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月の光で咲く花は  作者: 紫乃咲
旅立ちの詩
13/69

<8>貴女におやすみを

 太陽の光を淡く優しいものへと変えていた空の薄雲は、夜には姿を消していた。木々の隙間から見上げる空には三日月。散りばめられた星の中、その光を淡く地上へと落す。

 どれだけ歩みを進めただろう。

 ジェイクは不意に足を止め、すぐ傍にある木の幹に背中を預けた。腰に剣は携えてある。何が起きても取り敢えずは問題ない。静寂の中、ゆっくりと瞳を閉じた。

 カサカサと風に揺れる草が足元をくすぐる。冷えた空気が心地良い。火照った体が緩やかに冷めていくような気がした。


「……驚いたな……」


 額に掌を当て、自嘲気味に笑みを浮かべながら呟く。勿論フィオナの事だ。ジェイクの中では間違いなくアリシアの……彼女。その事に否定も肯定もされはしなかったが……。


「あれは何の事だか、分かってないんだろう……」


 額に当てた手は、そのまま前髪を掻き上げる。


「……じゃあ……俺の知ってるアリシアは、やはりサマーシアの……」


 ジェイクは細く息を吐いた。考えたくもない言葉が、頭の端を掠めていく。

 ジェイクがサマーシアの悲劇を知っているのは、アリシアを探していて辿り着いたからに他ならない。サマーシアの王女がアリシアだという名前……そしてその悲劇を同時に知った。


 ──絶望だ。


 ジェイクの足元から全てが消えていくようだった。


「参ったな……」


 アリシアと同じ顔なのに、アリシアじゃない。そんな彼女と、この先も旅を続けなくてはならない。ジェイクにとって、これほど苦痛な事は無いだろう。

 しかし、フィオナに罪は無い。何よりレイアの娘を欲したのはジェイク達だ。

 今回の出来事は、フィオナにとっては不快な事だったに違いない。


 ──悪い事をしてしまった──。


 ジェイクは、申し訳なさげに瞳を揺らす。陥るのは自己嫌悪。深い……深いため息をついた。

 戻ったらまず謝ろう。そう心に決めた時……


「殿下……。こんな所まで来てたんですか。随分探しましたよ」


 やや離れた場所から聞き慣れた声。其方へと視線を流すと……


「……マーカス……」


 姿を現したのは、勿論いつも傍らにいる垂れ目の青年。

 マーカスは一直線にジェイクの傍へと近付いて行く。


「大丈夫ですか? 随分取り乱されてたようですが……」

「ああ……すまない。心配かけた」

「いえ……。私は問題ありませんが……」


 そう言ってマーカスは笑みを浮かべながら、やや目線が上にあるジェイクを見つめた。


「アリシア様……というのは……殿下が婚姻を全てお断りされてる原因の方ですか?」


 ある時を境に、ジェイクはその時来ていた婚姻の申し込みを全て破談にしてしまった。それだけでなく、それ以降……婚姻の申し込みを一切受けていないのだ。

 突然の出来事に何があったのかと、周囲で色んな噂が立ったのは記憶に新しい。


「まあ……そんなところだ」

「そうでしたか……」


 マーカスはゆっくりと頷いた。それ以上の追及はしない。そういう青年だ。何も聞かないわけではないが、答えた以上の言葉は期待しない。

 常に傍に居て、存在を主張しない。理想的な臣下だった。


「フィオナ殿には悪い事をした……」

「そんなに似てらっしゃるんですね。フィオナ殿に……」

「ああ……」


 と、そこでジェイクは辺りを見回した。誰かを探すように。


「フィオナ殿は?」


 探していたのはフィオナ。けれど、姿どころか気配すら感じ取れない。

 ……じわじわと胸がざわついてくる。

 向けられた言葉にマーカスは「ああ」と顔を上げて


「焚火の番をしていただいてますよ。もう、待ちくたびれてるかもしれませんね」


 告げて。小さく笑おうとした時だった──。


「一人残してきたと言うのか!? フィオナ殿を!」

「……あ……っ……!」


 みるみるうちにジェイクの表情が険しくなる。その様子に、マーカスも漸く事態が呑み込めた。既にジェイクは走り出している。マーカスも後を追うように走り出した。


 ──此処はサシャーナではありません。陽が落ちてからの移動は、より一層の危険を伴います──


 そう告げたのは、他の誰でもないジェイク自身だ。フィオナは武器を何一つ持たない。例え持っていたとしても、戦う術など知りもしないだろう。


 ──あれからどれくらい経った? 

 ──どれだけ一人にさせた?

 ──どれだけ不安な気持ちにさせたのか──


「……く……そっ……」


 乱雑に生えた木々が邪魔で上手く走れない。歩いてきた時には、何も気にならなかったのに。

 ジワリと吹き出る汗は、そのまま首筋を伝う。汗を拭う余裕などありはしない。

 ……遠くで野犬の遠吠えが聞こえる。

 ──ゾクリ──背筋に冷たいものを感じた──。

 漸く視界が開けてくる。小さく見える焚火の明かり。……フィオナは?


