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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
それからの空
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<1>あなたを想う

 窓から強い日差しが部屋へと差し込んでいた。

 眩しすぎる程の光は、深い影を生む。光と影がはっきりと分かれた王女の間。眠れない身体を休めるように、アリシアはベッドの上で横になっていた。

 ベッドには天蓋からカーテンが掛けられているものの、今は閉じられてはいなかった。


「今日の日差しも凄いわね……」


 アリシアは、横になったまま虚ろな眼差しを窓へ向けると、感心したように息を吐く。

 やがて、ゆっくりと重たげな身体を起こし、カーテンを閉めるべく窓際へと向かった。

 と、窓の向こう……自然と庭園へ視線が落ちる。


「……今……どの辺りなのかしら……」


 彩り鮮やかな花々を、遠くから見つめる。

 強い日差しが色を反射するからか、庭園は少し霞んで見えた。

 眩しげに瞳を細めながら……アリシアが思い描いたのは、たった一人。

 ──深い海の色を髪に宿した、涼しげな眼差しのその人。

 予定通りならばスタンリーが出発した朝に、彼もフォゼスタを出発している。

 だとすれば、既に国内の何処かに居る筈だった。


「どうか……無事で……──」


 アリシアの言葉は、祈るような声に乗る。指先に触れるカーテンをそっとなぞると、その布地を握りしめた。

 昨日も暑い一日だった。連日このような天気の中歩き続けているのなら、体力の消耗も激しいだろう。

 道中、ちゃんと休憩は取れているのだろうか。無理して強行してやしないだろうか。……不安は募るばかりだ。

 けれど……。


「駄目ね……。なんだかソワソワしちゃう……」


 気持ちは不安だけではなかった。二人の距離が近づいている……。そう思うだけで落ち着かない。

 地に足がついていないような……フワフワした気分の自身が居る。


「いけないわ……不謹慎よ私」


 アリシアは、自身の両の頬を両手でパシンと軽く叩いた。気を引き締める為だ。

 そして、漸く日差しを和らげるためにカーテンを閉めた。

 ──その時。


「失礼いたします」


 規則正しいノックの音の後……二人の侍女が、衣類や小物を持って入ってくる。

 アリシアは、二人を視界に認めると小さく肩を落とした。


「……どうぞ」


 二人に声を掛けると、アリシアは二人に向かって歩き出す。

 この日の昼食は、ディクソンと会食をする事になったらしい。

 二人の侍女がこの部屋を訪れたのは、勿論会食の為のアリシアの身支度だ。

 二人は無言のまま、着々とアリシアを飾り付けていく。

 アリシアは、最初から諦めているのか、二人の侍女にされるがまま細く息を吐き、指先を頬に添えた。

 ガラスの破片でアリシアの頬についた傷は、既に跡形も無かった。元々傷が浅かった事もあるし、レイアの娘の回復力もある。

 あの日、ミルクをアリシアに持ってきたロザリーに、これといった咎めは無い。

 ミルクに薬を入れる瞬間を誰も見ていないのだから、証拠が無いという理由だ。

 侍女長である彼女はディクソンと親しい間柄にあるのだと、アリシアは後日フランクから聞いた。

 あの時の、アリシアを気遣うような仕草も、落ち着いた柔らかさを醸し出す笑みも、ディクソンの為の偽りだったという事なのだろう。

 あの日以降、ロザリーがアリシアを訪ねてくる事が無いのだから。


「……整いました。ごゆっくり行ってらっしゃいませ」


 抑揚のない……機械的な侍女の言葉が部屋に響く。

 声を受け取ったアリシアは、侍女に苦みの混ざった笑みを向けて、歩き出した。

 相変わらず侍女たちは、表情が無い。同じ無表情でも、クリスとは大違いだ。

 そのまま、侍女が開いた扉の向こうへと歩み出る。


「姫様……」


 扉の向こうには、フランクが居た。

 ディクソンの傭兵を近付けさせない為のクリスの配慮で、アリシアにはクリスとフランクが交替でアリシアの警護に当たっている。今の時間は、フランクがアリシアの担当という事なのだろう。

