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第2話「ダメ絶対音感」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、耳の鋭い者たちが集まっている。そして日々、両耳をダンボにして、情報収集を続けている。

 かくいう僕も、そういった耳年増を自認する系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、耳に頼って、無駄情報を集める面々の文芸部にも、心の声に従って生きている人が一人だけいます。鋭い耳の猫たちに囲まれた、ヘッドフォンで耳を塞いで好きな音楽を聴いている少女。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は先輩の耳たぶを見る。ふっくらとしていて可愛らしい。思わず触ってぷにぷにしたくなる形をしている。僕は、できるなら、先輩のうなじに手を添えて、その耳を思う存分、ぷにぷにしたい。そして楓先輩に、あんっ、という心地よい声を上げて欲しい。そんなちょっとエッチなことを考えながら、僕は楓先輩に声を返した。


「どうしたのですか、先輩。知らない言葉に、ネットで出会いましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。『サイボーグ009』の紅一点、003ことフランソワーズ・アルヌールが、超聴覚や超視覚を持つように、僕はネットにアップされたマンガのコマの断片から、マンガ家と作品名を言い当てる特殊能力を持っています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 楓先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。そのパソコンでウェブを見始めたせいで、ネット初心者の先輩は、ずぶずぶとネットの世界にはまりつつあるのだ。


「ダメ絶対音感って何?」


 楓先輩は、僕に寄り添って、さらに言葉を続ける。


「絶対音感は知っているんだけど、ダメ絶対音感なんて初めて聞いたから。ダメと付くぐらいだから、絶対音感を持たないという意味だと思うんだけど、ネットのやり取りを見ていると、そういった意味ではないみたいだし」


 楓先輩は、不思議そうな顔をしながら言った。

 ああ、確かにこの言葉の意味は、にわかには分からないだろう。このダメという接頭辞は、その後に続く言葉の意味を、否定しているわけではない。これは、ある言葉を省略したものなのだ。

 ダメ絶対音感を、分かりやすい形で展開するならば、ダメ人間の絶対音感になるだろう。これは、重度のアニメオタクで、人として残念という意味での、ダメさである。


 猫が長く生きると猫又になるように、アニメファンが長くアニメを視聴していると、様々な特殊能力が身に付く。原画担当者や演出家や脚本家を一発で推測する能力などは、その一端である。ダメ絶対音感は、そういった能力のひとつとして、ネット民のあいだで認知されているものだ。

 ダメ絶対音感は、人生において何の役にも立たないが、世界の奥行きが少しだけ広がる能力だ。二次元の世界の先に、三次元の存在である声優を見いだす力。ダメ絶対音感は、二次元と三次元を横断する、希有な能力なのだ。


 僕は、人生の少なくない時間を、アニメ視聴に費やしている。そんな僕は、当然ながらダメ絶対音感を習得している。しかし、そのことがばれたら大変だ。まるで僕が、廃人のようにアニメを見ていると勘違いされてしまう。


 僕は、楓先輩との恋愛戦線に勝利するために、健全なサカキくんというパブリックイメージを死守しなければならない。だから僕は、楓先輩から、ダメ絶対音感を持っていると疑われないように、上手く話を誘導しなければならない。そのためには、どんな話をすればよいのかを考える。


 そうだ。声から個人を認証する方法として、声紋の話をして、楓先輩の意識を逸らそう!

 声を聞き分ける話から、巧みに話を展開して、声自身の話に話題をずらすのだ。手品におけるミスディレクション。僕は、自身の作戦に、大いなる自信を持ちながら、説明を開始する。


「楓先輩。ダメ絶対音感とは、アニメや洋画の吹き替えなどの声から、瞬時に声優の名前を当てることができる能力を指します。ただし、このダメ絶対音感は、楓先輩が考えているよりも、二百万倍ほど業が深いです。


 なぜならば、有名な声優の声を聞き分けられても、多くの場合、ダメ絶対音感とは呼ばれないからです。マイナーだったり、声に特徴がなく聞き分けが困難だったりする声優の声を、瞬時に聞き分けられて初めて、ダメ絶対音感の称号を得ることができます。


 つまりダメ絶対音感という言葉は、常人には分からない声優の声を、一瞬で聞き分けられるほどアニメ視聴に時間を費やしている、そういったダメ人間の絶対的な音感覚を指しているのです。

 ちなみに、この言葉の元ネタは、久米田康治のマンガ『かってに改蔵』だと言われています。


 さて、このように、人は、声から個人を特定することができます。こういった、声の持ち主を推測する作業は、機械によってもおこなわれます。そういった方法のひとつに、声紋を利用した個人認証があります。

