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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
終末の風
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<2>黒髪の青年

 スタンリーが旅立った後の王宮は、それまでとは一変していた。警護として配置されている騎士の数が、圧倒的に少ない。それだけ多くの騎士が、旅立って行ったという事なのだが。

 配置される騎士もそれまでとは違っている。今まで王国騎士団が警備に立っていた場所に、ディクソンの傭兵部隊が立っているのだ。

 王家の間ですら……それは例外ではなかった。

 そこは王家の間入る前に、必ず通る控えの間。

 食事の間での朝食を食べ終えたアリシアが、その場所に入るのを躊躇するように立ち止まる。居る筈のない赤の騎士……傭兵部隊が控えの間に立っていたのだ。

 部屋を出る時は、普段通り……王国騎士団の深緑の騎士服に、銀の肩章を付けた騎士がそこに居た。

 という事は、アリシアが食事をしている間に勤務を交替したという事だろう。

 別に、傭兵イコール悪者という訳ではない。問題なのは、この者たちがディクソンに雇われているという事だ。何を指示されて、そこに立っているのか分からない。……想像もつかない。

 アリシアは、不安を振り払うように軽く首を横に振った。

 控えに間に立つ赤の騎士の一人が、アリシアに気付いてお辞儀を向ける。……珍しいものでも見るような、好奇な眼差し。

 普段見る事の無い王女の姿を、間近に見ているのだ。色めき立つのも、仕方がないのかもしれない。

 向けられたお辞儀に軽く礼を返す。──視線が重なってしまった。これ以上立ち止まったままでいたら、返って変に思われるだけだろう。

 アリシアは意を決した様に、ゆっくりと一歩を踏み出した。

 ────その時だった。


「姫様」


 背後からアリシアを呼ぶ声。直ぐにそれが誰のものなのか……分かった。

 アリシアが、その声に誘われるように振り返る。

 ……何の色も表さない……無機質な音。視界に入る──その人。


「……クリス」


 艶やかな黒髪の長身の青年が、アリシアの元へと歩いて来ていた。不安に強張っていたアリシアの表情は、途端に安堵するように淡い笑みに変わる。

 アリシアの表情の変化に、クリスの無機質な表情が僅か止まった。アリシアに向かう歩みは、知らず足早になっていく。

「……申し訳ありません」


 アリシアの傍に着くなり謝罪を述べるクリスに、アリシアは軽く首を傾げた。


「どうして謝るの?」

「……不安にさせました」

「あ……うん……。ちょっとビックリしちゃった……」


 そうしてアリシアが浮かべた笑みには、戸惑いの色が織り交ざる。無理もない。王家の間で生活するアリシアには、傭兵部隊との接点がまるで無い。

 遠くから見る事はあっても、こんな風に身近に接する事など、今までなら有り得なかった。

 ましてやディクソンの私兵……身構えるのは当然の話だ。


「フォゼスタの遠征部隊が戻ってくるまでの間……彼らも王家の間に配属されるようになりました」

「そうだったの……」

「団長率いる遠征部隊は、今朝早くに出発しております」

「ええ……それは知ってるわ」


 クリスの言葉に、アリシアが頷いた。

 王宮を出るスタンリー遠征部隊の大きな歓声は、遠く離れた王家の間……アリシアの部屋にも届いていた。

 アリシアの部屋から、王宮の玄関は見えない。それでもアリシアはその時間……見送るように部屋の窓から景色を眺めていた。


「無事に……帰ってくるでしょう?」


 アリシアの言葉は、願いに似ていた。クリスを見上げるアリシアの表情は笑みだったけれど、新緑の瞳が切なげに揺れる。

 それをじっと見つめるクリスの瞳が、静かに閉じられた。


