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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
迷いの森
18/69

<4>夜に二人(2)

 トクン……トクン……。

 鼓動が聞こえる。規則的な……優しい音。

 温もりを感じる……。

 優しく……包み込むような心地良さ。

 いつからこうしているのだろう。……よく分からない。


 まるで眠りから覚めたかのような、虚ろな眼差しでフィオナはゆっくりと見上げた。

 ──刹那。フィオナは目を見開いた。

 視界に映ったのは瞳を閉じたままのジェイク。

 ……その悲壮感漂う表情に。


「ジェイク様……?」


 呟いて……思い出す。

 そうだ。此処で泣いていた時に……彼が来たのだと。

 けれど、自身の中の慟哭を抑えるのに精いっぱいで、ジェイクの事に気付けていなかったフィオナは、ジェイクの表情に困惑した。

 恐る恐る……ジェイクの頬に触れる。


「……フィオナ……」


 触れた頬。

 頑なに瞳を閉ざしていたジェイクは、その指の感触に漸く瞳を開け……フィオナを見つめる。

 眼差しが重なる。

 フィオナは戸惑うように声を出した。


「あの……私……ごめんなさい。……取り乱してしまって……」


 恐らく我を忘れている間に、ジェイクに何かしてしまったのだろう。

 しかし、それを覚えていない。


「……何しました? 私……」


 伺うように上目遣いでジェイクを見つめ……単刀直入に聞いてみた。

 それを聞いたジェイクは、一瞬驚いたように目を見開き……すぐに穏やかな笑みを浮かべた。

 いつものフィオナだ。ただその事に安堵した。

 そうして頬に添えたフィオナの指に自身の手を重ねる。


「……何もありませんよ」

「……そんな筈ないでしょ」


 明らかに疑うような目線をジェイクに送る。

 ジェイクのあんな表情見たことが無い。絶対何かしでかしているはず。

 フィオナには、よく分からない確信があった。


「フィオナ殿が泣いていただけです。……本当ですよ」


 本当にそれ以上の事は無い。勝手に自責の念に駆られただけだ。

 ジェイクは静かに告げながら、指を重ねたフィオナの腕を引いた。

 フィオナは難なくジェイクの胸元に納まる。


「……あ……の……」


 途端にフィオナの顔が赤く染まる。今まで散々抱かれていたのに今更だが。

 ジェイクはそのまま、躊躇することなくフィオナを抱き締めた。

 耳元に囁くよう……穏やかな声で言葉を紡ぐ。


「今日は……大変な思いをさせてしまって、すみません」


 改めて、フィオナに謝辞を。フィオナは直ぐに首を横に振った。


「不慮の事故です。私は大丈夫……」

「……そう言って、またこんな風に泣くんでしょう?」

「……ジェイク様?……」


 フィオナは顔を上げた。見つめるジェイクは瞳を閉じていた。

 ──見透かされている。その事にフィオナはただただ驚いた。


「……どうして……」

「見ていればわかります」


 言いながら、ジェイクは瞳を開き……フィオナを見つめた。


「平気な筈ないでしょう。こんな目にあって」


 言いながらそっと触れたのは首筋の傷。フィオナの身体がピクリと震えた。

 ジェイクの瞳が悲しげに揺れる。


「……貴女を守れなかったのは私の落ち度です。責めていただいて構いません」

「そんな…………」


 フィオナは、困惑した顔で何度も首を横に振る。

 ジェイクは細く息を吐き


「だから……平気じゃない時は、そう言ってください。大丈夫だなんて言葉で偽らなくていい……」

「…………」

「……怖くていい。怖くていいんです。──必ず私が傍に居ます」

「……ジェイク様……」

「もう、こんな思いはさせません」


 ジェイクは真っ直ぐにフィオナを見つめた。

 ……強い眼差し、その表情にフィオナの何かが解けていく。

 知らず……瞳に涙が溢れた。


「はい……」


 瞳から零れた滴がフィオナの頬を伝う。

 いつ以来だろう。こんな風に穏やかに泣くのは……。

 ジェイクが緩やかにその涼しげな瞳を細め、指先を伸ばす。

 ……フィオナの涙を優しく拭った。


「泣きたくなったら、私の所へ来てください。他の人には見えないように泣かせてあげます」


 ジェイクのその言葉には、フィオナは緩く首を傾げた。


「なんだか変な言われ方ですけど……」

「他の人に見られたいですか? 」

「まさか……」

「じゃ、決まりです」


 ジェイクは、言いたいだけ言うとニッコリと笑った。

 どうも良いように丸め込まれてしまった感が拭えない。フィオナは唖然とした。

 ──それでも。


「……はい……」


 言葉に甘えるように頷いた。






「そろそろ戻りますか?」


