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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
迷いの森
17/69

<3>夜に二人(1)

 その場所は、マーカスが居る場所とは随分離れた場所だったが、樹木の連なりが比較的まばらで、月からの光が淡く届く場所だった。

 地表に現れ出ている大小の岩が、樹木の生長を遮っているのだ。

 ジェイクは大きめの岩を選んで、その場所にフィオナを下ろした。

 その傍らにフィオナの荷物と水も添えて。


「あっちの木の陰に居ますので……終わったら呼んでください」

「有難うございます。……重かったでしょう? 長々運ばせてしまって……」


 申し訳なさげに告げるフィオナに、ジェイクは瞳を大きく見開くと


「……フィオナ殿より剣の方が重いですよ」

「……そんな訳ないでしょ」


 ニヤリと楽しげに笑うジェイクに、フィオナはプクリと頬を膨らませた。程なくしてジェイクは木々の向こうへと消えていく。

 ジェイクが完全に見えなくなって、暫く立った頃、フィオナは肩の荷を下ろすように、長い……長い息を吐いた。


「……えっと……」


 傍らに添えられた荷物を開き、中身をゴソゴソ探る。そうして取り出した布に水袋の中の水を浸した。


「つめた……っ」


 跳ねる水が身体にかかる。その水温に驚きながらも小さく笑った。水袋の口を締め、傍らにそれを置き直すと、水を浸した布で、顔……手足を丁寧に拭いていく。

 首筋の傷周辺は、傷口が開かないように……優しく。


「夜だし……水だから、ちょっと寒いかな……」


 呟きながら、軽く身震い。頭上のヴェールを外すと、まじまじとそれを見つめた。


「今日一日で随分汚れちゃったな……」


 感慨深げに独り言。それを傍らに置くと、キョロキョロと辺りを見回し……素早く汚れた服を脱ぐ。

 ……白い素肌が露になる。


「……ふう……」


 露になった素肌に夜の空気が当たるだけで、急激に体温を奪われる気がした。それだけ外気が冷えてきているという事なのだろう。

 身体を素早く拭き上げると再び荷物の中をガサゴソと探り、新たな衣服を取り出した。シンプルな形のワンピースを頭から被る。衣類を身に着ける事で外気を防げるからだろう、仄かに温かみを感じた。

 使った布を固く絞り、汚れた衣類と共に片づけると……。


「……とりあえず完了。……かなあ?」


 楽しげに呟くと、結い上げていた髪を解いた。淡い月光に、仄かな紅……花が咲くように銀の髪が広がる。

 軽く手櫛で髪を解いて、結い上げ直そうとした時だった……。


「……いた……っ……」


 髪を引き上げた時に、首筋に痛みが走った。黒の男に付けられた、あの時の傷。一瞬……フィオナの手が止まった。


「……気を付けないと……ね……」


 極めて軽く呟きながら、気にした素振りも見せず、結い上げた髪にヴェールを留めた。


「月……綺麗だな……」


 そのままぼんやりと、夜空を眺める。

 つい最近も、こんな風に夜空を見た。

 とても……とても幸せな夜空だった。


「……あの人が……無事で良かった……」


 小さく声に出して笑いながら、思い出すように遠くに……遠くに視線を投げる。


「……傷跡……残っちゃうかなあ……?」


 そっと首筋に手を当て……今は血で固まっているだけの傷跡に触れる。

 …………涙が溢れた。


「あ……れ……? やだ……どうして……」


 その涙に驚いたのは、他ならぬ自分自身だ。

 指先で涙を拭う。何度も……何度も拭う。

 泣くような事なんて、何もない……何もなかったのに。


「…………っ…………」


 ───嘘だ。本当はずっと怖かった。


 突然男にさらわれた時も。

 首筋に傷をつけられた時も。

 二人と離れて森へ入った時も。

 突然目の当たりにした惨劇の跡も。

 たった一人で治療していた時も。


「…………」


 声が漏れないように口元を抑えた。

 精一杯声を押し殺す。

 けれど、体がどうしようもなく震えて、それはもう隠す事も出来なくて──。

 ──岩の上でうずくまった。






 フィオナが着替える場所からはそう遠くない場所で、出来るだけ樹木が密集している場所を探して、ジェイクは散策していた。

 程無くして見つけたその場所は、一本の大きな木に寄り添うように木々が立ち並ぶ……闇の世界だった。振り返ればそこに光があるのに、数歩違うだけで随分世界が変わるものだと、感心する。