「──クリス?」

「…………少し歩きましょう」


 アリシアの問い掛けには、何一つ答えを返さない。

 クリスは瞼を開きながら静かに声をアリシアに下ろすと、踵を返し歩き出す。

 歩みがいつもより遅いのは、後ろを歩くであろうアリシアの速度を考慮しての事だろう。

 アリシアは、先を進むクリスを追いかけるように歩き出す。

 その距離を縮めるためか、歩みはやや足早だった──。







 強し陽射しが、突き刺すように大地を照らしていた。落ちる影が、より一層色濃く感じる。

 肌に触れた光は、熱さより痛みを感じるような鋭さ。──暑い一日になりそうな……そんな予感がした。

 あまりの眩しさにアリシアは、額に添えた掌で影を作りながら、クリスの後を歩いていた。


「久しぶり……」


 懐かしむように呟く声は、色鮮やかに咲き誇る花々を目の当たりにするから。

 到着した場所は、王宮の中にある庭園。王の執務室からも、この場所が見える。

 王は、執務室の窓から見るこの場所が好きだった。

 アリシアは、クリスの横をすり抜ける。弾む足取りは、庭園の花々の傍へと──。


「私も……此処の花が大好きだったわ」

「……存じております」


 アリシアの言葉は何処か感慨深げで。花を見る眼差しも、何処か遠くを見ているように浮いていた。

 クリスはアリシアの穏やかな声に、冷めた声で頷いた。

 アリシアは、その声に振り返るとクリスに笑みを。それは満面の笑みだった。


「連れて来てくれて有難う。サマーシアに戻って来て……初めての外の景色が此処だなんて、素敵だわ」


 柔らかに和む声。

 アリシアの笑みは降り注ぐ光に溶け込んでいく。

 クリスは、眩しげに瞳を細めると……逸らすように視線を外した。

 アリシアは再び庭園へと視線を戻し、楽しげに足を弾ませながら歩き出す。

 アリシアの動きに合わせて銀の髪が緩やかに揺れ……光に触れる銀は淡く色付く。

 クリスはアリシアへと眼差しを戻すと、その視線を外す事無く、ゆっくりと歩き出す。


「……もう、この花が咲く季節なのね」


 ひざ丈ほどの位置に群生する青色の小さな花を見つけると、アリシアは顔を近付けるように腰を屈めた。

 すると……。


「──!──」


 不意に目が霞んだ。……眩暈だ。

 アリシアは、倒れないように、咄嗟に足に力を込めた。眼差しはそのまま小さな花へと向けたまま……眩暈が治まるのをじっと待つ。

 ──眩暈の原因は、自分でよく分かっていた。

 苦痛を吐き出すように……細く息を吐く。


「……姫様?」


 腰を屈めたまま、動かなくなってしまったアリシアに声を掛けると、クリスはすぐさま傍まで駆け寄った。

 そのまましゃがみ込んで、アリシアの顔を覗き込む。


「……っ……。ごめんなさい」


 急に間近になるクリスの顔。

 下から覗き込まれてしまっては、否が応にも視線が重なる。

 慌ててアリシアは立ち上がった。クリスから離れるように歩き出す。

 ……気付かれただろうか?表情を隠すように頬に指先を添えた。

 ──刹那。


「何故謝るんです」


 クリスの大きな一歩が、容易くアリシアとの距離を縮める。

 アリシアの腕を大きな手が捕まえると、クリスはその腕を引き寄せた。


「──え……っ……」


 急に引かれる腕にアリシアの身体はバランスを失う。

 ──突如として崩れる体勢に、クリスはもう片方の腕を添えアリシアを支えた。


「──顔色が悪いです」


 再び距離が縮まる二つの表情。

 クリスは驚いたようなアリシアの顔を見つめると、ポツリと呟き……遠く空へと視線を投げた。


「……あちらへ。木陰がありますので、此処より幾分よろしいかと」


 そう言うと、アリシアの腰を押し出し……支えながら歩き出す。

 アリシアも誘導されるままに歩き出した。

 程なくして到着するその場所は、大木が大きな影を作る……さながら休憩所のようだった。

