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第7話「恵体」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、恵まれた肉体を持つ人たちが集まっている。そして日々、その体を駆使して活躍しまくっている。

 かくいう僕も、そういった豊かな脂肪を保持する系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、存在感のある体の面々の文芸部にも、透明感漂う人が一人だけいます。はち切れんばかりの大胸筋を持つ、ボディビルダーたちに囲まれた、ちょっと貧相な胸のお姉さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。楓先輩は、とてもほっそりとした体をしている。その姿は、現実の艶めかしい女性ではなく、マンガやアニメの中に出てくるような観念的な女性を体現している。その華奢な体に、僕はとても引かれてしまう。それは、二次性徴が女性の体を変えてしまう直前の時間を、切り取ったような美しさである。僕は、そんな楓先輩を見て惚れ惚れしながら、声を返す。


「どうしたのですか、先輩。知らない言葉にネットで出会いましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。ニコール・キッドマンが、身長百八十センチメートルという恵まれた肉体で、人々の心を虜にしたように、僕は、自身の恵まれた肉欲で、ネットの画像や動画の虜になっています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 楓先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。ネットに触れていなかった先輩は、そのパソコンでウェブを見始めた。そのせいで、ずぶずぶとネットの世界にはまりつつあるのだ。


「恵体って何?」


 楓先輩は、その言葉をケイタイと読んだ。この言葉は、まだネットでも発音が定まっていない、読みの揺れが生じている言葉だ。この恵体は、野球選手の恵まれた体という意味から始まり、その後ネットで広まるあいだに、女性のグラマラスな容姿まで意味が拡大した。

 その意味の変遷を最後まで説明したら、世間的には物足りない体の部類に入る楓先輩は、ひどく落ち込むかもしれない。そして、そんな話をした僕のことを嫌いになってしまう可能性がある。


 これは由々しき事態だ。そういった最悪の事態を防ぐために、僕は脳の出力を百二十パーセントにして考える。どうすればよいか。僕は〇・五秒ほど演算を続けたあと、ひとつの解を導き出した。

 少しずらした話をして、けむに巻こう。そう、これは言葉の半キャラずらしだ。僕は、その技を実践すべく、説明を開始する。


「楓先輩。恵体とは、もともと実況系のネット掲示板で、ヤクルトスワローズの畠山和洋選手を、『恵まれた体格から糞みたいな打撃』と揶揄していたことに、端を発する言葉です。このフレーズが縮められて、恵体糞打、メグタイクソダ、になりました。

 この恵体糞打は、その後、畠山選手がよい打撃をするようになったことから、恵体豪打とも使われるようになりました。


 この恵体糞打がさらに縮められて、恵体の部分だけが切り取られて、ネットに広まったのが、ネットスラングの恵体です。意味は元のとおりで恵まれた体格になります。ただし、読みに関しては、元のフレーズを知らない層に広がったことで、揺れが生じています。

 メグタイ、エタイ、ケイタイ。恵体を単体で利用する場合は、ケイタイ、の読みで使用しているケースを多く目撃します。これは、二字熟語の読みが分からない場合は、音読みにするといった読み方をする人が多いためだと思います。


 恵という文字には、漢音のケイと、呉音のエという二つの音読みがあります。このうち熟語としてよく出てくるのは、ケイの方だと思います。辞書にもケイの方が先に載っています。

 そういった事情から、恵体だけを見た人がケイタイと呼び、その読みの勢力が拡大しているのだと思います。


 さて、この恵体という言葉は、一般に広がる過程で、読みだけでなく意味も変遷しています。野球選手に端を発したこの言葉は、初期の頃はスポーツ選手などの恵まれた体格を指していました。しかし、この言葉は徐々に他の対象も指すようになります。それは、女性のグラマラスな容姿です。

 昨今では恵体は、立派な骨格に豊かな肉付きの、ふくらむべきところがふくらんだ女性に対して、使われることが多いです。その背景には、恵という漢字が、女性によく用いられることも関係しているのではないかと、僕は感じています。

 このようにして恵体は、野球選手から始まり、女性の肉体へとその対象を広げていきました」


 楓先輩は、僕の話を熱心に聞いて、内容を咀嚼しようとしている。そのため、恵体が、自分に対しては使われることのない言葉だと、まだ気付いていない。

 僕は、そんな楓先輩の脳内整理を妨害するために、さらに説明を継続する。


「さて、楓先輩。恵まれたということは、言い換えれば幸福だということです。幸福といえば国民総幸福量です。この国民総幸福量とは何かを、楓先輩はご存じでしょうか?」

「え、ええ?」


 楓先輩は、目をぱちくりとさせ、混乱の表情を見せる。先ほどまでの恵まれた体格から、国民総幸福量に、話がいきなり飛んだからだ。


「国民総幸福量とは、国民総生産になぞらえた、国民の幸福度を示す指標です。聞き取り調査をもとに数値化したもので、一九七二年にブータンの国王が提唱しました。

 この故事にならい、僕も提唱したいと思います。文芸部総幸福量を。様々な聞き取り調査をもとに、部員の精神的な豊かさをはじき出したいと思います!」


 僕は、恵体の話を幸福の話にずらし、さらに国民総幸福量にスライドさせ、文芸部総幸福量へと飛躍させた。次々に話をずらすことで、巧みに話題を別な場所へと誘導した。


「というわけで、楓先輩は幸福ですか?」


 僕は、自信に溢れた態度で、楓先輩に尋ねる。


「そ、そうね。私本人は幸福だと思うけど、恵まれたイコール幸福という、サカキくんの論法だと、不幸せということになってしまうわね。

 私は、恵体という意味での恵まれた体ではないと思うから。スポーツ、性的魅力の両方で、私は恵体ではないと思うもの」


 楓先輩は、僕に答えたあと、二秒ほど経って落ち込んだ表情を見せた。きっと、自分で言って、自分の台詞にショックを受けたのだろう。

 僕は、作戦を失敗した。最初の時点で恐れていた事態に、徐々に近づきつつある。このままでは、こんな話題を振った僕のことを、楓先輩は嫌いになってしまう可能性がある。僕は、その危機を脱するために、高らかに主張した。


「そんなことはありません! 楓先輩の体は、とても恵まれていますよ。楓先輩の体に、非常に魅力を感じる層も、世の中には多数いるのです! そう。僕ならば、楓先輩の体で、ご飯三杯はいけます。その姿を想像して、いくらでも妄想をふくらませることができますから!」


 僕は、拳を握り、楓先輩の肉体の魅力を語る。これで、楓先輩は、立ち直ってくれたかな? 僕は、先輩の表情を覗き込んだ。

 あれ? 予想外の反応に、僕は戸惑う。楓先輩は、顔を真っ赤に染めて、手を膝の上につっかえ棒のように置き、ぷるぷると震えていた。


「サ、サ、サカキくんの変態~~~~~~!」


 え、ええええ? そんな馬鹿な!!! 僕は楓先輩の体を、これ以上にないほど褒めていたのに。

 楓先輩は僕の横から立ち上がり、ふらふらと転びそうになりながら、自分の席へと戻っていった。


 それから三日ほど、楓先輩は僕のことを、いやらしい目で人の体を見る人として、敬遠し続けた。

 僕は、その扱いに混乱した。そして、激しく落ち込み、朦朧とした状態になった。

 楓先輩は僕のストライクゾーンなのに、バットで、かすることすらできない……。僕は、そんな、あまりにも遠い恋のファーボールに、よよよと涙を流した。


 今回は、ここ数ヶ月でよく見るようになった、恵体の話です。

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