少女の夢
「アリス…、アリス……」
ある晴れた麗らかな、日曜日の午後。緑が広がる庭に、綺麗な声をした女性の誰かを呼ぶ声が響く。その「アリス」はというと、本を枕に木陰でうたたねをしていた。こんな気持ちのいい天気の中なら、さぞ夢見はいいはずなのだが彼女の眉間には深い皺がきざまれていた。そんな彼女を見つけた女性は、小さくため息を零し、呟きを漏らした。
「……こんなに眉間に皺をよせて、一体どんな夢を見ているのかしら」
彼女の頭の中、夢の世界ではいったいどんな光景が広がっていたのかというと……。
*
同時刻。別の場所で二人の王子が互いに目的の場所を見失い途方に暮れ、路に迷っていた。
片や白のネックのついた長袖に上から青地のベストを着て、下はベストと同じ青のズボンに革のブーツ。そして赤のマントを羽織っている、十八歳ぐらいの見た目をしている。
片や青の長袖の全身タイツに、茶色の革のベルトをしめ。そして黒の革の長ブーツ。そんな落ち着いた雰囲気を更に鮮やかにする赤いマントを羽織っている。
どちらも本当なら今頃お目当ての姫の元へ辿り着き、共に同じ馬にまたがっているところだろう。しかし運が悪いことに、二人共がまさかの方向音痴。姫の待つ城へ全くたどり着けない。あっちに行けば何故か樹海に迷い込み、こっちに行けば滝つぼへ足を滑らせ落下。そっちに行けば熊と遭遇し、立ち向かうも敵わず逃げ出しさらに道に迷う。
その頃二人の姫君はと言うと……実は、どちらも城にはいなかった。
姫君は「白雪姫」と「オーロラ姫」。
白雪姫は継母に追い出され今は深い深~い森の奥で、七人の小人と生活していた。オーロラ姫も別の深い深~い森の奥で、三人の姉と生活していた。
果たして王子は無事、運命の姫君と出会えるのか!?
『その答えはお伽の幕が下りる時にわかるでしょう。さぁ、それまではこのちょっとばかり不思議なお伽噺にお付き合いくださいますよう』
*
別の森では真っ赤なフード付きのケープを身にまとった女の子が、お菓子とワインの入った籠を持って歩いていた。
「ふんふふ~ん♪」
陽気に鼻歌を森に響かせながら、軽い足取りで森の中を進んでいく。お母様から言いつけられ、森の奥に住んでいる祖母の家へ向かっているところだった。
「わぁ~綺麗な花畑!」
目の前に突然現れた綺麗なお花畑に、まるで宝物でも見つけたかのようにキラキラと瞳を輝かせている。
「こんなに素敵なお花を花束にしたら、きっともっと素敵よね! あっ! そうだ、おばあさまへのプレゼントにしよう!」
自分にしては珍しく素敵なアイディアに心躍らせ、スキップしながら花畑に足を踏み入れる。
「こんにちは、お嬢ちゃん。そんなにご機嫌でどうしたんだい?」
突然背後から掛けられた問いかけに、女の子は一生懸命お花を摘みながら嬉しそうに答える。
「綺麗なお花畑を見つることができて、おばあさまへ素敵な花束を作ることができるからよ」
「ほう、それはよかったなぁ。だが、こっちにくればもっといいものがあるぞ」
「えっ、本当!?」
そうキラキラの笑顔で振り返った女の子は、一瞬で固まった。
振り向いた先に立っていた声の主を頭の先から足の先まで見て、放った第一声。
「……うっわ、むさ」
「む、むむ、むさいとはなんだ!」
「見たまんまじゃない。そんな毛むくじゃらで近付かないでくれる? 鬱陶しい」
苦虫を噛み潰した時のような、苦く、渋そうな、眉間に皺を寄せ可愛らしい顔をしかめながら本当に鬱陶しそうに言う。
「ほら、そこさっさとどいて。早くしないと日が暮れちゃうでしょう」
しっしと、あくまで可愛らしい声で狼を追い払う。しかしそれにイラっときた狼が赤ずきんに努めてゆっくりと歩み寄る。
「そこまで邪険にしなくてもいいだ」
