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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
それからの空
57/69

<3>謀──ハカリゴト──

 雲一つない快晴だった。視界一面に広がる青い青。

 立ち並ぶ木々の緑が、光りを浴びて鮮やかに映える。

 時折吹き抜ける風は少し冷たく、日差しを受けて火照った体には、心地好かった。

 王宮の門を入ると、客人を出迎えるかのように庭園が広がる。これは王宮の中でいつも眺める庭園とは別のものだ。

 もてなしの為のこの庭園は、中のものより豪華な造りとなっている。

 クリスはその庭園を横目に見ながら、真っ直ぐに歩みを進めていた。クリスは、王宮の門から入ったわけではない。王宮の敷地の東側に、騎士団の詰所がある。クリスはそこを出て王宮へと向かっていた。

 詰所は、主に騎士達が休憩する場所であるが、業務の引継ぎや情報交換も此処で行われる。そこで聞いた情報によると、例の内乱の軍勢は既に王宮間近まで来ているらしい。

 此処が戦場になるのも、時間の問題だ。王宮の警備を手薄にしてまで、応戦しているにも係わらず……だ。

 余程の強者なのか、途中で援軍が入って勢いを増したか……或いは……。


「……その両方……か……」


 クリスは、王宮の玄関へと視線を向けたまま、ポツリと呟いた。

 ただ、応戦しているのは専らディクソンの私兵……赤の騎士だ。

 王国騎士団は、応戦には向かっているものの、どういうわけか参戦していないようだった。何かあったのかと問い質しても、何故か皆一様に口を閉ざす。

 ──クリスは口の端で小さな笑みをつくった。

 程なくしてクリスは、王宮の玄関へ足を踏み入れる。

 先程聞いた話によると、アリシアはディクソンと会食中らしい。クリスの足は、迷うことなく食事の間へと向けて進んでいく。

 ……すると。


「…………」


 クリスの進む先に、人影が見えた。クリスは訝しげに鋭い瞳を更に細める。

 それは、本来此処に居るべきではない人物だったからだ。

 全速力で走ってくるのは……フランク。様子がおかしい事は、その色のない表情で容易に察することが出来た。


「あっ……隊長っ!……」


 視線の先……フランクはクリスを認めると、脇目もふらず其方へと駆け寄る。


「どうした。姫様は、まだ会食中だろう」

「……っ……それが……!……」


 フランクは息を切らしながら、途切れ途切れの言葉で説明をする。まるで、いつかの夜の再現だ。

 またしても、ディクソンにアリシアを奪われた。自身の力の無さを痛感する。表情に、怒りにも似た悔しさが滲み出ていた。


「…………」


 クリスは、フランクの話を聞きながら、考えるように視線を空中へと浮かせた。──不意に、眼差しが鋭く光る。


「……隊長?」

「フランク。お前は食事の間に戻れ」

「えっ……。でも姫様が……!……」

「そっちは俺が行く。……だが、恐らく姫様は居ない」

「……どういう……」


 フランクは、クリスの言葉がまるで分らないようだった。問い掛けるような眼差しは、クリスに答えを求める。

 クリスは、細く息を吐くと


「嵌められた。恐らく、俺達と姫様を引き離すための罠だ。──急いで戻れ」


 言葉は無表情にして無機質。けれど、フランクを動かすには十分な圧力があった。

 一瞬にして表情の引き締まったフランクは、短く返事をすると、一礼し……素早く踵を返す。そのまま、今駆け抜けた道を戻っていった。

 クリスは、過ぎ去るフランクを横目で見送ると、フランクが行こうとしていた場所へと走り出す。

 そもそも食事の間で何かあったなら、物音なりアリシアの声なりする筈だ。それにフランクが、気付かないはずがない。

 加えて、赤の騎士と並ぶように歩いていたのもおかしい。視界に赤の騎士が入るだけで怯える彼女が、平然と横に並んで歩けるはずがないのだ。

 若しくは、何かしらの取引があったのか……。いや、仮に誘惑に駆られるような申し出があったとしても、相手はディクソンだ。ディクソンの口車に乗るようなアリシアではない。

