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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
迷いの森
21/69

<7>さよならの一歩

「この薬は、必ず一日二回。……ちゃんと飲んでね? まだ完治してないんだからね?」


 翌朝、念を押すように声を出しているのは、フィオナ。勿論それを聞いているのは、既に黒のマスクで顔を覆っている男だ。


「ああ、分かった。忘れてなければ、ちゃんと飲む」

「……忘れちゃダメでしょ」


 男は、自身の目の前に出された小袋を受け取ると、抗議の眼差しを送るフィオナの前で、それを指先でクルクル回す。身体に痛みは感じない。

 寧ろ傷を作る前よりも、身体が軽くなったように感じていた。


「ありがとな」


 フィオナに向けた言葉は、心からの感謝を込めて。

 フィオナは嬉しそうに微笑んだ。


「……これは、お前にやる荷物だ。水も食料も十分にある」


 続けて声を掛けたのは、ジェイクだ。ジェイクの後ろで、マーカスが馬を引いている。それは、今までフィオナが引いていた馬で、その上に荷物が載せてあった。

 それを見た男は、驚いたような声に言葉を乗せ、制止するように片手を前に出した。


「ちょっと待て。馬はいらん。その荷物も多すぎだろ」

「馬は売れば金になる。食料も元々大目に載せてたから、問題はない」


 男の制止は聞かず、ジェイクは馬を男の前まで連れてくる。そうして、男の目の前に立つと


「……夜の情報の礼だ」

「あんたら……揃いも揃ってお人好しだな」


 男は呆れたように息を吐く。ジェイクは含んだような笑みを、口元に忍ばせると


「……移ったのかもな」


 ちらりと。傍らのフィオナを見つめた。

 フィオナは、名残惜しげに男の黒の顔をじっと眺めていた。


「……また会える?」

「おいおい……会えたらびっくりだぞ」


 フィオナの問いかけに男は瞳を丸くし、頭上のヴェール越しに、フィオナの頭をポンポンと叩く。


「じゃあな」

「……ああ」


 先に男が立ち去る。朝の陽ざしもこの場所には淡い光で、そんな中、馬を引き連れながらも、器用に樹木の間を縫ってゆく。

 ──男が振り返ることはなかった。


「お二人とも……いつあの男と親しくなったんですか?」


 男の姿が見えなくなった頃。おずおずとマーカスが問いかけた。

 夜のあの時間……マーカスは仮眠中で、何があったのかを知らない。

 ジェイクとフィオナはマーカスを見た後、お互いに眼差しを合わせ、小さく笑った。


「……行こう」


 短くジェイクが告げる。──それが合図。

 二人はジェイクに頷くと、ゆっくりと歩き出した。







 あれほど彷徨った樹海も、抜けて元の道に戻れば、厳しい道のりではなかった。

 道の狭さは変わらないものの、うっそうと茂る樹木に感じた薄闇の心細さを、もう感じる事は無い。

 木々の隙間から零れる光の眩しさに、それぞれが瞳を細めた。

 フィオナの馬は、男に渡してしまった為、ジェイクの隣を歩くフィオナは手ぶらだった。荷物は、ジェイクとマーカスの馬に分けて載せてある。

 フィオナの荷物の大半は、乾燥させた薬草の類だ。かさばりはするものの、重量はそれほどでも無い。


「お手数掛けさせてしまって……すみません」


 申し訳なさげに、フィオナがジェイクとマーカスに謝辞を。

 二人の後ろを歩くマーカスが、慌てて首を振った。


「とんでもない! フィオナ殿の責任なんて、欠片程もありませんよ」


 ジェイクもその言葉に頷く。


「貴女の馬をあの男に渡したのは、私の独断です。寧ろ、謝るのは私の方だと思いますが」


 涼やかな眼差しが、フィオナを捉える。

 フィオナは向けられたその言葉に、軽く顔を横に振り


「いえ……。あの人を思っての事でしょう? 異論はありません」

「…………」

「……?……」


 フィオナのその言葉にジェイクは肯定を示さず、突然黙り込んでしまった。

 フィオナは不思議そうにジェイクを見上げた。


「いえ……そうですね」


 ジェイクは、濁すように返事をした。

 馬を男に渡したのは、男を気遣ったわけではない。自身が手の届く場所に、フィオナに居て欲しかったからだ。

 馬が間に入ると、どうしても手が届かない。

 男に荷物を渡した事で、フィオナの馬に載せていた物を分割できたのは、逆に好都合だった。食料に不安はあるものの、今後今回のような事が無いとも限らない。