 此処ならばフィオナの声も届く。フィオナの姿は見えない。

 ジェイクはフィオナに背を向けるよう……一際大きな木の幹に背中を預けた。


「……寒いな……」


 樹木が密集する闇の中は、きっと昼も陽の光は当たらないのだろう。

 淡く吐いた息が白く見える。

 ジェイクは不思議そうにそれを見つめた。


「…………」


 酷く穏やかな時間だった。先ほどまでの苛立ちは、何処へ行ったのだろう。

 自分でも驚くほどに落ち着いていた。

 ……理由なんてわかっている。フィオナが見つかったからだ。

 この腕の中に居て、体温を感じた。重みを感じた。

 両腕にはまだフィオナの感覚が残っている。


「フィオナ……」


 その名前を口に出す。

 声を掛けた時に見せた表情は、やや疲れたようにも見えたが、いつもと変わらない。

 ……思い出す。男に捕まった時に、マーカスに見せた気高き強さ。

 あの強さは一体どこから来るのか。

 ──重なる……記憶の少女──


「……わかってる。アリシアじゃない……」


 前髪をかき上げながら苦笑気味に呟くと、静かに瞳を閉じた。

 ……同じ顔だ。忘れたくても忘れようがない。

 仕草も言葉も、向けられる気遣いも……何もかもが記憶の少女と合致する。


「……いや……」


 同じだと思い込んでいるのかもしれない。

 同じだと……思いたいだけなのかもしれない。

 しんと静まり返った空気の中……自身の呟きが随分と大きく聞こえた。


「……遅いな……」


 緩やかに瞳を開けると、考えるように眉をしかめた。

 フィオナから未だ声が掛からない。

 それなりに時間は経ったように思うのだが……。

 いや、男と女では時間も変わるだろう。


「……もう少し待つか……?」


 ジェイクは腕を組み背後の気配を気にしながら、もう暫くそのままで居る事にした。


「…………」


 静寂が闇を包む。こうしていると、見えている足元すら徐々に見えなくなっていくようで。何度も視線を彷徨わせた。

 そんな中で、背後の気配は先程と何一つ変わらず……声も掛からない。

 流石にジェイクも胸騒ぎを覚えた。


「……いや。何かあれば気付くはずだ……」


 フィオナとの距離はそれほど離れてはいない。

 これだけの静けさだ。何か物音でもあればすぐに気付ける。

 ──逆だ。音がしなさすぎる。

 ジェイクは、覚悟を決めた様に目を見開くと振り返り、木の陰からフィオナが居るだろう岩の上を見つめた。


「……?……」


 ……フィオナが居ない?……いや、フィオナは居る。

 岩の上にうずくまるように。

 ジェイクは、フィオナの元へと歩み寄る。

 徐々にフィオナの姿が大きく……ハッキリ見えてくる。


「……!……」


 ──様子がおかしい。呼吸が荒く、全身を震わせている。

 何か体調でも悪くなったのか。

 慌てて傍へと駆け寄り、その肩に手を置いた。


「フィオナ殿?」


 ──ビクッ──


 その声に……置かれた手に……。フィオナは過敏に反応した。

 全身が飛び跳ねるのかと思える程に、身体を揺らす。

 やがて、フィオナは振り返った。


「──!!──」


 フィオナの瞳から大粒の涙…………泣いていた? 

 口元を両手で覆って……声を出さないように?

 ジェイクは、驚いたように目を見開いた。


「……ゃ……っ……」


 フィオナは微かに声を上げると、ジェイクから逃げるように、身体を動かした。

 途端に身体がバランスを失い、大きく体が傾く。

 ジェイクはフィオナへと腕を伸ばし、その身体ごと引き寄せた。


「……フィオナ……」


 明らかに怯えている。

 腕の中のフィオナは、小刻みに何度も首を振り、離れようとジェイクの胸板を押した。──無言で。

 こんな姿のフィオナを見るのは初めてだ。

 ジェイクは動揺しながらも、フィオナを離さないよう腕に力を込めた。

 この短時間で、何があった? 

 ──物音も何も無かったこの場所で……一体何が。


「……ぁ……っ……」

「……!……」


 ────不意に触れた。

 フィオナの身体が、小さな声と共に跳ねた。……首筋の傷だ。

 ジェイクは息を呑む。──愕然とする。

 そう。何もないはずが無い。今日は色々な事が有り過ぎた。


 ──何があっただなんて、考える方がバカげてる──


「……ごめ……なさ……何でも……な……」


 抵抗を諦めたのか、フィオナの腕の力が少し緩む。けれどジェイクに表情を向ける事は無い。

 俯いたまま必死に息を殺し、途切れ途切れの声を出した。


「何でもないわけないだろう!」


 ジェイクが声を荒げて叫ぶ。


 ──ビクン──


 フィオナはその声に大きく肩を震わせた。

 その動きに我に返ったのか、ジェイクは優しく包むようにフィオナを抱き締める。


「……すまない……」


 怒鳴ったのはフィオナに対してではなく、自身に対してだ。

 どうして気付かないのだろう。不甲斐なさに腹が立つ。

 フィオナは、ゆっくりと首を横に振り、ジェイクに身を任せた。

 ──身体はまだ震えている。ジェイクは苦しげに息を吐いた。


「……守れなかった……」


 いつも前向きで明るくて、弱音も一切吐かないフィオナ。いつも笑顔だ。

 ──笑顔しか知らない。

 そうやって誰も知らない場所で、涙も……その声も……殺しながら泣くのか。

 ジェイクは、切なげに瞳を揺らした。フィオナを抱く腕が小刻みに震える。


 月の光は、変わらず淡い光で二人を照らしていた。


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