<3>謀──ハカリゴト──
雲一つない快晴だった。視界一面に広がる青い青。
立ち並ぶ木々の緑が、光りを浴びて鮮やかに映える。
時折吹き抜ける風は少し冷たく、日差しを受けて火照った体には、心地好かった。
王宮の門を入ると、客人を出迎えるかのように庭園が広がる。これは王宮の中でいつも眺める庭園とは別のものだ。
もてなしの為のこの庭園は、中のものより豪華な造りとなっている。
クリスはその庭園を横目に見ながら、真っ直ぐに歩みを進めていた。クリスは、王宮の門から入ったわけではない。王宮の敷地の東側に、騎士団の詰所がある。クリスはそこを出て王宮へと向かっていた。
詰所は、主に騎士達が休憩する場所であるが、業務の引継ぎや情報交換も此処で行われる。そこで聞いた情報によると、例の内乱の軍勢は既に王宮間近まで来ているらしい。
此処が戦場になるのも、時間の問題だ。王宮の警備を手薄にしてまで、応戦しているにも係わらず……だ。
余程の強者なのか、途中で援軍が入って勢いを増したか……或いは……。
「……その両方……か……」
クリスは、王宮の玄関へと視線を向けたまま、ポツリと呟いた。
ただ、応戦しているのは専らディクソンの私兵……赤の騎士だ。
王国騎士団は、応戦には向かっているものの、どういうわけか参戦していないようだった。何かあったのかと問い質しても、何故か皆一様に口を閉ざす。
──クリスは口の端で小さな笑みをつくった。
程なくしてクリスは、王宮の玄関へ足を踏み入れる。
先程聞いた話によると、アリシアはディクソンと会食中らしい。クリスの足は、迷うことなく食事の間へと向けて進んでいく。
……すると。
「…………」
クリスの進む先に、人影が見えた。クリスは訝しげに鋭い瞳を更に細める。
それは、本来此処に居るべきではない人物だったからだ。
全速力で走ってくるのは……フランク。様子がおかしい事は、その色のない表情で容易に察することが出来た。
「あっ……隊長っ!……」
視線の先……フランクはクリスを認めると、脇目もふらず其方へと駆け寄る。
「どうした。姫様は、まだ会食中だろう」
「……っ……それが……!……」
フランクは息を切らしながら、途切れ途切れの言葉で説明をする。まるで、いつかの夜の再現だ。
またしても、ディクソンにアリシアを奪われた。自身の力の無さを痛感する。表情に、怒りにも似た悔しさが滲み出ていた。
「…………」
クリスは、フランクの話を聞きながら、考えるように視線を空中へと浮かせた。──不意に、眼差しが鋭く光る。
「……隊長?」
「フランク。お前は食事の間に戻れ」
「えっ……。でも姫様が……!……」
「そっちは俺が行く。……だが、恐らく姫様は居ない」
「……どういう……」
フランクは、クリスの言葉がまるで分らないようだった。問い掛けるような眼差しは、クリスに答えを求める。
クリスは、細く息を吐くと
「嵌められた。恐らく、俺達と姫様を引き離すための罠だ。──急いで戻れ」
言葉は無表情にして無機質。けれど、フランクを動かすには十分な圧力があった。
一瞬にして表情の引き締まったフランクは、短く返事をすると、一礼し……素早く踵を返す。そのまま、今駆け抜けた道を戻っていった。
クリスは、過ぎ去るフランクを横目で見送ると、フランクが行こうとしていた場所へと走り出す。
そもそも食事の間で何かあったなら、物音なりアリシアの声なりする筈だ。それにフランクが、気付かないはずがない。
加えて、赤の騎士と並ぶように歩いていたのもおかしい。視界に赤の騎士が入るだけで怯える彼女が、平然と横に並んで歩けるはずがないのだ。
若しくは、何かしらの取引があったのか……。いや、仮に誘惑に駆られるような申し出があったとしても、相手はディクソンだ。ディクソンの口車に乗るようなアリシアではない。
クリスは、足早に目的の場所へと進んでいく。長身の彼だ。踏み出す一歩も他の者より大きい。
