表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
それからの空
56/69

<2>攻防……或いは

 食事の間では、相変わらずアリシアは終始無言を貫いていた。

 けれど、今日のディクソンは前回のように饒舌ではなかった。王宮に向かってくる者達が気になっているのだろうか。時折言葉の途切れる時間がある。

 赤の眼差しが、外の様子を気に掛けるように窓の景色へと向かう。そんな場面が幾度か見受けられた。

 そんなディクソンの様子に、アリシアが徐に口を開いた。珍しい事だった。


「こんな状況で、よく会食する気になったわね」


 透明感のある柔らかな声が、静かに響く。

 その声にディクソンの手が止まった。驚いたようにアリシアへと視線を動かす。

 けれど、アリシアは何事も無く食事を進めていた。

 その様子に、ディクソンが小さく肩を竦める。


「……こんな時……。だからですよ姫様。心を落ち着かせて、ゆったりとした気分で時を過ごさねばなりません」

「……私は貴方と居ると、気持ちが荒んでいくばかりだけど」

「ははっ。手厳しいですな姫様は」


 憮然とした表情でディクソンに言葉を返したアリシアは、手元にあった水を一口含む。

 ディクソンはアリシアに小さく笑うと、アリシアに習うように水の入ったコップに口をつけた。

 そうして、今正に思い出したかのように、再び言葉を声に乗せる。


「……そう言えば姫様。聞いていますか?」

「……?……」

「今起きている内乱の首謀者は、王位継承の腕輪を持つ者らしいですよ」

「……聞いているわ」

「気になりませんか?……殿下かもしれませんよ」

「……お兄様は、貴方が殺したんでしょう?」


 アリシアは静かに……大きく深呼吸すると、努めて冷静に言葉を出した。ざわつく胸の内を精一杯押し込める。

 そんなアリシアの様子を、知ってか知らずか……ディクソンは言葉を続けた。


「滝壺に落ちた姫様が、こうして生きていらっしゃる位ですから、殿下も……生きていたのかもしれません。……私も、分からなくなりました」


 困惑の表情のディクソン……けれど赤の瞳は鋭く輝く。

 まるでアリシアの反応を、楽しんでいるようだった。

 アリシアの食事の手が止まる。一つ。静かに息を吐き出すと、眼前のディクソンへゆっくり視線を移した。


「……何が言いたいの……」

「……正体を知りたくはありませんか? 殿下かもしれない……その者の」

「…………」

「奴らは今……ウィグスタンを抜けて、王都に居るそうです」

「…………」


 アリシアの表情が止まる。

 王都に居る……そこまで進軍してきている……。王宮は目前だという事だ。

 兄かもしれない人がそこに居る。

 ともすれば……藍の髪の……その人も。


「会えますよ」

「──!──」


 それは、思いがけない言葉だった。

 ディクソンが、テーブルへと伏せるように視線を落としたその時……。

 アリシアは、驚いたように瞳を大きく開いた。


「私は、彼らの標的でしょうが、姫様は違います。もし殿下なら、姫様は妹君でいらっしゃいますし……そうでなくとも、姫様が標的になる事はございません」

「……私に、彼らの正体を暴け……と?」


 ディクソンは寂しげな笑みを浮かべながら、落とした視線を上げ……アリシアを見つめた。

 アリシアはどう反応を示せば良いのか分からない。

 会える可能性があるなら……ひと目だけでも。そう願う自分が確かに此処に居る。けれど、それを制止する自分も此処に居る。

 この言葉の裏には、何があるのだろう。何の罠なのだろう……?