 クリスは、足早に目的の場所へと進んでいく。長身の彼だ。踏み出す一歩も他の者より大きい。

 やがて見えてくる……。庭園沿いの通路……大きな幹の陰の更に奥。赤の騎士に紛れて揺れる……フランクに聞いた淡いラベンダーのドレス。クリスは、躊躇することなく二人の元へと近づいて行った。


「……これは……。王室護衛隊長のバラード殿。……どうかなさいましたか?」


 足音に気付いて、振り返ったのは赤の騎士だ。尤も……元々身長が高いうえに、気配も全く消してはいない……圧倒的に存在感のある今のクリスなら、誰にでも気付かれてしまうだろう。

 クリスは無表情のまま、赤の騎士に鋭い視線を投げる。


「そちらの方に、用があるのだが。席を外して頂けるか」


 いつもの変わらぬ、無機質な声。けれど、普段聞き慣れない赤の騎士は、その声に怯むように後退る。薄く笑みを浮かべるのが精いっぱいだった。


「ああ、はい。……こちらの方ですね。……それでは私は失礼します」


 恐らく、ここまでその女性を連れてくるのが、この騎士の役割だったのだろう。クリスの声に素直に応じると、そそくさとその場を立ち去る。

 ……残されたのは、淡いラベンダーのドレスを着た女性……。露わになるその姿──。

 クリスは鋭い眼差しで、射抜くようにその姿を見下ろした。


「何故貴女が、此処に居る。……ロザリー殿」


 そこに立っていたのは、侍女長のロザリーだった。

 胸のリボンで切りかえられた、流れるようなスカート。印象の柔らかなラベンダーのドレス……。それは、まさにアリシアが着ているものと同じだった。

 ロザリーは、不敵な笑みを浮かべると、クリスを見上げた。


「……別に私が何処に居ようと、勝手でしょう? 私、まだ勤務時間じゃありませんわ」

「……そのドレスはどうしたんです。宴に招かれた客人でもないのに、そんな服装を……しかも職場に着て来るのはおかしいでしょう」


 その言葉には瞳を半開きにし、ロザリーは憮然とした表情を露にする


「……だから。私まだ勤務前だから、何着てようが私の勝手よ。これは、宰相様が私の為に仕立ててくださったのよ?……ほら、綺麗でしょう? 今着なくて、いつ着るのよ」


 そう言いながら嬉しそうに頬を染め、ドレスの裾を両手で広げて見せた。クリスは、そんなロザリーの様子を無表情のまま黙って見つめる。

 ……やがて、静かに口を開いた。


「……憐れな奴だな」

「──なんですって?」

「そんな風に宰相に媚びた所で、宰相は貴女を見ない」

「──!──」


 刹那……。ロザリーの表情が変わった。クリスの言葉が気に障ったのだろう。睨みつけるような眼差しは、鋭くクリスへと。

 苛立つロザリーの口から、矢継ぎ早に言葉が溢れ出てくる。


「何を言っているの……。そんな事ある筈無いじゃない。私は今まで、ずっとあの方を支えてきたの。言わば一心同体よ。ぽっと出の……綺麗なだけが取り柄の小娘なんかが、私に敵うわけない。宰相様は、この国の実権を握る為にあの子を利用しているだけなの。本当に愛されているのは私よ」