「──!!──」


 広場に出た時、真っ先に目が合ったのは野犬だった。二匹居る。親子だろうか。焚火があるお蔭で、少し離れた場所から近づく気配は取り敢えず無い。しかし、目が離せない。目を離せば向かってくる危険性があった。

 フィオナは何処だ。視界の端で探すには限界がある。まずは野犬を追いやることが先決だった。ジェイクは野犬から視線を離さないまま、焚火へと近付いて行く。


「……!……」


 フィオナは居た。──倒れている。野犬に襲われたのか? 傷はあるのか? 

 ……わからない。

 ジェイクは全身から血の気が引いて行くのを肌で感じた。

 じわじわと焚火に近づいたジェイクは、ゆっくりとしゃがみ込み、火のついた長めの枝を両手に握りしめる。

 ──次の瞬間、一つの枝を野犬に向かって投げつけた。そのまま、もう一つの枝を持ち直し、野犬に向かって走り出す。

 野犬は、飛んできた火にたじろぐように数歩後退した。その時──ジェイクは野犬の目の前に飛び出ると、闇を薙ぎ払うかのように火の枝を横に振った。

 怖気づいたのか、野犬は逃げるように立ち去って行く。一匹が逃げれば、もう一匹もついて行くように逃げて行った。……やはり親子だったのだろう。

 ジェイクは枝を焚火の中に戻すと、すぐさまフィオナの元へと駆け寄った。


「フィオナ殿」

「…………」

「……フィオナ……」


 返事は無い。その事が余計にジェイクに動揺を与えた。心臓が早鐘を打つ。

 しかし、見た所野犬に襲われたような傷は無さそうだった。恐る恐るフィオナを抱き起こす……と。


「……ん……」


 僅かに聞こえた声。──意識はある。

 ジェイクは安堵したように短く息を吐くと、フィオナの顔を覗き込んだ。

 フィオナは、まぶたを重たそうにゆっくり開く。

 夢と現を彷徨うような、虚ろな表情……。

 潤んだ眼差しは、覗き込むジェイクの端正な顔立ちを捉えた。


「……お帰りなさい……」


 甘く柔らかな呟きは、吐息が耳元に届きそうな距離で。

 フィオナが見せたのは、(とろ)けるような笑顔。

 ……ジェイクは、その涼しげな眼差しを大きく見開いた。

 ──時が止まる──。

 フィオナはジェイクの胸元の服を掴むと、その胸に身体を預け……再び瞳を閉じた。

 安らかな……規則的な呼吸。ジェイクは固まったまま動けない。


「……無防備にも程があるだろ……」


 ややあって、唸るように呟いたジェイクは、漸く肩の力を抜き大きく息を吐いた。

 顔が酷く熱い。高揚しているのは自分でもよく分かった。




「フィオナ殿……っ……!……」


 程なくしてマーカスが戻ってくる。行く手を阻む木々にぶつかったのだろうか。所々に擦り傷が見えた。マーカスは、ジェイクの腕の中のフィオナを見るなり顔面蒼白になる。ジェイクはマーカスの方へと軽く視線を向けた。


「問題無い。……寝ているだけだ」

「ああ……良かった……」


 ジェイクのその言葉に、ほっと胸を撫で下ろすと、マーカスは二人の元へと歩き出した。


「野犬が来ていたんだが……俺が戻った時と同じタイミングだったようだ」


 そう、あれは出会い頭という感じだった。少し戻るのが遅ければ……考えるとゾッとする。


「もっ……申し訳ありません。今後はこのような事が無いよう……」

「いや……」


 大きく狼狽えるマーカスの言葉を遮るように、ジェイクが言葉を重ね


「俺も悪かった。一人で離れてしまったからな……」


 その言葉は、自嘲のように。ゆっくりと視線を下へ落とす。見つめるのは安らかに寝息を立てるフィオナ。


「……もう離れない」


 まるで誓うように告げる言葉。知らずフィオナを支える腕に力がこもる。


「マーカス。今の野犬の話はフィオナ殿には……」

「承知しております」


 言い終える前に、マーカスから鋭い返事が返ってくる。ジェイクは満足げに笑みを浮かべた。

 野犬の事は、フィオナは知らない事だ。下手に話してしまうと、かえって不安を与えてしまう。余計な事は話さなくて良い。


「殿下。そろそろ仮眠を取ってください。火の番は私がしますので」


 マーカスはそう言うと、予め集めておいた枯れ枝を焚火に放り込んでいく。

 ……けれど。


「ああ……いや。俺は後で良い。まだ眠くないんだ」


 ジェイクの言葉に、動作が止まる。

 マーカスは首を傾げつつジェイクを見つめ……納得したように笑みを浮かべた。


「……では、先に休ませていただきます」


 マーカスは手にしていた枯れ枝の束を、ジェイクの傍へと持って行き、音を立てないよう……そっと置いた。

 ──フィオナを起こさないように。


「……おやすみ」


 ジェイクが告げた言葉は、マーカスと……腕の中のフィオナへ向けて。


 ────慌ただしくも長い夜が、終わりを迎えようとしていた。


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