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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
終末の風
52/69

<5>動揺の渦

 王宮は、俄かに慌ただしくなって来ていた。

 足早に行き交う人々の音が、絶え間無い。スタンリーら遠征軍が王宮を離れ……騎士が少なくなっているのなら、寧ろ静かになるのが普通ではないだろうか。

 王家の間にある王女の部屋で、眠れないまでもベッドの上で横になっていたアリシアだったが、徐々に大きくなっていく喧騒が気になるのか……ゆっくりと起き上がる。

 庭園から戻ってどれくらい経ったのだろう。歩みは外の景色が見える窓へと向かう。

 カーテンに手を掛けると、そっと外の景色を覗いた。


「あれ……陽が落ちてる……」


 言葉はぼんやりとした口調に乗せて。

 窓から見える景色は、既に夜の世界だった。眼前の景色にアリシアは呆然とする。こんなにも時間が過ぎていたとは、思ってもみなかった。

 アリシアは寝間着の上から軽く上着を羽織ると、部屋の出入り口へと足を運び……緩やかに扉を開いた。


「──何か」


 視界の中に真っ先に飛び込んできたのは、黒髪の青年……クリスだ。

 長身を折り曲げるように屈めると、アリシアへと視線を向ける。

 アリシアは瞳を大きく瞬かせた。


「ずっと……居てくれたの?」

「傍に居ると申しましたが」


 アリシアの声に、顔色一つ変えずにクリスは淡々と言葉を返す。

 アリシアは恐縮したように肩を竦め


「こんな時間まで居てくれるとは、思ってなくて……」

「……これからは、姫様の傍には必ず私が居ます」

「え……?」

「傭兵は近付けさせません。ご安心を」

「……あ……」


 その言葉は、周囲に聞こえないような小さな音で。

 アリシアは両手で口元を覆うと、驚いたようにクリスを見上げた。アリシアが傭兵部隊を前に、不安な表情をしていた事をクリスは憶えていたのだ。

 無論……クリスとしても、ディクソンの息のかかった者をアリシアに近付けるつもりは無かったが。


「でも……それじゃクリスの身体が持たないわ」

「私がそんな軟弱に見えますか」

「そうじゃないけど……貴方護衛隊長でしょう? 他にも仕事があるじゃない」


 淡々と言葉を続けるクリスに、アリシアは首を大きく横に振る。

 ……銀の髪が柔らかく揺れた。

 向けた言葉はまるで懇願するような口調。

 ──クリスは細く息を吐いた。


「……貴女を護る以上に、大切な仕事など無いのですが……」


 呟くようにそう告げると、クリスはチラリとアリシアを見下ろす。

 ……何故だろう。叱られているような気がして、アリシアは身を縮めた。


「──では、私とフランクの二人で交代します。それなら問題無いでしょう」


 その言葉に。アリシアは安堵の笑みを浮かべる。

 それをクリスに向けると


「有難う。……よろしくお願いします」


 謝辞。そして深々とお辞儀を。

 ……クリスの表情が止まった。


「……可笑しなお方だ……」

「……え?……」


 ややあって、呟く言葉は酷く小さな声で。

 周囲の喧騒に紛れるその音は、アリシアには届かない。

 聞き返すアリシアの声に、クリスは答えを返さず……逆に問い掛けを。


「……何か用事があったのでは?」

「あ……そうじゃなくて。なんだか騒がしいから……どうしたのかと思って」

「…………」


 アリシアの言葉に、クリスは黙り込む。

 相変わらずの無表情は、アリシアが訝しげに見上げても何一つ変わらず。

 ……再び声を掛けた。


「……クリス?」

「……入室許可を頂けますか」


 それは、低く……静かな声。アリシアにだけ届けば良い言葉。

 アリシアは、何事かと首を傾げるけれど……ゆっくりと頷き、クリスを招き入れるように部屋の中へと後退する。

 通常、王家の間にある各部屋に入れる人物は、主人の身の回りの世話をする侍女だけだ。それも主人が部屋の中に居る場合に限られる。

