虫食い穴を電子は超えるか
携帯から響く着信音。
視線は自然と宙へ向く。
君の声が届く時間が、だんだんと長くなっていく――
「今日の夜、時間ある?」
夏休みの研究室。パソコンの画面をぼーっと眺めていたところに声がかかる。椅子をころころと引いて、声の方を向く。さっきまでなにやらマジメな顔でなにやら書類を読んでいた研究室仲間がこちらを見ていた。
「特に用事は無いけど?」
自分の予定を考えるまでも無い。あまり友達付き合いがいい訳でもなく、学業にマジメなわけでもない。ましては、夏休みだ。時間は無駄に余っている。
「ちょっとさ、飲みに行かない?」
ちなみにこの研究仲間、女子である。しかも見た目は割とカワイイ。性格は“ちょっとあれ”だったりするのだが、変に気を遣わずに飲めるのだし、断る理由は無い。
「お、いいな……って、どうした?」
飲みに誘っている割りに、相手の表情は硬い。暇だからちょっと飲みに行こう、って雰囲気ではない。
「ん、ううん。ちょっと、報告があるだけかな」
「報告? なんの?」
俺の問いに彼女は軽く視線をさ迷わせてから、そのまま目をそらす。
「それは、また話すから……じゃ、細かい予定はまた後で教えるから」
話を切り上げるように立ち上がると、彼女はそのまま書類を持って部屋から出て行ってしまった。気になるが、理由はぱっとは浮かばない。
仕方なしに、再びパソコンの画面を眺める作業に戻る。
いや、決してサボっているわけではなく、自分の研究に関係ある分野のニュースや噂なんかを追っているのであって。
ブラウザには、宇宙関係のニュースのタブが連なっている。月や火星のテラフォーミング、遥か遠くに放たれた無人衛星から送られてくる電波の解析、有人宇宙船を太陽系の外に飛ばす計画など、数年前では考えられなかった事柄が当然のように並んでいる。
「21世紀の蒸気機関発明」と題された技術革命以降、宇宙関連技術はそれまでと比べ物にならない勢いで進んでいる。
結局、日頃よく使う学校の近くの居酒屋で飲むことになった。予約していてくれたようで、すんなりと通された。その個室で彼女と向き合う。居酒屋には珍しい、窓際の席。
「んで、なんの報告なんだ?」
ビールと適当なつまみを注文したところで、ずっと気になっていた話題を切り出す。が、返ってきたのはどこかふてぶてしい感じの笑み。
「いきなりそんなこと聞いてくるのは野暮なんじゃないの?」
「お前が報告があるって言ったんだろ……」
いらっとくる――が、まあ、いつの間にか調子が戻っているのは悪いことではない。おとなしく路線変更して適当な話題を放り投げることにする。
「そういや、昼読んでた書類はなんだったんだ?」
「だから、野暮っていってるでしょ……」
話題は変わっていなかったらしい。
「オーケーオーケー。じゃああれだ、お前、最近研究の調子はどうなの?」
「……あんた、わざとじゃないわよね?」
一拍間を置いてから、すごいジト目で見られた。そんなこと言われたって、こっちは何も知らないのだから、しょうがないじゃない。
報告とやらに、書類と研究が関係あるのか。うん、まったくわからない。こいつの研究は電波を損失なく長距離まで届ける技術。宇宙関連のうちの研究室でなんでそんなことしてるかというと、太陽系を離れるような長距離――というより超距離から地球に向かれた電波は劣化して、その全てを受け取ることができないため、それを克服する必要がある。
「ったく、ならなんの話題ならいいんだよ?」
「そうねー……まだ部活には行ってるの?」
「部活? ああ、毎回ってわけにはいかないけど、できるだけ顔は出してるな」
「前話してたカワイイ後輩とやらとは何か進展あった?」
どんな話題転換だ。
「俺がそんなことうまくやれると思ってんのか……?」
「まあそうよね。知ってる」
そう答えて、軽く微笑みやがった。答えわかってて聞いてくるとかなんだ、鬼畜か。
言い返そうとしたタイミングで、注文してたビールと枝豆が出てくる。一度タイミングを失うと、改めて反論するのもむなしい。
「で……なんについて乾杯?」
「そうねー」
彼女は考えるように、窓の外、空の向こうをちらり。
「先行きの見えない私達の未来に?」
「……電波の研究のし過ぎで、謎の電波受信したのか?」
「失礼ね、そんな電波受信できるなら私の研究はもっと進んでるわよ」
