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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
胸騒ぎの雨
24/69

<3>月の光で咲く花は

 ジェイクとフィオナに与えられたその客室は、二人で過ごすにしても有り余る広さがあった。

 大きな窓から差し込む光は、月の光だろう。

 灯りが無くとも部屋の中を容易に照らし出す事が出来ていた。

 二人はその部屋にある、人一人が十分に眠れるほどの長さのあるソファで対峙していた。

 フィオナがジェイクの問い掛けに、返す答えを思案しているように眼差しを逸らす。

 ジェイクは言葉を続けた。


「……謁見の間に入る直前……貴女の肩が大きく震えた事がありました。あれは、謁見の間から出てきたあいつを見たからでしょう?」

「…………」

「それから、マーカスがバーナムの名前を出した時も……」

「…………」


 ジェイクの声を……言葉を……静かに聞いていたフィオナは、緩やかに瞳を閉じた。


「バーナムは貴女の事を……姫……と呼んでいましたが……」


 フィオナは、閉じた瞳を再び開くと細く息を吐き、何か──決心したようにソファを離れる。

 そうして……ゆっくりと窓際へ歩き出す。


「あの男が姫と呼ぶ人物は……恐らく一人しか居ないのでは……」

「…………あら。此処……バルコニーに繋がってるんですね」

「……フィオナ殿?」


 ジェイクの話を静かに聞いていたフィオナは、その話を逸らすように言葉を告げた。

 やや弾むような楽しげな声。

 それは、ジェイクの座るソファの場所から少し離れた窓際の大きな扉。

 フィオナはそれをゆっくりと開けた。

 ジェイクが徐に立ち上がる。


「……今日は半月なんですね」


 バルコニーへ出ると眼前に広がったのは庭園。それを淡く照らし出す月の光。

 半月とはいえ、その光は意外にも強いのだろう。

 周辺にあるのであろう星々の煌めきは、今は探し出せない。

 月光で描かれる幻想的な景色にフィオナは瞳を細めた。

 ジェイクは、バルコニーへの出入り口へと辿り着く。

 フィオナは、ジェイクの方へと振り返った。


「フィオナ殿。……もう冷えますから……」


 ジェイクはフィオナを気遣い、中へ入るように促す。

 今のフィオナは、あの時のように上着を羽織ってはいなかった。

 しかしフィオナは、その声を聞いたのか聞かなかったのか……小さな笑みを向けた。


「ジェイク様にとって……アリシアって、どんな存在の方なんですか?」

「……は?」


 それは、あまりにも唐突な言葉だった。

 アリシアの話をフィオナにしたのは、一度だけだ。

 話をしたというよりは、人違いで勝手に声を掛けたに過ぎない。

 何故今その話を?

 フィオナはジェイクに笑みを向けたまま、次の言葉を待っているようだった。


「……アリシアは……」


 フィオナの問いに答えるべく、ジェイクが声を出す。


「私が探し求めるたった一人の人です。忘れる事の出来ない……」

「…………何がそんなに貴方を夢中にさせるんでしょう? 出会いが衝撃的?」

「ああ……。確かに出会いは衝撃的でしたが……」


 フィオナに誘導されるように、ジェイクは言葉を声にする。

 けれど何か……不可解だった。


「そうですね。目の前に居る女の子が裸だなんで……なかなか無い光景です」

「……フィオナ殿?」


 ジェイクは、フィオナを見つめた。楽しげに笑っている。

 夜を淡く照らす月の光は、バルコニーに居るフィオナの表情も容易に映し出す。

 けれど……何を話しているんだ。――何の会話なんだこれは……。

 ジェイクは僅かに混乱する。

 フィオナは、笑みを浮かべたまま眼差しを少し下げた。


「でも……それだけです」

「……傷を……治してもらった……恩人なんです……」

「目の前で、あんな風に崩れそうになる人が居れば、誰だって手を差し伸べます」

「…………」

「……夢中でした……。禁断の技とは知らず……夢中で傷を食べました」

「……禁断?」


 訳が分からなくなってきている状況で、ジェイクが漸く声に出した短い言葉。

 フィオナが小さく頷いた。


「後から知った事です。傷を食べる行為は、相手の傷を負った体と自分の命の欠片を入れ替える事と同じ事だと。……相手の傷が深ければ深い程……食べた分だけ命を削る事になります」

「──!?──」

「具合が悪くなるのも当然ですよね」


 思い出すように遠い目をしながらクスクスと笑うと、フィオナは空を見上げた。


「……あの夜も……月の綺麗な夜でした……」

「……待ってくれ……」


 ジェイクはそれ以上声が出せなかった。

 なんだこれは?

 一体何を話しているのか。

 目の前の彼女は一体誰だ……?


