<6>告白
雲間から差し込む柔らかな陽射しが、街道を優しく照らす。
緩やかに流れる風は、街道脇に生える草花を……その奥に生える木々の葉を小さく揺らした。
……心地良い。
サシャーナを出発して三日目の……誰もがそう思える昼下がりの景色だったのだが。
「マーカス様って、暑がりなんですね」
そう口にしたのは、フィオナだ。ジェイクは気にする様子もなく、大きな荷物をその背に乗せた馬の手綱を引きながら、スタスタと前を歩く。
真ん中にフィオナとその馬……最後尾にマーカスとその馬の順番で、一行は旅路を進んでいた。
「我々の国の王都は、北の方にありますからね。寒さには強いですよ」
上半身をやや前に倒し、手綱を引くというよりは馬に引っ張られるような歩き方。口を半開きにし肩から呼吸するような……そんなマーカスを気遣うように、何度も振り返りながら先を進むフィオナに、マーカスは力なく答える。
泉での一場面があって以降、フィオナと青年達の距離感はぐっと縮まった。特にマーカスは何処か親近感を覚えるものがあったのか、昔からの友のようにフィオナに話しかけてくる。
この中では最年長のはずのマーカスだが、若干垂れ目の愛らしい瞳が、その年齢を感じさせない。身長も低いわけではないのだが、伸び盛りのジェイクに先を越されて以降……小柄だと思われがちになった。
「適当な事吹き込むんじゃない。お前が特別暑がりなだけだ」
加えて、いつも傍らにいるジェイクのこの対応。マーカスに年上の威厳など、欠片も存在しないかのようだった。ジェイクがマーカスに投げた言葉に、間に挟まれた形になったフィオナは、少し考えるように時間を置き
「でも北の方は、本当なのでしょう?私は寒いのは苦手だから、寒さに強いのは羨ましいです」
二人の間を取り持つように、声を出した。
「……寒がり……そういえば、今朝は私でも少し肌寒かったですが……大丈夫でした?」
話題を逸らそうとしているのが、明らかに分かるマーカスの言葉。声が上ずってしまったのは失敗だったろうか。
ジェイクが瞳を半開きにして、物言いたげな素振りをマーカスに向けたのだが、マーカスは気付かない素振り。
その二人のやり取りに、フィオナはクスクスと軽やかに笑った。
「今朝は、寒かったですね。もう少し厚手の服があれば良かったのですが……少し震えました」
「言ってくだされば、我々の毛布でも外套でも渡しましたのに」
ジェイクの申し出に、けれどフィオナは大きく首を横に振り
「とんでもない! 言いませんよ。寒いから何か貸してだなんて……。子供みたいで恥ずかしい……」
「…………」
フィオナの声は、恥ずかしげにどんどん小さくなっていく。
苦笑いとは、こういう時にするものなのだろう。青年二人の頭に、大きな汗マークが見えるような気がした。
十分子供だと思うが。
そんな空気が立ち込めた事はきっとフィオナには伝わらない。
「……日中との気温差があるのは困りものですね……」
辛うじてそれだけを告げ、ぎこちない動作で視線を前へ向けた。
旅路は始まったばかりだったが、滑り出しは上々だった。フィオナの足取りが思いのほか快調だったからだ。
神殿の中の生活は、生活範囲が限られている。しかも女性である事から、ジェイクは相当に余裕を持った行程を組んでいた。しかしフィオナは、歩みこそ男性に較べれば緩やかではあったが、体力があった。細かく予定していた休憩時間も短縮……或いは全く取らない事もあった。
寧ろ今のように、暑がりのマーカスが値を上げる事がある。この分だと、先に送り出した戦闘部隊と早々に合流できる。
危惧するのは、このペースがこの先も続けられるのかどうか。フィオナは口調には一切表さないが、無理をしているのかもしれない。
「今日は、この辺で野営しましょう」
