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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
混沌の大地
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<8>捕らわれの

 強い日差しが、汗ばむほどの熱気をその大地に届けたとしても、日が落ちてしまえばその熱は次第に消えて行く。

 まだ夜は寒い。冷え込みが激しい時は、震える事もある。

 しかし、この時アリシアの身体を震わせたのは、寒さのせいではなかった──。


「……おや。姫様ではないですか。どうされたのですか? こんな所で」


 突然開かれた扉から出てきたディクソンは、いち早くアリシアに気が付いた。赤い瞳がアリシアに微笑みかける。

 まるでフランクは、そこに居ないような……そんな素振り。

 フランクはアリシアを自身の背後に隠している。

 アリシアはフランクの後ろに隠れている。

 ──にも拘らず……だ。

 赤い瞳が、フランクを通り越してアリシアだけを見つめる……。

 その光景に、フランクもゾッとするものを感じた。


「別に、貴方に話す事ではありません」


 諦めた様に静かに息を吐いたアリシアは、フランクの背後から半身だけ身体を出した。視線を合わさないようにする為か、ディクソンの出てきた扉に眼差しを向ける。

 ……その扉、その場所。──アリシアには憶えがあった。


「……此処は……」


 思わず口をついて出た言葉。記憶を辿るように、その扉をじっと見つめる。

 フランクがその言葉に応えるように、アリシアに小さく声を掛けた。


「……国王執務室です……」


 アリシアが、何かに気付いて微かに上げた表情と……同時。

 フランクの声は確かにアリシアの耳元に届く。

 言葉と……記憶が合致した瞬間だった。


「──どうして貴方が此処から出てくるの──?──」


 ひと時の空白の時間──そして……言葉はアリシア。

 それは、静かな……静かな音だったけれど。

 ディクソンの瞳が静かに開いた。──驚愕したのだ。

 声が……。その透明な声が、余りにも研ぎ澄まされていたからだ。畏怖すら感じる程の、凛とした佇まい。

 先程までフランクの後ろで震えていた姿とは、明らかに違っていた。


「此処は、父の場所よ。──貴方が使って良い場所じゃない」


 アリシアは、真っ直ぐにディクソンを見つめた。……睨みつけたわけではない。

 ディクソンは、その眼差しに怯むように瞳を逸らした。しかし、逸らした表情に微かに恍惚の笑みが見える。

 時折見せるアリシアの、高貴な立ち居振る舞い……王女の姿。

 その姿にディクソンは快感を覚えるのだ。頬が僅かに赤みを帯びた。


「……申し訳ございません。政務を代行している身分ですので、此方にある書類が時折必要になる事がございます。その為、この部屋の出入りはたまにあるのです」

「────そう……────」


 ディクソンが、深々とアリシアに謝辞を向ける。国王不在の今、確かに業務を代行しているディクソンがこの部屋に出入りするのも仕方のない事なのだろう。そう言われれば、納得するしかない。

