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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
胸騒ぎの雨
27/69

<6>騎士の困惑

 着替えを終えたカイル達一行は、王宮に隣接する近衛兵の詰所に居た。

 雨は一向に止む気配が無く、天井を叩く雨の音が騒音のように大きく響いた。

 アリシアは横になるカイルに付き添うように、座っていた。


「……熱の原因は、これもあるかもしれませんね……」


 カイルの片腕に切り傷があった。いつ付けたのかはわからないが、炎症を起こしている。

 アリシアは、傷のある腕に自身の手を翳し


「……熱が高くなるのは、身体が戦っている証拠です。余り下げ過ぎても良くないので……少しだけお手伝いさせていただきますね……」


 静かな……穏やかな声。けれど傍らで告げるその言葉は、雨の音に妨げられることなくカイルの耳元まで確りと届く。

 向けられた柔らかな笑みに、カイルは恥ずかしそうに視線を逸らした。

 アリシアは、不意に逸らされた眼差しに少し寂しげに視線を落とす。


「……眠くなると思いますので、そのままおやすみになってください」


 ゆっくりと声を掛けると、それ以上アリシアから喋り掛ける事は無かった。

 カイルからの返事は無い。

 カイルと一緒に居た他の騎士たちは、着替えて横になると早々に寝息を立てていた。雨の中の移動は足元も視界も悪い。更に体温は雨に奪われる。それだけいつも以上に体力を消耗するのだ。程なくしてカイルも静かに眠りについた。アリシアは、カイルの腕に手を翳したまま。……腕の傷は、炎症が治まりつつあった。続けていけばその傷もそのうち消えていくだろう。


「フィオナ殿」


 背後から、聞こえた声はマーカス。水差しと、スープを運んで来てくれたのだ。

 アリシアは、マーカスへと眼差しを向けると、感謝の意味を込めたお辞儀を向けた。マーカスが静かに入ってくる。


「……皆、寝ちゃったんですね」


 アリシアの傍に持ってきたものを、そっと置きながらマーカスが辺りを見回した。自然と声は小さな音に。

 アリシアは頷きながら


「ええ、先程までカイル様も起きてらしたんですが……疲れてたんでしょう」

「この雨の中、休まず走れば……そうなりますね」

「此処から、国境の辺りまでは近いんですか?」

「ああ……そうですね」


 マーカスは栗色の巻き毛を掻き上げながら考えるように視線を彷徨わせ


「遠くはありませんが、それでも半日位かかると思いますよ」

「……では、夜通し掛けて来られたんですね」

「カイルは真面目な奴ですからね。殿下が来たと聞けば、すっ飛んで来るでしょう」


 言いながら、マーカスは呆れたように息を吐く。アリシアは小さく笑った。


「……では、先に戻りますね。殿下が王と話をしている途中なので」

「まあ……そうだったんですか。わざわざ有難うございます」


 立ち去ろうとするマーカスに、アリシアが深々とお辞儀を向けた。

 マーカスはひらひらと手を振って、その場を静かに後にする。


「……スープ……冷めちゃうかな……」


 マーカスが立ち去るまで、見届けていたアリシアの視線は緩やかにスープへと移動する。先程マーカスが持って来てくれたものだ。

 作り立てなのか、今はまだ器の中から湯気が立っていた。


「ああでも……冷たい方が気持ち良いかも……」


 傍らで眠るカイルの表情を覗き見ると、先程より頬に赤みが増していた。

 熱が上がって来たのかもしれない。

 ……腕の傷はどうなっただろうか。アリシアは、翳していた掌をそっと外した。


「……もう大丈夫ね……」


 傷は完全には癒えてはいないものの、掠り傷程度にまでは回復していた。これならば放っておいても自然に良くなるだろう。

 アリシアは、安堵の息を漏らした。次いで、カイルの火照った体を冷ますように、上掛けを少しずらしカイルの胸から上を外気に当てた。


「寒かったら言ってくださいね。……って、聞こえてないか……」


 それはカイルに告げているようで、けれどカイルには届かない程の小さな声。

 アリシアは自身の言葉に小さく笑った。

 雨は断続的に強弱を繰り返す。風が先程より強くなっているのか、木々が激しくざわついていた。

 アリシアは、小さな窓から見える景色へと視線を流す。……景色がどんどん暗くなっているような気がして、少し不安げに瞳を揺らした。

 ──静かだった。雨音の響きと、風の音。それに揺さぶられる木々のざわめき。それだけが空間を支配する。アリシア以外の者は眠りの中で、この空間でアリシアだけが存在しているかのようだった。