「きゃあぁ――――!! ロリコンヘンタイドスケベ痴漢な上むさ苦しい毛むくじゃらがいるぅ~~~~~!!」
「な、なな、な――!!」
狼は言葉を言いきれることもなく、とてつもなく最悪な言葉の羅列で言いくるめられ、まともに言葉を発せられなくなる程の衝撃を受けた。そしてそれに追い打ちを与えるような内容を赤ずきんは叫んだ。
「鬱陶しい――――!! いやぁ~~こないで――! むさいのが移る~~ぅ」
「しっ、失敬な!! この美しい毛並みの素晴らしさを理解できないとは!」
怒りに狂った通り過ぎの狼が牙をむき、少女に襲いかかろうと少女に向かって素早く駆けだす。
「来るな――! このド変態野郎―――――――!!!!」
「ぐほぉっ!?」
すると赤ずきんは手近にあった小ぶりな石を全力投球し、素早く背を向け今度は全力疾走でその場を去って行った。赤い姿が小さくなり木の向こうに消えていく頃、後には悶絶しながら地面をのたうち回る狼だけが残されていたとか。
「はぁ、はぁ……、も、もう、ここまでくれば大丈夫なはず……」
木にもたれかかり深呼吸を繰り返す。
「――思ってたより貧相な出来栄えだけど、仕方ないわよね」
手に持ったままだった、摘んだばかりのイメージには程遠い小さな、それも少し萎れてしまった花束が目に入る。
「そうよ! それに贈り物は見た目じゃない! 中身よ中身! どれだけ心がこもっているかが一番重要なんだから!!」
なんとか自分を奮い立たせ、籠の中身を確認しながら目的地である祖母の家へと向かった。
「おばあさま、こんにちは!」
森の中に佇む一軒の小さな家。屋根は赤色に煙突がぴょっこりと顔を見せ、外壁は綺麗なクリーム色。そして茶色の可愛らしい扉を開けると、ベッドに入って座りながら本を呼んでいた一人の老婦人が嬉しそうに振り向いた。
「あらあら、赤ずきんちゃん。こんにちは」
にっこりと優しく微笑む老婦人は、可愛い訪問者をうれしそうに手招く。
「おばあさま、元気だった? あ、これお母さんからおばあさまに、って」
「まぁまぁ、とても美味しそうなクッキーにワインねぇ。ありがとう、赤ずきんちゃん。ここまで持ってくるの、大変だったでしょう?」
「ううん、全然大丈夫でした!」
労わりの言葉をかけてくれる、優しいおばあさまの大好きな笑顔。仕事で忙しかった親に代わって優しく厳しく育ててくれたおばあさまは、誰よりかけがえのない存在。
「今日のお菓子はね、クッキーは私が一人で作ったのよ! ……フルーツパイは、お母様と作ったけど」
(――っていうか、私は仕上げの飾りだけ)
籠にかけた布を取って、中身を見せながら説明している。おばあさまはニコニコと嬉しそうな笑顔で、赤ずきんちゃんの説明を聞いている。
「じゃあせっかく赤ずきんちゃんが作って持ってきてくれたお菓子、さっそく食べましょうか」
「はい!」
そんなのんびり、まったりとした雰囲気が漂う中。侵入者が雰囲気をぶち壊しにして現れた。
「ここか―――!! うらめしや~~赤い頭巾のお嬢ちゃん……」
突然現れた狼におばあさまは目を丸くして驚いているが、赤ずきんは至って冷静だった。
赤ずきんは隠し持っていた鋭く尖った石をエプロンの下で握りしめ、タイミングを見計らい狼の眉間に的を絞って振りかぶろうとしたその時……。
「とお―――!!」
突然現れた不法侵入者その二に、おばあさまはさらに目を大きく見開き。赤ずきんも狼も声と音のしたほうへ振り向いた。
「やあやあやあやあやあ!! 女性のピンチを嗅ぎつけて、ヒーローならぬ王子がやってきたぞ!」
そんな突拍子の無い台詞を吐いた自称・王子に、赤ずきんは馬鹿にした冷めた視線を送った。が、
「まぁまぁまぁまぁあ! 王子様ですって!」
