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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
胸騒ぎの雨
26/69

<5>雨の来訪

 夜を優しく照らす月がその姿を消す頃、黒く厚い雲が空を覆っていた。

 本来徐々に白く明るくなっていく空が、雲に遮られ、その景色を取り戻さない。

 やがて、ポツリ……ポツリと大きな雨粒が大地に落ちる。

 風もあるのだろうか、窓を叩く雨の音がした。


「……ん……」


 雨音が眠りを妨げるのか……アリシアは、微かに瞳を開けた。

 途端に寒さを感じ……温もりを求めて、傍らの人の胸の中へと潜り込む。

 それに応えるように、アリシアに覆いかぶさる大きな腕……温もりに安堵するように瞳を閉じ……


「……?……」


 ……なかった。

 回された腕の、心地良い温もり……憶えのある感覚。

 虚ろな眼差しのまま、アリシアは緩慢な動きで視線を上げた。


「……起きたのか。朝にはまだ早いぞ」

「…………」


 蕩けるような潤んだ眼差しが、ジェイクの涼しげな眼差しと重なる。

 アリシアは、そのままジェイクをぼんやりと見つめていた。

 ……ジェイクの表情が徐々に赤みを増してくる。

 思わずアリシアの顔を自身の胸元に埋めた。


「……ジェイク……」

「なんだ」


 照れくささを隠すように、ジェイクが返した言葉は少し素っ気なく。

 ……少しずつアリシアの頭の中が徐々に冴えてくる。この状況も段々と思い出す。

 あの後、二人は空白の三年間を……離れ離れの距離を一気に埋めていくように、夜通し語り合った。

 どんな些細な事も……思いつく限りの全てを話した。

 やがて話疲れた二人は、どちらからともなく……そのまま眠りについたのだ。


「……どうした? 寒いか?」


 言葉が続かないアリシアを気遣うように、ジェイクが更に言葉を重ねる。

 アリシアはジェイクの胸元で小さく首を横に振った。

「……今、すごく幸せだなあって思って……」


 まだ冴えきらないぼんやりとした口調。ゆったりとした声に乗せて、言葉はジェイクに届けられる。

 相変わらず思った事をすぐ言葉にする。

 ……けれど、ジェイクは嬉しげに口角を少し上げた。


「……もう少し寝てろ。昨日寝るの遅かったろ?」

「……ジェイクは?」

「傍に居る。……この様子じゃ、今日は外に出られそうにないからな……」


 ため息交じりにそう言うと、雨音の響く窓を見つめた。

 大粒の水滴が窓の外の景色を滲ませている。

 雨が、景色を塗りつぶしていた。







「……じゃあ、フィオナ殿が……殿下の探しておられたアリシア様……?」

「そうだ」


 朝の食事を軽く終えた後、マーカスはジェイクに呼び止められ、二人が使う客室へと通された。

 雨脚の酷い今日は、王宮から動くことは出来ない。部屋の中で今後の事を話し合うのだろうと、マーカスは思っていたのだが、話は思ってもいなかった方向から始まった。


「……えっと……殿下が、婚姻を全てお断りされてる原因の方?」

「ごっ……ごめんなさい……」


 アリシアが恐縮したように身を縮めた。


「別にお前が悪いわけじゃない。マーカス余計なこと言うな」

「すっ……すみません」


 本来、陽の光が部屋の中を照らし出す時間帯だが、今日は厚い雲がその光を遮っている。やや薄暗い部屋の中、ソファに座るジェイクとアリシアに対峙するように、マーカスは向かい側の椅子に腰かけていた。


