第10話「日本人はイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな」
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、未来志向な人たちが集まっている。そして日々、怪しいガジェットを持ってきては、その機能を自慢し合っている。
かくいう僕も、そういった未来風な大人の玩具に、思いを馳せる系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、未来を先取りする面々の文芸部にも、過去をこよなく愛する人が一人だけいます。フレディ・マーキュリーのように斬新な服装の男たちの中で、古風な着物姿の女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の右隣にちょこんと座る。楓先輩は、日本家屋が似合いそうな、しっとりと落ち着いた容姿をしている。楓先輩が着物を着て、お茶でも点てていたら、とても似合うだろう。そして、狭い茶室で、二人だけで向かい合い……。僕は密室の妄想に、思わず鼻血を出しそうになりながら、声を返す。
「どうしたのですか、先輩。初めての言葉にネットで遭遇しましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。テリー・ギリアム監督が、映画『未来世紀ブラジル』でコンピュータによる管理社会を描いたように、僕はコンピュータを管理しようとして、振り回される日々を営んでいます」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
楓先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。ネットに触れていなかった先輩は、そのパソコンでウェブを見始めた。そのせいで、ずぶずぶとネットの世界にはまりつつあるのだ。
「日本人はイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな、って何?」
楓先輩は、「私も日本人だし、イッちゃってるって言われたら気になるし、未来に生きているって言われたら、びっくりするし」と、真剣な顔つきで言う。
ああ、根本的に分かっていないな。僕は、そう思いながら考える。
このフレーズはもともと、日本人の斜め上の発想や執着心や活動に、呆れながら、どう反応すればよいか困る、といった意味合いの言葉だった。しかし、使われるうちに、半ば呆れつつも褒める言葉として、変遷したものだ。
そのニュアンスが分かるには、日本人の特殊な趣味や、謎の努力の方向性を、肌で実感している必要がある。
とはいえ、説明自体は難しくない。危険性のある言葉ではないから、一般的な話をすればよいだろう。僕は安心して、楓先輩に声を返そうとする。
その時である。部室の入り口あたりから、声が聞こえてきた。
「先週末、ユウスケと一緒に未来に行ってきた」
「ええっ!!??」
僕は驚きとともに、顔を向ける。声が聞こえた場所には、同学年で幼馴染みの、保科睦月がいた。睦月は、いつものとおり、水着姿で座っていた。
睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。睦月は、僕の真正面の席に座って、じっと僕を見ている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。まあ、水着姿の美少女を毎日拝めるのは、素直に嬉しいんだけどね。
その睦月は席を立ち、とことことやって来て、僕の左隣にちょこんと座った。僕は、右に楓先輩、左に睦月といった状態ではさまれる。僕は、二人の美少女のあいだに座り、のぼせてメルトダウン寸前になる。
そんな僕は、激しく汗をかきながら、左隣の睦月に尋ねた。
「ねえ、未来に行ってきたって、どういうこと?」
「ユウスケ、忘れたの。あの日、あの時、私たちは、未来にいた」
そ、そうだったかな? 僕は疑問の表情を浮かべる。
そんな僕の顔を見て、睦月は少しだけ悲しそうな顔をした。楓先輩は、そんな僕と睦月を見比べて、興味津々といった顔をしている。
えーと、いったい何があったのかな? 僕は、必死に脳内の時計を逆回転させて、過去の時間へと旅に出る。
先週末、僕はいつものように自分の部屋でネットを見ていた。隣には睦月がいる。その日、睦月はスクール水着を着ていた。胸と背中には保科と書いた白い布があり、それが実際に学校で使っているものだと、僕に教えてくれていた。
睦月は、僕に体をぴったりと寄せて、マンガを読んでいる。内容は、タイムスリップ物。未来から、猫耳の人造人間がやって来て、現代にはあり得ない小型装置で、トラブルを起こすという内容だ。
僕は、そんな睦月を横目で見ながら、英語のネット掲示板を見ていた。千二十四チャンネルという謎のサイトで、二の十乗ほどのすごさがあるとの触れ込みだ。僕はそこの、幼馴染みスレを読んでいた。
昨今は便利なもので、英語のサイトも簡単に翻訳できる。僕はちまちまと日本語にしながら、その内容を楽しんでいた。
――日本のアニメを見ていると、主人公には、家が近く、仲のよい幼馴染みがいるらしい。
――そんな馬鹿な。うちには、半径十キロメートル以内に、家などないぞ。
――近くに幼馴染みはいるが、仲はよくない。彼女は、オタクなど視界に入っていないようだ。
そんな様々な感想が書き込まれていた。
僕は、日本の幼馴染み事情を書こうと思い、睦月のことを書き込んだ。翻訳サイトを使って、英語で投稿した。
――日本在住のSです。僕には幼馴染みがいます。彼女は、スクール水着で、僕の部屋に来ます。彼女は、部屋着用の水着を何枚か持っています。
スレには、驚きの声が多数寄せられた。
――家にプールがあるのか?
