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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
それからの空
59/69

<5>想いの真実

 その声と音が、アリシアとディクソンの耳元に届いたのは、王妃の間に入って暫くたった頃だった。

 言い間違いではない。

 そこはアリシアが使う王女の間ではなく、その斜め奥に位置する王妃の間。

 アリシアですら数えるほどしか足を踏み入れた事が無いそこは、ディクソンに至っては、初めて入る場所だったに違いない。

 しかし、ディクソンは半ば強引にアリシアをその場所に押し込んだ。


「どうしてここに……。ここはお母様の場所よ。私達が立ち入って良い場所じゃない」

「いいえ姫様……。貴女はもう女王になられる身。この部屋は、すでに姫様の部屋でございます」


 赤の瞳を煌めかせ、恍惚の表情で部屋の中を見回したディクソンは、非難にも似たアリシアの言葉に、緩やかに動く。……恭しくアリシアにお辞儀を向けた。

 そうして、その身体を起こすと


「……そして今。姫様はこの場所で、夫である私を迎え入れてくださった。何という……身に余る光栄」


 まさにそれは、歓喜の雄叫び。

 何かを持ち上げるように、両の腕を、上に向けた掌を胸の前から高々と差し上げる。その表情は恐ろしい程に、喜びに満ちていた。


「……っ……何を言って……っ!……」


 余りにもあり得ない言葉。

 アリシアは驚いたように新緑の瞳を大きく開くものの、思うように声が出ない。

 絞り出すような声で、漸くそれだけを告げる。──身体が震えていた。

 ディクソンの声も、言葉も……向けられる至福の表情も。もはや全てが、アリシアにとって恐怖でしかない。

 ディクソンは、漸く手中に収めたアリシアへと近づくように、一歩踏み出す。

 ……それは、その時だった。


「──!──」


 窓の外から聞こえる、大きな声。ぶつけ合う剣の音。──敵襲だ。

 恍惚のディクソンの表情が一瞬にして無くなる。

 ディクソンは、すかさず窓際へと駆け寄り、その窓を開けて外を見下ろした。


「……バカな……」


 眼下に広がっていたのは、内乱を仕掛けてきた者達と赤の騎士との戦い。赤の眼差しが驚愕に染まる。

 ……王都に入ったという知らせを受けたのは、いつだっただろうか。

 あまりにも早すぎるその進軍。その強さ……勢いは、ディクソンの予想を遥かに上回っていた。


「……くっ……!……」


 ディクソンにとって、それは屈辱的な事だったに違いない。ここに来て全てが想定外。

 ギリ……。

 窓枠に置いた指先に力がこもった。


「──姫様。もはや時間がございません」


 そう言ってディクソンが振り返る。

 その表情は明らかに狼狽の色を宿しながらも、何かを決意したような。

 鋭く光る赤の瞳がアリシアの存在をとらえた。


「なに……? 時間……?」

「そうです。今すぐ姫様は、女王となられるのです。あんな真偽のわからない腕輪の持ち主より、正当な王家の血を引く姫様の方が王に相応しいのですから」

「そんなの無理に決まってるでしょう? 王位継承の儀は、最低でも三日かかるわ。それ以前に、腕輪の持ち主がいるのなら、そちらの真偽を確かめるほうが先でしょう。その腕輪が本物なら、その方が正当な王位継承者なのだから」