 フランクはアリシアの姿を視界に映し出した途端、顔を紅潮させる。

 アリシアは、フランクの表情に苦笑しつつ肩を竦めた。


「……ディクソンと、会食らしいわ」

「あ……はい。先程私も……伺いました……」


 そう言いながら、フランクの視線はあちこちに彷徨う。

 何処を見れば良いのか、分からないようだった。

 アリシアが身に纏うのは、淡いラベンダー色のドレス。

 胸下にある、細かな刺繍の施されたレースのリボンで切り替えられたスカートは、柔らかな薄布を幾重にも重ねたもの。流れるようなラインが優しい印象を与える。

 胸から上は、細い肩紐があるだけで、白い肌が露になっていた。

 きちんと結い上げられたアリシアの銀の髪は、白の花飾りが添えられている。

 光を受けて仄かに色付く髪と白の飾りが重なり、時折淡く輝いた。

 甘くも気品漂うアリシアの姿が、そこに在る。


「会食の度にこれじゃ……食べる前に疲れちゃうわね」


 困ったように微笑むと、アリシアはフランクの傍へと歩み寄る。

 フランクは淡く頬を染めたまま、アリシアをエスコートすべく、おずおずと掌を差し出した。


「よろしくお願いします」


 アリシアは、その掌に自身の指先を乗せると軽くお辞儀を。

 照れくさそうに俯くフランクは、アリシアの声に顔を上げるけれど。

 慌てた様にお辞儀を返し、僅か視線を逸らす。

 そうしたまま、ぎこちなく歩き出した。







「姫様……。そう言えば、あれから眠れていますか?」


 それは、控えの間を抜けてしばらく歩いた頃。

 フランクが申し訳なさげに、アリシアに声を掛けた。

 フランクは、あの夜アリシアをジェイクに奪われたことを、今でも悔やんでいる。加えて、クリスにアリシアが眠れないという事を聞いてしまっていた。

 その事でフランクの胸は、更に痛むこととなる。


「……フランクは、優しいのね」


 その声に、きょとんとした表情でフランクを見上げたアリシアは、気遣うような眼差しの優しい青年に笑みを浮かべた。

 ……やはり似ている。重なる雰囲気……遠い人へと思いを馳せた。


「有難う……大丈夫よ。ちゃんと身体は休んでるわ。眠れないのはフランク達の方じゃない?」


 そう告げると、アリシアは逆に気遣うようにフランクの表情を覗き見る。

 外からの攻撃に備えなくてはならない緊迫したこの状況で、アリシアの警護をたった二人で担当しているのだ。

 他の騎士に較べれば、負担を多く強いられているに違いない。


「私は、それなりに鍛えられておりますから」

「あら……。私だって、そんなに身体弱くないわよ?」


 アリシアの言葉に、フランクは大丈夫だとでも言うように胸元に掌を当てつつ、声を返す。

 その声に、大きく瞳を瞬かせると、アリシアもフランクを真似るように自身の胸元に掌を当てた。浮かべた表情は、何処か楽しげ。


「…………」


 まさか、アリシアが自身を真似ると思っていなかったフランクは、アリシアの表情……仕草に、きょとんと……表情が止まる。

 やがて、クスクスと笑い出し


「姫様には敵いませんね」

「……? 私、何か可笑しな事言った?」

「いいえ。可笑しな事など、何一つございませんよ」


 そう言いながら、弾む声をアリシアに向ける。

 どうしてだろう。自身を真似ただけの何気ない仕草が、こんなにも胸の痛みを和らげ……温もりすら覚える。

 フランクが浮かべた笑みは、敬愛のようなものも織り交ざる。穏やかな……木漏れ日のような笑み。

 アリシアは不思議そうにフランクを見上げるも、その笑みの優しさに釣られるように小さく笑った。




「……姫様。何かあったら、直ぐに私をお呼びください」


 その言葉は、二人が食事の間に辿り着く少し前に、フランクから紡がれた言葉。

 普段、食事の間の出入り口に常駐している騎士は一人だ。

 しかし、今日は三人もの赤の騎士が出入り口に立っていた。三人の騎士が入口を塞ぐように立っている為、食事の間の中はまるで見えなくなっている。

 ……何かあるかもしれない。

 フランクは胸の奥にざわめくものを感じていた。

 それは、触れ合う指先からアリシアにも伝わる。

 アリシアは、フランクを見上げる事無く小さく頷いた。


「……行ってきます」


 言葉は少し震えただろうか。それでも、覚悟を決めたアリシアの眼差しは、真っ直ぐに食事の間へと。

 ……ゆっくりとフランクから指先を離すと、一度だけ笑みを向けた。


「……お気をつけて……行ってらっしゃいませ」


 向けられた笑み。銀の前髪が新緑の瞳の上で揺れた。

 柔らかく細められる眼差しは、ほんの少し心細げで……それでいて凛とした輝きを失ってはいない。

 フランクは、離れていく指の温もりが名残惜しくて……向けられた笑みが眩しくて……。表情を隠すように一礼をするのが精一杯だった。

 顔を上げたフランクの瞳に映ったのは、道を開けた赤の騎士の間を入っていくアリシアの後姿。

 流れるようなラベンダーのドレスの甘く優しい色を、瞳に焼き付けるように見つめ続けた。




「おお、姫様……!……。今日のお姿も……お美しい」


 あの日と同じように、ディクソンは先に食事の間に到着していた。アリシアが入ってくるなり、歓喜の声を上げる。まるで、あの夜の事など無かったかのように。

 アリシアはディクソンを視界の中で認めると、口元を引き結んだ。


「今日のドレスも私が見立てたものです。あの日の艶やかなお姿も素晴らしいですが、今日の甘く清楚なお姿も素晴らしい」


 ディクソンは浮かれた様子で喋りかけながら、アリシアに歩み寄る。

 弾む足取り……。

 アリシアはその様子に頭を痛めるのか、こめかみに指を添え……肩を落とした。


「……早く、始めましょう……」


 ディクソンがアリシアの元へ辿り着くその前に、アリシアはテーブルへと歩き出す。

 動き出したアリシアに、思わず立ち止まってしまったディクソンの傍を横切ると、アリシアは早々に与えられた自身の席に着いた。

 マナーがなっていない事は、重々承知だ。しかし、今のアリシアにとって、そんな事は問題ではない。

 ディクソンは、先に席に着いたアリシアの後姿に苦笑しつつも、舐めるように見つめた。

 淡く色付く銀の髪から、うなじを通って流れるような曲線。

 ──口の端が妖しく歪む。



 ディクソンは、アリシアの姿を視界に収めたまま……ゆっくりとテーブルへ歩みを進めた。


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