<6>面影に涙を添えて
さらさらと風が流れる。木々の葉か微かに揺れた。
──寒いのは気のせいじゃないだろう。
あれから月はどれくらい傾いただろうか。
ジェイクは毛布を二枚取り出すと、変わらず光を放つフィオナの方へと向かい、一枚をその肩に掛けた。
もう一枚は、男の身体に
──バサッ──
「おいおい。随分扱いに差があるじゃないか」
苦笑交じりに男が抗議すると、戻ろうとしていたジェイクが立ち止まり
「置いてやっただけ有り難く思え」
ニヤリと。口角を上げ不敵な笑みを向けて立ち去った。
フィオナがクスクス笑いながら、男の身体に乗った毛布を掛け直すと男はフィオナへと視線を移し
「そこ笑うとこか? おい」
「だって、男の子の喧嘩って感じなんだもん」
「子ども扱いかよ……。あんたいくつ?」
「一六だけど?」
「年下じゃないか。俺一九」
「大差無いじゃない。細かいこと言わないの」
「なんだよそれ……っ……」
言いかけて、男はむせた様にゲホゲホと咳き込む。
フィオナは男の身体を横に向けて、背中を支えた。
「……大丈夫?……ねえ、そのマスク……呼吸辛くないの?」
男の瞳以外の全てを覆い隠すその黒い布は、その口元もきつく縛っているようにも見えて、フィオナは不安げに問いかけた。
男が気を失っている間、何度もそのマスクを外そうと考えたものの、本人の意思無しに外すのは気が引けて、結局外せないままでいたのだ。
「あぁ?……ああこれか」
その言葉に、男は今気付いたかのように顔を覆うマスクに触れ
「普段はもう慣れてるから、気にならないけどな……」
そのまま口元へと大きく引き下ろすと、頭を覆う布も同時に外した。
そうして横にしていた身体を仰向けに戻し
「……確かにこっちの方が楽だな」
大きく深呼吸をし、フィオナに笑いかける。
口調に似合わず、上品さが漂う優しげな表情。
細く柔らかな金髪の下で揺れる淡い碧の瞳が印象的だった。
「……どうした? あまりの美形に見惚れたか?」
フィオナは男の顔を見た瞬間から、驚いたように目を見開き固まっていた。
男を片時も視線から外そうとしない。
男は茶化すようにフィオナに声を掛けた。
フィオナは、その声で漸く我に返る。
「ごめんなさい……。よく知ってる人に……似てたから……」
「──――あんた……神殿育ちじゃないのか……」
フィオナの言葉に、何か気付いたのだろうか。男の視線は、鋭く変わる。
フィオナは、小刻みに首を横に振った。それが問いかけの答えなのだろう。
男は深く息を吐き
「……よく言われるが……似てるだけだ」
そのまま天を仰ぐ。
フィオナは、ずっと男の顔を見つめたままだ。その眼差しはまるで大切な人を見るような……。
やがて、その瞳に光るものが生まれた。
「……泣くな。……別人だって言ったろ」
「……っ……ごめんなさい……」
フィオナは口を固く閉じ、必死に涙を止めようとしていた。
瞬きをしないその表情……言葉に苦笑しつつ、男はゆっくりと視線を変える。
「……あいつが見てるぞ」
移した眼差しの先……ジェイクと視線が重なった。ジェイクは二人の様子に怪訝そうに眉を顰め……徐に立ち上がると、二人の場所へと歩みを進めた。
「……マスク外したのか」
再びフィオナと男の間に入り、静かにしゃがみこむと、表情が露わになった男に視線を投げる。
男はニヤリと笑みを浮かべるものの、元々が穏やかな顔立ちだからだろうか、あまり嫌味らしく見えなかった。
「ああ。あんたに負けず劣らずの美形だろ?」
「……」
「こら、無視すんな」
その言葉に、ジェイクは無反応。
フィオナへと眼差しを移すと、気遣うように声を掛ける。
「どうしました?」
「いえ……」
ジェイクの言葉に、フィオナは空いている片手を横に振る。
やや涙交じりのその声ではそれ以上のことは言えず、困ったように瞳をそらした。
男が割り込むようにジェイクに声を掛ける。
「あんた過保護だなあ。俺があまりにも美形だから、感動してんだよ」
