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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
はじまりの風景
5/69

<5>波乱の幕開け

 ──嵐の予感がした。

 薄雲から差し込む月の光はあまりにも弱く。険しい山道を強行するには、足元がおぼつかない。

 ……それでも、行かなくては。

 ──我先にと逸る気持ちを抑え込む。


「……殿下……。追手が来ています」


 背後を守るように走る数人の騎士の一人が、前を行く少年に声を掛ける。

 殿下と呼ばれた少年は、その声に一瞬立ち止まり、振り返る。

 穏やかな……優しい顔立ちの、その表情に僅か驚愕の色が見えた。


「……追手?……どういう事だ……まさか……」


 遠く……小さく見える明かり。

 大人と子供の体格の差、体力の差を考えれば追い付かれるのは時間の問題か。それでもまだ距離はあるが。

 少年は、ある種の不安を覚えながらも再び走り出す。


「……大丈夫か?」


 少年は自身より少し先を行く少女へと声を向ける。

 夜の中、目立たないような黒い服。フードを深く被ったその少女は、コクリと小さく頷いた。


「……すまないな。……急ごう」


 少年が告げると、一行は静かに頷き。闇の中に紛れるように走り出す。

 ……雲の動きが早い。大気が大きく動いているのを肌で感じた。

 程なく月は厚い雲に覆われてしまうだろう。

 深い闇が夜を支配する前に――早く――早く――。


「……くそっ……」


 気持ちばかりが先走って、思うように足が進まない。いや、進んではいるのだろうが、進んでいる気がしない。

 足が酷く重く感じる。……少年は苛立ちを隠しきれずにいた。

 ──ポツリ――何か冷たいものが一粒……頬に落ちる。

 頬に指先を当てようとしたその時──。


「殿下!!」

「……わかっている」


 幾重にも重なる足音が、勢いよく響いてくる。一体追手は何人なのか。

 向こうもこちらの姿は、既に確認出来ているだろう。

 ……ポタリ……。

 頬を伝うのは雨か──汗か──。

 既に闇は深い。明かりを持たず、月明かりだけが頼りだった視界に先を見通す光は無かった。追い打ちをかけるように──雨。

 形勢はこの上なく危うい。

 不意に……勢いよく水の流れる音が聞こえてくる。……水音?


「──!!──しまった!──」


 崖だ。どこで道を間違えたのか。聞こえた水音は、まるで空から降ってきているかのような豪快な滝の音。

 少年ら一行は、その場で立ち尽くすほか術がなかった。

「殿下……こんな夜更けに、どちらへお出かけですか?」

 背後から、幾人もの気配。そして……声。少年は、ゆっくりと声のする方へと向き直る。


「……ディクソン……」


 幾人もの兵士を従え、一行の中央に居る……そう呼ばれた男は、赤い瞳を細め……口角をククッと上げながら、ニヤリと笑った。

 年の頃は三〇後半だろうか。細身で中背の男だ。肩まで伸びた白髪は、降り出した雨にしっとりと濡れていた。

 ディクソンは周囲を見回すと、少年の奥……闇に紛れる様に立つ少女を見定める。


「……アリシア様も御一緒でしたか……。今日は具合が悪いのでしょう? そんな体でお出かけになるとは……。さ……姫。そちらは崖です。危ないですのでこちらへ」


 告げると、ゆっくり腕を差し伸ばした。

 ビクッ……その言葉に少女は大きく肩を揺らす。

 少年は、少女を庇うように片手を横へ広げた。少年を守るように騎士たちが横に付く。


「お前……どうして私達を追って来たんだ? しかも、その兵士たちは何だ?……見た所わが国の兵士ではなさそうだが……」

「彼らは、私が雇った傭兵です。皆さん修羅場を掻い潜ってきた兵達ですよ。果たして……うちの騎士たちに相手が務まりますかね……」


 ディクソンは質問の答えを半分しか答えない。

 まるで、もう一つの答えは言う必要が無いという素振り。

 少年は、ゆっくりと移動し、少女を完全に自身の背後へと隠した。


「……アリシアには指一本触れさせない……」

「殿下……。何を仰っているのですか? 姫は将来、私の妻となる御方ですよ?」


 ディクソンは少年の言葉に指先を顎に触れさせながら、さも不思議そうに首を傾げる。少年はキッ……とディクソンを睨みつけ


「何をバカなことを……!お前には妻も子も居るではないか!」

「……ああ……その事でしたか……。私の妻はつい先日、自宅のバルコニーから転落しましてね……。息を引き取ったのですよ……」

「なんだと……!?」

「手すりが、古くなって弱くなっていたのでしょう……。悲しい出来事でした。……美しい姫。私を慰めてくださいますね?」


 悲しいと言いながら、声はまるで歌うように。言葉と表情が裏腹だ。

 妻はおそらく殺されたに違いない。

 親子程の年の差の……アリシアを手に入れるために。


「……狂ってる……」

「殿下……。人聞きの悪いことを仰らないでください。……ああ、そうそう。殿下には一つ、お聞きしておかなくてはならない事がありました」


 言いながらディクソンは懐から紙切れを取り出し、少年の眼前にそれを広げた。赤い文字で、ゆらゆらと揺れるようなその字体……赤は、血の色だった。それは、降り続く雨にじわじわと滲んでいく。

