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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
混沌の大地
39/69

<4>逢魔時 1

「お待ちしておりました姫様……。おお……! なんと美しいお姿……!」


 食事の間には、既にディクソンが到着していた。黒で統一された衣装に身を包んだディクソンは、入ってきたアリシアを一目見るなり感嘆の声を上げる。

 しかし、あからさまに憮然とした表情のアリシアは、ディクソンには視線を合わせない。


「……ただの夕食に、この衣装はどうかと思うわ……」


 アリシアが身に纏うワインレッドのドレスは、背中の大きく開いたもの。こんなにも露出した衣服を身に着けた事の無かったアリシアの頬は、恥ずかしげに火照っていた。

 銀の髪は見事に結い上げられている為、白い肌が殊更強調されて見える。加えて、滑らかな曲線を描く上半身のラインが、アリシアの艶を一層際立たせた。

 普段のアリシアの印象とは、全く違う……色香漂う大人の女性がそこに居る。

 弾むような足取りでアリシアへと向かってくるディクソンには、不機嫌なアリシアの表情は気にならない。

 嬉しそうに笑顔を浮かべるその頬は、仄かに赤く色付いた。


「よくお似合いです。そのドレスは、私が急ぎ特注で作らせたものなのです。……素晴らしい。非の打ち所のない美しさです」


 ディクソンは、アリシアの傍で立ち止まると、アリシアを頭の上から足の先までじっくりと眺めた。

 舐めるような眼差し……アリシアは、たまらず逃げるようにディクソンから一歩遠ざかる。

 アリシアの様子が見えていないのか、それとも気にしないのか……ディクソンは極上の笑みを浮かべたまま


「……さ。姫様参りましょう。漸く訪れた二人だけの時間を、楽しもうではありませんか」


 そう告げて。アリシアへと片手を差し出した。


「…………」


 差し出された掌を見つめるアリシアの瞳には、躊躇の色が見え隠れする。今あるディクソンとの距離ですら、身が竦むのだ。

 ましてや、手と手を合わせるなど────。

「どうされました? 何処か具合でも?」

「……いえ」


 アリシアは、ディクソンの言葉に口元を引き締める。その手を、合わせない訳にはいかない。

 一つ……細い息を吐くと、ゆっくりとディクソンの掌に自身の指先を乗せた。


「……美しい……」


 重なる手と手……アリシアの体温が伝わってくる。ただそれだけで、恍惚の果てまで登ってしまいそうなほど。

 ディクソンはうっとりとした表情で自身の掌に重ねられたアリシアの指先を見つめる。

 白くしなやかな指先に赤の瞳を輝かせ……口角を斜めに上げると──。


「──っ……! なにを……っ……!」


 ヌルリ……。

 ──酷く嫌な感触がした。

 アリシアはその感触に思わず手を引く。

 引いた手の甲に唾液の跡……背筋に冷たいものが走った。

 ディクソンがアリシアの手の甲を舐めたのだ。

 ディクソンは、恍惚の表情を浮かべたまま何かを堪能するように軽く舌なめずりをすると、ニヤリと笑みを浮かべ


「……社交辞令ですよ? 姫様もこの位……慣れていただかないと……」

「──慣れたくないわ。そんなもの……!……」


 諭すようなディクソンの口調に、怒りを露わにしたアリシアは、ディクソンを置いて歩き出す。

 テーブル傍に控えていた給仕に誘導されるままに席につくと、置いてあったナプキンで手の甲をゴシゴシと拭いた。

 その様子をじっと見つめていたディクソンは、やれやれとでも言いたげな様子で肩を竦めテーブルへと歩みを進めた。


「……思えば……こうして二人で過ごすのは、初めてですね」

「…………」


 ディクソンがテーブルについたのが合図だったのか、次々と食事が運ばれてくる。ディクソンは、グラスに注がれた白ワインに手を伸ばすと、それをアリシアに向けて。


「まずは乾杯といきましょう」


 そう告げると、ディクソンは薄い笑みを張り付けた。






 食事の間では、ディクソンがアリシアに一方的に話しかけ、アリシアが時折相槌を打つといった光景が繰り広げられていた。

 喋り掛けるディクソンに比べ、ほぼ無言のアリシアの前にあるお皿の中身は、順調に減っていく。

 そこにはディクソンも苦笑を浮かべるしかなかった。


「姫様……もう少しゆっくりと、食事なさっては如何でしょう」

「……特に急いで食べているつもりは、ありません。貴方が遅いだけです」

「会食とはそういうものでしょう。会話を弾ませながら食事を楽しむものなのですから……」

「……会話が弾まないのだから、食事が進むのは当然です。仕方ありません」

「全く……一向に引き下がりませんね。──まあ良いでしょう。……そうそう」


 溜息を一つ吐いたディクソンは、赤に変わっていたワイングラスに手を伸ばす。それを手にしながら妖しげに口角を上げると


「五日後にフォゼスタへ出発する事が決まりました。指揮官はスタンリー殿です。是非ご武運を祈って差し上げて下さい」

「……え……?」


 その言葉に、食事の動きが止まる。

