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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
胸騒ぎの雨
25/69

<4>むかしがたり

「私の名前は……アリシア・プリムローズ。……ディクソン・バーナムは……私の伯父様なの。血は繋がらないけど」

「……伯父? 」


 ジェイクの問いかけに、アリシアは小さく頷いた。


「私の母の姉……伯母様の旦那様……。私は母の事は知らないんだけど……」


 懐かしむ……というよりは何処か悲しげな眼差しで、遠くを見つめるアリシア。ジェイクはアリシアの頬をそっと撫でた。

 触れられる優しい指先の感触に、アリシアはジェイクを見上げ、フワリと笑みを浮かべた。


 花の国サマーシアの、王位を持つプリムローズ家に王女が産まれたのは、待望の王子が誕生して三年後の事だった。

 女の子が欲しかった王は、大喜びで最愛の王妃を労った。

 しかし数日後、産褥熱を患った王妃は他界してしまう。

 産まれたばかりの王女は勿論、まだ三歳だった王子も母の記憶は皆無に等しかった。

 幼少を過ごした王家の別邸で……王子と王女は、ほぼ二人きりの生活だった。

 穏やかな性格で優しい顔立ちの王子は、王女とてもよく可愛り、王女も王子にはよく懐いていた。

 二人はとても仲良しで、別邸での暮らしは穏やかで幸せな時間だった。

 王子が一〇歳になったことを機に、二人は王宮で暮らす事となる。

 アリシア七歳の事だ。

 悲劇はそこから始まった。

「伯父様……ディクソンが……私との婚姻を父に願い出たの……」

「……七歳のお前と?……っていうか、妻がいるんだろ? 重婚じゃないか」


 告げられたアリシアの言葉は、意外というより衝撃的だった。信じられないといった表情で、ジェイクは目を見開く。

 重婚は禁忌だ。死別以外の離婚も許される事ではない。

 子供が出来ない妻と、止むを得なく離婚する事ですら、珍しい事だった。


「勿論……伯母様との間に子供も居るわ。今は、結婚して別の国で暮らしてるけど……」

「なかなか……常識の通用しない男だったんだな……」


 ジェイクは、藍色の前髪を掻き上げ深く息を吐いた。


「父は、きっぱりと婚姻の件はお断りしたわ。けれど……それからも、伯父様は私に執着していて……」

「執拗に婚姻を迫ったのか。……呆れるな」


 その言葉に、アリシアはぎこちなく笑みを向けた。

 恐らくそれは肯定なのだろう。……そのまま言葉が途切れた。


「……アリシア?……」


 ジェイクの膝で重ねた細い指先が……震える。

 ──アリシアは、絞り出すように声を出した。


「……夜中に……部屋に忍び込まれたことも……」

「──!?──」


 ジェイクは言葉を失った。──表情が強張る。

 アリシアは、苦しげに瞳を揺らし、静かに閉じた。


「何もなかったわ。……お兄様が私を心配して、たまたま様子を見に来てくれて……」


 そこで、クスリと小さく声に出して笑った。

 けれど、明らかに無理やり作り出した声は震えて……


「……伯父様こそ、そっち系の趣味の人よね。びっくりしちゃう……」

「笑わなくていい」


 それは告げると同時──。

 ジェイクはアリシアに覆いかぶさるようにベッドに身体を落とした。

 細く息を吐く……その吐息が直接アリシアの耳元で風を起こした。

 ──鼓動が大きく鳴り響く。


「……お前が無事で良かった……」


 心底安堵したようにそう告げると、アリシアの横にその身を投げ出した。

 アリシアは仄かに頬を染めながら、瞳を閉じるジェイクの美しい顔立ちを見つめる。

 ――傍にいるだけで、こんなにも穏やかになれるのはどうしてなのだろう。

 締め付けられる程に苦しかった闇は、もう何処にもない。

 アリシアは胸の奥の淡い温もりを感じながら、瞳を閉じた。



 ディクソンの思いがけない行動と、アリシアに対する執着心は王家に警戒心を与えただけでなく周囲の貴族達にも、奇異な人物という印象を与えてしまう。

 しかし、ディクソンを排除することは出来ない。

 サマーシアの交易の主軸である、銀細工……その銀細工師の大手ギルドを取り仕切っているからだ。

 当時その財力と影響力は、王家に匹敵するとまで言われていた。

 加えて、義理とはいえ国王と縁を持つことが出来た。ディクソンが宰相になったのは、その立場を利用したからだ。

 ただその狡猾な手口と、他の貴族に対する尊大な態度は、決して好感を持てるものではなかったが。

 王は、出来るだけアリシアを王宮から……王家の間から出さないようにした。

 ディクソンの目に触れさせないためだ。

 王家の間から出るときは、必ず王子が傍にいた。

 しかし、そうした対応がディクソンを苛立たせることになる。

 そうして六年の歳月が流れようとしていた。……ある日。


「一三歳の誕生日に私を貰うと……父に宣言したそうよ」

「……恐れ入るな……その執着……」

「勿論父はその場で断ったけど、聞く耳を持たなかったとか」

