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第12話「このあと滅茶苦茶」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、流れに身を任せる者たちが集まっている。そして日々、恋愛という濁流に飲み込まれて、滝の底に落下し続けている。

 かくいう僕も、そういった、男女の奔流に身を投じて、屍をさらす系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、生物としての繁殖欲求に従う面々の文芸部にも、高等生物としての知的欲求で生きている人が、一人だけいます。お猿の群れに紛れ込んだ、美少女型人工知能。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の右隣にちょこんと座る。楓先輩は、清楚で可憐で性的な行為とは無縁な雰囲気をしている。その透明感溢れる容姿は神々しすぎて、僕の目を灼熱の炎で焼いてしまう。僕は、そんな美神の光に射貫かれる醜悪な闇の生物として、楓先輩をひたすら崇めながら声を返す。


「どうしたのですか、先輩。知らない言葉をネットで見ましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。液体が重力に従い、高きところから低きところに流れるように、僕は欲望に従い、低きところから低きところに、下り続ける人生を歩んでいます」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 楓先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。ネットに触れていなかった先輩は、そのパソコンでウェブを見始めた。そのせいで、ずぶずぶとネットの世界にはまりつつあるのだ。


「このあと滅茶苦茶、って何?」


「ぶっ!!!」


 僕は思わず噴き出した。そうしなければならない、理由があったからだ。

 楓先輩が語ったフレーズは、元のフレーズが省略されて短くなったものだ。ネットでは、そういったことがよく起きる。そして、元の形を知らないまま目撃されて、意味不明だと思われる。


 そう、この言葉もそういったもののひとつだ。そして、原形はこうである。このあと滅茶苦茶セックスした。

 何ということでしょう。この言葉は、無垢で潔癖な楓先輩に、説明不可能な言葉なのです……。


 ああ……。僕は絶望しながら、どうすれば上手く説明できるだろうかと考える。これは難易度が高すぎる。というか、無理ゲーじゃないのか? 必死に考えたあと、僕は光明を見つけた。

 男女の機微の複雑さについて、文学的アプローチでこの言葉を語ろう。


 そう、セックスを、生々しい肉欲行為ではなく、文学的な男女の機微の象徴として語るのだ。

 それは、象徴であって実体ではない。心の問題であり、体の問題ではない。そういった態度で臨めば、あるいはこの危機を乗り越えられるのではないか?

 僕は、決意を固めて、楓先輩の顔を正面から見た。


 その時である。部室の一角から、不敵な高笑いが響いてきた。そして、自信に溢れすぎた女性が立ち上がり、豊かな胸と、豪華な髪を揺らして、僕たちの方に歩いてきたのである。


「げえっ、満子部長!!」

「何だ、サカキ。その言い種は」


 満子部長は、これから起きる惨劇に、舌なめずりをしている様子で、僕の左側に腰を下ろした。


 満子部長は、古い少女マンガに出てきそうな、お嬢様風のゴージャスな容姿をした人だ。しかし、この姿に騙されてはいけない。その中身は、気高くも真面目でもなく、エロに染まった品性下劣なものだからだ。

 満子部長が、そういった困った性格をしているのは、その出自のせいだ。満子部長は、父親がエロマンガ家で、母親がレディースコミック作家という、サラブレッドな家に生まれた。そういった家庭環境であるために、両親から受け継いだ、深遠にして膨大なるエロ知識を保有している。そして性格はSであり、僕をこの部室で、ちくちくといたぶるのを趣味としているのだ。


