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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
暗闇の果て
33/69

<3>さよならは言わない

「……いやあああああぁぁっ!!……!……」


 庭園に響き渡る──声…………悲鳴。

 ────アリシアだ。

 身体全体で声を張り上げるそれは、まさに絶叫。

 ジェイクはアリシアに惨劇を見せないように、咄嗟にアリシアの頭部を自身に押し付け、腕で囲う。

 叫んだ後……そのまま、アリシアは力を失ったように、ジェイクの身体に全体重を預けた。

 ──呼吸が荒い。

 その身体を支えるように抱き締めるジェイクは、アリシアの耳元に顔を寄せる。

 静かに、落ち着かせるように……言葉を告げた。


「……大丈夫だ。何も起きてない」


 そう。振り下ろされた剣はスタンリーを斬り裂いてはいなかった。

 スタンリーも細く息を吐く。元々、スタンリーを斬るつもりはないのかもしれない。

 しかし、こんな事を繰り返されては、アリシアの心が持たない……。

 ジェイクはディクソンを睨み付けた。

 ディクソンは、響いたアリシアの声に満面の笑みを浮かべ、わなわなと両腕を震わせながら高く上げていく……。

 やがて歓喜の声を上げた。


「なんと……なんと美しい声でしょう! 姫様が……漸く声を上げてくださった。こんな……こんな素晴らしい事はございません」

「…………狂ってるのか…………」


 唸るように、ただそれだけを呟くとディクソンを見るジェイクの表情は、異形の者を見るようなものへと変化していく。

 ディクソンは高らかに宣言する。恍惚な笑みを浮かべながら


「さあ姫様! 今回は何事もありませんでしたが、次はどうでしょう?」

「……やめて……」


 アリシアが、震えながら呟く。その声はあまりにも小さく……ディクソンには届かないだろう。

 けれど、ジェイクにその声は届く。

 ジェイクは、アリシアの声の代弁をするように強く言葉を向けた。


「やめろ! 王宮の中で血を流す気か!」

「姫様の御決断一つですよ!」


 そう言って、ディクソンは再びその手を振り上げ────。


「やめてええぇぇっ!!」


 同時に、大きく叫ぶアリシアの声。

 ディクソンは上げた手を途中で止めた。

 ニヤリと口角が上がる。

 アリシアは震える身体を必死で抑えようと、身体に力を込める。

 ややあって、何か決意するようにジェイクの胸元の服をギュッと握りしめた。

 ……ジェイクの瞳が強張る。


「……ジェイク……」

「……駄目だ」


 ジェイクにはもう、アリシアが何をしようとしているかは、分かっていた。

 アリシアの言葉を止める。動けないように……きつく抱きしめた。


「……私……」

「言うな」


 言葉を遮るその声は、願いのようなものも織り交ざる。

 知らず……腕が震えていた。

 アリシアは……首を横に振る。

 そして、ゆっくりと顔を起こし……ジェイクを見つめた。

 …………涙が溢れていた。

 アリシアは、ジェイクに声を────。

 ────ジェイクはアリシアに顔を寄せる。


「ごめんなさ……────」


 アリシアの柔らかな唇に、ジェイクの唇が重なる――。

 ……アリシアが、言葉を最後まで声にすることは、出来なかった──。


 こんなにも空が青くて。

 こんなにも太陽が眩しい。

 咲き誇る花々は色鮮やかで。

 二人だけが余りにも切ない────。


 口を塞ぐだけの口づけだった。

 言葉を止める為の口づけだった。

 けれど、その時間は永遠のような、刹那のような……二人だけの時間だった。


 やがて……ジェイクはアリシアの唇を開放する。

 いつの間にか閉じられていたアリシアの瞳が、緩やかに開いて……。


「……ジェイ……」

「聞くんだ」


 アリシアの言葉を遮ると、ジェイクが静かに言葉を落とした。

 見上げるアリシアの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「────必ず迎えに行く。……待って居てくれ。お前は一人じゃない」


