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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
迷いの森
19/69

<5>目覚めの後の

 男が目を覚ましたのはジェイクが仮眠を終え、マーカスと火の番を交替して暫くの頃だった。

 フィオナは食事を終えて直ぐに男の傍で治療を再開していた。山場を越えて、集中して治療する必要が無くなったのか、フィオナの光の放出は断続的なものに変わっていた。

 遅まきながら首筋の処置もしたのだろう。フィオナの首には包帯が巻かれていた。

 ジェイクの腕の中でうたた寝して以降……フィオナは一睡もしていない。

 ジェイクはフィオナの様子を気にしつつも、邪魔にならないように静かに火の傍で座っていた。


「……う……」


 呻くような男の声が聞こえる。

 フィオナは瞳しか見えない男の表情を見つめた。

 男の瞳がゆっくりと開かれる。


「……具合はどう?」


 フィオナが、静かに声を掛ける。

 男は声の主が何処かわからず、虚ろな瞳を彷徨わせた。ややあって、焦点が合ってくる。淡い光に浮かび上がるフィオナを見つけた。

 ……刹那、男の瞳が大きく見開く。


「……あんた……。目が覚めるくらい綺麗だな……」

「…………」


 問い掛けの返答にしては、明らかに方向性の違う言葉にフィオナは眉を顰める。


「……お世辞を言える元気があるなら、もう大丈夫ね」


 そう言うと、未だ治療中の腹部を軽く叩いた。


「いって……!……患者にはもっと優しく……」

「十分優しいわよ。もうそんなに辛くないでしょ」

「ああ……確かに……」


 男が考えるまでもなかった。驚くほどに、身体が軽い。

 フィオナに出会う前の苦しみも、痛みも……まるで嘘のように。


「……助かった……」


 男は、心底安心したように息を吐いた。


「まだ完治とまではいかないけど、朝までには動けるようになるわ。今はまだゆっくりしてて」


 フィオナの言葉に、軽く目線で頷くと、男はじっとフィオナを見つめ


「あんた本当に娘だったんだな……」

「嘘だと思ってたの?」


 フィオナはその言葉に、呆れたように声を出す。




 その声を耳の端で聞いたジェイクが、視線をフィオナへと向ける。


「あいつ……意識が戻ったのか……」


 二人の会話の様子を認めると同時に立ち上がり、徐にフィオナの方へと歩き出した。




「いや……まあ。半信半疑では……あった。だって信じられるか? レイアの娘だぞ?」


 レイアの娘と言えば、サシャーナの神殿だ。そもそも娘が神殿から出るなど考えられない。

 そこはフィオナも頷かざるを得ないわけだが。


「……まあ。正確にはレイアの娘じゃないんだけど……」

「レイアの娘としての時期を逸しただけだ。娘としての能力は、誰よりも長けている」


 会話に割り込むように、言葉を付け足したのはジェイクだ。憎々しげに男を見下ろしている。

 男は驚いたようにジェイクを見上げた。


「よくこの場所に入れたな」

「……お蔭様で」


 ジェイクは、男とフィオナとの間に割り込むように立った。故に、フィオナからジェイクの表情は一切見えない。

 しかし、明らかに敵意むき出しのその口調に、その表情は容易に想像が出来た。


「あの……ジェイク様? 落ち着いてください……」

「貴女に傷をつけた男ですよ? どうやって落ち着けと」

「……それは悪かったと思ってるよ。仕方ないだろ。こっちだって、命がかかってたんだから」

「命がかかったら人を襲ってもいいのか」

「何でもするさ。あんただってそうだろ」

「貴様……!……」

「ジェイクさま……っ」


 フィオナは治療中で身動きが取れない。

 辛うじて空けた片手でジェイクの腕を引っ張ると、今にも男に殴りかかりそうなジェイクを見上げた。


「彼はもう私の患者です……! 彼に手を出したら許しません!」

「フィオナ殿……」


 言葉とは裏腹な……必死に懇願するような表情。

 ジェイクは、しがみつくフィオナの腕を、振り払う事は出来なかった。


「それと貴方。ジェイク様は命が関わるような事態には陥らないから、変なこと言わないで」

「ははっ……。あんたがお守りするってか? 良いご身分だな」

「……!!……」


 ジェイクは再び激情に駆られる。

 けれど、次の言葉が……それを止めた。


「……? 守られているのは私の方よ?」


 フィオナは、不思議そうに首を傾げ男に告げた。

 意外な言葉にジェイクも、男も……時が止まる。フィオナは言葉を続けた。


「ジェイク様は、いつも私を守ってくれてるわ。ジェイク様が居るから、私はいつでも安心して歩けるの」


 言葉は弾むような音色を含む。告げるフィオナの表情は、あまりにも柔らかくて……幸福に満ちていて……。

 見ている二人が赤面してしまう程だった。男がコホンと一つ咳払いする。


