第3話「ピザ」
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、ふくよかな姿の人たちが集まっている。そして日々、互いの肉体を誇示して、贅肉の品評会を開き続けている。
かくいう僕も、そういった霜降り肉を育てるのが得意な系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、豊満さを磨くことに余念のない面々の文芸部にも、脂肪の断捨離を実践している人が一人だけいます。贅肉の聖衣をまとった聖闘士たちの前に現れた、スレンダーなアテナ様。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。背が低めですらりとした容姿の楓先輩は、少女マンガに出てきそうな、可憐な容姿をしている。それは、思春期にありがちなボンレスハムとは対極な体である。僕は、そんな清廉な妖精を思わせる先輩の外見に、心を奪われながら声を返す。
「どうしたのですか、先輩。意味の分からない言葉が、ネットにありましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。晩年糖尿病にかかっていたと言われる藤原道長が、『この世をば、わが世とぞ思ふ、望月の、欠けたることも、なしと思へば』と歌ったように、僕は『ネットをば、うつつとぞ思ふ、妄想の、覚めたることも、なしと思へば』と唱えて、ネットに耽溺しています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
楓先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。ネットに触れていなかった先輩は、そのパソコンでウェブを見始めたせいで、ずぶずぶとネットの世界にはまりつつあるのだ。
「ピザって何?」
僕は、一瞬フリーズする。楓先輩は、そんな僕に気付かずに、話を続ける。
「食べ物のピザのことは、さすがに知っているから、その説明はいいよ。
ネットを見ていると、どうもピザという言葉には、食べ物のピザではない、何らかの隠語的な意味がありそうなのよね」
楓先輩は、僕にぴたりと体を密着させて、顔を見上げてきた。僕は思わず、肥満児のように汗をかく。そして心の中で、声にならない絶叫を上げた。
ピ、ピザですって! それは、僕への個人攻撃ですか!
い、いや、そうと決まったわけではない。そもそも、楓先輩は、ピザという言葉が、デブという意味を表しているのは知らないはずだ。だから、僕に質問をしてきたのだ。
それに、太っているか、太っていないかは、ある意味、主観的な問題にしかすぎない。世間の基準で、僕が太っていると認定されても、楓先輩の基準に照らして、僕は太っていないと判断されれば、それでよいのだ。そして、それは、当然あり得る可能性だと言えるだろう。
僕は、楓先輩の色眼鏡で見れば、標準体型である。僕は、そう思って、自身の心を慰める。
だが、そういった可能性だけにすがるのは、運を天に任せるようなものだ。行動家の僕は、自分の勝利を絶対にするために、ありとあらゆる手を尽くすのをモットーとしている。
楓先輩が、たとえ僕のことを太っていると思っていても、そのことを口にできない伏線を張る必要がある。人は、自分が口にしたことを、真実だと思いこむ性質を持つ。そういった精神状態に、楓先輩を置かないために、楓先輩に、僕とピザを結び付かせる台詞を言わせてはならないのだ。
僕は、どういった論旨で、会話を展開すればよいのかを考える。そうだ! アメリカ映画では、よくピザを食べている太った人が出る。そのことは、ネットスラングのピザという言葉の元ネタにもなっている。
そのアメリカのデブピザ問題を、アメリカの食と貧困の話に掘り下げよう。そして、それが個人の責任ではなく、国家の政策の問題だと展開しよう。そうすれば、太っていることを、安易に個人の責任にして非難することは難しくなるはずだ。そういった個人攻撃が的外れであることを、密かに楓先輩にすり込めばよいのだ。
「楓先輩!」
僕は、自信に溢れた声で語りだす。
「ネットスラングのピザは、ピザでも食ってろデブ、という罵倒のフレーズの略語になります。この言葉が、ピザデブ、ピザと省略されて、ネットスラングのピザができあがっています。
この言葉は、太っている人に対する、罵倒語になります。あるいは、ネット掲示板などを通して、太っていそうな人に叩きつける、侮蔑の言葉になります。
さて、このピザでも食ってろデブ、というフレーズですが、どういったところから出てきたのでしょうか? 諸説ありますが、その中でも最も分かりやすいのは、ハリウッド映画でよく見られる、太った登場人物のイメージからだという説でしょう。