 護衛隊の騎士は、緊急時以外の入室を認められていない。

 故に、クリスは部屋の主人であるアリシアに入室の許可を求めたのだ。

 ──閉じられる扉。

 部屋の中へと入ったクリスがアリシアと対峙する。


「……どうしたの……?」


 再びアリシアが問いかける。わざわざ部屋の中に入ったという事は、外に漏れてはいけない何かがあるという事。

 クリスを見上げるアリシアの表情が不安げに変わった。新緑の瞳が揺れる……。

 けれど、その瞳に映し出されるクリスの表情は相変わらず。

 ──徐にクリスが口を開いた。


「……ルデカ地区で内乱が勃発しました」


 ──その言葉に。

 アリシアの瞳が大きく開いた。


「…………ルデカ……?……」

「当初、今居る騎士だけで対応に当たっていましたが、その勢いは留まらず……急遽フォゼスタ遠征軍を呼び戻す事になりました」

「…………」

「慌ただしいのは騎士団長不在の中で、内乱の対応に追われているからです」


 そこまでを告げると、クリスはアリシアを見つめた。揺れる新緑の眼差し……明らかに動揺が見て取れる。

 ルデカ地区は、アリシアにとって一番大切な場所だ。幼少の頃を王子と二人で過ごした王家の別邸がある。

 ……内乱が起きる事をアリシアは知っていた。事前に情報を手にしていたからだ。けれど、よりによってルデカ地区とは……。

 アリシアは顔を伏せつつ、胸元の服をギュ……と握りしめた。


「……ルデカ地区で挙兵があっただけで、そこが戦場になったわけではありません」


 アリシアの胸の内を察したのだろう。クリスが告げた言葉は、アリシアを宥めるような……。

 淡々と告げられるその声に、アリシアはクリスを見上げた。


「……どうしてルデカ地区なの……?」

「……それは……」


 アリシアの問いかけに、クリスは珍しく答えを言い淀む。

 ……考えるように視線を逸らした。


「……クリス?」

 いつもと違うクリスの様子に、アリシアは問い詰めるように声を重ねる。

 ややあって、クリスは細く息を吐き……慎重に、言葉を声に乗せた。


「…………内乱の首謀者は、王位継承の腕輪を持つ者だそうです」

「────!────」


 刹那────アリシアの表情が驚愕に包まれる。

 王位継承の腕輪を持つ者……。即ちそれは、王位を継ぐ者だ。

 サマーシア国内で王位を継げる者……アリシアが思い描く人物は──たった一人しかいない。


「……っ……!……」


 弾かれたようにアリシアの身体が動き出す。扉へと走り出した。

 けれど、伸ばされるクリスの長い腕がアリシアの細い腕を捕まえる。

 アリシアはその先に進めない。


「──どちらへ?」


 無機質な声。──アリシアの腕は捕まえたまま。

 アリシアは振り返り、クリスを見上げた。


「……会いたい……」


 思い詰めた表情でアリシアが返した言葉は、たったそれだけ。

 何処へとも……誰にとも言わない。

 けれど、クリスの問い掛けの答えとしては、その言葉だけで十分だった。


「無茶です。戦場に乗り込む気ですか」

「だって……お兄様かもしれない。……そうでしょう?」


 アリシアを制止する為か、クリスが向けたのは睨み付けるような鋭い眼差し。

 けれど、アリシアがそれに怯む事は無かった。

 ……兄が生きているかもしれない……そう思うと胸がざわつく。

 じっとなんてしていられない──。


「たった一人の……兄なの……大切な……」

「……存じております」


 王子と王女の仲の良さ……それは王宮の誰もが知るところだ。小さな頃から二人だけの生活……二人だけの世界。

 王子が居たから、王女は辛くても笑顔でいられた。

 王子もまた……王女が居たからこそ強くなれた。

 お互いがお互いを思い……支え合っていた。あれほど絆の強い兄妹は、他には居ないだろう。

 けれどクリスは、アリシアに鋭い眼差しを向けたまま言葉を続ける。


「酷な事を申しますが……」


 言葉が此処で途切れ──逡巡するように僅か視線を外す。

 けれどそれは一瞬の事。再びアリシアへと視線を戻すと


