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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
暗闇の果て
32/69

<2>予測不能

 ディクソン・バーナム……その名前だけで、瞬時にしてアリシアの表情が硬く強張っていく。

 アリシアにとってその者はもう、恐怖の対象でしかない。

 程無いままに、小刻みに身体が震え出した。

 周囲の護衛騎士達が、二人を守るように前に出る。


「……大丈夫だ。部屋に戻ろう」


 まさか堂々と、真正面から来るとは思ってもみなかった。

 ディクソンは、仮にも一国の宰相だ。そのような者が出向けば、衛兵も簡単に門前払いは出来ないだろう。

 ジェイクは、アリシアを支えるように腰に腕を回す。

 アリシアも、ジェイクにしがみつくように身体を寄せて……歩き出す。

 ────すると。


「コーエンウルフ王太子殿」


 ───背後から、ジェイクを呼ぶ声。……紛れもなくディクソンだ。

 ジェイクは、その声に足を止めざるを得なかった。


「ああ、良かった……。まだ此方にいらしたのですね。先日は大変失礼致しました。無礼をお許しください」


 丁寧な言葉で、ディクソンがジェイクに呼びかける。

 時折大きく聞こえる制止の声。衛兵を振り切りながら、歩いているのだろう。喧騒が徐々に大きくなる。

 此方から見えるという事は、向こうも此方が見えるという事。

 恐らく……アリシアの存在にも気付いているのだろう。


「──アリシアを」


 その場にしか聞こえない小さな声で、騎士の一人に声を掛ける。その声に、即座に近づいてきた騎士にアリシアを渡すために、アリシアの腰を強めに押した。

 不安げにジェイクを見上げるアリシア……。

 その表情に、大丈夫だと言うような優しい笑みを残して……。

 ────しかし。


「姫様。……どちらへ行かれるのですか?」


 ディクソンは、アリシアにも声を掛ける。

 ……やはり気づかれていたか。

 ──アリシアの表情が、その場で固まった。

 ジェイクの眼差しに緊張が走る──。


「今日は、髪も露にされているのですね。ああ……姫様の髪の色です……。光に輝いてなんと美しい──」

「相変わらず、礼儀をわきまえない奴だな」


 アリシアに向けられたディクソンの言葉は、ジェイクによって遮られる。

 冷たい……圧倒的な音。

 ジェイクは振り返りながら、アリシアを自身の背に隠すように立つ。


「此処はフォゼスタの王宮だ。此処を訪れたのなら、まずフォゼスタの王に、挨拶をするのが筋だろう」

「……くっ……!……」


 ディクソンはジェイクの存在感に、怯んだ様に動けなくなる。

 何より向けられた言葉は正論。反論など出来るはずが無い。

 ……だが、ディクソンは此処で引き下がらなかった。


「……今日は、我が姫様をお迎えに上がりました。たまたま入口から貴方がたを拝見致しましたので、此方へ伺ったまでの事。勿論……王様には、後程挨拶へ参ります」

「これは、私の妻だ。……其方の国の王女は、亡くなられたのではなかったか?」


 圧倒的な変わらぬ声。ジェイクの眼差しが動くこともない。

 射抜くような目線に、ディクソンはたじろぐように瞳を逸らした。

 しかし、再びジェイクへと目線を向けると、精一杯胸を張る。


「……いいえ。其方に居られる方が、我がサマーシアの……唯一無二の姫様です。王太子殿……国同士の結婚は両国の同意が無いと成立いたしません。婚姻は無効とし、姫様は返していただきます」