「……ワー、カンパイー」
きりがなさそうなので、無理やり押し切ることにして強引にジョッキを押し付ける。彼女もしぶしぶといった形で、ジョッキを打ち付けてきて、ガラス同士が重なる涼しげな音。
「はいはい、ちょっとペース早くないですかー……?」
元々酒に強いのはわかってたけど、それでもいつも以上にガンガン飲みすぎである。カクテルとか飲んでるのなら、まだ女の子らしさ的なものも残ってたかもしれないけど、ビールからウィスキーにいって、現在焼酎である。
「いいのいいの、飲み納めみたいなもんだからー」
「何だよ、飲み納めって」
苦笑しながらたずねてみる。もしかして報告って、飲み過ぎで肝臓痛めてるとか言われたんだろうか。それだと、笑えるというべきか、笑えないというべきか。
「ん、これこれー」
ゴソゴソとカバンから取り出されたのは、何かの書類。多分、昼間読んでいたやつだと思う。読んで、と手渡される。
いよいよ本当に医療証明的な何かしらかもしれないなんて考えてたから、最初はその中身を理解することがまるでできなかった。
「これって――」
「アタシね」
彼女は微笑みながら、乾杯の時にやったように窓の外を見る。日が暮れた東の空に浮かぶ満月。
「あの月のずっとずっと向こうまで行くんだ」
有人宇宙船の太陽系外への進出。ニュースで見るような遠くの出来事が、目の前の書類には書かれている。サインには、目の前の見慣れた女の名前。
「何で、お前が……?」
「そりゃ、人乗せて遠くに行くだけが目的じゃないからね。お空の向こうで研究しなきゃ」
どこか冗談めかした口調。だけど、納得はできた。少なくとも研究に関して、こいつは贔屓目なしに優秀だ。頭いいやつって、その分どっか凹んでるんだろうなー、って例に漏れず、優秀だ。性格を生贄に、容姿と頭脳を獲てるんだから割とコスパはいいんだと思う。
「お空の向こうって……簡単に言うよな」
決して僻みではなくて、だけど言葉に少しトゲが入った。その理由がなんなのか、彼女が察したかどうかは知らないけれど。
「簡単に……言ってると思ってるの!?」
知り合ってから一年半そこらの付き合いでしかないけれど、それでも初めて彼女の声が荒ぶるを聞いた。ほろ酔い気分が吹き飛ばされ、胸にすっと冷たい何かが入り込んでくる。
「アタシがどれだけ悩んだと……思ってるの?」
初めて彼女の刺々しい声を聞いて、初めてその瞳が潤むのを見た。
「そんなこと言われたって、相談もされてないのにわかるわけないだろ……」
自分でも呆れるほど言い訳じみた返事に、彼女は答えず下を向いた――かと思うと、すぐに顔をあげ、手元にあったコップを突きつけてくる。
「飲め!」
「あ……?」
「飲んで忘れろ!」
大して酒に強くない俺には、コップの中の焼酎のにおいはツンと鼻を刺激する。
それでも、何を忘れればいいのかもわからないけれど、とにかくコップの中の焼酎を喉の奥に流し込んだ。
「四年間」
それが、彼女が宇宙へ旅立って、帰ってくるまでの時間らしい。長いか短いかでいうと、二十数年しか生きてない俺からすれば長いと思う。つい先ほど涙目から復帰し落ち着きをとりもどしたこの女に次に会う頃には二人とももう三十路手前である。
ちなみに、普段から落ち着きのないやつに落ち着きを取り戻したって使えるんだろうか。
「大学院は卒業できるし、就職もある程度は用意してもらってるわ」
「そりゃ、人類レベルの偉業をやっているわけだしな……」
そんな人物、どの企業だって喉から手が出るほど欲しいだろう。或いは国立とか世界的な研究所に所属するのかもしれない。帰ってきたところで俺の住む世界から遠くにいることには変わらないのだろう。
「まあ、最長四年間って話で、もうちょっと早くかえってこれるかもしれないんだけどね」
「……ん、どういう意味だ?」
これは本当は部外秘なんだけど、と邪悪な表情で彼女が声を潜める。よし、待て。こういうのって一方的に聞かされただけでも俺が面倒な目にあったりするんじゃなかろうか。
そんな考えお構いなしに、続きが告げられていく。まあ、これだけ酒がはいっているのだから、事実がどうか怪しいところだが。
「この計画の一番の目玉は、ワームホール」
「ワームホール?」
「知らない?」
いや、知ってるけど。それ相応に古典から現在SFは目を通しているし、ワームホールなんてものはそれこそ昔から色んなトンデモ理論が展開されてきた。
