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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
混沌の大地
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<11>夜深の闇の中で

 目の前にカイルが居る。

 無事でいてくれた。何よりその事が嬉しい。

 カイルは深緑の……王国騎士団の騎士服を羽織っていた。

 恐らくスタンリーのものだろう。細身のカイルにその服は、サイズが明らかに大きい。

 アリシアの身体が反射的に動く。カイルの元へと向かおうと──。


「あっ……姫様……っ!」


 思わずカイルが声を上げる。アリシアの身体が大きく揺れたからだ。

 傍に居たクリスが、無表情のままアリシアを支える。

 カイルは慌てて、アリシアの元へと歩み寄った。


「大丈夫ですか?……まだ動いてはなりません」

「ごめんなさい……あの……どうしてカイルが此処に……?」

「……其方にいらっしゃる……クリス殿のお蔭です。彼が私とスタンリー殿を、引き合せてくださって」

「……え……?」


 カイルの言葉に、思わずアリシアはクリスへと顔を向けた。

 アリシアを支えていたクリスは、急に至近距離に現れるアリシアの眼差しに、やや瞳を大きくする。


「……あ……」


 アリシアは、酷く照れたように頬を赤く染め上げ……咄嗟に視線を逸らした。


「……申し遅れました。王室護衛隊の隊長を務めさせていただいております。クリス・バラードと申します」


 静かに語られる無機質な声。

 アリシアを支えている腕をそっと外すと、クリスは軽く一礼を向けた。


「あ……はい。フランクから聞きました。初めまして……って、なんだか変だけど……」


 その声に、逸らした眼差しを戻すと、アリシアも軽くお辞儀を。

 未だに頬は仄かに染まったまま……困ったように俯いた。


「──なんだ。まだ挨拶に行ってなかったのか」

「……すみません。今日お伺いするつもりで」


 間に割り込んだスタンリーの言葉に、軽く眼差しを動かしたクリスが静かな声を返す。

 その言葉に、スタンリーが大きなため息をついた。


「──まあ……此処の所、忙しくさせたからな。……姫様。食事の間の通路で、カイル殿と会われたのでしょう?」

「ええ。私……カイルが捕まったのかと思って……」

「ああ。それで私の所へ来ようとしたんですね」


 スタンリーとアリシアのやり取り……その言葉に、瞳を大きく開いたのはカイル。

 ぎこちない言葉が、小さな音と共にアリシアに向けられた。


「姫様……。私を助けようとして……?」

「あ……えっと……」


 カイルの声に、アリシアはバツが悪そうに……苦笑染みた笑みをカイルに向けた。


「ごめんなさい……。思い違いで……助けるどころか、逆に皆に迷惑かけてしまって……」

「いえ。……それは違います」


 申し訳なさげに俯くアリシアに、カイルが声を掛ける。言葉は否定。

 けれど、その声は責めるようなものではない。


「姫様……有難うございます。会って間もない私に、そこまで心を砕いてくださるとは……」


 続いたのは感謝の言葉。紡いだ声は少し震える。

 アリシアはその声に緩く顔を上げ……カイルを見つめた。瞳が少し潤んでいるように見えて……驚いたように瞳を瞬かせる。


「……カイル?」

「あ……いや。申し訳ありません」


 カイルは掌の付け根でグイ……と瞳の端を擦ると、アリシアへと眼差しを戻す。


「つい……嬉しくて。……けれど、申し訳ありません。私の所為で危険な目に……」

「──いえ。私が勝手にした事です。カイルの所為では……」


 アリシアは、慌てて両手を横に振る。

 ……そんな二人の様子にスタンリーがクスリと笑った。


「微笑ましいですね。……このまま、堂々巡りの会話になりそうですよ」

「え……」


 その優しい声に、アリシアがスタンリーへと視線を移す。視界にはフランクも映った。

 ……フランクも、その表情に穏やかな笑みを湛えていた。

 アリシアと、カイルは恥ずかしげに俯く。


「まあ……そういう訳で、カイル殿がコーエンウルフの騎士で、此方へ潜伏している理由も聞いております」


 穏やかな声。……ゆったりとした口調が、響いた。

 その声に、アリシアがゆっくりと顔を上げる。状況を受け入れるように淡い笑みを浮かべようと……。


「…………」


 その時──アリシアは思い出す。執務室に行こうとしていたもう一つの理由を。

 止められた笑み。急に眼差しを固くするアリシアに、スタンリーは訝しげに眉を顰めた。


