<1>帰国
三年ぶりに戻ってきたサマーシア王都は、以前とあまり変わりないように見えた。
元々大きな国ではないサマーシアは、王都と言っても、聖地サシャーナの村程の賑わいは無い。けれど、都としてはそれなりに発展している。宿屋も、市場も大小さまざまに存在し、それぞれ活気がある。
それは、此処が花の国という観光地だからだ。季節ごとにその色彩を変える街並みは、訪れる人々の心を和ませる。
花の名に因んだ祭りも催され、何度訪れても飽きさせない工夫があった。
「良かった……。あまり変わりなくて……」
「三年くらいでは、そう大きな違いは起きませんよ」
馬上で、周囲を見回しながら安堵したように呟くアリシアに、スタンリーは小さく笑った。
一行は、護衛騎士に守られながら王宮へと進む。王女帰還の噂は、既に王都中に広まっていたらしい。奇跡の生還を遂げた王女を、一目見ようと街道沿いに大勢の人々が、集まって来ていた。
あちらこちらから王女を呼ぶ声。丁寧に、それに手を上げて応えるアリシアの姿に、歓声が湧き上がる。
元々王家は、国民から絶大な人気と信頼を得ている。国王が平和的外交による安定した生活を、常に保ってきたからだ。
その王家のたった一人の生き残りだ。国中の注目がアリシア一人に集中するのも当然といえよう。
街道を王宮に進めば進むほど、どんどん人が増えてくる。一体何処にこれだけの人がいたのか……。あちこちに手を振りながら、アリシアは驚いたように息を吐いた。
「凄い人ね……」
「皆、姫様のお帰りを喜んでいるんですよ」
「そうね……。改めてお父様の人気の高さが窺えるわ」
「それは当然でしょう。国王様は、国民の父でもありますから……ですが」
スタンリーは此処で言葉を区切る。
アリシアは首を傾げながら、スタンリーを見上げた。
「今日の主役は姫様ですよ。皆……姫様に見惚れておいでです」
スタンリーは王女の姿を見て、頬を染める人々……歓声を上げる人々を視界に捉えながら微笑んだ。
手を振り国民に応えるアリシアはしかし、何処か複雑な心境だった。
サマーシアが嫌いなわけでは、決してない。家族と過ごした唯一の場所だ。この国を愛している。
しかし……アリシアにとって、同時に恐怖を植え付けられた場所でもある。
不安げな眼差しは、そのまま前方を進むディクソンの背中へと向いた。
「──不安ですか?」
不意に黙り込むアリシアに、スタンリーが声を掛ける。アリシアの視線の先にはディクソン。……その奥に徐々に大きく見える王宮も、視界の中に映し出されているに違いない。
王宮は、ディクソンから逃げ続けてきた記憶のある場所だ。
アリシアにとって、恐怖の場所でしかないのだろう。
「……大丈夫……」
「またそんな強がりを……」
アリシアの発した言葉は、震える声に乗った。――怖いのだ。
それは当然だろう。
スタンリーは、それでも言葉で強がるアリシアに肩を竦めた。
「強がらなきゃ……」
「……姫様?」
「強がらなきゃ……生きていけない。……あそこは、そんな場所なの」
「……姫様……」
スタンリーの表情が固まる。
此処はアリシアの故郷だ。家族との思い出が詰まった大切な場所だ。
アリシアは、生まれた場所に帰って来ただけだ。
それだけの事なのに、アリシアにとって……それ程の覚悟が必要なのだ──。
たった一人の……狂った男の所為で……。
「ひめさまぁっ!」
父親の肩車に乗った小さな男の子が、アリシアに手を振りながら声を掛ける。
アリシアは、変わらぬ笑顔で男の子に手を振った。
それを見つめるスタンリーの瞳は……酷く揺れていた。
「どうして姫様が此処に……」
街道を埋め尽くす民衆に紛れるように、一人の青年がアリシアを見つめていた。
茶交じりの灰色の髪にほっそりとした顔立ち……カイルだ。
その瞳には、動揺の色が隠しきれない。
まさか、ジェイクに別れを告げたのか。……いや、あの二人に限ってそれは有り得ない。
ならば襲われた──?