「でも……たった一度きりの出会いです」

「…………」

「もう、そんな風に思わないで……」

「…………出来るわけないだろう」

「……ジェイク様……?……」

「思わないなんて無理に決まってる……」

「…………」


 先程の何も言えない状況とは一転。今度はジェイクが喋り出す。

 頭は混乱したままだ。

 けれど、胸の奥……湧き上がるものが。

 ──溢れるものが……あった。

 フィオナは驚いたように瞳をジェイクへ戻し……切なげに揺らした。


「回数じゃない。……時間じゃないんだ……。そんな事で切り捨てられるものじゃない……」


 ジェイクの言葉にフィオナが小刻みに首を振る。


「駄目……」

「出会いも、出来事も、景色も……。全てが特別なものだ」

「そんなこと言わないで……」


 フィオナは、ジェイクの言葉に耐えきれず、視線を逸らす。

 そのフィオナに叫ぶような──声。


「……じゃあ、お前はどうなんだ! あの日の事も俺の事も、何とも思ってないのか!」


 ──その言葉に。弾かれたように、眼差しを戻すフィオナ。

 ……大きく……大きく首を振った。


「────そんな事……あるわけないじゃない……」


 向けたフィオナの表情は、消えそうなほどに透明で……悲しげだった。

 徐にフィオナは頭上へと両腕を伸ばす。

 パチン……。小さな音と共にヴェールを外した。

 ……その髪の色が露になる。


「──!──」


 ──ジェイクは息を呑んだ。フィオナは結い上げた髪をハラリと解く。

 豊かな……仄かに紅が色付く銀の髪が、夜風を孕んで静かに広がり……月の光に照らし出される──。


「貴方は私の全てだった……。私は貴方が居たから、これまで生きて来れたの──」


 フィオナの言葉は、夜風に溶けた。



 ──花だ。

 あの時と同じ──。

 一面の花がそこに──。



「……アリシア……」


 ジェイクは、バルコニーへと一歩踏み出す。

 フィオナ……アリシアの瞳から、光るものが流れた。


「……どうしてあの時、言ってくれなかったんだ……」


 その言葉にアリシアは、再び大きく首を振る。

 ジェイクはまた一歩……もう一歩……アリシアの元へと……。


「アリシアは死んだわ……。もう……アリシアは居ない……。だから……」

「…………」


 表情を隠すようにアリシアは、顔を両手で握ったヴェールで覆う。

 ジェイクは、アリシアへと手を伸ばした。


「……忘れて……」

「……バカな……!……」


 伸ばした手はアリシアの髪に触れ……肩に触れ……背中に触れ……そのままアリシアを引き寄せる。


「俺の知ってるアリシアはお前だ。……お前しか知らない」

「ジェイク……」

「お前がアリシアじゃないと言うなら、もうアリシアなんてどうでもいい!」


 顔を上げたアリシアの瞳から、涙が止めどなく溢れる。

 ジェイクはその涙を指先で拭い


「探していたのはお前だ。……お前だけだ……」


 強く────強く抱き締めた。


「……ジェイク……」


 アリシアは、ジェイクの腕の中で潤んだ瞳を閉じ……その身を預けた。

 力の抜けるその身体を、離すまいとジェイクの腕に力がこもる。


「……やっと逢えた……」


 アリシアを抱き締める強い思いと同時に、ジェイクの頭の中は霧が晴れたようにすっきりしていた。

 出会いの時に感じた奇妙な感覚

 無邪気に振る舞うフィオナの姿

 樹海で傷つきながらも失わない気高さ

 ──全ての違和感が一つに繋がる。

 何一つ間違ってはいなかった。


「──もう迷わない──」

 ジェイクの告げたそれは、アリシアに向けた言葉ではなく……自身に言い聞かせるような言葉。

 呟くような声はけれど、アリシアの耳元には容易に届く音。


「……迷ってたの?」


 その言葉に、アリシアが泣きはらした顔を上げ、クスリと小さく笑った。

 その表情にジェイクは僅かに眉を顰め


「……そこ笑うとこか?」


 コツンと。アリシアの額に自身の額をぶつけた。

 吐息すら届いてしまう距離、そのくずぐったさに、どちらからともなく笑い合う。

 ややあって、アリシアの肩が小さく震えた。


「ああ……寒いな」


 アリシアの様子に小さくそう呟くと、ジェイクはアリシアを抱き上げた。

 ──突然の浮遊感。アリシアは驚いてジェイクを見上げた。


「……えっ……? 待って」

「待たない」


 戸惑いながら、ジェイクを見つめるアリシアとは対照的に、ジェイクは平然とした表情で歩き出す。

 そのまま部屋へと入り肩で大きな扉を閉じると、一直線にベッドへ向かった。


「今まで散々抱き締めたし、散々抱き上げた。──今更恥ずかしくもないだろう」


 そう言いながら、ジェイクの頬はほんのり赤みが浮かび上がる。

 それを見つめるアリシアの頬はそれ以上に赤かったけれど……なんだか可笑しくて……知らず笑みが漏れた。

 やがて、ジェイクはベッドに辿り着くとアリシアをその上に乗せ、上掛けを被せる。


「……これで寒くないか?」


 ベッドの端に座り、アリシアの顔を伺うように覗き込んだ。

 アリシアは小さく頷いた。

 その仕草にジェイクも頷き。


「じゃあ、話せ」

「……ジェイク?……」


 アリシアを真剣な眼差しで見つめた。


「話せ。──全部だ。何があったのか。……お前が抱えてるものも、全て」

「…………」


 アリシアの瞳に、戸惑いの色が見え隠れする。

 ジェイクはアリシアの片手を取り、自身の膝に乗せ……握りしめた。


「……傍に居る。俺が背負う。……お前ごと何もかも……俺が背負う」

「……ジェイク……」

「一人で抱えるのは許さない。もう……一人にさせやしない──」


 それは……誓いとも取れる言葉。

 涼やかな瞳の中に確かな光を感じた。

 その声に……その眼差しに……。

 アリシアはゆっくりと頷く──。


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