「姫様?」

「……スタンリー……ディクソンに聞いたの……。五日後にフォゼスタに侵攻するって……」

「……え……っ……?」


 アリシアの、その声にカイルも驚いたように瞳を開いた。

 スタンリーは、ゆっくりとその言葉を受け止める。向けられた眼差しを逸らす事は無い。

 やがて、ゆっくりと頷いた。


「ええ……。私に指揮を執るように言われております」

「そんな……」


 スタンリーの言葉に、アリシアは胸元の服をギュッと握りしめた。

 フォゼスタにはジェイクが居る。このままではジェイクとスタンリーが戦う事になってしまう。

 アリシアの表情に宿るのは、明らかな深刻の色。

 二人に戦って欲しくなんかない。剣を重ねるなんて、考えたくもない──。


「姫様……。大丈夫ですよ」


 どんどん表情が沈んでいくアリシアを気遣うように、スタンリーが声を掛けた。

 落ち着いた、静かな音。


「寧ろ、我々がフォゼスタへ侵攻する時は、好機なのです。……カイル殿」

「はい」

「五日後、私がフォゼスタへ向かった時……。サマーシアを攻め入るよう王太子殿に、伝えてはいただけませんか」

「……えっ?……」

「スタンリー?」


 その言葉に驚いたのはカイルだけではない。

 思わぬ発言に、アリシアも身を乗り出す。

 二人の表情を交互に見たスタンリーは、口角をやや上げつつ……何かを含んだ小さな笑みを。


「姫様の為に……この国をディクソン・バーナムから、取り戻すと仰いましたね」


 スタンリーは、真っ直ぐカイルを見つめた。

 言葉は穏やかな声だったけれど、カイルはその音に力強さを感じていた。

 言葉の裏にあるその意味。カイルはもう気付いているだろう。


「──わかりました。明朝……直ぐにでも出発致します」

「よろしくお願いします」


 スタンリーに恭しく一礼するカイルに、スタンリーも丁寧なお辞儀を返す。そうして、上げた表情をアリシアに向けた。

 アリシアも何かに気付いたのだろう。スタンリーに向ける瞳に強い意志を表す。空気を読み取るのが上手いのだ。

 スタンリーは満足げに微笑んだ。


「……では、私はそろそろ失礼いたします」


 告げたのはカイル。出発の準備があるからだろう。出来るなら夜が明ける前に出国したい。

 カイルは姿勢を正すと、アリシアに深々とお辞儀を向けた。


「姫様……。どうかお元気で」

「カイル……道中……気を付けてくださいね。……って、今の私が言うのも変ですけど……」

「大丈夫ですよ。此処からフォゼスタは近いですし……国境なら半日もあれば辿り着けます」

「はい……。ジェイクに……よろしくお伝えください。……私は元気だと」

「元気とは……言い難いですが……」


 考えながら紡がれたカイルのその言葉に、アリシアが大きく首を振る。


「今日の事は、ジェイクには内緒です。……変に心配掛けたくありません」


 誰かを想いながら告げるその言葉は、柔らかく……優しい声。

 アリシアは念を押すように、カイルを覗き込む。

 カイルは、小さく肩を落とすと、ため息交じりに頷いた。


「……でしたら、姫様は必ず元気になられてください。嘘はつきたくありませんので」


 実直な……カイルらしい言葉。

 アリシアはコクリと頷いた。


「カイル殿。私も一緒に参ります。途中でその騎士服を頂きましょう」

「……ああ。それは助かります」


 カイルに掛けられた声……フランクだ。

 カイルは赤の傭兵部隊の騎士服の上から、王国騎士団の騎士服を羽織っている。

 それを着たまま、王宮を出るわけにはいかない。カイルは一応傭兵部隊の一員なのだ。

 カイルはフランクの申し出に、了承の意味で頷きを向けた。


「姫様。……私もこれで失礼します。……あの……」


 フランクが、改めてアリシアに向き直る。すると、その視界に入るのはアリシアの頬に残る傷跡。

 ガラスが微かに掠っただけのその傷は、数日もすれば消えるだろう。

 けれど、ディクソンにアリシアを奪われたことが、未だ悔いとして残るフランク。……傷を映し出したその瞳に、翳りが見えた。

 その声に、カイルからフランクへと眼差しを移したアリシアは、淡い笑みを浮かべるとフランクの言葉が終わる前に、自身の声を乗せる。


「フランク……今日は有難う。貴方が居てくれなかったら……私……」


 それは、謝辞。

 思いもよらないそれに、フランクは戸惑いながら両手をひらひらと横に振る。


「いや……姫様……」

「私が今此処に在るのは、貴方のお蔭よ。──感謝します」


 フランクの戸惑う声を聞いているのか……いないのか。