「なあ、サカキ。その台詞を四角いフキダシに書いて、おまえの横に掲げてやろうか?」

「やめてください!!!!」


 満子部長は、楽しそうに笑いながら、僕の首に両手をからませて、胸を押しつけてきた。


「どうしたの満子? 満子も、このネットスラングに興味があるの」

「ああ。というか、私のエロマンガ脳が、この言葉について語れと叫んでいるのだよ」


「ああああああああああああ~~~~~~!」


 僕は大声を出して、満子部長の言葉を遮ろうとする。

 しかし、満子部長は、僕に腕をからめたまま、あまつさえ、僕の服の中に手を突っ込んで、乳首を探しながら、楓先輩に顔を近づけて話し始めた。


「なあ、楓。私はエロマンガが好きだ。兄妹ものが好きだ。姉弟ものが好きだ。母子ものが好きだ。父娘ものが好きだ。幼馴染みものが好きだ。同級生ものが好きだ。

 自宅で、学校で、ホテルで、職場で、この地上で営まれる、ありとあらゆるエロマンガが好きだ。


 ただな、そんなエロマンガも、ある程度見慣れてくると、ただの裸や、性行為では物足りなくなるんだ。肉体のエロさではなく、精神のエロさが求められるようになる。

 食事もそうだ。文明が発達し、文化が爛熟すれば、肉や魚の塊ではなく、その調理の過程や、食べる時のシチュエーションが大切になる。


 そういった、体ではなく心に訴えかける状況を、たちどころに作るマジックスパイスのような呪文が、この世には存在する。それが、楓が口にした魔法のフレーズ。そう!

 このあと無茶苦茶……、もごもごもご!!」


 僕は、必死に満子部長の口を押さえつけ、発言を封印した。

 しかし、満子部長の腕力は僕よりもある。ルチャドーラなみの空中格闘ができる、満子部長の身体能力は、この文芸部の中では喧嘩番長の鷹子さんに次ぐ。

 僕は、長時間満子部長を封じることは不可能だと判断して、素早く頭を巡らせた。


 ここは長引かせては不利だ。満子部長は、すぐに主導権を取り戻して、卑猥な会話を再開するだろう。

 それに、満子部長は僕と違って、失うものなど何もない。学校きっての淫語使いとして、校長先生にまでその存在を認められている、歩く猥褻物だ。いまさら、恥ずかしいことを言っても、株はすでに上場廃止を果たしているから、どこ吹く風だ。


 そんな満子部長は、いわば捨て身の自爆テロをしてくる不死のヴァンパイアだ。自爆して、霧散して、何度でも蘇る。

 これは短期決戦しかない! そう判断して、ある程度の被弾を覚悟し、僕は言葉の弾幕を張り始めた。


「楓先輩。このあと滅茶苦茶……というフレーズは、二〇一三年にニャロメロンというマンガ家がつぶやいた言葉が切っ掛けで、ネットに定着したフレーズです。

 何でもないような男女のやり取りが描かれたり、男女の関係にいたりそうにない状況が描写されたりしたマンガやイラストの末尾に、このあと滅茶苦茶……、という四角いナレーションのフキダシを加える。そうすることで、そのシーンの意味合いを大きく変えてしまう。そういったネタです。


 こうすることで、これまでの話の流れが、男女が同衾するにいたるシチュエーションに変わるのです。また、何でもないような日常が、急転直下、男女の関係になだれ込むエピソードに改変されるのです。そして、それを見る人の劣情を、大いに刺激するのです。


 この言葉の効果を知っている人には、フレーズのすべてを提示する必要はありません。このあと滅茶苦茶、と書くだけで、脳を刺激して妄想がふくらむからです。条件反射のように、彼らは前屈みになるのです。


 また、このネタは、ネットで発展的に応用されて、広がりを見せました。

 このあと滅茶苦茶のあとに続く言葉を入れ替えることで、別の意味で用いられたりしています。このあと滅茶苦茶食べた、とか、このあと滅茶苦茶運動したとか、様々なシチュエーションで用いられます。