 クリスの表情は、相変わらず色を成さない。

 感情のままに声を出し続けるロザリーとは、まるで対照的で……その事がより一層ロザリーの物悲しさを際立たせた。


「……貴女に、姫様の素晴らしさは一生分からないだろう」


 静かにそう告げると、クリスは踵を返す。

 そのまま、来た道を戻るように走り出した。







「私は……私が不用意な行動を取ることで、誰かに負担が掛かることを知っているわ」

「それは……護衛隊の事を仰っているのですか?」


 食事の間で不意に立ち上がったアリシアは、テーブルの上のナプキンを握り締めた。口にした言葉は、何かを押し殺すような……震える声。

 ディクソンはその言葉に首を傾げた。


「あの者達は、姫様の下僕です。姫様に従うために生きているのです。あのような者に気遣いを向ける必要など、微塵もございませんよ」


 アリシアの言葉は、ディクソンにとっては明らかにおかしな発言だったのだろう。怪訝な表情と共に、大きく肩を竦めると、息を吐いた。

 一つ一つの動作が酷くわざとらしい。

 アリシアは、そんなディクソンの様子を睨むように見つめ


「──私、貴方のそういうところ大嫌いよ」


 吐き捨てるようにそう言うと、テーブルを離れた。ドレスの裾が柔らかく揺れる。


「姫様? まだ食事の途中ですが……」

「結構よ。もう充分だわ」


 ディクソンの問いかけを背に受けながらも、アリシアが振り返る事は無い。これ以上ここに居ると具合が悪くなりそうで、早くこの場を立ち去りたかった。

 やれやれと苦笑するディクソンの顔が目に浮かぶものの、それを気にするつもりは些かもない。

 アリシアの足は、そのまま出入り口へと到着する。


「……?……。避けてくださる? 私、帰りたいんだけど」


 その場所には、三人の赤の騎士がアリシアの行く手を阻むように並んでいた。

 アリシアは、三人から少し離れた所で立ち止まり、動く様子の無い彼らに声を掛ける。


「申し訳ありません姫様。姫様の護衛の騎士の方が、ただ今不在でして」

「……フランクが? そんなはずは無いわ。そこに居るはずよ」

「いえ……。先程、何か用事が出来たようで、何処かへ行かれました」


 恭しくお辞儀をしながら、丁寧に告げられる言葉。

 けれどそれは、アリシアには到底理解出来る言葉ではない。

 フランクが、勝手に持ち場を離れるなんて有り得ないからだ。


「──退いて──!──」


 強い言葉と共に歩き出すアリシアに、赤の騎士の一人が、苦笑しながらその身を退けた。

 一人分が通れる隙間が出来たその場所から、アリシアは通路へと歩き出る。

 しかしそこでアリシアは、驚愕の事実を目の当たりにする。


「…………そんな…………」


 其処に居るはずのフランクの姿が、見当たらない。

 アリシアの視線は、フランクを探すようにあちこちへと彷徨った。


「おや。護衛騎士がいらっしゃらないのですか? 全く、職務怠慢も良いところですね」


 ──アリシアの背後で。…………声が聞こえた。

 アリシアは、大きく肩を震わせる。


「……何をしたの……」


 アリシアは、酷くぎこちない動作で振り返った。

 そこに立っていたのは、勿論ディクソンだ。


「……私が? 私は姫様とあちらで会食中で御座いましたよ。食事中に何か出来るはずもありません」


 そう言って肩を竦めるディクソンの笑みは、やけに意味あり気。

 アリシアは、ディクソンを睨むように見つめながら唇を噛んだ。


「護衛騎士が居ないなら仕方ありませんね。代わりに私が、お部屋までお送り致しましょう」

「────!────」


 続いたディクソンの言葉は、笑みのようなものが含まれた黒い声に包まれていた。

 アリシアは、その声に表情を固める。

 ディクソンの狙いはこれだ。アリシアとフランクを引き離し、完全にアリシアを手中に収めるつもりなのだ。

 ゾクリ……。背筋が凍るような気がした。


「……結構よ。一人で戻れるわ」


 極めて平静を装い、アリシアは静かに歩き出す。すると……。


「駄目ですよ姫様。このような危険な時に、御一人で行動されてはなりません。──さあ」


 そう言うと、ディクソンは強引にアリシアの片腕を握りしめ、一緒に歩き出す。

 ……その動きは合図だったのだろうか。

 出入り口に控えていた赤の騎士のうち、二人がディクソンの後をついて行くように、歩き始めた。


「──っ──やめて!……離して!」

「大丈夫ですよ。私がついています。怖い事など、何一つありません」


 アリシアの抗う言葉に、平然と返すディクソンの言葉。

 ──既に、会話が成り立っていないようにも思えた。

 アリシアは、必死に抵抗をするものの、大人と子供……男と女の力の差がある。更に、背後には赤の騎士が控えていた。

 これでは何をどう足掻いても、どうにもならない。

 アリシアは、ささやかな抵抗よろしくディクソンを睨みつけた。

 けれど、ディクソンの赤い瞳にアリシアの表情が映し出される事は無い。

 ギラギラと輝くディクソンの瞳は、もう……前しか見ていなかった。


「さあ、戻りましょう。……二人の愛の部屋へ」


 その声は、低く……ぞっとするほど静かに……アリシアの耳元に響いていく──。


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