おばあさまだけは一人、とても嬉しそうな声をあげた。煌く瞳はまるで少女のような輝きを放っていた。
「お、おばあさま…。そんなに興奮したら、また腰が……」
王子に対しては冷めた視線を送った赤ずきんだったが、はしゃいでいるおばあさまには優しい眼差しで怪我を心配している。
「あら、ごめんなさいね。でも、王子様だなんて!」
「お嬢様と奥様の身に危険が及ぶ前に突入できて本当によかったです。ささ、私が必ず悪の手下から護ってみせますからどうぞご安心を」
「あ、あら……」
ベッドに寝たままのおばあさまの手を恭しくとり、甲に口付けをおとす。おばあさまは嬉しそうに頬を染め、赤ずきんと狼の存在を綺麗に忘れて目の前の自称・王子に魅入っていた。
「……」
「……」
そんな二人の展開を、赤ずきんと狼は生ぬるい目で見ていた。
「……やい、狼よ」
「……なんだ、お嬢ちゃん」
「おばあさまには二度と手を出さない、っていうんなら今回だけは見逃してやるからさっさと逃げろ。ポンコツ」
「あんなばばあには用はねぇよ。じゃあ、さっさとずらかろうか。クソガキ」
狼は気配を消して足音もたてず、そっと家から抜け出して森の奥へと身を隠した。
「はあ……」
自分の使命とやらも忘れたと見受ける自称・王子は、赤ずきんのため息を聞いてやっとおばあさまとの談笑を打ち切って剣の塚に手をかけた。
「では、そろそろ憎き狼をこの手で成敗してや、ろ……う?」
振り返ってから、やっと狼がどこにもいないことに気がついた。
「なんだ。この私に恐れをなして早々に逃げたのか。軟弱なヤツめ」
(――阿呆か、こいつは)
王子のその態度に赤ずきんは呆れ果てて物もいえず突っ立っていたが、それを王子は狼におびえて身動きができないのだろうと勝手に解釈した。
「小さき震える可愛いらしいお嬢様、どうかこの私だけのプリンセスになってはいただけないでしょうか?」
赤ずきんの前に跪き、右手を出してそう求婚する。おばあさまは目をキラキラさせて、ベッドの上でその展開を見守っている。求婚を受けた当人である赤ずきんは、自称・王子に対してニッコリ微笑むと。
「その前に……靴、脱いで下さい。ここ、土足じゃないんで」
「はい……」
そう、冷たく言ってのけた。
そうして王子は、赤ずきんの大切な大切なおばあさまの家で用心棒兼下働きをして生活をし始めた。
*
お菓子の家でエスな魔法使いに捕まったヘンゼルとグレーテル。兄は檻に閉じ込められひたすら食っちゃ寝の生活で肥え太り、妹はこき使われ痩せる一方……。そんな日々が送られる中。
「……お嬢さん、お嬢さん」
コンコンと、小さく窓を叩く音と自分を呼ぶ声にそっと窓際に近寄ってみると。知らない男の人が身を小さくして膝たちをしていた。
「だれ……?」
「しー。私はただの通りすがりの王子ですよ」
「おう、じ……?」
可愛らしい少女に不安げに見上げられた自称・王子は、きゅん…。という擬音とともにグレーテルの眼差しに胸を射抜かれた。
「助けてくれるの?」
「も、もちろんです!!」
顔を紅くして、応える王子に。グレーテルな涙目で縋るように抱きついた。
「お、お兄ちゃんが、魔女と一緒に……っ」
「お、おおおおお落ち着いて!大丈夫、私が助け出します。貴女も、貴方のお兄様も」
最後はかっこよく決めることができた王子は、グレーテルを後ろにかばいつつ。魔女とヘンゼルがいるという部屋へと移動した。
移動した先では、ヘンゼルが入っている檻の鍵を魔女があけて眠っているヘンゼルを床に横たえているところだった。その手には鈍い輝きを持った包丁が握られている……。そして扉の隙間から王子とグレーテルが様子を伺う中、魔女が包丁を振り上げた……!