 思わず目線を上げたアリシアの視線の先……ワインを口にするディクソンが瞳に映る。


「……五日後……スタンリーって……」

「国を挙げての戦争ですよ?王国騎士団の団長が指揮を執らずして、誰が執るというのですか」

「──戦争なんて必要無い。今までのやり方で、十分国は平穏で幸せだったわ。……どうして無理やりそれを壊そうとするの」

「姫様……。平穏と幸せを一体とお考えになるのは、些か強引かと」


 静かにグラスを置きながら、アリシアに向けた言葉は、諭すような口調。赤い眼差しがアリシアを捉えた。


「平穏を幸せと思えない人物も、存在するのですよ」

「それは、貴方の考えでしょう?国民はそうは思わないわ」

「ええ。勿論これは私の考えです。──その私がこの国の宰相なのですよ」

「──!──」

「聡明な姫様ならお分かりでしょう? 私の考えが国の考えなのです」

「…………っ……!……」


 静かな口調をそのままに、ディクソンの表情が自信に満ちた笑みに変わる。

 恐れるものなど何もないような誇らしげな表情……。

 アリシアは思わず瞳を逸らした。

 ……悔しい。けれど、何も言い返せない。自身の無力さを痛感する。

 いくら王家の一員とはいえ、女性が政治に口出しする事は出来ない。国の実権を握るのは、あくまでも男性なのだ。

 王家に男子が居ない場合は、養子を迎えて王としての教育……即ち帝王学を学ぶ。若しくは王女が女王となり、夫を迎え……その夫が国の実権を握るのだ。

 勿論、養子を迎え入れるにしろ、夫を迎え入れるにしろ、王家に相応しい人物かどうかは王家が慎重に吟味する事となる。

 しかし、今は宰相ディクソンが居る。宰相に立ち向かえる人物がサマーシアに存在しないのは、紛れもない現実だ。

 アリシアは知らず握った拳に力を込めた。


「まあ。堅苦しい話はこの位にしましょうか。折角の美味しい食事が不味くなってしまいます」


 強引に話題を打ち切ったディクソンは、視線を自身の前に広がる皿へと落した。そうして、すっかり冷めているであろうステーキ肉の欠片を口に放り込む。


「…………」


 アリシアは、その声に再び口を閉ざした。

 中断していた食事を再開させると、黙々と食べ進める。

 アリシアのあからさまなその態度に、ディクソンは呆れたように息を吐き


「姫様……。また、だんまりですか?少し話が弾んだかと思ったら……」


 先程の会話を弾んだというのか。

 アリシアは、訝しげにディクソンに一瞥を向けるけれど、すぐさま眼前の皿へと視線を戻す。

 ディクソンは困ったように肩を竦めつつも、瞳を細め……笑みを浮かべた。


「……まあ、良いでしょう。姫様の美しいお姿をこの距離で見つめていられるのも、私の幸せでございます。……そして夜は長い……」


 やがて……舐めまわすように、アリシアの結い上げた髪を、首筋を、胸元を、細い腕を……見つめる。


「続きは姫様のお部屋でゆっくりといたしましょう……」


 言葉は静かで……粘着質な声と共に。赤い瞳が手にしたグラスの赤と重なった。

 眼差しを下へ向けたままのアリシアの表情が……止まる。








 カイルが王宮の中に入れたのは、アリシアが帰国して数日が経った頃だった。

 ディクソンが積極的に傭兵を雇っている背景もあり、傭兵部隊に紛れ込む事は意外にも簡単だったのだが、アリシア見たさに、王宮の警備を代わってくれるものが、なかなか居なかったのだ。

 この日……太陽が大地へとその姿を落とそうとする頃……赤い騎士服に身を包んだカイルは、王宮の入口から謁見の間や、執務室に続く通路を歩いていた。

 その通路の先には、食事の間がある。

 運が良ければ、アリシアが食事に来ているかもしれない。気付いてくれるかどうかは分からないが、会えるとすればそこしか考え付かなかった。

 無論、アリシアだけでなく、ディクソンも居る可能性は高いのだが。

 言葉を交わせる機会など皆無に等しいかもしれない。──それでも。

 すれ違う騎士に一礼を続けながら、カイルは、食事の間へと進んでいく。


「…………」


 平静は装っているつもりだ。しかし、いつも以上に緊張しているのか、僅かな物音にも身体が反応する。

 今も、リズムよく響く足音に、思わず立ち止まり、大きく肩を震わせてしまった。

 一つ大きく息を吐き、再び歩き出す。


「…………」


 この通路から見える景色は、酷く殺風景だった。窓から見える景色も丁度通路に当たるのか、綺麗に刈り取られた木立が整然と道路脇に並ぶだけ。

 遠く見える噴水が、夕焼けの色を受けて光を放っていた。

 その光を視界に捉えながら、けれどカイルが気にしたのは、先程から聞こえる足音。

 徐々に大きく響くそれ……近づいている?


「おい」


 無機質に……短く響く声は、確かにカイルへと向けられたもの。

 無視すれば変に思われる。……カイルはその場で立ち止まるしかなかった。

 眼差しを前方に留め置いたまま、悔しそうに唇を噛む。食事の間はもう、目の前だと言うのに──。

 コツコツと響く足音が、ゆっくりとカイルに向かって響いてくる……。



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