 アリシアは、ディクソンに対する恐怖を必死に押し殺しながら、言葉に立ち向かう。

 けれど、焦りの色を滲ませるディクソンは、アリシアの言葉をはねのけた。


「その腕輪の真偽など、どうやって確かめるというのです。継承の儀式の時以外は、継承者の手中にある腕輪ですよ。姫様も本物の腕輪など、ご覧になった事は無いでしょう」


 それは、苦し紛れに放った言葉だった。けれど、アリシアはディクソンの言葉にゆっくりと頷く。


「確かに……実物をこの目で確かめた事は、無いわ」


 その言葉に、ディクソンの口角が微かに上がった。動揺を示す表情に、希望にも似た光が宿る。

 無理やり作り出したのは不敵な笑み。アリシアに向けると、わざとらしく得意げな声に言葉を乗せた。


「ほら……。そうでしょう? でしたら……」

「でも」


 ディクソンの言葉が終わらないうちに……と言うよりは、ディクソンの言葉を断ち切るようなアリシアの声。

 予期しなかった声に、ディクソンのアリシアを見つめる眼差しが僅かに開かれる。

 アリシアは、真っ直ぐにディクソンを見つめていた。

 強さも、鋭さも無い……ただ真っ直ぐなだけのアリシアの瞳。

 けれど、ディクソンはその新緑の眼差しに、怯むように赤の瞳を揺らした。

 アリシアは続ける。確かな音で、確かな声で──言葉を。


「確かめる方法は、あるの」


 言葉は、直線的にディクソンの元へと届く。変わらぬアリシアの真摯な眼差し。

 瞳を重ねるディクソンの表情が、何故か苦痛に歪んでいく。

 やがて、ディクソンは視線をそらした。

 そうして、返した言葉は何処か怒気を含む声に乗る。


「──ならばせめて姫様。私が正式な貴女の夫である事を、宣言してください。……いいえ!」


 悪あがきにも聞こえるそれは、力任せに発した強い声と共に。

 ディクソンは、一歩大きく踏み出した。


「一度契りを交わせば、宣言など必要無い。──さあ、姫様!」

「──やめて」


 たった一歩。

 けれどそれは、ディクソンの一歩だ。

 アリシアは、逃げるように部屋の中を動き出す。

 けれど、ここは自身の部屋ではない。家具の配置が違うのだ。向かってくるディクソンから眼差しを外せないアリシアは、時折何処かにぶつかった。


「姫様。慣れない場所を動き回ると、危ないですよ」


 そう微笑むディクソンの眼差しはもう、尋常ではなかった。ギラギラと煌めく赤い瞳はアリシアしか見ていない。このままでは捕まるのは、時間の問題だ。何か時間を稼ぐ方法は無いものか。

