表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
暗闇の果て
34/69

<4>馬上の夜

 夜が、景色を呑み込もうとしていた。

 夕焼けの赤は既に無く、淡い光が遠い大地を照らすのみ。

 アリシアは、スタンリーと共に馬上に居た。

 ディクソンは、前を行く馬の上。

 アリシアと一緒に馬に乗ると主張して聞かなかったのだが、何かあった時に守れるようにと、スタンリーが提案し、アリシアがそれを了承した。

 スタンリーは気にも留めないが、時折振り返るその赤い眼差しは、恨めしそうに見えた。


「姫様……大きくなられましたね……」


 その言葉にアリシアはスタンリーを見上げる。一見強面だが、実際は穏やかな性格の持ち主だ。その性格が口調にも表れている。

 ジワリと温もりを感じる声に、アリシアは微笑んだ。


「もう一六歳よ? 大人だもの」

「いえ……まあ……。そうですね」


 無邪気な言葉に、スタンリーは乾いた笑みを浮かべる。スタンリーから見れば十分子供なのだが、そこは反論するわけにもいかないだろう。

 ────それでも。


「……三年……ですからね……」


 感慨深げに、息を吐く。三年前……まだあどけない蕾のような少女だった。

 光に触れると花のように輝く銀の髪と、大きな緑の瞳がとても印象的で、弾けるように笑う少女だった。

 ──今はどうだろう。随分と身長も伸び、しなやかな体の曲線は、優美さを漂わせる。

 時折見せる凛とした表情は、もうあの頃の少女のものではなかった。

 アリシアの横顔を見下ろす、スタンリーの瞳が潤みがちになる。


「よく……生きておいででした……」


 今にも涙ぐみそうなスタンリーの表情に、アリシアは瞳を細める。

 ……スタンリーは知らないはずだ。アリシアが先にサシャーナへ旅立っていたことを。

 恐らくスタンリーは、アリシアが谷底から、奇跡の生還を遂げたと思っている。

 ──返答に気を付けなくてはならない。

 アリシアは考えるように、眼差しを下へ落とした。

「……姫様?」

「この三年……。何か変わったことはある?」


 逸らされた瞳。訝しげに問いかけたスタンリー。返ってきた言葉は、アリシアの知らない三年間の出来事の問い掛け。

 確かに何があったかは気になるだろう。ゆっくりと頷いた。


「この三年間、サマーシアの王位は空白のままです。政治はバーナム殿が宰相として取り仕切っていますが……」


 言葉を告げながら、スタンリーの表情が徐々に曇っていく。

 口調すら沈むような声に、アリシアはスタンリーを見上げた。


「……噂は聞いているわ。軍事政策に転換したとか……。フォゼスタを狙っているの?」


 その言葉に、スタンリーは驚愕した様にアリシアを見つめた。

 軍事政策はともかく、フォゼスタの話は、国内でも少数の者しか話を知らないはずだ。


「一体……何処でそのような話を……?」

「ああ……えと。フォゼスタに来る途中の森の中で……傭兵の方とお会いして……」

「傭兵……成程……。傭兵の中では、噂にもなりましょうな……」


 納得した様にスタンリーは息を吐いた。

 とかくディクソンは、傭兵を使いたがる。今もこの道中……スタンリー以外はディクソンが雇った傭兵だ。──だからこそ、躊躇なくスタンリーに剣先を向けることが出来たのだ。