「だろうな。もう、大体の想像はつく」


 アリシアの身体に向けて横向きになっていたジェイクは、頭の後ろで両手を組みながら仰向けに身体を動かす。

 深いため息……もう何度目だっただろうか。


「──それで、逃げてきたのか。……サシャーナへ」


 ジェイクは、その言葉を天井に向かって声にした。

 告げた後、静かに顔だけをアリシアに向ける。

 今度はアリシアがジェイクへと身体を向けて、頷いた。



 アリシアの一三歳の誕生日を目前に控えた王宮は、祝宴に向けて酷く慌ただしかった。

 各国からの贈り物を運ぶもの。会場の準備をするもの、衣装の準備をするもの。招待状を作るもの、そしてそれを送るもの。

 ――王宮内外問わず、そして様々な人々が行き来していた。

 アリシアと数人の侍女は、その人ごみに紛れて国を離れることに成功したのだ。


「今後の話もあるから、後から兄が合流することになっていたの。だから、私はあの村で兄を待っていた。──そして出会ったの。……貴方に」


 あの夜……あの月の下の……鮮やかな景色。

 今でも瞳を閉じるだけでよみがえる光景。

 ジェイクはアリシアへと手を伸ばし、その髪に触れた。

 アリシアが恥ずかしげに小さな声を出す。


「憶えていてくれて……有難う」

「……当たり前だ」


 ジェイクは、アリシアの髪から頬……肩へと指を滑らせ……その身体を自身に引き寄せる。

 ──二人の距離が一気に無くなった。


「……あの後……大丈夫だったのか?」


 耳元……というより、頭に直接響く声。

 アリシアは、少しだけジェイクに頭を寄せた。


「……気が付いたときは、神殿の中だったわ。貴方と別れた後、気を失ったみたい。直ぐに馬車で神殿に運ばれたそうよ」

「……すまない……」

「どうして?……私が勝手にしたことよ」


 アリシアは首をゆっくりと横に振り、身体を起こした。自身に掛けられていた布団を、ジェイクにも被せると楽しげに笑みを向けて


「目の前の幼い少年が痛がってるのに、見過ごすわけにはいかないでしょう?」

「…………。だから、俺の方が年上だって……」


 あの時と同じ言葉。──同じ会話。

 やがて、二人は同時に吹き出した。



 アリシアが目覚めたのは、倒れて三日後の事だった。

 まるで見た事の無い景色に、一瞬頭が混乱した。

 そのアリシアに最初に声を掛けたのが、神子イレーナだ。

 アリシアが運ばれてきた時の普通ではない症状に、イレーナはこの小さな少女が、禁断の技を使ったのだと即座に判断した。

 危険な状態だったアリシアの治療は、レイアの娘三人がかりで行われたのだ。

 アリシアはイレーナに、命を助けて貰ったことへの心からの感謝を。そしてこれまであった経緯を全て伝えた。

 イレーナはアリシアの言葉を全て信じ、村で何か変化があれば伝えてくれるとまで言ってくれた。

 アリシアは、回復までの間を神殿の中で過ごすこととなる。

 そして……待っていたアリシアに届いたその知らせは、アリシアを暗闇のどん底に突き落とした──。


「サマーシアの……悲劇……」


 ジェイクはその言葉を、迷うように途切れ途切れの小さな言葉で呟いた。

 アリシアは、その言葉に頷くように瞳を閉じた。


「その時……その場所で、何が起きたのか……私にはわからない。でも、伯父様が仕組んだことだと……そして家族を失ったことだけは分かったわ。……私自身が消えた事も……」

「アリシア……」


 ジェイクが身体を起こし、アリシアを見つめる。

 アリシアの瞳は閉ざされたままだった。その頬に指先を伸ばす。


「あの日……何もかもが消えてしまったの……」


 頬に指先が揺れると、ゆっくりとその瞳が開かれた。

 その表情は笑みのようにも見えた。泣いてはいない。

 ──けれど。


 あまりにも透明で。

 あまりにも綺麗で。

 あまりにも悲しげで。


 ジェイクは、アリシアを抱き締めずにはいられなかった────。



 居場所を失ったアリシアは、能力を持っていた事が幸いし、そのまま神殿で働く事となった。

 アリシアについていた侍女は、特別の計らいでサシャーナの村で生活させてもらえた。その後の事についてはジェイクに話さずとも概ね想像出来るだろう。

 たった数年で十年分の知識を習得し、神殿の誰からも慕われているとイレーナは言っていた。

 ……確かに並大抵の努力ではなかったはずだ。


「ジェイクが居てくれたから……生きていられたの」

「……俺?」

 ジェイクの腕の中でアリシアが小さく頷いた。ゆっくりと、自身の両腕をジェイクの背に回すと


「言ってくれたでしょう? また逢おうって……」


 告げながら、その腕に力を込めた。


「貴方に逢うために、それだけを支えに……今まで生きてきたの……」


 ジェイクは、アリシアの言葉に……回された腕に応えるように、自身の腕に力を込める。


「アリシア……」

「言葉をくれて……有難う……」


 二人は、強く……強く──……抱き締めあった。


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