「────いい加減にしてくれ。前回の一件から、妻が酷く怯えてるんだ。……失礼させて頂く」


 ジェイクは藍の前髪を掻き上げ、あからさまにうんざりした様に息を吐いた。

 踵を返すと、アリシアを押しながら一歩……。


「お待ちください!……姫様。この方を憶えているでしょう? 懐かしくは御座いませんか?」


 ディクソンが慌てて二人を引き留めると、その者を前へ出すように一歩引き下がる。……アリシアに見せるために。

 アリシアはその声に振り返り、その者をジェイクの腕越しに、そっと覗いた。


「──!──」


 アリシアの瞳が大きく見開いた。ジェイクの胸元の服を、知らず握りしめる。

 ……視線の先に居たのは男。日に焼けた肌と赤茶の髪に、筋肉質の逞しい体つき。

 ──憶えが無いわけが無かった。


「……知ってるのか?」


 胸元を掴むアリシアの手に自身の手を重ね、問いかける。

 アリシアにだけ届く……小さな声。アリシアは頷く代わりに、名前を返した。

 同じように……小さな音……震える声で。


「ラルフ・スタンリー……王室護衛隊の隊長だったわ……」

「……そうか」


 王室護衛の騎士なら、アリシアが知らないはずが無い。人懐こいアリシアの事だ。親しげに話をした事もあるだろう。

 しかし……どうしてその者を一緒に連れてきたのか。

 ジェイクは訝しげに眉を顰めた。




 男……ラルフ・スタンリーは、信じられないと言いたげな表情で、微かに見えたアリシアのへ眼差しを向けたまま、立ち竦んでいた。

 今もジェイクの陰から時折揺れて見える銀の髪は、まさに見知った髪の色。

 成程……ディクソンが間違いないと、自信ありげに告げた言葉も頷ける。

 だがしかし……間違いであって欲しい。

 願いにも似た思いが、脳裏の大半を占める。

 あんなにも仲睦まじいあの二人を引き離すなど……到底出来る事ではない。


「人違いだ……姫様ではない……」


 自身に言い聞かせるように呟く言葉は、声にはならず。

 誰の耳元にも届く事の無いそれは、吐き出す息と共に消えて行く。

 ディクソンは、スタンリーのそんな苦悩など知る由もないのだろう。

 立ち止まった二人の様子を好機と見たのか、妖しげに口角を上げた。


「……今こそ姫様を!」


 その言葉とそれは同時。ディクソンが空へ高々と腕を上げる。

 ディクソンを取り囲む騎士達が、一斉に剣を抜いた。


「────!?────」


 視界の端でそれを捉えたアリシアの全身が凍りつく。

 背後の異変に気付いたジェイクも振り返り……大きく瞳を開いた。




「殿下───!?」


 庭園の異変に気付いたマーカスが、漸くその場に辿り着いた時……全員がマーカスに背を向け、ある一点を見つめていた。

 マーカスは、視線の先を見つめる為に、前へと歩み出る。

 視界の先……映ったのは……。


「……何をしているんだ……」


 思わずマーカスは呟いた。それ程にそれは、余りにも不可解な光景だった。

 ディクソンの周囲で剣を抜いている騎士達。その剣先は、全てある人物へと向けられていた。

 日焼けした赤茶の髪の男へ。

 何故自国の人間を傷つける必要がある? それも、他国のこの場所で。




「──これは何の真似ですかな──」


 問い掛けは勿論スタンリーから。一斉に自身に向けられた剣先を、横目で細く見つめる。

 少しでも動けば刃先が身体に触れる。そんな状態の中、その声は至って平然に告げられた。

 ディクソンは振り上げた腕を下ろしながら、スタンリーに一瞥も向けずにニヤリと笑う。赤い瞳がゆらゆらと揺れた。


「流石に貴方は強心の持ち主ですね。これだけの剣に囲まれても平然としていられるとは……」


 返ってきた言葉は、問い掛けの答えにはなっていない。こんな状況で平然としていられるはずが無い。落ち着いているように見せるのが精一杯だ。

 スタンリーはその眼差しに苛立ちの色を浮かべながら、ディクソンを睨みつけた。

 しかし、アリシア一点のみを突き刺すその赤い眼差しは、スタンリーの姿を映し出さない。

 ……興奮気味に上擦るディクソンの声が、庭園に響く。


「さあ姫様! 今すぐ此方へおこしください!」

「貴様……今何をしているのか、分かっているのか? 王宮で剣を抜くなど言語道断だぞ」


 胸元で小刻みに震えるアリシアの表情に、血の気は無い。

 ジェイクは、アリシアを支えるように抱き締めながら、ディクソンへと言葉を投げた。

 ディクソンはしかし、アリシアを抱くジェイクの腕が気に入らないのか、忌々しげに顔を歪め


「……これは失礼いたしました王太子殿。しかし、貴方様が我が姫様を差し出して頂ければ、直ぐに終わります」


 ギラリと瞳を光らせた。


「何度も言うようだが、私の妻だ。貴様に渡す理由など、そもそも無い」

「この者の……命がどうなっても?」

「関係ないだろう!? 大体その者に、何の罪があると言うんだ!」

「罪……? 罪などございません」


 ジェイクの言葉に、ディクソンの瞳がスッ……と細められる。


「罪があるのは、サマーシアを離れた姫様……アリシア様でございましょう」

「────!?────」


 ──その言葉に、アリシアの表情が固まった。


「……聞かなくていい。戯言だ」


 ジェイクが、アリシアに言葉を下ろす。

 ディクソンに向けるそれではなく、いつものような優しい音。

 けれど、続いたディクソンの言葉はアリシアに追い打ちをかけるものだった。


「そうです……。貴女が私から……サマーシアから離れなければ、あんな悲劇も起きなかった! あの悲劇は姫様が起こしたと言っても過言ではありません!」

「……?……。何を言っているんだ」


 その言葉に、訝しげに表情を変えたのは、剣先を突き付けられているスタンリーだった。

 冷ややかな汗が流れ落ちる中でも……その言葉は聞き捨て出来ない。


「あの悲劇は、王家の内乱の悲劇だろう? 姫様と何の関係が……」

「──おっと。……失礼しました。そうでしたね。……言葉のあやですよ」


 傍で聞こえるその声に、微かに狼狽を見せたディクソンは、ハハ……と小さく笑う。

 ──しかし、アリシアはその言葉に大きく動揺していた。

 ディクソンから逃げるためにサマーシアを離れたのは事実だ。……その後にあの悲劇が起きたのも事実。


 ────裁きは受けなくてはならない────


「……私……」

「聞くな」


 怖々と小さく呟くアリシアの言葉は、ジェイクにしか聞こえていないだろう。

 ジェイクが言い聞かせるようにアリシアに声を掛ける。

 ……アリシアを抱く腕に力を込めた。

 ディクソンは、そんな二人の様子に更に苛立ちを深める。眉をヒクヒクと動かし、怒鳴りつけた。


「私の言葉は届かないのでしょうか!? ならば行動で示すしかありませんね!!」


 そうして、再びディクソンの手が振り上げられる。──それが合図。

 スタンリーに突き付けられた剣先は、一度空へと上げられ……振り下ろされた──。


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