アメリカの映画では、テンプレート的な人物として、太っていて、家から出ず、ピザを注文して、ソフトドリンクを飲みまくるといったキャラクターがよく見られます。
そういった人物像が頻繁に描かれるのも、ある意味では当然の部分があります。日本では二、三千円するようなピザが、アメリカでは安ければ五百円ぐらいから注文できるそうですから。
アメリカでは、ピザを含むファーストフードが、国民の主食になっているような部分があります。そして、一人当たりの消費量も、日本と比べて桁違いに多いです。そのため、大量生産、大量仕入れで原価が安く抑えられています。そして、貧富の差が極端に激しい国ということもあり、人件費も安くなっているそうです。
しかし、アメリカでは、それだけではない問題もあります。国民の多くが、ジャンクフードをよく食べるのは、実は貧困の問題でもあるからです。
アメリカでは、貧困層が住む地域では、生鮮食料品がなかなか買えないそうです。そのためジャンクフードばかり食べている。その結果、太っているけれど実は栄養失調という人々が多くいます。
また、国民をジャンクフード漬けにする政策が、大企業のロビー活動によって実施されています。アメリカでは多くの学校の給食が、ジャンクフードに汚染されています。大企業は国民を、子供の頃からジャンクフードの食習慣に慣らすようにしているのです。
そういった諸々の原因があり、個人の意思とは無関係に、国民の少なくない数が、子供の頃から肥満になり、糖尿病予備群になっています。それはひとえに、貧困と政治の問題だったりするのです。
ですから、太っている人を、安易に個人の責任だと言って糾弾するのではなく、その背景は何なのだろうかと、一歩立ち止まって考えてみることも大切だと、僕は思います」
僕は、ピザというネットスラングと、ピザデブの言葉の由来となる、アメリカの食事情について解説した。これで楓先輩も、安易に僕のことを太っていると言うことはできないだろう。僕は、自身の言葉の策略に満足して、楓先輩の反応を待った。
「そういえば、サカキくんって、肉付きがいいよね」
ぶっ! あの、楓先輩。人の話を聞いていましたか? 僕は、緊張しながら、額の汗を拭う。
「それに、だいぶ運動不足だよね」
「そ、そうですかね……」
僕は、全身に汗をかきながら答える。
「うん。それと、よくお菓子を食べるよね」
「ええ、まあ、人よりは若干多く食べているような気がします」
「もしかして、サカキくんって、ピザをよく食べる?」
ぶほっ! 思わず僕は、心の中で噴き出してしまった。
こ、これは、楓先輩は僕のことをピザと思っているという証拠だろうか? 僕は、心臓を激しく鳴らしながら、必死に呼吸を整えようとする。
このままでは、僕は楓先輩にピザ認定されてしまう。確かに僕は、ピザがかなり好きだし、思わず注文してしまい、一人でこっそり食べることもある。しかし僕は、不健康なわけではない。
僕は、どうにかして、楓先輩の追及から逃れようとして、最後の反撃に打って出る。
「いや、まあ、たとえ僕がピザが好きだとしても、それは僕が太っているという証拠では、ありませんから。
アメリカの議会では、ジャンクフード会社のロビー活動の結果、ピザは野菜としてカウントされるようになったそうです。何せ、トマトソースがかかっていますからね。そう、ピザは野菜なんですよ! 野菜!」
僕は、アメリカのジャンクフード会社が、諸手を挙げて喜びそうな台詞を、懸命に吐き出した。
僕の話を聞いた楓先輩は、わずかに首を傾げて、困った顔をした。その様子は、まるで小さなお人形さんみたいで、その姿に僕は、思わず見惚れてしまった。
「ねえ、サカキくん」
「はい、楓先輩」
「ピザは野菜ではないし、ここはアメリカでもないよ。それに、サカキくんの体に付いている、少し過剰な気がする脂肪は、国の食糧政策の影響ではなく、サカキくんの不摂生のせいだと思うよ。そもそも、サカキくんがピザを注文しているのは、野菜が食べられないからではなく、自分の趣味で選んでいるだけだよね?」
「……は、はい」
楓先輩は、にっこりと笑った。僕は、がっくりとうな垂れた。僕は楓先輩に、自分の意思の薄弱さ故にピザであると、認定されてしまったのである。
それから三日ほど、僕はピザデブ人材の一角として、文芸部の部室内で屹立した。そびえ立つピザ。野を覆うピザ。歩くピザ。笑うピザ。本を読むピザ。ネットスラングを語るピザ。
僕は、そんなピザではないと主張するために、必至にお腹を引っ込めながら三日間を過ごした。そして三日目に、お腹の筋肉をつってしまい、部室の端で悶絶してしまった。
というわけで3話目です。サカキくん、相変わらずの撃沈です。