 けれど、アリシアにとっては不愉快極まりない出来事だった。


「……行きましょう。フランク」

「──お待ちください姫様」


 湧き上がる不快な感情を抑え込みながら、アリシアがフランクに声を掛けると、二人を制止するようにディクソンが声を掛ける。


「これから、姫様のお部屋に参ろうとしていた所なのです。お戻りに合わせますので、お待ちしても宜しいでしょうか」


 あからさまに恭しく言葉を述べるディクソンの口調。アリシアは、小さく息を吐いた。────そんな時だった。


「……私は、貴方に用事は無いわ……」


 不意に頭が重くなる。────眩暈を感じた。

 支えを求めるように、フランクの背に手を掛ける。


「────姫様?」


 急に背中に感じる小さな重み。

 ディクソンに対峙するように立っていたフランクが、アリシアに声を掛けた。

 その時……


「────!────」


 視界の端……。ディクソンの口元が、不気味に歪んでいく姿を捉えた。歪んだ口元は笑みに変わる。

 フランクは、その表情に大きく瞳を開きながらも振り返り、アリシアを支えるように手を伸ばした。


「……有難う……。なんだろ……急に体が…………」


 酷い虚脱感が身体を襲う。

 フランクの腕に支えられて、漸く立っていられるものの、身体が大きく揺れる。

 何が起きたのだろう。アリシアは霞んでいく頭の中で、必死に考えた。


「……姫様。此処に来る前、何か口にされましたか……?」


 それは、小さな……小さな声。

 フランクは、アリシアの耳元に囁くように問い掛けを。先程の奇妙なディクソンの笑み。

 ……嫌な予感がフランクの脳裏を過ぎった。


「ロザリ…………ホットミルクを……」

「姫様。お疲れなのですね。暫く此処でお休みになられると良いでしょう」


 アリシアのその言葉は、たどたどしく……あまりにも小さな声。

 更にその声をかき消すようにディクソンが声を掛ける。

 それは、刹那の出来事だった────。

 フランクが振り返る間もなく、半ば強引にアリシアをフランクから奪い取る。


「──何を……っ……!──―」


 思わずフランクがディクソンを睨みつけた。

 けれどディクソンは、その眼差しを忌々しげに睨み返す。


「何を?……貴様誰に向かって、その言葉を言っている」

「……っ……!」

「姫様は、お疲れのご様子。私が、此処で休ませると言っているのだ。文句はないだろう」

「……は……なして……!」


 アリシアが、二人の会話に懸命に入ってくる。力を込めて、ディクソンの腕を振り払おうとするも、力そのものが入らないのか、ディクソンの腕はビクともしない。


「駄目ですよ姫様。私が姫様の支えなのです。……あれじゃない」

「フランクは……私の大切な……護衛隊の騎士よ……。フランクに何かしたら……許さない……!」

「姫様……。ええ、よく存じ上げておりますとも。あれは、姫様の忠実な下僕でございます」


 アリシアの絞り出すような声。

 フランクを庇う言葉に、ディクソンは嫉妬とも取れる表情を浮かべ、アリシアを掴む腕に力を込める。


「──あ……っ……!……」


 呻くような声はアリシア。

 ディクソンの指先が、アリシアの腕に食い込んでいた。

 フランクは二人の間に入ろうと手を伸ばす。


「──姫様!」

「……お前はもういい……。姫様に免じて許してやるから、立ち去るが良い」

「……っ……!……」


 ディクソンはフランクに一瞥を向けると、開いたままの扉の中へと強引にアリシアを連れ込む。

 流石にフランクが、ディクソンに手出し出来る筈がない。

 成す術無くその扉は閉じられた。

 ──バタン──

 閉じられた扉。

 ……薄い板一枚のそれはけれど、フランクとアリシアを分断する大きな壁。

 フランクは腕を伸ばしたまま、しばらく呆然と立ち尽くす。伸ばした指先は、アリシアに届かない────。


「……何やってんだ俺……」


 ゆっくりと戻した腕……その掌を見つめながら言葉を零す。いきなり登場したディクソン相手に、身動き一つ取れない。アリシアをいとも簡単に奪われてしまった……。

 ──情けない──

 相手が、ディクソンだから仕方ない。ディクソンに逆らえる人間など、この王宮に居るはずが無い。

 いくら騎士団にとって快く思わない相手でも、目の当たりにすれば平伏すしかない。

 ──けれど、そんな事はもう……言い訳にもならない。守るべき者を守れなかったことが事実だ。