 元々スタンリーを使って、アリシアを強引に奪う計画だったのだろう。スタンリーを同行させたかった理由も、これでよく理解出来た。

 ……理解出来ても、了承は到底出来るものではないが……。

 スタンリーはディクソンの背中を睨むように見つめた。


「……大きな声では言えませんが……バーナム殿は、銀細工市場拡大のため、フォゼスタの港を利用したいようです」

「……だったら、フォゼスタと話し合えば良いじゃない」

「姫様の言う通りです。……ですが、バーナム殿は港を意のままに使いたいのでしょう。そうなると、占領するしかありませんからな……」

「そんな……!……」


 アリシアの声は、やや責めるような音。知らず握った拳に力が入る。

 けれど……スタンリーが決めた事ではない。……スタンリーを責めるべきではない。

 刹那……アリシアは、勢いで出した言葉を後悔した。


「……ごめんなさい……」


 呟くようにそう告げると、アリシアは申し訳なさげに俯いた。スタンリーは俯くアリシアに、穏やかに笑った。


「良いのですよ……。バーナム殿に、何も言えない私達にも非はあります。……ですが」


 スタンリーは、そう告げて言葉を一つ区切った。

 途切れた言葉に、アリシアがスタンリーを不思議そうに見上げる。

 笑みを湛えたままのスタンリーと瞳が重なった。


「近いうちに……何とかして見せます」


 力強い声と共に……言葉が、アリシアに降り注ぐ。

 アリシアはその言葉に……声に、嬉しそうに頷いた。

 何か策があるのだろうか……。そんな問いかけは必要無いように思えて。

 背筋を伸ばし、グイ……と顔をスタンリーに近づけた。


「私に出来る事があったら、教えてね? 手伝うから」

「ははっ! これは頼もしいですな」


 楽しげに弾むアリシアの声。何か悪戯を目論むような眼差しに、スタンリーは声をあげて笑う。

 アリシアもスタンリーの表情に釣られるように楽しげな笑みを浮かべた。


「それでは次は、何を話しましょうか……。三年前……ああ……」


 紡がれた声はやや小さめのもの。スタンリーは前を行くディクソンを見遣る。ディクソンが此方を見ていない事を確認すると、低く声を落とし


「姫様がご存知の事か、分かりませんが……。バーナム侯爵夫人……姫様の伯母様はお亡くなりになられました」

「──え?──」


 アリシアは、耳を疑った。

 バーナム侯爵夫人……つまり、ディクソンの妻。……サマーシア王妃の姉の事である。

 アリシアを産んで間もなく亡くなった母に比べ、とても快活な女性だったという記憶がある。

 思いがけない言葉に、驚いたように瞳を開いた。


「やはり、これは御存じではありませんでしたか。……殿下と姫様が、あのような事になる少し前の事だそうです。私も事件後、暫くして知ったのですよ……」

「……御病気だったという話は、聞いてないわ……」

「御自宅のバルコニーから転落したそうです。……手すりが朽ちていたとかで」

「何てこと…………」


 アリシアの表情から、見る見るうちに色が消えていく。

 知らない間に、また一人親族を失っていたのだ。

 フラリ……身体が揺れた。


「……大丈夫ですか……」


 スタンリーの大きな手がアリシアを支える。……憔悴するのも無理はない。

 アリシアには、もう家族と呼べる人物は、誰一人いない。

 そしてまた、身近な人間を亡くしたのだ。心中察するに余りある。


「有難う……大丈夫……」

「……とてもそうは見えませんが」


 言葉とは明らかに違うアリシアの様子に、スタンリーが息を吐く。何処でそんな平気なフリを、覚えてきたのか。

 アリシアを叱るように見つめると、眉を顰めた。


「ふふ……。スタンリー……お父様みたいね?」


 アリシアがスタンリーの様子に小さく笑うと、スタンリーは大きく瞳を開く。


「……いけません。恐れ多い事です」

「だって、そう思ったんだもの」

「……相変わらずですな……」


 思ったことが直ぐ口に出る。そんな昔のままの、アリシアが居る。

 アリシアを見つめるスタンリーの瞳が、懐かしさに緩んだ。

 しかし、そんな瞳が直ぐに引き締まる。前方……ディクソンが、此方の様子を振り返り見た瞬間だった──。

 スタンリーの声色が一段と低く下がる。


「姫様……お気を付けください」

「……え?」

「夫人が亡くなった今……姫様とバーナム殿の間にあった壁は、もうございません」

「……そうね……」


 低く……小さく紡がれたスタンリーの言葉に、アリシアはゆっくりと視線を下げる。

 独身に戻ったバーナムと、アリシアの間に障害はない。歳の差はともかくとして、バーナムは堂々とアリシアに求婚が出来るという事。

 強引に婚姻を結ばれる可能性も、無いわけではない。


「……あちらの王太子殿を……愛してらっしゃるのでしょう?……」


 スタンリーが言うその人は、ジェイクの事だ。

 藍の髪の……圧倒的な存在感を持つ、涼しげな瞳の気高い青年。

 けれど、彼がアリシアを見つめる瞳に、厳しいものなど何一つ無かった。

 別れの時……向けられた眼差しの強さが、忘れられない。


「…………分かるの?」

「……秘密にしてらしたんですか?」


 アリシアが、驚いたように問いかける。けれど、その言葉はスタンリーにとっても意外な言葉で。

 お互いがお互いを驚いたように見つめた。刹那、二人は小さく笑い出す。

 やがてアリシアは静かに言葉を。

 呟くようなアリシアの声は、切なさ交じりの優しい音。


「大切な人なの……。気持ちが溢れすぎて……上手く言葉に出来ないけど……」

「ええ……よく分かります」

「あの人が居るから……私はもっと強くなれる。あの人は私を守ってくれるから……私もあの人を守りたいの」


 そう告げるアリシアの声は、変わらず優しい音だったけれど……確かな強さを感じた。新緑の瞳に光が見える。

 スタンリーはアリシアを眩しげに見つめた。


「姫様……。美しくなられましたな……」

「……なに? 突然……」


 突然の言葉に、アリシアはスタンリーを不思議そうに見上げた。

 問いかけには返答を返さず、穏やかに微笑むと


「……姫様の事は、何があっても私がお守りします。あちらの王太子殿と約束いたしましたので……」


 返答の代わりに紡がれたスタンリーの言葉は、アリシアに更なる疑問を抱かせるものだった。

 キョトンと首を傾げると


「……そんな話……。っていうか……。ジェイクとスタンリーは、言葉を交わしてもいないでしょう?」

「交わさなくとも、通じる言葉もあるのですよ」


 アリシアの言葉を、スタンリーは穏やかな笑みのまま……曖昧な言葉で返した。

 それ以上何かを説明することもないスタンリーに、アリシアは、頭に疑問符を乗せたまま頷くしかなった。


「……さあ。もうすぐサマーシアです。王都はまだ先ですので、今晩はこの先の村で、一晩過ごすことになるでしょう」


 不可解な表情のままのアリシアに声を掛けると、スタンリーはまっすぐ前方へ視線を向ける。

 それに習うようにアリシアも目線を前へ。既に景色は夜のものだ。

 淡く光る月は、星の光に紛れそうなほど細く、心許無い……遠く見える村の明かりに向かって、一行は一本の道を進んでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