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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
暗闇の果て
31/69

<1>青空の下の約束

 大雨が去って十日余りが過ぎようとしていた。穏やかというよりは、やや強い陽射しが大地を照らす。

 しかし、吹き抜ける風はまだ冷たく、日陰でじっとしていると感じるのは、肌寒さ。

 フォゼスタの王宮は、普段に比べて慌ただしくなっている。ジェイクの指示により、部隊の編成をやり直したからだ。国境付近に居たジェイクの部隊は二つに分かれ、そのうち一つはフォゼスタ王宮の警備……というよりアリシアの警護に入った。

 フォゼスタ王の協力により、フォゼスタの一部の騎士も国境の警備に当たっている。

 カイル達一行は、既にサマーシアでの潜伏活動を開始しているだろう。

 準備は万端だった。


「兵士は足りますかね。隣国の応援要請も視野に入れますか?」

「……いや。あまり露骨に動くと、サマーシアに変に警戒されるかもしれない。今はこの位で良いだろう」

「そうですね……。では、いつでも応援要請が出来るように、準備しておきます」

「ああ、頼んだ」


 此処は、ジェイクとアリシアが使用しているフォゼスタ王宮の客間。

 ジェイクとマーカスが熱心に打ち合わせをしている中、アリシアは二人から座るソファから少し離れたベッドの上で、ちょこんと所在なさげに座り、二人を眺めていた。

 ソファの間にあるテーブルには一枚の紙が広げられている。アリシアが書いたサマーシア王宮の見取り図だ。


「それにしても……内乱はいつなんですかね……」

「……待ち遠しいのか。不謹慎だぞ」

「いえ、そういう訳ではありませんが……」


 ジェイクの咎めるような言葉に、マーカスが身を竦める。

 しかし、マーカスの言い分が、分からない訳ではなかった。何しろ内乱が始まらない限り、此方は身動きが取れないのだ。


「……今は、アリシアの身の安全が最優先だ」


 ジェイクはソファの背もたれに腕を置き、瞳を細める。

 視線の先に──アリシア。

 申し訳なさげに身を縮めて座るその姿が、少し可笑しくて……クスリと小さく笑った。


「アリシア」


 ジェイクが、声をアリシアに投げる。……いつもの涼しげな声。

 けれど、アリシアに向ける時のそれは、少し優しげに響く。

 アリシアがその声に、ジェイクへ眼差しを向けた。


「気晴らしに、庭園にでも散歩に行くか?」

「……え……でも……」


 アリシアは、気遣うようにマーカスを見遣る。今はまだ、話し合いの最中だった筈だ。

 けれどマーカスは、頷くように首を傾げながら笑みを


「大丈夫ですよ。大体の話は終わってますから。お気に為さらず行ってらっしゃい」

「……マーカス様は?」

「外は暑そうですからねぇ……。此処でゆっくり涼ませていただきます」


 言いながら、掌を自身に向けて仰ぐ。

 と、思い出したようにアリシアに向き直ると


「フィオナ殿。流石にマーカス様はやめましょうよ。私が殿下みたいじゃないですか」

「ああ……良いんじゃないか? たまに俺になるのも」


 既にソファから立ち上がり、アリシアの方へと歩み寄っているジェイクが、間に入るように言葉を。

 マーカスは、慌てて大きく首を振った。


「とんでもない! おかしな冗談はやめてくださいっ。……もう、フィオナ殿のせいですよ?」


 その声に、アリシアは新緑の瞳を数回瞬かせ、口元を指先で覆った。


「……あら……ごめんなさい。──マーカス様?」

「わざとですね。……絶対わざとですね……」


 その言葉に、マーカスがヒクヒクと口元を震わせ、怒りにも似た表情をアリシアに向ける。

 アリシアは楽しげに、傍らへと辿り着いたジェイクの陰に隠れた。

 ジェイクもアリシアの肩に腕を回し、マーカスから隠すように誘導しながら、入口へと歩き出す。


「……じゃ、後は頼んだぞ。……マーカス様?」

「――――でんかああぁっ!!」


 マーカスの怒鳴り声を背中に、慌てて二人は部屋の外へと。

 残されたマーカスは、肩で大きく呼吸をしながら入口の扉を睨みつける。

 やがて、ドカッと大きくソファの背もたれに身体を預けた。


「……全く。殿下まであんな事仰るとは……」


 言いながら大きく息を吐き、巻き毛の髪をクシャクシャと掻き上げる。

 ……けれど、不機嫌だった表情は変わっていく。

 楽しいような……嬉しいような……そんな笑み。


「……良い傾向です……」


 そう呟くと、マーカスはバルコニーへ続く大きな扉から、空の青を遠く見つめた。







「……気持ち良い……」


 庭園に出て、大きな空の真下。

 景色を吸い込んでしまうかのような、大きな深呼吸をしたアリシアは、空の色を眺めながら、声にした。

 日差しを強く感じるからか、風の冷たさが心地良い。

 風に流れる銀の髪を、片手で押さえながら、歩き出す。


「ああ……良い天気だ」


 ジェイクはアリシアの少し後を歩く。

 視界に庭園の花々や木々の緑を映し出しながらも、見つめるのはアリシア。

 その瞳は眩しげに細められた。

 二人から離れた場所で、数人の騎士が二人を見守る。アリシアの警護の騎士達だ。この景色に不釣り合いではあるが、この際それは仕方ない。


「最近……ヴェール付けないな。俺に正体ばれたからか?」


 ジェイクがアリシアに向けた言葉は、問い掛け。あの晩、ヴェールを外して以降……アリシアはそれを付けていない。

 アリシアは、掛けられた言葉に立ち止まると、ジェイクに向き直り、考えながら緩く頷いた。


「確かに……ヴェール付けてる時は、外したら流石に分かっちゃうなって……思ってた。……でも……」

「……でも……?」


 繰り返される言葉は、再び問い掛けに変わる。

 ジェイクのその声に、アリシアは軽く眼差しを下げる。


「……ヴェールを付けている間は、フィオナで居られたの。……フィオナとして生きる事を許されていた。だから……外すのが怖かったの。……私はもう……アリシアではないから。アリシアは居ないから……。ヴェールを外した私は、誰なんだろう……って……」