 見つめた掌……その指先を力いっぱい握りしめながら俯く。……唇を噛みしめた。


「どうして……」


 フランクは、悔しそうに声を漏らす。

 そもそもどうして、急にアリシアはあんな風に倒れてしまったのか。

 ……あの時。フランクの問い掛けに、アリシアが返した答えを思い返す。

 ……確か……。


「──ホットミルクだ──」


 ハッと。我に返ったように顔を上げる。

 そのままフランクは、弾かれたように走り出した。

 此処でこうしていても、どうにもならない。

 アリシアは今も身の危険に晒されている。立ち止まっている時間なんて無い。

 フランクは、全速力で通路を駆け抜けていった。







「……カイル殿。貴方がコーエンウルフの騎士という事は分かりましたが……」


 此処は、王国騎士団長の執務室。……つまり、スタンリーの執務室だ。

 扉を開けて直ぐのソファに、スタンリーが座っていた。筋肉質の大柄な体躯の所為か、二人座れるはずのスペースの大半が、スタンリーの身体で占められている。

 そして、横長いテーブルを挟んで向かいのソファに、赤の騎士服に身を包んだ細身のカイルが姿勢正しく座っている。

 ……どう見ても、親子の対話にしか見えない光景だった。


「……どうしてコーエンウルフの騎士殿が、サマーシアに潜伏しているのですか?」


 スタンリーは大きな身体を前に倒し、カイルに近づくとカイルに問い掛ける。

 責めているわけではない。口調の変化も特に無く、それは単純に質問だった。


「……あ……の……」


 カイルは、肩を竦めつつ黙り込んだ。どう説明したら良いのかが悩ましい。考えるように瞳を少し逸らした。

 黒髪の青年……クリスに連れられてやってきたのは此処……騎士団長の執務室だった。

 連れてきた当の本人は執務室の扉付近で、外の様子を伺いつつ二人の会話を聞いている。

 アリシアと知り合いらしい……ワケアリなカイルの事をスタンリーに話すと、スタンリーがカイルをソファに座るよう促し、自身の素性を明かしたのだ。サマーシアの騎士団長である事や、アリシアが此処に来ることになった経緯も含め……フォゼスタでの出来事も。

 本来、真っ先に問い詰められる筈のカイルに、自ら詳細な事柄を、余す事無く語ってくれたスタンリー。

 その誠実さにカイルは心を打たれた。誠実な彼には、誠実な言葉で応えなくてはならない。生真面目なカイルは、自身の身分を隠す事無くスタンリーに話したのだ。

 しかし……サマーシアに潜伏している理由は、話せば敵意すら持たれかねない。言葉を、選ばなければならなかった。


「……我が君……。ジェイク・ハルフォード王太子殿下は、サマーシア王女であられるアリシア様をお慕いしております」

「それは、私もよく存じております。姫様も王太子殿を、お慕いしておりますので」

「……殿下は、アリシア様の為に……故郷を……この国を……ディクソン・バーナムから、取り戻そうとなさっているのです」


 カイルは、ゆっくり……ゆっくりと声を出す。丁寧に、一つ一つ言葉を選んだつもりだった。

 その言葉に、スタンリーの表情が、厳しく変わる。

 いや──スタンリーだけではない。入り口の扉にもたれつつ……腕を組んで立っている無表情のクリスでさえも、微かに瞳をカイルへと動かした。

 ────と、その時。


「…………人が来ます」


 短い言葉。……淡々とした声。クリスが、スタンリーに向けたものだ。

 けれど、その声にカイルが身体を強張らせた。


「カイル殿……こちらへ」


 スタンリーが扉の陰になる場所へとカイルを誘導する。

 カイルは無言で頷くと、促されるままにスタンリーが指定した場所へと移動した。

 ……それと、同時。ドンドンと、大きな音を立てて、扉が叩かれる。慌てているようなその音。

 クリスが静かにその扉を開けた。


「……団長……! 申し訳ありませんっ……!……」


 開けた扉……その視界に現れたのはフランクだった。全速力で走ってきたのだろう。荒い呼吸……全身が大きく揺れている。

 その姿に、クリスが僅か眉を動かした。短い言葉をフランクへ向ける。


「……どうした」

「姫様を……奪われました……!……」

「……!!……」

 その言葉に──その場にいた誰もが、言葉を失った────。


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