「で……。サマーシア王家の、たった一人の生き残りの……」

「そう……です。私を見てディクソンが言ったことは……間違いではありません」

「ディクソン……バーナムですね?」


 マーカスが身を乗り出すようにして、問いかけた言葉に、アリシアは静かに頷いた。

 サラリ……。アリシアの仄かに色付く銀の髪が落ちる。今日のアリシアは、ヴェールを付けていなかった。


「フィオナ殿が、姫様だという事は……バーナムが本当に厄介になりますね……」

「いや、アリシアが本人じゃなかったとしても、あれは本気でアリシアを奪いに来るだろう。捨て台詞を聞いただろ?」


 ──諦めませんよ!──


「……そんな事……言ったんですか……」


 アリシアの瞳が大きく見開いた。

 アリシアは、その時の言葉を聞いていない。心身が混乱していた時の事だ。


「心配しなくていい」


 アリシアの固くなる表情へ視線は向けず、ジェイクが言葉を出した。

 涼やかな声……それは、やや強めの口調で。


「──離さないから」


 何処を見ているわけでもないその眼差しは、研ぎ澄まされた刃のように鋭かった。


「……今後の行程は、予定通りですか?」


 いつになくマーカスの口調が、静かで真剣なものだった。ジェイクの眼差しに感化されたのだろう。

 ジェイクは、その言葉には首を横に振り


「……国境に行っている部隊の編成を変えるつもりだ」

「え? 行かないんですか?」

「相手が傭兵なら、戦い方を変える必要がある」


 そうして、ジェイクが言葉を続けようとした時、入口のドアを叩く音がした。

 立ち上がろうとしたアリシアをマーカスが止め、自身が入口へと向かう。

 アリシアはソファに座り直すと、マーカスの背中を追いかけるようにして眺めていた。


「……不安か?」


 ジェイクが声を掛ける。それはいつもと同じ涼しげな口調で。

 変わらぬ声色が心地良かった。

 アリシアは、ジェイクへと視線を向けると申し訳なさげに瞳を揺らした。


「……結局、巻き込んじゃったなって……思って。こんなつもり無かったのに……」

「……バカ」


 やや消沈した声色に乗せて告げられる言葉を、ジェイクは呆れたように返しながらアリシアの額を指先で軽く弾いた。


「いたっ……」


 アリシアは、首を竦めながら額に両手を当てる。

 ジェイクはあからさまに不機嫌な表情を浮かべ、言葉を続けた。


「お前の問題は俺の問題だ。お前はもう一人じゃない」

「…………」

「俺が全部背負うって言ったろ? 一人で抱え込むな」


 そう言って、そっぽを向きながら細く息を吐く。

 アリシアは額から両手を下ろしながら、そんなジェイクを見つめ……笑みを浮かべた。

 不機嫌な表情の中に、明らかに感じる優しさ……向けられる気遣いが嬉しい。

 アリシアは自身の胸の中が温かくなるのを感じていた。

 ジェイクの言葉にゆっくりと頷く。


「……はい」


 その声に、ジェイクの表情が柔らかく……笑みに変わった。


「殿下」


 入口からマーカスが声を掛ける。ジェイクがその声に立ち上がり、マーカスの方へと向かった。

 二人は短い言葉を交わす……と


「アリシア」


 今度はアリシアが呼ばれる。

 三人はそのまま部屋を後にした。







 三人は王宮に入ってすぐのホールへと出向いていた。そこには騎士らしき人物が数人いる。

 雨の中をやって来たのだろう彼らは、頭から足先まで見事にずぶ濡れだった。

 向かってくる足音に気付いたのか、そのうちの一人が此方へと視線を向ける。


「殿下」


 ジェイクを認めるや否や、騎士はその場で跪いた。他の騎士も続いて跪く。

 ジェイクはその様子に軽く手を上げた。


「そのままでいい。顔を上げろ」

「はっ」


 ジェイクの言葉に、揃って立ち上がる。

 それは見事に統率が取れていて、見惚れるほどに美しかった。


「よく俺達が来たのが分かったなカイル。──現地を任せきりで、すまなかった」

「いえ……。殿下のお越しは、昨日早くにフォゼスタの騎士殿から、連絡を頂きまして……」


 カイルと呼ばれたその騎士はやや頭を下げながら、通る声で整然と述べていく。言葉に彼の実直さが滲み出ていた。

 茶色交じりの灰色の髪は雨に濡れて頭皮に張り付き、髪先から落ちる滴は、頬を伝い流れ落ちる。

 ほっそりとした顔立ち、華奢な印象の体つきは、衣類が張り付いてより一層細く見えた。


「……酷い雨だな……」


 ジェイクが、カイルの様子を見遣りつつ声を掛けたその時、傍らをすり抜ける人影があった。

 揺れる銀の髪……アリシアだ。

 アリシアは、迷うことなく真っ直ぐにカイルの元へと歩み寄ると、踵を上げ……腕を伸ばし……掌をカイルの額に付けた。


「……えっ……あの……」


 突然目の前に、現れたアリシアの顔。それも至近距離。

 カイルは驚いたように瞳を丸くし顔を赤らめた。身体が急に硬直する。


「……やっぱり。かなり高いわね……」


 カイルの驚きの顔は、全く気にすることもなく……というか見ていない。

 額に掌を当てたまま、アリシアは細く息を吐く。


「は……?」

「は? じゃありません。……立っているのも辛いのではありませんか?」


 そう告げると、アリシアはそのままの姿勢で、気遣うようにカイルの顔を覗き込んだ。カイルはますます顔を赤らめ身を固める。


「アリシア。……その位で勘弁してやってくれないか」


 やれやれといった風な……けれど何処か楽しげな笑みを浮かべながら、ジェイクは二人の元へと歩み寄る。

 マーカスはその場でクスクスと笑っていた。


「殿下……?」


 カイルはジェイクへと視線を向けると、更にその瞳に驚愕の色を重ねた。

 柔らかな笑顔……ジェイクのそんな表情をカイルは見た事が無かったからだ。

 ジェイクはアリシアをカイルから引き離すと


「……必要なものは?」

「……着替え。あと、水分。スープとかあれば……。それと安静……かな」

「わかった」


 アリシアの言葉に頷くと、ジェイクはマーカスへ視線を投げた。

 マーカスはその眼差しに一礼し、歩き出す。


「カイル。……他の皆も取り敢えず着替えて休め。その恰好じゃ、身体も冷える。お前、熱があるんだろ?」

「……あの……?……」


 まさに困惑という言葉が相応しい。

 カイルはあちこちに視線を彷徨わせながらジェイクに問いかけのような言葉を。

 ジェイクはその声に傍らのアリシアへと視線を移し……再度カイルへと視線を戻す。


「彼女は医者だ」


 ジェイクの告げた言葉に、アリシアが小さくお辞儀を向けた。


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