――ないですよ。
――じゃあ、なぜ水着なんだ?
――水泳部ですから。
――あれか。日本には部活動という奴があるらしいな。部活に入っている奴は、家でもそのユニフォームを着ているのか?
――そういうわけではありません。
――何だかSFっぽいな。体にぴったりと密着した服装で暮らしているのか?
――まあ、そうとも言えますね。
――くそっ! 日本人はイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな!!
アメリカ人のボブという男性が、悔しがる書き込みをした。
気付くと、睦月が僕に身を寄せて、モニタを見ていた。
「ねえ、ユウスケ。私がユウスケの部屋で、水着を着ていることを書き込んだの?」
「うん。海外の人から見たら、呆れつつ羨ましい状況みたいだね」
睦月は、頬を赤く染め、恥ずかしそうに手で顔を覆った。そして、指のあいだから、僕をじっと覗いてきた。
「私とユウスケは、未来に生きているの?」
「そう見えるみたいだね。あれだよ、あれ。ドラえもんの未来のシーンで、みんな体にぴったりの服を着ているだろう。セワシくんとか。あのイメージなんだと思うね」
「そうなの。私たち日本人は、未来に生きているの?」
「まあ、日本人というか、僕と睦月の二人だけだね。この場合は」
「私とユウスケ二人だけ……」
「うん」
「私、ユウスケと一緒に、未来に行きたい」
「えっ?」
僕は睦月を見る。睦月は、未来さながらの、布が全身に貼りついている服装だ。僕は、いまさらながらに、睦月が水着姿で寄り添っていることを意識し始めた。
「ねえ、ユウスケ。私、まだ子供だけど、一足先に未来を体験したい」
「み、未来って、その、何だろうね?」
僕は、しどろもどろになりながら答える。
睦月は、マウスを握る僕の手に、自分の手の平を重ねてきた。そして、僕の手をそっと取り、自分の胸元に運んだ。
僕は、自分の心臓が、破裂しそうなほどドキドキしていることに気付く。睦月は、僕に体を近づけ、耳まで赤くなっている。ああ、僕は未来に来てしまったようだ。僕はイッちゃっているよ。未来に生きているよ!
頭の中で、何かが切れた音がした。理性の鎖だ。いや、僕の理性は、鎖というほど強くない。ミシン糸程度の強度しかない。
ともかく、たがが外れた僕は、未来人としての活動を開始しようとしたのだ。そう。水着に着替えて、睦月と同じ姿になろうとしたのである。
その時である。部屋の扉が勢いよく開いた。そして、母がブラシを持って、入ってきた。
「ユウスケ。風呂掃除をしなさいって、言ったでしょう!!!」
母は、ズボンを脱ぎかけた僕に、まさかりのようにブラシを投げてきた。そのブラシは、きれいに僕の顔面にめり込み、僕は床に、どさりと倒れてしまった。
僕は現代に戻ってきた。そして、風呂掃除に旅立った。僕はブラシで、浴槽をゴシゴシとしながら、未来旅行は短かったなあと思ったのだ。
「ねえ、サカキくん。日本人はイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな、って何?」
「はっ!!!!」
精神だけ、過去に行ったり、未来に行ったりしていた僕は、今が何時何分なのか分からないまま、文芸部の部室に戻ってきた。
まるで、クリストファー・ノーラン監督の映画さながらに、時間軸をあっちこっちと移動している気がする。
「ええと……」
何だったっけ? 僕の右横で、楓先輩が、少し怒った顔をしている。そうだ。僕は、説明しなければならない。愛する楓先輩のために、ネットスラングの解説をしなければならない。僕は、そのことを思い出して、慌てて語りだした。
「日本人はイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな、というフレーズは、もともと二〇〇六年の六月一六日に放送された、NHKの『英語でしゃべらナイト』という番組が元になったネットスラングです。
その番組中で、明和電機の作った、魚の骨の形をしたコードを見たイギリス人の反応として、『日本人はイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな』とテロップが出ました。このワンカットが受けて、ネットの定番フレーズになったのです。
この長いフレーズは短くして、あいつら未来に生きてんな、日本人は未来に生きているな、などと略されることもあります。
さて、このフレーズは、使われるうちに意味が変遷していった言葉です。当初の頃は、呆れ、冷笑、俺たちには理解できないといった、否定的なニュアンスで用いられていました。
しかし、時が経つにつれ、感嘆、賞賛などに推移しています。とはいえ、そこには、自虐混じりの調子が含まれています。
これは、英語のバッドという言葉が、クールなことを意味するスラングとして使われるのと似ています。こういった逆転現象は、言葉ではよく起きます。悪い意味の言葉は、時によい意味の言葉に転化して使われます。