「要するにね、ワープの研究しにいくの。私の役目は、宇宙船をワープさせる前に、まず、電波がワープできるか確認すること」
どうやったらそんなことができるかなんて想像もつかないし、そもそも、今の俺にはそんなことができるとは思えない。この世界ではない別の宇宙とか、十何次元の世界とか、距離を圧倒的に縮めるほどの重力のゆがみとか、観測されていないのだから。
だけど、技術革新なんてのは、できないこと、できるなんて思われてこなかったことを可能にしてきた。もしかしたら、あと十年だか数十年だか経ったら、人間が当然のように虫食い穴を通過しているのかもしれない。
「何もかもが上手く行けば、二年くらいで帰ってこれるかも。そしたら、ちょっと長い留学みたいなもんよ。でもまあ……」
声の調子を戻した彼女の言葉。それから今度は、含みのある笑みを浮かべた。よく表情の変わるやつだ。
「宇宙船じゃニ時間飲み放題とかないからね、今のうちにこうやって飲み溜めするの」
お猪口に冷酒をついで、すっと飲み干す。
「当然、付き合ってくれるわよね?」
疑問系に見せかけたそんな命令は卑怯だ。
居酒屋から程近い公園のベンチに二人で腰掛ける。雰囲気なんてありゃしない。飲みすぎた女と、大して強くも無い酒に付き合わされた男だ。
夏とはいえ、深夜の風は火照った体に心地いい。
何も話さず、ただぼーっと夜空を見上げる。そこそこに田舎なこの街は、星の光が人工の光に負けずに届く。
もし仮に、俺らが付き合ってたり何なり深い仲なら、「僕らはこの地球と宙の向こうに引き裂かれるんだ(笑)」みたいな感傷に浸れたんだろうか。
正直なところ、彼女が四年間地球にいないということがどういう事態を及ぼすのか、しっくりきていないのだ。
こんな時代だし、宇宙関連の技術者になろうとしているのだから、宇宙に出たことくらいはある。そこはそれなりに異次元で、だが、既に人類が進出した世界である以上、現実の延長でもあった。
彼女が臨むのは、人がまだ到達していない世界。想像すら難しい。
「あのさ」
同じように宙を見上げていた彼女がポツリ。
「待っててほしい」
「待つ?」
別にね。と彼女がどっか照れくさそうにこっちを見て笑う。
「彼女を作るなとか、無事に帰ってきたら結婚しようとかそんな死亡フラグな話じゃなくて。ただ同級生として、私のことを覚えて待っていてほしい。帰ってくるのを」
相変わらず、その表情はよく変わる。今度はどっか拗ねたようで。
「だって寂しいじゃない。送り出すときは盛大に送り出しても、帰ってくるときにはすっかり忘れてるなんて」
そんなことを言いながら、足をパタパタ。素なのか、酔っているのか。酒に酔うと人間の素が出るという話からすると、両方か。
「お前みたいなやつ、俺に限らずそう簡単に忘れないって」
「……なんだろう、なぜかちょっといらっとした」
そうだろう。そりゃ、「お前みたいな(性格の)やつ」、だし。こんなインパクトのあるやつ、忘れてたまるか。むしろ、俺みたいな特に目立ったものがないようなやつをお前が忘れる方が先だと思う。
「待つよ、待ってる。二年だか四年だか知らないけど、待っててやる」
だから――と、声が震える。違うんだ、これは酔っているからであって、決して俺は感極まってなんか無くて。
「細かいことは考えずに、行ってこい」
それだけ言い切ったところで、視界が歪んだ。
ごく稀にメールに混入するノイズ。
それは、送受信間の距離を感じさせる。
何よりも、メールが送られてから届くまでの時間が日に日に延びていく。
光速でさえ、一瞬では届かない距離。
柄にもなく考えることがある。
あの日、彼女が話した内容が真実であるかはわからない。
だけど、もしこの距離をものともせずに一瞬で彼女からのメールが届くとがあるとするならば。
――それは、もうすぐ君が戻ってくる合図――
お読みいただきありがとうございます。
何か書け、といわれて半日でバーっと書いたので、検証的にも文章的にも粗は多そうですが。
久しぶりにSFもので、キュンキュンするの書いてみようと思ったら方向性がバグりました。私にはキュンキュンするのは書けないみたいです。
そして、ガーっと書いて、見直してみたら明らかに新海誠さんの「ほしのこえ」の作品の影響を大いに受けていました。