 木陰に入るだけで空気が変わる。微かに流れる風が心地良い──。


「申し訳ありません」


 クリスは、アリシアから手を離すと謝罪の言葉を。

 その言葉に、大きな木の幹に背中を預けながら、アリシアは訝しげに首を傾げた。

 問いかけるような表情に、クリスは言葉を続ける。


「暑さで眩暈を起こしたのでは?こんな日差しの強い日に連れ出して……」

「──っ……。違うの……そうじゃない……」

「…………」


 アリシアは、クリスの言葉を慌てて否定した。

 言葉を遮られたクリスは、黙ったままアリシアを見つめる。

 相変わらず色を成さない眼差しは、けれど言葉の続きを求めているのだろう。

 アリシアは、観念したように小さく息を吐きながら肩を落とした。


「……眠れないの……」


 アリシアの告白は、謝罪のように沈んだ声に乗った。

 全く眠れない訳ではない。……眠りが浅いのだ。

 あの日……具合を悪くしてからというもの、深い眠りにつくことが出来なくなっていた。

 眠っている間に、何かされるのではないか……そんな恐怖が付きまとうのだろう。

 不意に誘われる眠気に、身を委ねて横になってみても、些細な物音で飛び起きてしまう……そんな日々が続いていた。


「……どうして、もっと早く仰ってくださらないんですか」


 クリスの口調は変わらず無機質なもの。

 けれど咎めるような言葉に、アリシアは肩を竦めた。


「……言ったら心配するじゃない」

「それが我々の仕事です」


 淡々と告げると、クリスはアリシアが背中を預けている木の幹に手を突きアリシアと向かい合う。

 真っ直ぐに見下ろされる眼差し……アリシアは驚いたように新緑の瞳を開いた。


「もっと私を……我々を頼ってください。──そんなに我々は信用がありませんか」


 ──強い言葉だった。こんな風に語気の強い声を、クリスから聞いたのは初めてだ。

 アリシアの表情が固まる。


「──そんな事思ってないわ」


 ややあって、クリスの言葉に大きく首を振った。

 此処に戻って来てからというもの、アリシアにとって王国騎士団……特に王室護衛隊の存在は絶大なものになっている。

 最早、それ以外は信用出来ないと言っても過言ではないのだ。

 アリシアは言葉を続けた。


「私の行動が、貴方に誤解を与えたのなら謝るわ。……でも……」

「貴女は、周りに気を遣い過ぎる」


 アリシアの言葉を遮るように告げたクリスの言葉は、何処か吐き捨てるように。

 不満げな表情……と言うよりは何処か苛立つような……。

 クリスは露にした表情を隠すように大きく視線を逸らした。

 仮にも一国の王女だ。何処でどんな生活をすれば、そんな控えめな性格になれるのか。

 薬を盛られた時だってそうだ。自身が傷付いているにも拘らず、人が傷付くことを心配する。

 ……ああ……そうだ……。あの時も────。

 クリスの脳裏に、遠い過去の景色が浮かび上がる。

 木の幹に突いていた腕が、微かに震えた。


「……優し過ぎる……」

「……え……?……」


 クリスの呟く言葉は、独り言のように微かな音で。

 傍に居るアリシアでさえも聞き取れなかった。

 視線を戻したクリスは、もういつもの落ち着いた表情で、アリシアの姿をその瞳に映しとる。

 戸惑うような表情……。

 クリスは微かに、笑みを浮かべるように口角を上げた。


「……私には、妹が居ました」


 木の幹から腕を外すと、クリスはアリシアから少し離れる。

 告げたのは、昔話だろうか。

 ──唐突な言葉。

 遠く……庭園へと眼差しを向けながらその瞳を細める。


 記憶の海へと入っていくようなその表情は、酷く柔らかくて──。


 アリシアは、クリスから瞳を逸らせずにいた──。


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