 考え得るあらゆる対策を、打っておきたかった。


「体調はどうですか?」

「私ですか? 普段通りですよ」


 ジェイクの声に、フィオナは笑みを浮かべながら、言葉を返した。

 しかし、その言葉とは裏腹に、フィオナの顔色は誰が見ても明らかに悪い。白い肌が、いつも以上に白く感じる。つまりは病的だ。

 フィオナは、前日から寝ていないに等しい。しかもほぼ一日中、男につきっきりで光を放っていた。体力など、とうの昔に失っている筈だ。

 フィオナの体調を考えると、一日何処かで休息を取りたいところだったが、あの惨劇の後の場所で、もう一泊は勘弁したい。

 そうなると、この山間を早く抜けるしか方法が無かった。


「今朝は、あまり食事を摂りませんでしたが……」

「力を使った後は、食欲が無くて……。いけませんね……これからこんな事が増えるのに、これでは……」

「何をバカな……。こんな事二度とありませんよ」


 ヴェール越しに、頭を押さえつつ笑うフィオナの表情に、力はなく。

 ジェイクは、フィオナの言葉にやや眉を顰め、フィオナの首筋に触れた。包帯の巻かれたその場所が痛々しい。

 フィオナの瞳が僅かに揺れた。


「あ……いえ。治療の話です。これから沢山の怪我人の方と、向き合わなくてはならないのに……」

「一日中治療に従事するような、過酷な環境にするつもりはありません。……というか……」

 ジェイクは、何かを言いかけて止めた。

 フィオナから視線を外し、考えるように前を向く。

 フィオナが首を傾げた。


「……何でしょう?」

「……貴女を、お連れして良いものか……悩んでいます」

「……? その為に同行しているんですけど」

「…………」


 確かにフィオナの言う通りだ。部隊を離れ、わざわざ神殿に出向いたのもその為だ。

 しかし、あの男の言葉が頭に響く。


 ──あそこは近いうちに戦場になる──


 そんな場所へ……わざわざ危険だとわかっている場所へ……フィオナを連れて行くのか……。


「戦場になれば、私の出番が増えますね。……頑張りますよ?」


 思いつめたような表情にも見える、ジェイクの眼差し。

 フィオナは、その目線に映るようにジェイクを覗き込み、楽しげな笑みを向けた。そうして、弾むような足取りでジェイクの少し前を歩く。

 ジェイクはその後ろ姿を眩しげに見つめた。


「私は、神殿を出てしまいました。帰る場所は、無いと思っています」


 続ける言葉は、歌うように軽やかな声に乗せて。


「だから……この役割を頂けてるこの期間だけは……」


 クルリと、ジェイクの方を振り返る。

 ──そうして見せたのは満面の笑み。


「……私に居場所をください」


 朝焼けの木漏れ日が、フィオナと溶け合う。

 朝露の残る木々の葉が、光を生み……フィオナと重なる。

 その景色は、まるで一枚の絵画のように煌めいて……ジェイクはフィオナから目が離せなかった。


「……あ……っ……」


 ジェイクに微笑みながら、後ろ向きで歩いていたフィオナは、何かに躓いたのか、足が絡まったのか……体勢を大きく崩した。

 ジェイクは大きく一歩を踏み出し、フィオナの腕を引く。


「……有難うございます。失敗しちゃいました」


 力強く引かれた身体は崩れ落ちることなく、そのままジェイクの胸元へ。

 フィオナはジェイクを見上げ、小さく舌を出すと、軽く肩を竦めた。


「……あまり……無理をなさらないでください……」


 ジェイクのその言葉は、絞り出すような声。煌めくフィオナを眼前にして、その言葉が精いっぱいだった。

 顔色なんて無い……体力なんて無いのに。精いっぱいの明るさで……精いっぱいの笑顔。不安も不満も表情に出さず、いつものように弾む足。──心が震える。

 そっと、フィオナを傍らに開放すると、そのまま歩調を合わせて歩みを進めた。


「……気を付けます」


 こつんと。片手で拳を作り、頭に乗せたフィオナ。

 ジェイクと同じように歩みを進めた。

 早くもなく遅くもなく……フィオナに合わせた歩調。向けられる気遣いも、優しさも……いつもそこにある。見上げれば、いつもそこに居る。

 ──あたたかい。

 傍に居るだけで安心できる。……心が穏やかになれる。

 フィオナは、少し……ほんの少しだけ。ジェイクに寄り添うようにその距離を縮めた。







 けれど時は残酷で、それは誰にでも平等で

 いつかその時が来るのでしょう

 だからせめてそれまでは────


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