 アリシアは、ゴクリと唾を飲み込んだ。


 その時。


「……どうしてこの場所を選んだの。……貴方が私に固執する理由は?」


 アリシアの澄んだ声が、静かにディクソンに向かう。

 その言葉に、ディクソンは足を止めた。──表情が固まる。


「貴方……母と何があったの?」


 にらみつけるように、アリシアはディクソンを見つめた。

 これが、アリシアに出来る精一杯の抵抗。


 思い出した事がある。

 いつかの晩……国王執務室で割れたガラスの切っ先を、自身の喉元に突き付けたあの時。

 ディクソンが叫んだ言葉があった。


 ──どうして私じゃないんだ!! ナタリアも!……貴女も!──


「ナタリアは……母の名前よ」

「……そうですね……」


 アリシアの声に、ディクソンは緩く呟き……瞳を静かに閉ざしていく。

 まるで、遠くの何かに思いを馳せるように……。


「王妃様とは、何もございませんでしたよ」


 そう言うと、ディクソンは寂しげに小さく笑った。




 王家に次ぐと言われる権力と財力を持つ、バーナム侯爵家の長男に生まれたディクソンは、政略結婚により一人の妻を迎え入れる事になった。

 それまで、侯爵家を継ぐ者として父の背中ばかりを追いかけていたディクソンは、女性に興味を持つ事もなく、政略結婚も当然のように受け入れていた。

 しかし、その婚姻の儀でディクソンに嵐が生まれた。

 妻の妹……ナタリアに出会ったのだ。


「ひと目で恋に落ちたのです。それ程に、ナタリアは美しかった」


 しかし、この時ナタリアの眼差しは、同席していた国王に向かっていた。

 そう……ナタリアは、国王に一目惚れをしたのだ。

 そして数年後。ナタリアは国王の元へと嫁ぐ。

 王もまた、ディクソンの結婚の儀の際に、ナタリアに一目惚れをした一人だった。


「ええ、お二人は求め合ってご結婚なされた……。とても美しいご夫婦でした」


 すでに婚姻の儀で妻を迎えたディクソンにとって、元々どうする事も出来ない恋だった。加えて、王妃になられては、もう手出しが出来ない。

 諦めるしかない。そう、何度も自分に言い聞かせた。

 けれど──。


「……何分、初めての気持ちでしたのでね。どうしても、消せないのですよ」


 そう言って、ディクソンは窓の外を見つめた。

 遠い──遠い眼差しだった。


「だから、宰相に……?」

「ええ、それはもう強引な手法でしたが。少しでも近くに感じる事が出来ればと思いましてね」

「…………」

「一度だけ……」

「……え?」

「一度だけ……想いを伝えた事があります」

「…………」

「もちろん、見事に断られましたがね」


 それでもナタリアは、その時のディクソンの言葉を、一方的に拒否したわけではなかった。真摯な眼差しで、想いを受け止めていた。

 その上で、自分の王への想いを伝え、断ったのだ。


「残酷な方でしょう? 頭ごなしに否定してくれれば、すっぱり諦めて恨むことすら出来たのに」

「そんな……」

「あれでは、さらに想いは深まるばかりです」


 窓の外へと視線を向けたまま……呟くようなディクソンの言葉は、小さく揺れて。僅かに俯きながら、自嘲染みた笑みをもらす。


「まあ……想いを募らせたまま、いなくなってしまいましたが……」


 王女アリシアを産んだ王妃ナタリアは、そのまま逝ってしまった。

 王は最愛の王妃を亡くし、失意のどん底に。

 その陰でディクソンもまた、悲しみに打ちひしがれていた。


「……けれど私には、まだ希望が残されていた。──姫様……貴女です」


 ディクソンの寂しげな赤の眼差しは、紡がれる言葉と共に歓喜の色を帯びていく。

 その視線は静かに動き……やがてアリシアを捉えた。


 ──ビクリ──


 アリシアの肩が、大きく震える。


「貴女を初めてお見かけしたのは、いつだったでしょうか……。殿下と無邪気に遊んでおられたあの姿。……今でも鮮明に思い出せます」


 続くその言葉は、喜びに震える声と共に。まるで光でも見るかのような、眩しげな眼差し。

 ディクソンは満ち足りた表情で、アリシアに微笑みを。

 けれどアリシアは、震える身体を自身の両手で抱き締めながら、大きく首を振った。


「違う……。私は母ではないわ」

「ええ。けれど良く似ておられます。そして姫様は、王妃ナタリア様以上に美しい……」


 ディクソンが、アリシアに向かって指先を伸ばす。

 二人の距離は、まだ離れている。その指先が、アリシアに届く事は無いけれど。


「──やめて」


 アリシアの声が響く。

 揺れる眼差しを、懸命にディクソンに向けた。


「私は、母のように貴方の言葉を受け止めたりはしないわ。……恨んでくれて構わない」


 伸ばされた指先に、怯えるように身を縮める。……それでも、ディクソンから眼差しを外したりはしない。

 ここで瞳を逸らせば、負けてしまう。──そんな気がした。


「お願い……。諦めて」


 アリシアの新緑の眼差しは、震えながらも真っ直ぐにディクソンを見つめていた。

 決意にも似たその表情に、刹那……ディクソンの表情が止まる。


 けれど。


「姫様。もう……遅すぎます」


 ディクソンは、ゆっくりと首を振った。


「貴女をお慕いし続けて、九年が経つのです。今さら何を言われたところで、諦められるはずが無いでしょう?」

「そんな……っ……」

「もう、止まらないのです。貴女を手に入れなければ」


 言葉は、低く……静かな声。

 けれど、込められる想いが強い。

 ディクソンの赤の眼差しは、アリシアを射止めようとするのか、鋭く光る。

 アリシアは、ディクソンの眼差しから逃げるように、一歩……また一歩……足を後ろへと下げた。


「言ったはずよ。私の心は別の人の元にある。……決して、貴方の場所に行きはしないわ」


 ディクソンは、逃げるアリシアを追いつめるように、一歩を踏み出し


「もはや──貴女の気持ちなど、どうでも良い」


 そのまま距離を詰めるべく、歩き出した。


「こないで……っ!……」


 急速に縮まる距離。それでもまだ、ディクソンの指先が届く距離ではない。

 アリシアは、駆け出した。目指すは出入り口の扉。

 幸いにも扉とアリシアの距離はさほど遠く無い。

 これならば、ディクソンに捕まることなく部屋の外へ逃げ出せるはずだ。

 アリシアは、勢いよく扉に近づき、ドアレバーを下ろすと同時……体当たりで扉を押しあける。


 ──ドン!──


「……え?……」


 扉が開かない。──何故?

 王家の間の各部屋には、鍵など取り付けられてはいない。護衛隊の巡回が常にあるため、何かあっても直ぐに対応できるため、その必要が無いのだ。

 そして、もしもの時にすぐ避難できるため。

 もしもの時……それが、まさに今のはずだ。


 ──ドン!──

 ──ドン!──


 アリシアは、何度も……何度も扉に体当たりを続ける。

 けれど、扉はビクともしない。


「どうして……」


 アリシアは扉に向かって、返ってくるはずも無い問い掛けを。

 その表情は、酷く焦燥していた。


「外の二人は、ちゃんと仕事をしてくれているようですね」

「……っ!……」


 その声は、アリシアの真後ろで聞こえた。

 それは、二人の距離が既に無くなっている事を意味している。

 アリシアの表情が、止まった。


「扉は、同行した二人の騎士が、押さえてくれています」


 ディクソンが、アリシアの背後から扉に手を突き、アリシアの首筋に顔を寄せる。

 生々しい息遣い……粘着質の声が、アリシアの耳元に直接響いた。


「いや……っ!……ジェイクっ……!」

「私以外の名前を呼ぶな!」


 ディクソンから、逃げるように身体を捻るアリシア。

 けれど、その身体は難なくディクソンに捕まる。

 怒鳴りつけるディクソンの眼差しは、嫉妬の炎に燃えていた。


「私の名を……私の名だけを呼ぶんだ。……貴女には私しかいない」


 強引にアリシアを振り向かせると、アリシアの肩を強く掴み、顔を近付ける。言葉は、その至近距離で強圧的な声に乗る。

 アリシアは、震えながらも小刻みに顔を横に振った。

 けれど、ディクソンの眼差しはもう、アリシアを映し出してはいない。抵抗するアリシアを力任せに動かす。半ばアリシアを引きずるようにしながら部屋の中央へと歩みを進めた。

 そこには王妃が眠るための、大きなベッドがある。強い力は、そのままアリシアをベッドの上へと押し倒した。

 そうしてアリシアの上にまたがり、その華奢な両肩を押さえつける。


「さあ……始めましょう。二人だけの濃密なひと時を」


 ゾクリ。


 アリシアの脳裏で、背筋が凍る音が……聞こえたような気がした。


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