「ああ、分かった分かった。……ごちそうさん」

「……?……」


 男が話を切るように言葉を告げると、そのまま視線を何処か違う方向へ向けてしまった。何かおかしな事を言ったのだろうか。問いかけるようにジェイクへと眼差しを向けると


「…………」


 ジェイクは片手で顔を覆い、表情を隠すようにしていた。


「……私、変な事言いました?」

「……あ……いや……」


 たどたどしく言葉を告げながら、ジェイクがフィオナに目線を合わせるように腰を下ろすと


「貴女が無邪気な方だという事を、忘れていました……」


 フィオナの肩を、ポンポンと叩いた。フィオナはますます意味が分からない。


「……なに。彼女ってそういう感じの子なのか」

「まあ……そうだ」

「今時珍しいな。……ああ、神殿育ちか。わからなくはないな」


 よく分からない会話がフィオナの目の前で繰り広げられる。

 今、フィオナの頭の中は謎だらけだ。

 ──けれど。


「……有難うございます……」


 耳元で、囁くように。ジェイクの声にならない声が、フィオナに届く。

 フィオナにしか届かない……吐息交じりのその声は、くすぐったくて、優しくて……。フィオナは胸の奥で温もりを感じた。


「でも……それ……私の台詞……」


 フィオナが告げようとした途端……ジェイクがフィオナの口元に、自身の指先を当てながら首を横に振る。

『救われる』……というのはこういう時に使う言葉なのだろう。

 いつ衝突するか分からない緊迫した雰囲気を、言葉一つで変えてしまうフィオナには感心するしかない。

 何よりその言葉にジェイクの心が救われた。


 ──守られているのは私の方──


 嘘でもいい。フィオナがそう言ってくれたことが、嬉しかった。


「……何かあったら、直ぐに呼んでください。傍に来ます」

「……何もしねえよ」

「……そうだろうな」


 一気に緊張感が無くなってしまったこの空間で、男も気概が失せてしまったのだろう。ジェイクの言葉に、割り込んで告げた言葉は、やや吐き捨てるように。

 男はそのまま瞳を閉じた。

 その様子を見届けるとジェイクも薄く笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がり、焚火の場所へと戻って行く。


「なんだか私一人仲間外れにされた気分……」


 二人の様子を交互に見遣り、つまらなさそうにフィオナが呟くと、男がフィオナをちらっと横目で見た。


「首……悪かったな」


 ボソリと。その言葉はフィオナにしか聞こえない音で。フィオナは緩く笑みを浮かべると、軽く首を横に振った。


「その傷……自分で治せば良いのに」


 レイアの娘なのだから、それくらい簡単だろう。何より自身のこの傷を、ほぼ治しているくらいだ。

 男は、フィオナの首の包帯を指差しながら軽く告げた。

 フィオナは笑みを湛えたまま、静かに言葉を返す。


「自分の傷を自分で治すことは出来ないの」

「……そんな決まり、破れば良いじゃないか」

「決まりじゃないわ。自分の傷には力が働かないの。どういう理由かはわからないけど」

「へえ……。上手いこといかないもんだな」


 男はガッカリしたように瞳を落とした。

 フィオナは男の様子が少し可笑しくて、クスリと小さく笑った。

 男が不思議そうに尋ねる。


「……なんだ?」

「ううん……。貴方って、優しい人なんだなあって思って」

「…………」


 男は言葉に詰まる。

 フィオナと顔を合わせたくないのか、フイ……と顔を背けてしまった。


「? どうかした?」


 今度は逆に、フィオナが不思議そうに尋ねる。男がゆっくりとフィオナに視線を戻すと


「……あのな。仮にも自分を襲った奴だぞ」

「……だから?」

「ああもう……」


 きょとんと首を傾げるフィオナをよそに、男は何故か恨めしそうに、遠くのジェイクを見遣った。ジェイクは、楽しげに二人のやり取りを見ているようで、クスクスと笑っている。


「だって悪かったって謝ったじゃない。それで終わりじゃないの?」

「あんた、お人好しにも程があるぞ。そんなんじゃ、どんな悪人だって良い奴になっちまう」

「…………」

「……?……」


 フィオナの言葉が止まった。男は不意の沈黙に軽く首を傾げる。

 フィオナは、男を見ているようで……何処か遠くを見ているようで


「……どうした?」


 フィオナは問い掛けに視線を合わさないまま、緩やかに首を横に振る。

 浮かべた表情は笑みだったけれど……何処か悲しげな笑みだった。

 その印象的な表情に、男はドキリとする。


「残念だけど……そこまで心は広くないわ」

「へえ……。あんたが言う位だから、よっぽどの悪人だな……そいつ」


 男が笑うように瞳を細めた。けれど、それ以上の追及はしない。

 フィオナも言葉を続けることはしなかった。


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