 それが、このあと滅茶苦茶、というフレーズの正体です」


 僕は、セックスした、の部分を隠して説明を敢行した。肝心なところの説明が欠落したせいで、楓先輩は、よく分からないといった表情をしている。

 ぐぬぬぬ。しかし、核心を語るわけには、いかんのですよ! 僕は、正しく説明したい欲求と、隠さなければならないという義務感にさいなまれて悶絶する。


 さあ、終わった。さあ、逃げるぞ! 僕が、そう思った瞬間、僕の脇腹に肘が入り、僕は苦悶の声とともに、満子部長の束縛を解いた。


「おい、サカキ。楓にきちんと説明してやれよ。このあと滅茶苦茶セックスした。そこまでが、定番フレーズだろうが!!!」

「ぶほっ!?」


 身も蓋もない赤裸々な台詞に、僕は思わず奇妙な声を出した。

 僕の右隣では、楓先輩が顔を真っ赤に染めている。楓先輩は拳を可愛く握り、恥ずかしがる自分の顔を隠そうとしている。そして僕の顔の左横には、得意げな表情をした、淫語大臣といった風情の満子部長がいる。


 やばい。一瞬の隙が、僕の高潔なパブリックイメージを、粉々に打ち砕く。このままでは楓先輩に、僕が、そのフレーズを知っていながら、無理やり隠していたと思われてしまう。

 素早いカウンターが必要だ。楓先輩が、セックスという言葉が卑猥なものではないと解釈するような、脳内回路の組み替えが必要だ。


 僕は、言葉の魔術師として、楓先輩の脳に投射する、新たな言葉の奔流を紡ぎ出す。


「楓先輩。男女の機微とは分からないものなのですよ。男と女。その二人の距離感は、ふとした切っ掛けで急激に縮まることもあるのです。

 それは、いわば物質の化学反応に似たものです。基底状態から遷移状態に励起するには、二つの状態のエネルギー差以上の活性化エネルギーが必要です。そのため、容易には別の状態には変わらないのです。

 恋愛も同じです。ある状態から、別の状態にいたるには切っ掛けが必要なのです。


 その恋愛における活性化エネルギーを、劇的に下げてくれる触媒のような存在が、世の中にはあります。

 そのあと滅茶苦茶セックスした、というフレーズは、物語の途中に挿入することで、マンガやイラストの、恋愛活性化エネルギーを劇的に下げてくれるのです。この言葉は、そういった素晴らしい効果があるのですよ!」


 僕は、MMRのキバヤシばりの勢いで、楓先輩に自説をぶつけた。楓先輩は、僕の語気に気圧されながら、眼鏡の下の目に薄い涙を浮かべ、顔をぷるぷると震わせた。


「つまり、サカキくんは、男女の状態を変える、魔法の言葉を知っていたの?」

「えっ?」


「サカキくんは、言葉ひとつで、男女の恋愛関係を組み替えられるの?」

「いや、そういうわけでは……」


 楓先輩は、警戒するように、僕から距離を取る。満子部長は、楽しそうに高笑いをする。

 一瞬後、楓先輩は、僕という淫獣から逃れるウサギのように、猛ダッシュで逃げ出した。


「ノ~~~!」


 僕は、楓先輩に警戒されたことで、悲しき咆吼を部室にこだまさせた。


 それから三日ほど、楓先輩は、魔法の言葉で恋愛距離を縮められないように、僕から距離を取り続けた。

 しかし現実の僕は、心を接近させる呪文など、使えるはずもない。

 そんな魔術が使えるのならば、もうとっくに楓先輩に使って、ものにしている。僕は、そのことを、必死に楓先輩に伝えようとした。


 だが、楓先輩は信じてくれなかった。なまじ普段から幻惑の言葉を駆使しているせいで、サカキくんならできると思われてしまったのだ。

 僕は、楓先輩の勘違いに絶望した。そしてまるでゾンビのように生気のない顔で、おろおろと部室をさまよい続けた。


 このネタは、1の初期の頃から、リストにずっとありました。


 割りと直接的にエッチな言葉というのは、使いどころが難しいですね。というわけで、2で入れることになりました。


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