「大した自信家だな。……口調と顔が不釣合いだ」
「うっ……。人が気にしてることを……」
ジェイクの言葉に、男はわざとらしく傷ついた表情を浮かべた。
フィオナは二人のそんな会話のやり取りに小さく笑う。
「お二人……仲が良いですね」
「…………は?」
その言葉は二人同時に。
訳が分からない。
そう言いたげな表情を二人はフィオナに向け
「何処をどう見たらそうなるんだ!」
男がフィオナを指さし、まるで抗議でもするかのような声。
フィオナはきょとんと首を傾げた。もうその瞳に涙は無い。
「だって、さっきから楽しそうに会話するなあって思って……」
「天然か……そうか。何処までも天然なんだな……。恐ろしい……」
男はがっくりと肩を落とし、憐れむようにジェイクを見上げた。
「あんたも大変だな」
「いや……もう慣れた」
ジェイクは、しみじみと告げられその言葉に、片手を上げつつ苦笑する。
「そういや、あんたら……これからフォゼスタの王都に行くのか?」
不意に男が、声を掛けた。この森の先はフォゼスタ王都だ。まだ道のりは長いが、一本道といっても過言ではない。男が問いかけたのは、おそらく王都へ行く目的だろう。ジェイクは軽く頷いた。
「サマーシアとの国境付近の、小競り合いを収めに行くんだ。その前に王に挨拶に行かなくてはならない」
「……あんたら、どっかの騎士か?」
「コーエンウルフだ」
「おいおい、大国じゃないか……。けどな……それ、止めといた方がいいぞ」
男の表情が険しく変わる。ジェイクはその表情を訝しげに見つめた。
「どういうことだ」
「国境を出てフォゼスタに居座ってる連中な。あれ難民じゃなくて傭兵だぜ」
「……なんだと?」
男がクイ……と親指を立てた。おそらくフォゼスタ国境を差したのだろう。
ジェイクとフィオナはその言葉に表情が固まった。男は言葉を続ける。
「知らなかったろ? 傭兵の間じゃ割と有名な話なんだけどな」
「お前傭兵だったのか……」
「見えないだろ? だから顔隠してんの」
「……詳しく聞かせてくれないか」
告げたジェイクの声は固い。
「簡単に言うと、サマーシアはフォゼスタを狙ってるんだ。正確に言うとサマーシアの宰相だけどな」
「……あそこに王は居ないんだったな……」
「良く知ってるなあ。そうだ。王は三年前に殺されてる」
サマーシアの悲劇……。これは有名な話だが、それは東側諸国に限っての事だろう。
西国コーエンウルフのジェイクが、この話を知っているとは思わなかった。
男はジェイクの言葉に感嘆した。
「で……だ。王の代わりが当時から宰相をやっていた奴だ。そいつが国土拡大を目論んで、政策を転換したのさ。その一発目がフォゼスタ侵略って事だ。てっとり早く傭兵を侵入させてな」
「成程……。騎士だと一目瞭然だからか」
「それもあるだろうが……サマーシアの武力は、そんなに高くない。元々平和的な国だしな。イチから騎士育てるより、傭兵の方が即戦力になるって事だろ。高い金で傭兵雇うもんだから、傭兵の中ではあそこの宰相は上客らしい。……ま。高い税金せしめてんだから、宰相自身は痛くも痒くもないけどな」
「酷い……」
二人の会話に、フィオナは空いている片手で口を覆った。
「だから、あそこは近いうちに戦場になる。……どうしても行くってんなら、きちんと武装すべきだ」
そこまで告げて、男はチラリとフィオナを見た。
フィオナは愕然としているのか、表情が固まったままだ。
「……ここからは俺の独り言な……」
繋げた言葉はやや低めの声。
「……サマーシア国内で、内乱が始まる。奴の目がフォゼスタに向いている今なら、奴を倒せるって事だろう。上手くいけば……奴の時代は終わるな」
「よくそんな情報……」
ジェイクが告げる途中で、男が軽く腕を上げた。
「……独り言な?」
再び同じ言葉を繰り返しニヤリと笑う。
しかしその笑みは、顔立ちのせいか上品な微笑みにしか見えなかった。