「……アリシア……」

「……でもね?」


 切なげに揺れたジェイクの眼差し。

 その名を呟く声が痛々しく聞こえて、アリシアは殊更弾むように言葉を繋げる。

 両の手を後ろで組みながら、ジェイクの表情を下から覗き込むように見上げ


「あの晩……貴方が言ってくれたの。アリシアなんてどうでもいいって」


 まるで、アリシアがジェイクを慰めているような……そんな構図。

 ジェイクに向けた笑みは酷く穏やかで、同じように紡がれる言葉も穏やかな……優しい声。

 その言葉に────ジェイクは、驚いたように大きく瞳を開いた。


「ジェイクの傍なら……私は誰でなくても良いんだ……って。……そう思えた。……だから外したの」


 アリシアはクルリと反転。ジェイクに背を向け、数歩進む。

 そうしてまた立ち止まると、再びジェイクへと向き直り。


「思えば、出会ってから今まで……ジェイクの言葉に救われてばかりよ? ……私、ジェイクに生かされてるんだわ。まるで、私の神様みたい」


 無邪気に向けた表情は満面の笑み。新緑の瞳が柔らかく細められる。

 広がる銀の髪が太陽の光を浴びて、空の青に溶けていく。

 ……それはあまりにも眩しくて──。


「──っ……──」


 ジェイクは大きく一歩踏み出し、アリシアの腕を捕まえた。

 そのまま強引に自身の胸元へ抱き寄せる。


「……ジェイク?」


 抵抗する事もないアリシアの身体は、すんなりとジェイクの元に辿り着く。

 一瞬何が起きたのか分からなくて……不思議そうな眼差しでジェイクを見上げた。

 ジェイクは切なげな笑みをアリシアに見せると、強く抱き締める。

 ──アリシアの耳元に……声が響く。


「アリシア……結婚しよう」

「……え……?……」


 ──トクン──


 大きく……アリシアの胸の鼓動が跳ねた。

 ジェイクの言葉は続いていく。

 耳元で響く、涼しげな声。


「……本当はこの件が終わって、落ち着いたらゆっくり言おうと思ってた。……お前の居場所は俺の隣にある。この先もずっと……お前と一緒に生きていきたい」


 アリシアの表情は、驚きの色を映し出す。そのまま……固まったように動けない。

 ジェイクは、アリシアの身体を少し離し、固まったままのアリシアの眼差しを、真っ直ぐに見つめた。


「ずっと傍にいる。──もう、離さない」

「……ジェイク……でも……」


 固まったアリシアの表情が、漸く……戸惑いがちに動く。

 向けた言葉は、ぎこちなく揺れた声に乗って。


「私には今、何の後ろ盾も無いのよ。……コーエンウルフ王太子の貴方が、私と結婚しても……何の得にもならない。……貴方のお父様が……許してくれないわ」

「──なんだ。そんな事か……」


 ジェイクは、アリシアの言葉を軽く一蹴するかのように、細く息を吐く。


「そんな事って……」

「俺が、婚姻の申し出を全て断った時点で、その話はついてる。これは、国同士の契約結婚じゃない」

「ジェイク……」

「他に何か、言う事があるか?」

「…………」

「返事なら、イエスしか聞かない」

「それ……横暴……」


 アリシアの瞳から、見る見るうちに涙が溢れた。

 ──胸の奥が熱い。

 ジェイクは笑みを浮かべながら、指先をアリシアの目元へ伸ばし、優しく涙を拭う。


「……返事は?」

「……勿論……イエスよ……」


 アリシアは、潤んだ眼差しのまま笑みを浮かべる。そうして、ジェイクの胸の中に顔を埋めた。

 ジェイクはアリシアの頭を優しく撫でながら、静かに……けれどアリシアに届く確かな声で、言葉を紡ぐ。


「……大事にする。……大切にする」

「──これ以上? 私これまでも十分……大切にして貰ってるわ」


 アリシアが顔を上げ、驚いたように瞳を瞬かせた。

 ジェイクはその表情を包むように、片方の掌をアリシアの頬に添える。

 ────その時だった。


「……なんだ……?」


 王宮入口付近が急に騒がしくなる。

 王宮の門と此処……庭園は然程距離が離れていない。

 ジェイクは、遠く入口に視線を投げた。


「────!?────」


 ──途端。ジェイクの瞳が、驚愕に包まれる。アリシアを抱き締める腕に、知らず力が入った。

 アリシアからは、ジェイクの腕が壁となるため、入口の様子が見えない。

 ジェイクの表情の変化に、戸惑うように言葉を掛ける。


「……ジェイク……?……」

「…………ディクソン・バーナムだ」

「──!?──」


 その言葉に、アリシアの身体が大きく揺れた。


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