「だ、だめ――――――!!!」
グレーテルは我慢できず飛び出し、包丁を持っているほうの腕に飛びついた。
「マイ・スイートハート―――!!?」
驚きに立ち尽くす王子。彼が思わず叫んだ内容にグレーテルはどこか引っかかりを覚えつつも、すぐに目の前でちらつく鈍い光を放つ刃に意識を向けた。
「こ、こら!離しな!!」
「い、いやよ!絶対にいや!」
包丁を取り合って揉みあい、転がっていくグレーテルと魔女の行く先には燃え滾る暖炉の炎とその上で煮える大釜があった。それにいち早く気がついたグレーテルは、自分が暖炉に身を飛び込める前に魔女を突き飛ばして自分から魔女から離れた。
「へ……?」
魔女は急にグレーテルが腕を離したことに驚きつつ、回転に逆らうことなく転がるとスローモーションで燃え滾る炎と湯が煮える大釜が目に映った。
「ひぃ……!す、スプラッタ―――!! ガク……」
魔女の結末を見ることなく、王子は気を失ってその場に倒れこみ。魔女は炎に実を焼かれ、上からは熱く煮えた湯を被って無残にも焼け爛れて死んだ。
「……」
ヘンゼルは未だ眠りの中。グレーテルは一人で事の成り行きを見ていた。そして魔女が死んだのを確認したあと、後ろで情けなくも倒れこんだ王子へと近づいた。
「…つん、つんつん……」
近くにあった棍棒で王子をつついてみるが、反応はない。
「動かない……」
どうしたものかと悩んでいる中、やっとヘンゼルが目を覚ました。
「ふ……、う、わぁ~~。あ~あ、よく寝たよく寝た」
「あ、おはよう。お兄ちゃん」
「ああ、グレーテルか。おはようさん」
「……お兄ちゃん、本当に太ったよね。脂ぎった中年オヤジみたい」
「しゃーねぇだろ。檻の中ですることなんて、寝るか妄想するか食うかしかできないんだ。そりゃ脂ギッシュにもなるさ」
「そうだけど……」
と、妹の後ろに転がる男にやっとヘンゼルは気がついた。
「……誰だ、こいつ。白め剥いてるぞ」
「えっと…王子様?」
「……これが?」
ヘンゼルはその場に気絶して倒れたままの王子を見下ろした。
「ば、ばけもの……」
そこには目を回して床に横たわる、とてつもなく頼りなさそうな王子がいた。
「そうなの。私達を助けに来てくれたんだって。……一応」
「とてもそうは見えないけどな。ただのヘタレチキン野郎じゃないのか?下らねぇ男だよ、きっと。魔女も死んだことだし、ゆっくりここで暮らそうぜ。そいつはどっか川にでも捨てとけ。獣に食われるか、運よく下流まで流されたら誰かが助けてくれるだろ」
そういうヘンゼルにグレーテルも同意しつつも、どうしてもこの自称・王子のことが気になって仕方が無かった。
「う~ん…でもね、何だか私が面倒見なくちゃいけない。かな…って気がしてきて」
母性本能をくすぐられるなにかを持っている、このどうしようもない阿呆な男。自称・王子であるらしいが、お菓子の家でヘンゼルとグレーテル兄弟と過ごす中では末っ子ポジションに位置して暮らすことになった。
*
こうして、白雪姫と結ばれる予定だった王子は赤ずきんと結ばれ、眠り姫と結ばれる予定だった王子はグレーテルと結ばれ、ヘンゼルを含めた三人でお菓子の家で幸せに暮らしました。そして白雪姫は王子と出会うことなく、細々と、しかし魔女も来ない楽しい日々を七人の頼もしい小人たちと過ごし。オーロラ姫は永遠に、もしくは何年か、何十年かした後、新しい王子が助けにくることを夢の中で思い描きながらいつまでも眠っていました。
*
――――リ……アリ…ス………。
優しく柔らかに響く自分の名前を呼ぶ声。
「アリス、おはよう」
「……姉さん?」
「そうよ。まったく、こんな所で眠ったりして。風邪でもひいたらどうするんです?」
寝ぼけ眼をぼんやりと映る姉のそれに向け、空ろなまま青から蒼に変わった空に視線を向けた。
「……ねぇ、姉さん」
「なあに?」
優しく返事する姉に、アリスは空ろなままぽつりと零す。
「お姫様も普通の女の子なのね。夢は夢の世界だけでしか見れないのね……」
「どうしたの、急に」
全く突拍子のない妹の言葉に姉は驚きを隠せない。
しかしそんな姉の心境など露知らず、アリスは眠気など吹っ飛んでその場に立ちあがり宣言した。
「姉さん、私決めた!! 私、すっごく綺麗ですっごくしたたかで、もの凄いおばさんになる!!」
アリス!?」
「ただ綺麗なだけでも中身までお淑やかなままじゃあ駄目なんだって知ったの! だから私は男を手玉にするような凄い女になってやる!!」
「……」
(寝ている時にどこか、頭でも打ったのかしら)
とある優雅な午後のひと時。
夢から覚めた少女はとても現実的になりました。
連載中ですが、気分転換にと短編を一つ仕上げてみました。連載中の作品とは方向性がかなり違いますが、これはこれで楽しんでいただけると幸いです。