 犯罪捜査で、脅迫電話をかけた人を特定したり、声で個人を特定して扉を開けたり。声は、個人を判別するために利用されます。


 では、声紋判定は、どのようにしておこなわれるのでしょうか? それは、声帯模写では模倣できない、音の特徴を利用しておこなわれます。


 人間の声は、複数の周波数の音が集まったものです。その様々な波長の音が、時間とともに強弱を変えていきます。人間はその音の波の変化を、人の声として聞きます。


 この複雑に混ざった音の波は、フーリエ変換などの方法によって分解して、それぞれの周波数の音が、どの程度の強さになっているかを調べることができます。

 そして、その強さが、時間とともに、どのように推移しているのかを記録することができるのです。


 人の声では、この周波数の強さや時間変化が、それぞれ違います。そして、人によって特徴的なパターンを持つのです。

 このパターンは、声帯模写などで真似することはできません。こういった声の情報のことを、指紋になぞらえて、声紋と呼びます。


 では、こういった声紋は、なぜ生じるのでしょうか? それは、楽器を想像してみると分かりやすいです。バイオリンのような小さな楽器の音と、チェロやコントラバスなどの大きな楽器の音は違います。それは、その楽器の大きさや形が、音の特徴を決めているからです。


 人間の声も同じです。口腔、鼻腔、声帯といった発生器官の形、そして体格、年齢などによって、音の特徴が決まります。

 そのため、犯罪捜査の現場では、声から、性別、顔形、身長、年齢等を推測して活用しています。


 このように、人間の声には、音色やアクセントだけではない、固有の特徴があるのです。ですから、機械的に、その声が誰の声であるのかを判別することが可能になっているのです」


 僕は、ダメ絶対音感の話から、声紋の話に巧みに話題を変えて、楓先輩の意識を幻惑した。これで、僕の立場も安泰だと思い、楓先輩の反応を待った。


「なるほどね。声紋って、そういったものだったんだ」

「ええ、そうです」


 楓先輩は、上手く僕の誘導に引っかかってくれた。


「ところで話は戻るけど、ダメ絶対音感を持っている人は、まるで機械のような耳を持っているのね」

「え、ええ、そうですね。彼らは、多くのデータを脳にインプットすることで、類いまれな音声識別能力を持っているのです」


 楓先輩は、すぐに元の話題に戻ってしまった。僕の目論見は、失敗に終わった。それだけではない。楓先輩は、興奮気味に僕に話しかけてきた。


「すごいね、ダメ絶対音感を持っている人は。まるでサカキくんみたいだね!」

「……えっ?」


 僕は、狼狽しながら声を漏らす。


「あの、楓先輩。どうして、それは僕みたいなのですか? その反応は、おかしくないですか?」


 僕は、楓先輩の言葉が理解できず、おろおろとする。そして、どういうことなのかと思い、先輩に尋ねた。


「だって、サカキくん。いつも、アニメの声優の話をしているもの」


 な、なぜばれている? 僕は、そんなに、声優の話題をしていないはずだ。僕は、困惑とともに、そう思う。

 これでは僕が、楓先輩にアニメ廃人だと勘違いされてしまう。僕は、ライトなファンであって、ヘビーなファンではない。軽量級であって、重量級の、どすこい戦士ではない。ましてや、ダメ絶対音感を発揮するような、ダメ人間やダメ廃人ではないのだ。


「いやあ、楓先輩は、僕のことを勘違いしていますよ。僕が、アニメの声なんて、聞き分けられるはずがありませんよ。

 スタッフロールを見て、声優の名前を覚えて、話をしているだけです。全部覚えれば、声を聞き分けられなくても、すぐに他のアニメの配役を思い出せますしね」


 僕は、自身がダメ人間認定されることを避けるために、声優を判定している理由が、音ではなくスタッフロールであると主張した。


「ねえ、サカキくん」

「何でしょうか、楓先輩?」


「普通の人は、スタッフロールの声優の名前をすべて覚えたりしないと思うよ。サカキくんは、重度のアニメオタクだと思うよ」

「えっ、そうなんですか?」


 僕は、額から汗を流しながら声を出す。どうやら、僕の考えている廃人の基準は、楓先輩の考えている廃人の基準とは大きく違っていたようだ。

 アニメのスタッフロールを記憶することは、普通の人がすることだと、僕は思っていた。しかし、世間的には、そうではないようだ。


「記憶しませんかね?」

「うん。記憶しないと思うよ」


 そうですか。そうですか。そうですか……。


 それから三日ほど、僕は楓先輩に、重度のアニメオタクとして扱われて。そして、ダメ絶対音感を持つ人に、限りなく近い人間として、位置付けられてしまった。


「サカキくんは、あとはダメ絶対音感を身に付けるだけだね! そうしたら、完全にアニメの世界の住人だね」


 楓先輩は楽しそうに言った。


 あの、先輩。アニメの世界の住人って、何ですか?


 僕は、がっくりと肩を落とした。そして、本当はもう、ダメ絶対音感を身に付けていることを告白できず、悶々としてその三日間を過ごした。


というわけで2話目です。サカキくんの常識と、世間の常識は違っていたようです。

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