この言葉がふたたびネットで広く使われたのは、『初音ミク』のコンサートがおこなわれた二〇一〇年頃だとされています。
二〇〇七年に発売された、デスクトップミュージックソフト『初音ミク』は、歌えるソフト、萌えキャラという二つの特徴で、ネットで大いに盛り上がりました。そして、初音ミクのCG映像によるコンサートもおこなわれました。
そのことに対して、『英語でしゃべらナイト』のイギリス人のキャプチャとともに、日本人はイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな、というフレーズが、ネット掲示板に頻繁に貼られるようになりました。
日本という国は、この初音ミクの件以外にも、よくも悪くも斜め上の発想やコンテンツが出てくる土壌です。
そのため、常識や時代を飛び越えたような、出来事や商品が紹介されることがあります。そういった際に、こういった言葉で、半ば苦笑しつつ賞賛するといった流れになるのです。
まあ、このフレーズはだいたい、オタクがらみの話で使われます。あとは、男性のねじれた性愛活動や道具の話で、出てくることが多いです。
というわけで、日本人はイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてんな、というフレーズは、こういった意味になります」
僕は説明を終えた。楓先輩は、なるほどといった様子で感心している。これで義務を果たした。そう思っていると、楓先輩が僕の袖を引いて、声をかけてきた。
「ねえ、サカキくん」
「何でしょうか、楓先輩?」
「それで、睦月ちゃんと、未来に行ってきたって、どういうこと?」
「ぶっ!!」
僕は、思わず噴き出してしまい、左隣の睦月に背中をなでられた。
い、言えない。僕が睦月と一緒に部屋にいて、思わず未来に旅立って、大人の階段をのぼりかけたなんて。
何とかしてごまかさないといけない。どんな話をすればよいのだろうか? 僕は必死に考えて、苦肉の策をひねり出した。
「先週末に、手に入れたタイムマシンで、少しだけ未来に行ったんです!」
「えっ?」
楓先輩は、驚いた顔をして、右手を自分の口元に添える。僕は、勢いに任せて、さらに話を続ける。
「僕と睦月は、先週末、たまたまタイムマシンをゲットして、未来旅行をしたんです」
「それって、すごいことじゃないの?」
「ええ、まあ、そうですね。そのマシンは、一時間ほど未来に行けるタイムマシンで、乗って降りると、時計が一時間ほど進んでいました」
これぐらいの嘘なら、いいよね! 一時間程度なら、未来の話も、過去の話も聞かれずに済むから、セーフだよね。僕は、内心ひやひやしながら答える。
「ねえ、サカキくん。それで、そのタイムマシンはどこにあるの? 私も乗ってみたいわ!」
「えっ? いや、あの、その……」
身から出たさびだ。嘘を貫き通すために、嘘を嘘で塗り固めなくては、いけなくなってきた。僕は、額から汗をだらだらと垂らしながら、懸命にしゃべる。
「そのタイムマシンは……」
「そのタイムマシンは?」
「タイムパラドックスで、消えてしまいました!」
僕は拳を握り、力強く言った。しかし、楓先輩は、その声の勢いに、押し流されてくれなかった。
「えっ、それって、おかしくない? 過去に戻るんじゃなくて、一時間だけ未来に行くタイムマシンだよね。それなら、タイムパラドックスは関係ないんじゃないの? コールドスリープなんかと同じ程度のものでしょう。それなら時間軸に矛盾は生じないわけで……」
楓先輩は、真剣な顔で僕に尋ねてくる。
し、しまった。楓先輩は、乱読家だ。ジャンルを問わずに、様々な本を読んでいる。当然、SF小説も読んでいる。だから、その手の話に付いてこられる。簡単には、ごまかされてくれなかった。
「ねえ、サカキくん。タイムパラドックスで消えたって、おかしいよね?」
「えーと。そうですかね?」
駄目だ。嘘がばれる。絶望的な気持ちに僕がなっていると、楓先輩は、さらに僕に身を寄せてきた。
「それで、そのタイムマシンは、どうやって入手したの? 消えたなら、また手に入れればいいよね。そして乗り込んで、なぜ消えたか検証しましょう!」
「えっ?」
あ、あの、楓先輩。タイムマシンの存在を信じているのですか? これは、さすがにやばい。僕は、自分の台詞にパラドックスが生じないように、全速力でその場から逃げ出した。
それから三日ほど、楓先輩は、僕を密かに追い続けた。どうやら、僕がこっそりとタイムマシンを再入手して、タイムトラベルすると思ったらしい。
僕は、そんな楓先輩から、必死に身を隠した。そして、早く三日経ってくれ、楓先輩よ飽きてくれと思い、三日後の未来が来るのを、ひたすら祈って待った。
今回は、未来についてのお話でした。
楓先輩のツボがよく分からない、サカキくんでした。




