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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
混沌の大地
41/69

<6>刹那の再会

 視線の合わさるその人に、誰よりも驚いたのはアリシアだっただろう。明らかにその表情は、驚愕に満ちている。

 ──けれど、それは刹那の事。

 アリシアに向けて、軽く一礼をする二人を微かに映し出したアリシアの眼差しは、直ぐさま二人から外された。荒い呼吸……肩を大きく揺らしながら、再び駆け出す仕草。

 ──声を掛ける訳にはいかなかった。

 隣に佇む別の騎士が居たからだ。王国騎士団の一員なのは分かったものの、どういう人物なのかアリシアには分からない。変に関係を悟られてはいけない……。

 アリシアは重いドレスを持ち上げる腕に力を込める。慣れない靴で強い一歩を踏み出した────。


「……あ……っ……」


 ────途端に足元がグラつき……視界が揺れる。

 アリシアは思わず瞳を閉じた。

 衝撃を想像するからか……身体が硬直する。


「…………」

「……?……」


 勢いよく地面に叩きつけられるはずだったアリシアの身体は、大きな腕に支えられていた。

 衝撃を感じなかったアリシアは、恐る恐る瞳を開く。眼前に映る景色……漆黒の髪を持つ、王国騎士団の青年の顔だった。

 互いの距離のあまりの近さに、アリシアの表情は一気に紅潮する。


「……無礼をお許しください……」


 息が掛かるほどの距離の中、告げられる青年の言葉は、無機質で……何の色も示さない。

 アリシアをゆっくりと立たせると、大きく空いた背中……その白い肌に直に触れていた腕を離す。

 次いで、自身の来ていた深緑の上着を脱いだ。


「……?……」


 青年は何をしているのだろう。

 アリシアは、不思議そうにその様子を見つめた。

 すると、青年は脱いだ上着をアリシアの肩に掛け……


「……きゃ……」


 無言で、軽々とアリシアを抱き上げた。そのまま、スタスタと歩き出す。

 その一連の動作があまりにも、流れるようで……機械的で……アリシアが口を挟める余地など何処にも無かった。


「……お部屋までお連れします……」


 静かに告げられた言葉は、低く……抑揚のない音。

 どうしてこうなってしまったのだろう。青年の腕の中で、緊張に身体を強張らせるアリシアの頭の中は、混沌としていた。

 それでも、気に留めたのは青年の言葉。アリシアの部屋まで入れる騎士は、限られている。

 アリシアは自身に掛けられた青年の上着の肩口に視線を向けた。探すまでもなく瞳に映し出される銀の肩章は、この青年が護衛隊の騎士だという事を表している。

 そこで漸くアリシアの身体の力が抜けた。……取り敢えずこの青年は、安心しても大丈夫だ。

 アリシアは、安堵したように息を吐き……青年に向かって小さな声を上げた。


「……有難う……」


 その言葉に、僅かに青年の瞳が見開いた。

 けれど青年は、アリシアには視線を向けないまま、廊下を去っていく。

 残されたカイルは、立ち去る二人の姿をポカンと見つめていた。


「……なんなんだ……一体……」


 カイルもまた、何が起きたのかわからない側の一員だ。

 一体あの騎士は誰なのか────。

 カイルは片手でクシャクシャと自身の髪の毛を掻き混ぜた。

 なんにせよ、もうこの場にアリシアは居ないのだから、これ以上危険を冒してまで此処に居る必要はない。

 カイルは、肩を落とし深いため息をついた後、ゆっくりと廊下を歩き出した。







 既に外の景色は夜のものとなっていた。

 王宮での執務を終えた貴族達が帰った為か、王宮の中は昼間のそれより幾分寂しげに感じる。

 カイルは、まるで当てのない旅をしているかのように、東側の回廊をゆっくりと歩いていた。

 最早、警備というよりは散策だっただろう。

 アリシアが生活する王家の間は、この回廊を抜けた先にある。しかし、その場所を警護するのは王国騎士団だ。

 それは、この場所に来て間が無いカイルですら知っている。故に、赤の騎士服を着るカイルがこの先に行くことは出来ない。

 カイルは、些か苛立ちを覚えた。気分を紛らわすように、視線を窓の向こうへ。

 けれど、外はもう暗い。窓からやや離れた場所に居るカイルからは、暗闇しか見えず……小さく肩を落とした。

 視線を戻す……と。


「…………」

「…………」


 また出会ってしまった。

 彼だ。漆黒の髪を身に纏う……長身の青年。

 相変わらず何を考えているのかわからない鋭い眼差しが、真っ直ぐにカイルを捉えていた。

 いつからそこに居たのだろう。全く気配を感じることが出来なかったカイルは、突如現れたその姿に狼狽えた。

 ぎこちない足取りはゆっくりと回れ右をして、その場を去るべく歩き出す。

 すると……。


「……か……」

「……?……」


 カイルの背中に向かって音が聞こえた。勿論青年が発した声だ。

 カイルはその場で立ち止まり、顔だけを青年に向けた。

 青年は変わらずの表情で、カイルを見つめたまま……。


「……か……」


 再び同じ声をカイルに向けた。


「……なんなんですか。さっきから……」


 カイルは青年に向き直ると、瞳を半開きにした状態でジロリと青年を見上げた。