日没にはまだ早いと思われる時間帯だったが、ジェイクは道から外れた広い空間を見つけると、そちらへと移動する。
街道といっても、旅人や商人が歩きやすいように、木々を切り倒して道にしただけのものが大半だ。平地ばかりが続くわけでもなく、ましてや石畳等で整備された道は、大きく栄えている都市やその周辺にしかない。
「え……。でもまだ明るいですよ?」
あっさりと街道を外れていくジェイクにフィオナは戸惑うように立ち止まった。急げば夜には中継となる村に入れると聞いていたからだ。今朝早くから出発したのは、今日中に村に入るつもりだったに違いないのに。
ジェイクは太い木を選んで馬の手綱をきつく縛ると、フィオナの方へと向かう。戸惑うその姿を認めつつ、彼女が手にしていた手綱を受け取るために自身の手を差し出した。
「元々、今日中に村へ到着する予定にはしていませんでしたよ。……此処はサシャーナではありません。陽が落ちてからの移動は、より一層の危険を伴います」
整った顔立ち……涼しげな眼差しは色合いを変えることなくフィオナを見下ろす。
サシャーナでの争いは厳禁だ。故に夜道でもサシャーナなら比較的安全に動き回れる。神殿の中なら尚更だろう。
しかし、その場所を一歩でも離れてしまえば、何が起きるか分からない。……その位はフィオナも理解している。
フィオナは諦めた様に俯きながら肩を落とし、ジェイクに手綱を手渡した。
あからさまに残念そうなその様子にジェイクは小さな笑みを漏らす。
フィオナは顔が見えなくても体で大きく感情表現をするから、大体の表情は読み取れた。
おそらく今は酷くガッカリしているのだろう……容易にヴェールの中の表情を想像出来た。
「……今晩は、予め毛布を渡しておきますね」
「……まあ。……嬉しいですけど……なんだか複雑です」
今度は感情を言葉で表現するフィオナ。余りにも無邪気で素直な彼女に、マーカスも小さく笑った。
……空気が和む。瞳に映る景色が穏やかなものに変わっていく。一人加わるだけで、随分旅の印象も変わるものだなと、ジェイクは思った。それはマーカスも同感だった。
親しげにフィオナに話しかけるのは、その表れなのだろう。
「不思議に思っていたことがあるんですけど……聞いてもいいですか?」
日没後。夜の軽い食事も終えた三人は、焚火を囲みながら温かい飲み物を飲んでいた。焚火は獣避けと暖を取るためのものだ。
陽が落ちてしまうと、日中の温もりは消えていく。フィオナはジェイクから借りた薄い毛布を肩に掛けていた。マーカスはこの時間になって漸く元気が出てきたようだったが。
ジェイクがフィオナに向けて不意な問いかけをした。フィオナが首を傾げる。
「なんでしょう?」
「フィオナ殿なら大丈夫って……どういう意味だったのかと思って」
「……?……私何か言いました?……」
ジェイクの言葉は、フィオナにはいまいち思い当たる節が無かった。いや、覚えていないと言った方が確実か。
逆に問いかけるフィオナにジェイクは付け足すように言葉を続ける。
「我々が最初に神殿に入った日の事です。イレーナ殿がレイアの娘を同行させるのは無理だと言った時……」
そう、その時フィオナが言ったのだ。「私なら……何の問題もありません」と。
「ああ。その事ですか」
どうやら思い出したらしい。フィオナは大きく頷いた。
「別に、言葉の通りですよ? 私は正確にはレイアの娘ではないので」
さらっと、そう告げて。両手に持っていたカップに視線を落とした。
陽も落ちて、気温も少し下がってきている。
フィオナは温もりを感じるように、ゆっくりとカップをヴェールの中に入れ、器用に中身を飲んでいく。
その間……青年二人の時が止まっている事を勿論彼女は知らないだろう。
この日の夜は、思いのほか長いものとなる────。