「不思議ね……。皆……此処に居るのに……」


 ポツリと。呟いた言葉は雨音にかき消された──。







 ……遠くで雨音が聞こえる。まだ止んでいないのか……。うんざりする……。

 ──少し寒いな。……ああでも……手の温もりが安心する……。



 カイルは重い瞼をこじ開けるようにゆっくりと瞳を開く。……と、視界の中……真っ先に捉えたのは銀の髪の……。


「……おはようございます」

「……」

「喉……乾きませんか?」


 カイルの目覚めと同時に声を掛けるアリシアだったが、カイルの返答は無い。

 まだ完全に眠りから覚めていないような、虚ろな眼差し。

 その視線は、ゆっくりと動き出す。

 自身の腕の先……手に感じた温もりの元へ……。


「……!!……」


 カイルが、驚いたように瞳を見開いた。カイルの手とアリシアの手が繋がっていたのだ。途端にカイルの顔が紅潮する。慌てて、その手を振りほどいた。


「……ああ。ごめんなさい。上掛けを直していたら、手を掴まれたので……」


 申し訳なさげにアリシアが説明する。けれど……という事は、カイルがアリシアの手を握ったという事になる。

 カイルはますます赤面した。


「──すみません」


 顔を隠すようにアリシアから視線を外すと、恥ずかしげに向けたのは謝辞。

 アリシアは大きく首を横に振った。


「全然構わないので、気にしないでください。……喉乾いたでしょう?」


 それは先程と同じ台詞。言いながら、コップに入れた水をカイルに差し出した。

 カイルはゆっくりと身体を起こし、それを受け取る。

 ……随分身体が楽になった気がした。


「……ずっと、傍に……?」


 初めて、カイルからアリシアへ声を掛けた。

 ぎこちなくも聞こえるその声に、アリシアは小さく頷き


「目が覚めた時に誰も居ないのって、ちょっと寂しいっていうか……心細かったりしません? 特に病気の時なんか」

「はあ……まあ……」

「……あ、スープもあるんですよ? もう冷めちゃってますけど……」

「あ……はい」

「温かい方が良かったら、新しく貰ってきましょうか?」

「いえ……」

「……そうですか……」


 続く会話は、あまりにも一方的。

 アリシアはやや困惑したように苦笑した。

 ──刹那、詰所の扉が開いた。


「……カイル。もう大丈夫なのか?」


 入ってきたのは、ジェイクとマーカスだ。身体を起こしていたカイルを視界に移すと、気遣うように声を掛ける。


「……はい。お気遣い感謝いたします」

「いや、そのままで良い」


 ジェイクを見るなり立ち上がろうとするカイルを、片手を上げてジェイクは止めた。やがて近くまで来ると、アリシアの横に座る。

 マーカスはジェイクに控えるように傍で立っていた。


「熱は?」


 ジェイクが訪ねたのはアリシアだ。

 アリシアは小さく頷くと


「もう大丈夫だと思う。腕の傷が炎症を起こしてて……熱はそれも原因だったみたい」

「……そうか」


 二人の会話に、そういえばとカイルは思い出す。眠る前にアリシアがそんな事を言っていた。

 徐に傷があったはずの腕を持ち上げ、その傷を見遣ると


「……!……」

「ああ、そこか。……傷は、ほぼ無いな」


 カイルが持ち上げた腕へ視線を向けると、ジェイクが声を掛け……満足げに笑みを。

 カイルは驚いたようにアリシアへ視線を投げた。

 その視線に気づいたアリシアが、カイルに笑みを向けた。


「フィオナ殿は、レイアの娘なんだよ。神殿からお連れしたんだ」


 横からマーカスが付け足すようにカイルに声を掛けた。

 そこで、納得したようにカイルが大きく頷く。

 そうだ。ジェイクとマーカスが別行動を取ったのは、神殿に行くためだった。アリシアが医者というのは、これで納得できる。


「……しかし……。あの……」


 そこで新たな疑問が勃発した。カイルの言葉にジェイクが首を傾げる。


「なんだ?」

「どうしてその方の名前が二つあるんでしょう?」


 カイルは、ホールでジェイクがアリシアと呼んでいたのを聞いている。しかし今、マーカスがフィオナと呼んだのだ。


「……ああ。アリシア様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」


 マーカスが、アリシアに向かって問いかける。口調まで何故か余所余所しい。


「……別にどちらでも構いませんけど……その喋り方は嫌です」


 アリシアがその口調に、あからさまに不満げな表情をマーカスに向ける。

 恐らくマーカスは、わざとその口調にしたのだ。

 アリシアの言葉に楽しげな笑みを浮かべた。


「……まあ、その話はこれからしようと思っていたところだ。今後の我々の動き方も含めて」


 マーカスがアリシアをからかうのは、もはやお馴染みの光景となっていた。

 ジェイクは、こめかみに指先を当てつつ困惑したような表情をした後、改めてカイルに向き直った。

 カイルは大きく頷き、姿勢を正してジェイクの次の言葉を待つ──。

 極めて実直な男だった。


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