 言葉は、問いかけというよりは、責めるような色合いがあったかもしれない。

 青年の表情は相変わらず


「……姫様が、貴方の事をそう呼んでいた」


 言葉は無機質のまま。

 青年は、アリシアが口にしてしまったカイルへの言葉を聞いていたのだ。

 何の色も表わさない……冷めた表情で声に出すその言葉が、余計にカイルを苛立たせた。


「……カイルです」


 前髪を掻き上げながら俯くカイルが、告げたのは自身の名。

 どうして此処で、自分の名を明かさなくてはならないのか。誘導された感が否めない。

 カイルは腹立たしげに掻き上げた髪を強く握った。


「姫様とは何処で?」


 カイルの表情には一切気に留めない素振りで、青年が問い掛ける。

 けれど、その質問は想定内だ。カイルは髪に当てていた腕を下ろしながら青年を見上げた。


「旅の途中で、具合が悪くなっていた所を看病していただいたのです。私の……命の恩人です」

「……他には?」

「……え?……」


 今の説明で納得しないのか。言葉におかしな点は無かったはずだ。

 カイルは、青年の言葉に驚きを隠せない。

 青年は、表情の変わらないまま、流れるように次の言葉を述べていく。


「姫様は三年間、素性を隠して潜んでおられた。旅の途中で出会っただけの貴方に、簡単に素性を明かすとは思えないのだが」

「…………」

「貴方は……姫様を見た瞬間に『姫様』と呟いた」

「──っ……それは……。……帰国された時に、たまたま沿道から見てしまって……」

「それで、直ぐに呼び名が変わるものだろうか? 今まで呼んでいた名があるなら、咄嗟に出る言葉は其方ではないか?」

「…………」


 二の句が継げない。青年の言う事は尤もだ。

 しかし、流石に今は自身の素性やジェイクの事は話せない。この青年が信頼できる人物なのか、全く持って謎だからだ。

 カイルは苦しげな表情を浮かべながら、それを隠すように俯く。

 青年は無表情のまま、じっとカイルを見下ろしていたが……やがて、ポツリと呟いた。


「ワケアリ……か……」

「……え……?……」


 不意に聞こえた青年の言葉に、弾かれたようにカイルは顔を上げた。

 青年は、カイルの表情を視界に捉えつつもカイルを見ようとはしない。

 やがて、カイルに向かってスタスタと歩き出す。


「こちらへ──。この場所でその恰好は目立つ」


 カイルの傍を通り過ぎる時……その言葉は落とされた。

 低く……相変わらず色を成さない静かな音。

 そのまま、青年はカイルが来た道を戻るように歩みを進める。

 カイルは過ぎ去る青年の背中を見つめた。

 ついて行って良いのか、今の状態では全く分からない。それ程にあの青年は謎に満ちている。カイルは此処で捕まる訳にはいかないのだ。

 けれど、此処でこうしていても何も先が見えないのも事実だ。……ついて行けば、何とかなるのか?

 ────わからない────。

 カイルの事を気にする様子の無い青年の背中は、徐々に小さくなっていく。

 ……もう迷っている時間は無い。


「……っ……」


 カイルは、足早に青年の後を追いかけた────。







 青年に抱えられ、自身の部屋に戻ったアリシアは、ゆったりとした寝間着に着替え、ベッドの上で寝転んでいた。

 あの重苦しいドレスは、部屋に入るなり脱ぎ捨て、結い上げた髪も自分で解いた。

 元々自分で出来るのだ。着替えた後にやってきた侍女には、申し訳ないとは思ったが。


「…………」


 ──身体が重い。食事の間に何時間も滞在したわけではないのに、心身ともに疲れ切っているような気がした。

 しかも、心地好い疲れ方じゃない。故に、一向に気分が晴れない。それどころか、頭の中は未だに整理がつかないままだ。

 アリシアは、何度も深いため息をついた。


「……あの人……なんだったんだろう……」


 不意に思い出したのは、此処までアリシアを運んで来た護衛隊の青年の事。すらりとした体格……身長は、大柄のスタンリーと同じ位だっただろうか。

 輝くような漆黒の髪が、印象的な青年だった。

 無表情の彼。けれど、その行動は気遣い溢れるものだった。

 急いで駆けているにも拘わらず、一向に進まないアリシアの身体は、青年が運んだ方が断然早くアリシアの部屋に辿り着く。

 肩に脱いだ上着を掛けたのは、大きく背中の空いたドレスで、アリシアの肌に直接青年の腕が触れないため。

 後から考えれば、一連の動作がよく理解出来る。

 しかし……、謎が一つある。


「……どうして、カイルと一緒に……」


 そう。彼はカイルと一緒に居たのだ。

 一体青年はカイルと、どう係わっているのか。

「────まさか────」

 アリシアは一つの結論に辿り着く。カイルは、彼に捕まったのではないだろうかと……。

 それなら、あの場所に二人でいた状況も合点がいく。

 アリシアは、ベッドからがばっと起き上がった。見る見るうちに、表情から焦りの色が浮かび上がる。


「……どうしよう……」


 カイルを助けなくては。……けれど、どうやって?

 アリシアは、思いつめたような表情で俯きながら額に掌を当てる。


「……此処でこうしていても、どうにもならない事だけは分かるわ……」


 呟きは、自身に言い聞かせるように。

 深く……深く息を吐くと、思い切りよく立ち上がった。


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