やがて見えてくる……。庭園沿いの通路……大きな幹の陰の更に奥。赤の騎士に紛れて揺れる……フランクに聞いた淡いラベンダーのドレス。クリスは、躊躇することなく二人の元へと近づいて行った。
「……これは……。王室護衛隊長のバラード殿。……どうかなさいましたか?」
足音に気付いて、振り返ったのは赤の騎士だ。尤も……元々身長が高いうえに、気配も全く消してはいない……圧倒的に存在感のある今のクリスなら、誰にでも気付かれてしまうだろう。
クリスは無表情のまま、赤の騎士に鋭い視線を投げる。
「そちらの方に、用があるのだが。席を外して頂けるか」
いつもの変わらぬ、無機質な声。けれど、普段聞き慣れない赤の騎士は、その声に怯むように後退る。薄く笑みを浮かべるのが精いっぱいだった。
「ああ、はい。……こちらの方ですね。……それでは私は失礼します」
恐らく、ここまでその女性を連れてくるのが、この騎士の役割だったのだろう。クリスの声に素直に応じると、そそくさとその場を立ち去る。
……残されたのは、淡いラベンダーのドレスを着た女性……。露わになるその姿──。
クリスは鋭い眼差しで、射抜くようにその姿を見下ろした。
「何故貴女が、此処に居る。……ロザリー殿」
そこに立っていたのは、侍女長のロザリーだった。
胸のリボンで切りかえられた、流れるようなスカート。印象の柔らかなラベンダーのドレス……。それは、まさにアリシアが着ているものと同じだった。
ロザリーは、不敵な笑みを浮かべると、クリスを見上げた。
「……別に私が何処に居ようと、勝手でしょう? 私、まだ勤務時間じゃありませんわ」
「……そのドレスはどうしたんです。宴に招かれた客人でもないのに、そんな服装を……しかも職場に着て来るのはおかしいでしょう」
その言葉には瞳を半開きにし、ロザリーは憮然とした表情を露にする
「……だから。私まだ勤務前だから、何着てようが私の勝手よ。これは、宰相様が私の為に仕立ててくださったのよ?……ほら、綺麗でしょう? 今着なくて、いつ着るのよ」
そう言いながら嬉しそうに頬を染め、ドレスの裾を両手で広げて見せた。クリスは、そんなロザリーの様子を無表情のまま黙って見つめる。
……やがて、静かに口を開いた。
「……憐れな奴だな」
「──なんですって?」
「そんな風に宰相に媚びた所で、宰相は貴女を見ない」
「──!──」
刹那……。ロザリーの表情が変わった。クリスの言葉が気に障ったのだろう。睨みつけるような眼差しは、鋭くクリスへと。
苛立つロザリーの口から、矢継ぎ早に言葉が溢れ出てくる。
「何を言っているの……。そんな事ある筈無いじゃない。私は今まで、ずっとあの方を支えてきたの。言わば一心同体よ。ぽっと出の……綺麗なだけが取り柄の小娘なんかが、私に敵うわけない。宰相様は、この国の実権を握る為にあの子を利用しているだけなの。本当に愛されているのは私よ」
クリスの表情は、相変わらず色を成さない。
感情のままに声を出し続けるロザリーとは、まるで対照的で……その事がより一層ロザリーの物悲しさを際立たせた。
「……貴女に、姫様の素晴らしさは一生分からないだろう」
静かにそう告げると、クリスは踵を返す。
そのまま、来た道を戻るように走り出した。
「私は……私が不用意な行動を取ることで、誰かに負担が掛かることを知っているわ」
「それは……護衛隊の事を仰っているのですか?」
食事の間で不意に立ち上がったアリシアは、テーブルの上のナプキンを握り締めた。口にした言葉は、何かを押し殺すような……震える声。
ディクソンはその言葉に首を傾げた。
「あの者達は、姫様の下僕です。姫様に従うために生きているのです。あのような者に気遣いを向ける必要など、微塵もございませんよ」
アリシアの言葉は、ディクソンにとっては明らかにおかしな発言だったのだろう。怪訝な表情と共に、大きく肩を竦めると、息を吐いた。
一つ一つの動作が酷くわざとらしい。
アリシアは、そんなディクソンの様子を睨むように見つめ