 少年は、それを見て一瞬言葉を失った。


「……ディクソン……貴様……父を……」

「ええ。ちょっと懲らしめさせて頂きました。姫との婚姻も政策も同意して下さらないので」

「国王を殺したというのか!!」


 顔色一つ変えず平然と言い放つその姿に、少年は怒りを隠さない。自然と、片手が腰に刺さる剣へと向かう。


「まさか。殺したのは貴方ですよ? 王子。父である王を殺した……殿下。反逆の罪で処罰せねばなりません」

「……バカな……」

「ですが、その前に……これです。王位継承の腕輪は何処です? 貴方ならご存知でしょう?」

「フ……。私が知るわけないだろう? それに父が遺した最期の言葉だ……。私が死んでも守り抜く。アリシアも渡さない」


 アリシア。その言葉にディクソンは過敏に反応した。先程までの平然とした表情とは一転。逆上したように、少年の背後に隠れる少女に怒鳴りつける。


「姫!! 早くこちらに来るのです!!」

「アリシアに手を出すな!!」


 そう言って、少年が腰から剣を抜いた刹那──。


 ──ドスン──


 少年の胸元に大きな衝撃が走った。少年はその勢いで後ろへ倒れそうになる。

 抜いた剣は、ディクソンに向けられることなく地面に転がった。


「殿下!!」


 傍に居た騎士が少年を支えた。残り数名の騎士は、ディクソンへと剣を向けるも、背後に控えていた兵士……傭兵が立ち塞がる。

 戦闘が始まるのは時間の問題だった。

 ──キィン……──

 剣と剣が重なり、音が響く。降り出した雨の中視界は悪く、足場も悪くなるだろう。実戦経験の差から考えても傭兵の方が圧倒的に有利。

 身のこなしや、剣捌き……そして数でさえも……差は歴然だった。


「くそっ……」


 ……少年の胸には矢が刺さっていた。

 少女は目の前に繰り広げられる光景が衝撃だったのか……たじろぐように数歩後ろへ後退した。

 そうして……それは、不意の出来事だった。

 後退した少女が足を下ろす場所が……無かった。


「……!!……」

「……姫っ!」


 ディクソンが叫んだのと、騎士が叫んだのは同時だっただろうか。

 ──後ろは崖だ。少女は一瞬のうちにその場から姿を消した。谷底へ落ちたのだ。

 ディクソンの表情から一気に血の気が失せる。後ろに居た傭兵に叫んだ。


「姫を!!……早く姫を助けるのです!!」

「アリ……シア……?」

 少年はその名を呟くと、酷く柔らかな笑みを浮かべた。

 ディクソンは苛立ちを隠そうともせず少年に怒鳴りつける。


「早く腕輪の場所を言うのです!」

「……父上も、粋な遺言を遺したな……。腕輪の場所は知らない。王宮の何処かに……あるんだろう。あれが無いと王位につけない……。王になれない……」

「黙りなさい!」


 言いながら、ディクソンは少年が落とした剣を拾い上げた。少年を支えていた騎士も、少年を守るよう剣を抜く。

 それを見たディクソンの傍の兵士が素早く剣を向け立ち塞がった。程なくして二人は剣を重ね合う。

 雨の中……キィン……キィン…剣の音が小さく響く。

 そんな場所と二人が対峙している空間は、すぐ傍の筈なのに……まるで切り離されているかのような別世界だった。

「腕輪の場所だけを言いなさい!!」

「私は死なない……此処でお前に倒されても……この顔で……この姿で……必ずまた現れる……」

「──黙れっ!」

「殿下っ!!」


 ――ザシュッ――


 ディクソンの振りかざした剣が少年の肩から腰までを斜めに切り裂いた。

 少年は、なす術もなく後方へ倒れていく。

 その場だけ時間がゆっくりと過ぎていくような……不思議な感覚だった。


「アリシア……愛し……てる……可愛い…………いも……うと……」


 途切れがちに紡がれる呟きは……雨の音と溶け合い消えていく。


 ──ドサッ……──


 少年の身体が地面で動かなくなった頃、周囲の戦闘も終わっていた。静けさの中、雨音だけが空間を支配する。


「……忌々しい。親子揃って不可解な言葉を遺しおって……。この姿で現れるだと……?」


 言いながら、ディクソンは少年の腹部を踏みつける。暫くすると聞こえてきたのは、此方へと向かってくる足音。

 ディクソンはすぐさま其方へと視線を向け


「姫は!? どうなったのですか!」


 問われた傭兵は、首を大きく横に振った。


「……ディクソン様。あの谷底へ落ちれば、もう生きてはいないかと。お姿が上がることも難しいでしょう……」

「……おお……姫。……我が妻よ……」


 ディクソンは、その言葉にガクリと膝を落とし、暫くその場から動けずにいた。ディクソンの背を大粒の雨が打ち付ける。ディクソンは全身を震わせて泣いていた。

 ……やがて、ゆらりと立ち上がり。


「……戻りましょう。腕輪を探さなくては……」


 呟くようにそう告げると。ゆらゆらと山を下りて行った。

 ハラリ……ディクソンが去った後、血文字の紙が残される。


 ──その文字は既に雨に流されて、読むことは叶わなかった。


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