 めまぐるしく思考を回転させながら、言葉にしたのは問い掛け。たったそれだけ。


「無理強いするつもりはございません。私も、姫様に危険が及ぶ可能性がある事は、極力避けたい。……ですが」


 そこで言葉を区切ったディクソンが、赤の眼差しを真っ直ぐにアリシアに向けた。


「もしも姫様が、殿下かもしれないお方に会われることを、願うのなら……尽力は惜しみません」


 言葉は、少しその音を落とした声の上。

 それでも、はっきりと声をアリシアに届ける為か、ゆっくりと……はっきりと口にする。

 或いは……そうする事で、アリシアの視線を自身に釘付けにする狙いも、あったのかもしれない。

 アリシアは、困惑しながらもディクソンの言葉を聞き逃さないように、ディクソンを見つめ続ける。

 ……ディクソンはアリシアへ顔を向けたまま、チラリと視線だけを厨房へと流した。


「……あちらの厨房から、庭園横の通用口へと出ることが出来ます。そこに私の騎士を待機させております。姫様の護衛は、彼らにお任せいただきますよう……」

「……随分と、準備が良いじゃない……」


 ディクソンから視線を逸らさないアリシアは、皮肉めいた言葉を向ける。

 ──これは罠だ。厨房から庭園に出ること出来たとしても、そこに居るのがディクソンの傭兵ならば、何事も無いはずが無い。

 ──行ってはならない。……席を立ってはならない。

 アリシアは自分に言い聞かせるように、心の中で何度も言葉を反芻する。


「……何かの罠だとお思いですか?」


 言葉に何の返答も示さず、困惑するアリシアの表情に、ディクソンは寂しげに息を吐いた。

 ……赤の瞳が細く揺れる。それは、今までに見た事も無いような表情……。

 アリシアは、その様子に戸惑うように瞳を逸らす。


「私は、殿下と姫様の絆の深さをよく存じております。……ええ、それはもう……私が嫉妬するほどに……」


 そう言うと、ディクソンはテーブルに置いていた自身の手を握りしめる。……作られた拳が震えていた。

 恐らくその言葉は、本心だったのだろう。


「……ですから……姫様の殿下への思いは、熟知しているつもりなのですよ。私は……姫様の思いの手助けをしたい。……ただ、それだけなのです」

「……ディクソン……」


 アリシアの表情が揺れる。

 考えるように視線をテーブルへと落した。

 ……確かに、ディクソンは誰よりも二人の絆を目の当たりにしてきただろう。アリシアを訪ねても、必ず王子が邪魔をする。

 ある夜に、アリシアの部屋に忍び込んでも王子に見つかった。二人の間には誰も入り込めない……。そんな気さえしたかもしれない。

 ディクソンは動揺するアリシアに、更に言葉を重ねた。

 それはさながら、熱のこもった演説だった。


「彼らが王宮に入ってしまえば、此処が戦場になります。そうなれば、姫様は安全の為に身を隠して頂かなくてはなりません。……会えるのは、今しかないのです」

「…………」

「姫様」

「……っ……」


 重なるディクソンの言葉……声は、アリシアに何か決断をさせたのかもしれない。

 顔を上げたアリシアは、徐に立ち上がった。







 アリシアが、食事の間で会食をしている間、フランクは食事の間の出入り口で待機していた。

 クリスと交代するまでの間は、アリシアの専属護衛騎士はフランクだ。

 アリシアが食事を終えて出てくるのを待っていなくてはならない。


「…………」


 チラリ。

 時折フランクは、食事の間の様子を探れないかと覗き込む。

 しかし、覗き込んだところで騎士に阻まれて何も見えない。苛立つようにフランクは、廊下脇の窓から雲一つない空を眺めた。

 しかし空を眺めても、思うのはアリシアの事。

 普段一人しか騎士が常駐しない食事の間に、今日に限って三人も居るのが気になって仕方がないのだ。

 アリシアは無事出てくるのだろうか。中で何か危険が及んでいないだろうか。

 フランクの不安は募るばかりだった。フウ……。何度目かの溜め息を吐く。

 ……すると、通路の中程……渡り廊下へと続く通路の辺りで、騒めく二人の騎士達を視界に捉えた。


「……?……」


 彼らは赤の騎士ではない。深緑の騎士服を着た王国の騎士だ。

 窓の外を見つめながら何やら話している。

 フランクも彼らに習うように窓の外を見るも、フランクが居る場所からは大木が視界を遮るため、彼らの視線の先を見ることは出来ない。

 仕方なさげに肩を竦める……と、騎士の一人がフランクの元へと近づいて来た。


「なあ、おい。あそこに姫様らしき人が、居るんだけど……」

「────え?」


 思いがけないその言葉に、フランクは耳を疑った。

 そんなはずはない。アリシアは食事の間でディクソンと会食をしているはずだ。

 フランクは瞳を大きく開き、食事の間へと視線を向ける。


「……っ……!……」


 食事の間の出入り口には、変わらず赤の騎士が中を隠すように、並んで立っている。

 赤の騎士の平然とした表情はけれど、何処か笑っているようにも見えた。

 フランクは悔しそうに口の端を噛みしめる。


「……何処だ」


 騎士の示す場所を確かめる為に、フランクはその場を離れた。

 騎士は、フランクを案内するように先を歩く。程なくして、渡り廊下へと続く通路の……少し大きめの窓の前に立つと


「……ああ。ほら、あそこ」


 そう言って指を差した。騎士の指先を辿るようにフランクが視線を動かす。そこは、庭園の傍の回廊だった。視界に入ったのは、赤の騎士と共に歩いている女性の姿……。騎士の陰に隠れて、その姿はハッキリとは映し出されない。

 けれど、時折揺れて見えるドレスの色には確りとした記憶があった。

 そう……淡いラベンダーの……優しい色。


「──!!──」


 フランクの表情が驚愕に染まった。

 どうしてアリシアが、あそこに居るんだ。食事の間でディクソンと居るんじゃないのか。

 フランクは、我を忘れてしまいそうな自身を押さえつけるように、こめかみに掌を押し付けた。


「あの道は……」


 フランクは、二人が歩く道の逆方向へと視線を辿る。

 程なくして視界に入るのは、食事の間の厨房に入るための通用口。料理の材料は、その通用口から運搬される。料理人も、そこから出入りするのだ。

 厨房は勿論食事の間に繋がっている……。

 フランクの脳裏に、一つの結論が浮かび上がった。というよりも、それ以外の結論は、考えられなかった。


「……やられた……」


 フランクの表情から、色が消えていく。

 アリシアは、あの場所から連れ出されたのだ。

 呟きは掠れがちな……微かな音。


 次の瞬間、フランクは全力で駆け出していた────。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