「──私、貴方のそういうところ大嫌いよ」
吐き捨てるようにそう言うと、テーブルを離れた。ドレスの裾が柔らかく揺れる。
「姫様? まだ食事の途中ですが……」
「結構よ。もう充分だわ」
ディクソンの問いかけを背に受けながらも、アリシアが振り返る事は無い。これ以上ここに居ると具合が悪くなりそうで、早くこの場を立ち去りたかった。
やれやれと苦笑するディクソンの顔が目に浮かぶものの、それを気にするつもりは些かもない。
アリシアの足は、そのまま出入り口へと到着する。
「……?……。避けてくださる? 私、帰りたいんだけど」
その場所には、三人の赤の騎士がアリシアの行く手を阻むように並んでいた。
アリシアは、三人から少し離れた所で立ち止まり、動く様子の無い彼らに声を掛ける。
「申し訳ありません姫様。姫様の護衛の騎士の方が、ただ今不在でして」
「……フランクが? そんなはずは無いわ。そこに居るはずよ」
「いえ……。先程、何か用事が出来たようで、何処かへ行かれました」
恭しくお辞儀をしながら、丁寧に告げられる言葉。
けれどそれは、アリシアには到底理解出来る言葉ではない。
フランクが、勝手に持ち場を離れるなんて有り得ないからだ。
「──退いて──!──」
強い言葉と共に歩き出すアリシアに、赤の騎士の一人が、苦笑しながらその身を退けた。
一人分が通れる隙間が出来たその場所から、アリシアは通路へと歩き出る。
しかしそこでアリシアは、驚愕の事実を目の当たりにする。
「…………そんな…………」
其処に居るはずのフランクの姿が、見当たらない。
アリシアの視線は、フランクを探すようにあちこちへと彷徨った。
「おや。護衛騎士がいらっしゃらないのですか? 全く、職務怠慢も良いところですね」
──アリシアの背後で。…………声が聞こえた。
アリシアは、大きく肩を震わせる。
「……何をしたの……」
アリシアは、酷くぎこちない動作で振り返った。
そこに立っていたのは、勿論ディクソンだ。
「……私が? 私は姫様とあちらで会食中で御座いましたよ。食事中に何か出来るはずもありません」
そう言って肩を竦めるディクソンの笑みは、やけに意味あり気。
アリシアは、ディクソンを睨むように見つめながら唇を噛んだ。
「護衛騎士が居ないなら仕方ありませんね。代わりに私が、お部屋までお送り致しましょう」
「────!────」
続いたディクソンの言葉は、笑みのようなものが含まれた黒い声に包まれていた。
アリシアは、その声に表情を固める。
ディクソンの狙いはこれだ。アリシアとフランクを引き離し、完全にアリシアを手中に収めるつもりなのだ。
ゾクリ……。背筋が凍るような気がした。
「……結構よ。一人で戻れるわ」
極めて平静を装い、アリシアは静かに歩き出す。すると……。
「駄目ですよ姫様。このような危険な時に、御一人で行動されてはなりません。──さあ」
そう言うと、ディクソンは強引にアリシアの片腕を握りしめ、一緒に歩き出す。
……その動きは合図だったのだろうか。
出入り口に控えていた赤の騎士のうち、二人がディクソンの後をついて行くように、歩き始めた。
「──っ──やめて!……離して!」
「大丈夫ですよ。私がついています。怖い事など、何一つありません」
アリシアの抗う言葉に、平然と返すディクソンの言葉。
──既に、会話が成り立っていないようにも思えた。
アリシアは、必死に抵抗をするものの、大人と子供……男と女の力の差がある。更に、背後には赤の騎士が控えていた。
これでは何をどう足掻いても、どうにもならない。
アリシアは、ささやかな抵抗よろしくディクソンを睨みつけた。
けれど、ディクソンの赤い瞳にアリシアの表情が映し出される事は無い。
ギラギラと輝くディクソンの瞳は、もう……前しか見ていなかった。
「さあ、戻りましょう。……二人の愛の部屋へ」
その声は、低く……ぞっとするほど静かに……アリシアの耳元に響いていく──。