 アリシアの瞳が、大きく開かれる。……その言葉に。……その眼差しに。


「お前は俺と生きる。そうだろ?」


 ジェイクの言葉が、耳の奥で優しく響いていく。

 アリシアはコクリと頷いた。

 そうだ……そんな幸せな話をしたのは、つい先程の話だ。


「必ず行く。迎えに行く。……信じて欲しい」

「──待つわ。……信じてる……」


 涙交じりのアリシアの瞳が、細められる。

 ジェイクに向けたのは、柔らかな笑み。

 どうしてこの人の言葉は、こんなにも温かいのだろう。

 いつも私を、前に押し出してくれる。……包んでくれる。


「ジェイク……有難う」

「……まだ何にもしてない」


 感謝の言葉を告げるアリシアの声は、もう先程までの震える小さな声ではなく、確かに響く強い声。

 ジェイクはアリシアに優しい笑みを向けた。


 そんな二人の様子を見つめるディクソンの表情は、怒りに満ちていると言っても過言ではなかった。

 突然訪れた二人だけの世界に、誰も介入することが出来ない。

 忌々しげに唇を噛みしめると、強引に空気を打ち破るように、殊更大きな声を張り上げた。


「姫様! 何をなさっておいでですか! この者の命は良いのですね!?」


 その言葉に────アリシアの表情は一変した。

 ジェイクは瞳を見開く。

 アリシアの気品にも似たその強い眼差しは……いつか見たあの時と同じ──。

 変わるアリシアの、凛とした佇まいに驚愕し……微笑んだ。


「ディクソン……。剣を下げさせてください……」


 そう告げると、ジェイクの元から身体を離し……ディクソンに向き直る。


「私の名は、アリシア・プリムローズ。サマーシアの第一王女です」


 声は、ジェイクのような圧倒的な響きは持たない。

 優しく包み込むようなその音は、耳の奥で静かに響く。

 ディクソンは、喜びに打ち震えた。


「ああ……やはり貴女様は、姫様で御座いましたね。何という美しい声でしょう……」


 アリシアの声を、全身に染み渡らせるように大きく息を吸うと、瞳を閉じたディクソンは恍惚の笑みを漏らす。

 アリシアは、強い眼差しのままディクソンを見据えた。


「剣を下げて。────此処は王宮です。恥ずかしい行為はお止めください。サマーシアの品位を疑われます」

「その通りでございます。──これ。何をしておるのだ! 剣を収めよ!」


 ディクソンは、アリシアに恭しく一礼すると、慌てて騎士達に剣を収めさせる。

 騎士は、一斉にスタンリーから離れ、剣を鞘に戻した。

 これでスタンリーは、漸く命の危機から解放されることになる。

 アリシアは、それを見届けると安堵したように息を吐き……振り返る。


「……ジェイク……」

「……ああ……」


 お互い見つめ合い、重ねる笑み。交わした言葉は、たったそれだけ。

 アリシアはゆっくりとディクソンの元へと歩き出す。

 ジェイクは、守るようにアリシアを見つめた。


「……スタンリー」

「……はっ」


 数歩進んだところで不意に立ち止まり、アリシアがスタンリーへ声を掛ける。ディクソンとの距離はまだ遠い。

 スタンリーは短い声と共に即座に駆け寄り、アリシアの元で跪いた。


「…………お願い……。私を守って……」


 やや俯くことでスタンリーと眼差しを合わせたアリシアは、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 小さな声……その表情は切実で。

 ……誰からとも、何からとも言わない。しかし、王室を見守ってきたスタンリーには、その言葉だけで十分理解出来ただろう。

 スタンリーは、顔を動かさず視線だけをジェイクに向ける。

 ジェイクは何も言わず、表情も変わらない。けれど、強い眼差しがスタンリーを見つめていた。

 スタンリーは静かに頷きを返す。


「勿論です。……姫様。私は貴女様のもの。我が命に代えましても……」

「あ……駄目。命は駄目。……それは良いの」


 その言葉に、慌ててアリシアが両手を横に振る。……スタンリーは小さく笑った。


「……相変わらずですな。姫様は」


 言いながら立ち上がると、アリシアへ自身の手を差し出す。

 アリシアは、その手に指先を重ねた。そのまま二人は歩き出す。


「……挨拶は宜しいのですか?」


 チラリ。後ろを振り返りながら、スタンリーは気遣うようにアリシアに声を掛ける。

 その言葉を受けてもアリシアが振り返る事は無い。

 ──切なげに瞳を揺らした。


「……良いの……。振り返ったら……行けなくなってしまう……」


 振り返れば、間違いなくジェイクの元へと掛けていく。それ程に心が求めている。

 アリシアは胸元の服にそっと触れ……ギュッと握りしめた──。




「……声を掛けなくて良かったんですか?」


 いつの間にか隣に来ていたマーカスが、ジェイクに声を掛けた。

 既にディクソンと合流したアリシアは、王宮の門を出ようとしていた。

 ジェイクは、その場に立ち止まったまま……ずっとアリシアから眼差しを外さない。

 やがて、その姿は王宮から姿を消した──。


「……良いんだ……。声を掛けたら引き留めてしまう……」

「引き留めたらよろしいじゃないですか!」

「そんなことしたら、またディクソンが何しでかすか、分からない」

「殿下……」

「……アリシアが壊れてしまう……」


 ジェイクは、藍の前髪を掻き上げながら、表情を隠すように俯いた。


「……愛してらっしゃるんですね……フィオナ……。いえ……アリシア様を」


 その言葉にジェイクがゆるりと顔を上げ、薄く笑みを浮かべた。


「……別に、言い直さなくても良いだろ」

「いえ……流石にもう……さっき名前宣言しちゃってましたし……」

「ああ……そうだな……」


 そう呟くと、ジェイクは庭園をぼんやりと見つめた。

 来た時と何一つ変わらない花々。見上げれば空の青さが眩しい。

 ……静かな景色だった。


「愛してる……。その言葉が、俺の気持ちを代弁するのに、妥当な言葉なのか分からないが……」

「殿下……」

「──その言葉以外に、適当な言葉が無いのなら……何度もその言葉を重ねよう」

 告げた言葉は、優しげな……愛しげな音。酷く柔らかな笑みを零した。

 そうしてジェイクは踵を返す。


「殿下。どちらへ?」

「王に謁見だ。今の事と、これからの事を報告する。──明朝には出発するぞ」

「ええっ? どちらへですか?」

「サマーシア国境だ。アリシアが居ない以上、此処に留まる理由はもう無い。サマーシアの情報を知るにも、サマーシアに入るにも、国境なら直ぐだ。……行くぞ」

「……はいっ!」


 既に歩き出しているジェイクを、追い掛けるようにマーカスも歩き出す。

 その足取りは迷いのない確かなもの。

 やがて二人は王宮の中へと消えて行く────。


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