 フィオナの涙が収まって暫くした頃、ジェイクが声を出した。

 泣きはらした瞳だとマーカスが驚くだろうと、少しの間、瞼を冷やしつつ様子を見ていたのだ。


「……もう大丈夫ですか?」


 水を浸した布を瞼に軽く当てていたフィオナは、その手を外し、ジェイクにその瞳を見せた。

 ジェイクはじっと考えるようにその瞼を見つめ


「大丈夫でしょう。もう腫れは気になりません」


 そう言って軽く頷くと、フィオナの荷物と水袋を自身の手元に寄せた。


「マーカス様……随分待たせてしまいましたね」


 フィオナが瞼を冷やしていた布を軽く絞ると、ジェイクが荷物をフィオナに差し出す。


「有難うございます」


 そう言ってジェイクから荷物を受け取ると、フィオナはその中に固く絞った布を丁寧に入れ込む。

 それを自身の肩に掛け、岩から降りようとした。

 すると……。


「ダメですよ。まだ歩ける状態じゃないでしょう」


 ジェイクがフィオナを軽く制した。

 次いで、フィオナの肩に掛けた荷物を半ば強引に奪い取る。


「え……でも……」


 また運んで貰うのは気が引ける。

 此処まで来るのにも、随分な距離を歩かせたはずだ。

 フィオナは困惑しながらジェイクに声を向けた。

 ジェイクは、フィオナに自身の顔を近づけると


「フィオナ殿が歩くよりは、早く帰りつけると思いますが?」


 悪戯っぽい笑みを向ける。フィオナはたじろぐ様に身を縮めた。


「……分かりました。降参です」


 軽く手を上げながら告げると、ジェイクは満足そうに頷く。


「では行きましょうか」


 ジェイクが両腕をフィオナに差し出すと、フィオナはおずおずとジェイクの首に手を回す。

 そのまま軽々とジェイクはフィオナを抱き上げた。


「…………」


 フィオナは間近にあるジェイクの表情をじっと見つめた。

 それはどことなく不思議なものを見るような眼差し。


「……どうしました?」


 視線に気づき、ジェイクはフィオナを見つめる。


「いえ……見てるだけです」


 ぼんやりと、素直にそう告げると、ジェイクはやや照れくさそうに頬を赤らめ歩き出す。

 そんな表情にフィオナはクスッと小さく笑った。


「……なんなんですか? さっきから……」


 ジェイクは、たまらず問いかける。

 腕の中のフィオナは微笑みを湛えたまま、ジェイクをまだ見ていた。


「……ジェイク様の印象が、最初と変わってしまって……不思議だなって。……思っていたところです」

「変わりましたか?」


 それは、言われてみてもジェイク自身ではわからない。

 きょとんと首を傾げた。

 フィオナは嬉しそうに頷き


「ええ。なんていうか……表情が豊かになった気がします。素敵な事です」

「……本当に思った事を、素直に口にしますね……」

「え?……変ですか?」

「いえ……それ、前は無表情だったって事でしょう?」

 ジェイクの言葉に、フィオナは悩むように視線を彷徨わせる。


「怒らないでくださいね?」

「怒るようなことを言うんですね? まあ良いですけど」


 ハア……と。あからさまに肩を落とすと、ジェイクはフィオナの次の言葉を待った。


「以前の表情は、社交的というか……義務的というか……」

「まあ、無表情って言ってるのと大差ありませんね」

「……怒りました?」

「……そう見えますか?」


 ジェイクに問われて。フィオナはその綺麗な顔立ちをまじまじと見つめる。

 ジェイクはやはりどこか照れくさそうで……。


「……見えません」

「正解です」


 今度は二人で楽しげに笑いあった。






 暫くするとフィオナは、うとうとと眠そうに瞳を揺らした。

 規則的な揺れと、腕の中の温もりが眠りを誘うのだろう。

 何より今日は、誰よりも疲れているはずだ。


「寝ててもいいですよ。……って言っても、すぐ起きなきゃいけませんが」


 戻れば、食事が待っている。本当のうたた寝だ。

 ジェイクは、若干申し訳なさそうに声を掛けた。

 フィオナは、その声に瞳を和ませ、穏やかな笑みを浮かべると


「……有難うございます……。少しだけ……」


 それだけを告げて。そのまま、静かに瞳を閉じた。

 程無いままに安らかな寝息が聞こえる。

 ジェイクはその寝顔にクスリと笑った。


「相変わらず無防備ですね……」


 その言葉に返答など無い。もとより期待などしていない。

 フィオナを優しく抱き直すと、少しゆっくりと歩みを変えた。


「変わったのなら……それは貴女のせいですよ……」


 その言葉は空へと向けた。声は空気に溶けて消えていく。

 変わらない暗闇の景色の中、ジェイクは酷く穏やかな心で、確かな歩みを進めた。


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