「殿下……」
襲われたのだとしたら、ジェイクは無事なのか。遠目でしか確認出来ないが、アリシアに傷は無いように見える。
時折前方を見る眼差しに、不安げな色が見え隠れするのは、前方に居るのがディクソンだからだろう。
一体何があったのか……。
「おい。お前、今日王宮の見回りだったよな」
カイルが隣の青年に声を掛ける。
アリシアを見惚れるように見ていた青年は、その視線を外すことなくカイルの声に反応した。
「あ? ああ。今日はあの王女を見られるかもしれないな。今夜の仕事は楽しみだ」
「それ、代わってくれないか?」
「はあ? 何言ってんだお前。……さては、お前も王女狙いか。……やだね、こんなチャンス逃す手は無い」
「頼む。そこを何とか」
「俺以外にも、見回りする傭兵はいくらでもいるだろ。そっちを当たれよ。俺は断る。じゃあな」
「あっ……!……」
必死の懇願も虚しく、青年は呆れた顔をして、群衆の中に紛れるように歩き出す。
その姿は、あっという間に見えなくなった。これだけの人混みだ。捜し出すのは容易ではない。
カイルは片手に握った拳に力を込めた。
「……くそ……っ……」
腹立たしげに、声を吐き出す。しかし、ぐずぐずしている暇は無い。
カイルも、人混みをすり抜けるように歩き出す。
すり抜ける……と言うよりは、流されているといった表現の方が、正しいかもしれない。そのままカイルの姿も群衆の海の中へと消えて行く。
王宮が近づくにつれ、徐々に増えてきたのは、民衆ではなく騎士の数。
物々しく変貌していく景色に、アリシアの表情に緊張の色が漂う。
王宮の門を潜れば、何処を見ても視界の中に必ず映る騎士の姿。
その多さは……そこだけは三年前とは全く違っていた。
「どうしてこんな事に……」
ぎこちない声はスタンリーの耳元に届く。
整然と連なる騎士達は、群衆の中のそれとは違う。あまり大きな声で喋ると、近くにいる護衛騎士に聞こえてしまう。
スタンリーは極力小さな声でアリシアに言葉を向けた。
「半数以上はバーナム殿が用意した傭兵部隊です。……服装の色が違うでしょう?」
その言葉に、アリシアが頷く。
サマーシアの騎士は深緑を基調とした服装になっている。
しかし、目につく騎士の服装は、血の色というべき深い赤。
まるで……。
「……バーナム殿の、瞳の色です」
「──!──……」
続いたスタンリーの言葉は、アリシアの背筋を凍らせるのに十分な威力を発揮した。
「近く……フォゼスタに侵攻します。その準備なのです」
────その言葉に。
アリシアは大きく顔を動かし、スタンリーを見上げた。新緑の大きな瞳を更に開く。
訴えるような……懇願するような表情だった。
「それは……止められないの……? どうする事も出来ないの……?」
アリシアの必死な表情……眼差しは、一直線にスタンリーの元へ。
スタンリーはその瞳を受け止める。けれど……
「申し訳ありません……。これはもう……動き出してしまったのです……」
絞り出すように口にする言葉は、苦痛に満ちて。
スタンリーはアリシアに……項垂れるように頭を下げた。
「さあ、姫様! 漸く我らが王宮へ到着です。参りましょう」
声高に言葉を出したのは、ディクソンだ。
アリシアがスタンリーに抱えられ、丁度馬から降りた所。
その言葉にアリシアの指先が、微かに震える。指先の振動は、まだ触れていたスタンリーの指先にも伝わった。
ディクソンは満面の笑顔でアリシアへと駆け寄る。
「長旅でお疲れで御座いましょう。この私が抱きかかえて、差し上げます。ささ……此方へ」
「……結構です。一人で歩けるわ。──いつまでも、子ども扱いしないで」
静かに響く柔らかな声。けれど、芯の強さを感じさせるそれは、気高さを宿す。
アリシアは、ディクソンをチラリと一瞥だけすると、王宮の中へと歩き出した。
すかさずスタンリーも、アリシアの背後について歩き出す。
「……何と気高く成長されて……」
自身の横を通り過ぎ、去って行こうとするアリシアを、片時も離さず見つめ続けるディクソンは、うっとりするような声を上げた。
「────それでこそ、我が妻に相応しい。……ですが、夫にはもう少し優しく接するものですよ」
呟きは、アリシアとの距離が空いた後。やがて、口角をククッと上げ
「……少し……私の妻としての教育が必要ですね……」
その言葉は、大地を這うように……低く、重く響いていく────。
アリシアは、ただひたすらに前方だけを見つめて歩いていた。王宮の内部など三年前と何ら変わる事は無い。回廊に響く足音は、迷うことなく自身が生活していた王家の間へと進んでいく。
「姫様……そのままでお聞きください」
背後を歩くスタンリーが小さく声を掛ける。アリシアは返事をしない。
……代わりにその歩みを遅らせた。
スタンリーは言葉を続ける。
「王女の間……すなわち姫様の部屋は、王室護衛隊が責任もってお守りいたします。それに関しては何ら心配する必要は御座いません。……ですが」
言葉は区切られた。思わずアリシアは、立ち止まろうとする。
しかし、その背中をスタンリーが押す。──止まるなという事だ。
アリシアは歩を進めた。
「王宮全体の騎士の割合は、バーナム殿配下の傭兵が半数を超えています。……この三年で侍女も、バーナム殿の息のかかった娘達に、変わりました。……お分かりですね」
つまり……王宮にアリシアの味方は、スタンリーと護衛隊以外居ないという事だ。アリシアの表情が引き締まる。
「……分かったわ……」
頷くことはしない。小さな声だけを発した。スタンリーにだけ聞こえるよう……足音に紛れるような音。スタンリーは、その言葉に軽く頭を下げる。
二つの足音は、やがて王宮の奥へと遠く……小さく消えて────。