 アリシアは、真っ直ぐにフランクを見つめると、静かにお辞儀を向けた。


「姫様……顔を上げてください。……私は……」

「……?……」


 アリシアは、フランクにとっては主人だ。その主人が頭を下げるなど、有り得ない。

 アリシアに向ける言葉は、焦りがあるのかやや上ずった声。どうすれば良いのかわからない。

 フランクの表情には、そんな色が溢れ出ていた。

 ゆっくりと顔を上げたアリシアは、どうやらフランクの心情をわかっていないらしい。

 戸惑うフランクの表情に不思議そうな表情を浮かべ……首を傾げるけれど。


「また……一緒に出掛けてくれますか?」


 浮かべたのは柔らかな笑み。アリシアは胸元で軽く両手を合わせると、フランクに言葉を。

 澄んだ優しい声がフランクの耳元に静かに届く。

 フランクは、驚いたように瞳を大きく瞬かせた。


「……勿論です。いつでも仰ってください。……お供します」


 悩みも……翳りも……全て抱き締めてしまうかのような、アリシアの声……仕草。

 アリシアを見つめるフランクのぎこちない表情は、やがて柔らかいものへと変化する。

 眩しげに瞳を細めると、ゆっくりと頷いた。

 程なくして二人は扉の向こうへと消えて行く。


 ……アリシアは、名残惜しげに暫くその扉を見つめていた。







「姫様……もう、お休みになられてください。これ以上はお身体に障ります」


 カイルとフランクが退出した後、スタンリーがアリシアへと声を掛ける。

 けれど、その言葉がアリシアの耳元に届くまでに、時間が掛かるのだろうか。

 扉を見つめるアリシアに反応が無い。


「……姫様?」


 スタンリーは、先程より語気を強めてアリシアを呼んだ。


「……え……?」


 漸く、アリシアはその声に気付く。声の主……スタンリーへと眼差しを移した。

 二人が居なくなって、気が緩んだのかもしれない。

 些か顔色が悪くなったように見えるその表情に、スタンリーは細く息を吐いた。

 すると────。


「……きゃ……っ……」


 終始アリシアの一番近くに居て、アリシアの身体を支えていたクリスが、アリシアの肩を押した。

 身体に力の入らないアリシアは、難なくベッドに横たわる。


「あ……の……?」

「顔色が悪いです」


 ぎこちなく問いかけたアリシアの返答に、無機質な声が響く。

 クリスは色のない表情でアリシアを軽く見つめた後、何事もなかったかのように、姿勢を戻した。


「具合が悪いうえに、無理して起き上がって喋っているのです。疲れが出たのでしょう」


 言葉を付け加えるようにスタンリーが声を続ける。

 二人の言葉に、アリシアはようやく納得した様に頷いた。


「……そういえば……少し疲れたのかも……」


 緩慢に……呟くような小さな声。

 言葉の後にアリシアはゆっくりと息を吐いた。

 スタンリーは、その様子にあからさまに眉を顰める。


「私達も、もう失礼いたします。姫様……扉の外に一人待機させますので、具合の悪い時は声を掛けてください。──決して無理はなさいますな」

「……有難う。スタンリーも、ゆっくり休んでね?……クリスも……今日はお世話になりました」


 スタンリーの声に、アリシアの傍に座っていたクリスが立ち上がる。

 アリシアはスタンリーの言葉に緩く微笑みを向け、声を返しながらクリスへとその眼差しを移していく。

 向けられた微笑みに、クリスが笑みを返す事は無い。無表情のまま、軽く頷きを返した。

 示し合わせたように、二人は踵を返すと同時に動き出す。

 揃って部屋を出る二人を、ベッドの中でアリシアがぼんやりと見つめた。


「姫様……くれぐれも……」

「大丈夫よ。ちゃんと休みます」


 扉が閉まる直前。余程アリシアが心配なのか……信用できないのか。

 スタンリーが念を押すように声を掛ける。

 その声が可笑しくて……アリシアは小さく笑った。

 その笑みに、スタンリーは小さく肩を竦めつつ苦笑を……静かに扉を閉じた。

 閉ざされた扉。静まり返った室内。

 アリシアは、視線を空に飛ばす。何処を見ているか分からないような、ぼんやりとした眼差しのまま……ポツリ……呟いた。


「……大変な一日だったわね……」


 虚ろな声は宙に舞う。

 あまりにも色々な事が一度に有り過ぎて、何をどう整理すればいいのか分からなかった。それに、考えようとしても今の状態では頭が痛いだけだ。

 ベッドに身を投げたアリシアの身体が、次第に眠りを誘うのか……瞼が重くなる。

 アリシアは、その眠気に抵抗する事なく、ゆっくりと瞳を閉じた。


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