしく紡がれた言葉は、クリスとアランの耳元へ。
二人はアリシアへと視線を向ける。
飾り気のない真っ直ぐなアリシアの表情に、二人はどちらからともなく苦笑のような笑みを漏らした。
クリスが声を出す。静かな音。それは、問いの答え。
「悲劇の事件の後、半年ほどが過ぎた辺りでしょうか。私は、団長の指名で護衛隊長になりました。アラン殿下の事を聞いたのは、その時です」
「と言っても、顔を合わせたのはつい最近の事だけどな。俺はこの顔だから、国内だと迂闊に動けないって事もあって、事件の後すぐに国を離れたんだ」
「ああ、成程。顔を隠していたのは、用心の為か」
クリスの説明に付け加えるように、アランがアリシアに言葉を向ける。
けれどその声に素早い反応を示したのは、アリシアではなくジェイクだった。
間近で響く涼しげな声。
アリシアはジェイクへと眼差しを移す。
アランはピンと人差し指を立てると、嬉しげに声を弾ませた。いつの間にかその口調は、普段の軽いものに戻っている。
「ご名答! さすが王子様だねえ」
「全く関係ないな」
アランの言葉に、ジェイクがつまらなさげに息を吐いた。
最早お約束のような光景。
アリシアは二人のやり取りを交互に見遣ると、緩く瞳を細める。
それは、淡い笑み。
それを見たアランが、ほっとした様に肩を落とした。
「やっと、笑ってくれたな」
「え?」
不意の言葉にアリシアはアランを見つめる。
柔らかく響く声は、いつもの、今までのアランのそれでは無かった。
流れる金の髪の下で、碧の瞳が優しく揺れる。響いた声と、その表情……想起せざるを得ない、懐かしい人が居た。
それは自然の流れで。
零れ出た言葉も自然な事だった。
「お兄様……」
その声に、アランはゆっくりと頷く。
「ああ。あいつの代わりにはならないが、俺もお前の兄だ」
向けた言葉は、たった一人の大切な妹へ。
愛しげにアリシアを見つめながら、その名前を、アランは初めて呼んだ。
「アリシア」
その音は酷く温かく、感慨深げに響いていく。
アリシアはゆっくりと瞳を閉じた。
声を、言葉を、耳だけでなく身体全体で感じるように。
「まあ、恐怖のおっさんに拉致られた挙句に、襲われそうになったんだもんな。いつも通りってわけにはいかねえよな」
何処かごまかすように前髪を掻き上げると、アランは視線を変えた。
途端に表情が引き締まる。
変えた視線、その眼差しに映し出されたのはディクソンだった。
「──さて」
鋭い声を、ディクソンに落とす。
フランクに捕らえられたままの、ディクソンの肩が小さく震えた。