「王太子殿下の埋葬の儀式には、王国騎士団全員が参加しました。私も、安らかに眠っておられる殿下と対面しております」

「…………」

「その者は、姫様が知っている殿下ではございません」


 ハッキリと告げるクリスの言葉……声。

 一縷の可能性すら否定するそれは、酷く無機質なもの。

 それでも、アリシアの勢いは止まらない。心が乱れる。──まるでそれは嵐。

 ──諦めたくない。どんな可能性でも良い。

 アリシアは大きく首を横に振る。何度も……何度も……。


「じゃあ、誰なの!? 腕輪を持ってるのよ? お兄様以外に腕輪を持てる人が居る!?」

「姫様」

「……手を離して」

「離しません」


 アリシアの激しい叫びも、懇願の声も……。クリスは全て冷たく跳ね除ける。

 けれど僅か……その表情が揺れた。

 アリシアは切なげに瞳を細める。


「……お願い……」

「──落ち着いてください」


 クリスは、腕を引き……自身へと寄せるアリシアの細い両肩を、大きな両手で捕まえる。

 身体を折り曲げアリシアの表情を覗き込むと


「貴女に何かあったら、私は生きていられません」


 ──強く。……強く……抱き締めた。


「……クリ……ス……?……」


 それは刹那の出来事で。……あまりにも突然で。

 何が起きたのだろう……アリシアの身体が硬直する。

 ……頭が真っ白になる。


「私が大切に思うのは、貴女だけです。王子かどうかわからない奴なんて、どうでもいい」

「…………」

「この手は離さない。──決して」


 言葉は、確かな意思を持った強い音。けれど、激情に任せて叫ぶわけではない。

 寧ろ……何かを押し殺すような声。アリシアを抱き締める腕が、震える。

 その小刻みな振動を……アリシアは感じていた。

 身体が密着しているからだろう。クリスの胸の鼓動が、直接頭に響く。

 アリシアは緩やかに──瞳を閉じた。


 トクン……トクン……。


 ──鼓動に合わせるように、呼吸をする。

 やや早く波打っていたクリスの鼓動は、少しずつ緩やかに……規則的なものへと変わっていく。

 それに釣られるようにアリシアの呼吸も緩やかに……規則的に……。

 呼吸が落ち着いた頃……アリシアの嵐は過ぎ去っていた。


「…………クリス…………」

「……落ち着きましたか」


 アリシアの声に応えるのは、色を成さないクリスの声。

 けれど何故だろう……いつになく穏やかに響く。

 アリシアは、クリスの腕の中でゆっくりと頷いた。


「取り乱してしまって……ごめんなさい。貴方を困らせるつもりはなくて……」

「わかっています」


 弱々しく告げる言葉。

 アリシアは、静かに瞳を開くと、申し訳なさげにクリスを見上げた。

 その声に、クリスは安堵した様に細く息を吐く。


「この話をすれば姫様が動揺する事は、わかっていました」


 だから、部屋の中に入ったのだ。アリシアの取り乱した姿など、赤の騎士に見られるわけにはいかない。ディクソンに弱みを握られるだけだ。

 所謂クリスの思う通りの行動を取ってしまったアリシアは、自嘲気味の息を漏らす。


「……駄目ね……弱くて……」

「他ならぬ殿下に関わる事です。姫様が平静で居られるはずがありません」


 アリシアを宥めるような言葉。

 それを告げるとクリスはアリシアを抱く腕の力をゆっくりと緩める。


「言ったでしょう? 姫様はそのままで。後のことは、お任せください」


 そう言葉を続けると、その身体を手放した。


「……頼もしいのね」


 アリシアに向けられる言葉は、どれも淡々としていて無表情。

 なのにどうしてだろう……。こんなにも穏やかになれるのは。

 アリシアは自身の胸に指先を当てると、温もりを感じるように瞳を閉じた。


「……有難う……」


 ゆっくりと声にした言葉は、クリスへ。──心からの感謝を込めて。

 優しく響くその声に、クリスは僅か頬を染める。


 けれど、瞳を閉じたままのアリシアがその姿を見る事は叶わなかった。


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