見限られて四年の煮出しを取り上げられ壺を伏せました。お館の汁、次の宴から味が決まりません
【広間の卓・序列の宣言】
笑い声より先に、クレオフェの舌へ苦みが触れた。
今朝、味見した煮出しだ。骨の髄はほどけている。玉葱の甘みも出ている。けれど舌の奥へ、湿った薪みたいなざらつきが残った。あと二日。今日の雨なら二日、炉の火が夜半に弱まるなら、さらに半日。
「うちの一番は肉を焼く者だ」
広間の長卓で、ラザロ・ヘイグ料理長が焼いた仔牛の塊へ刃を入れた。褐色の皮が割れ、肉汁が銀皿へ流れる。見栄えは満点。切り分ける手つきも満点。袖口の金糸は、煮出しなら百八十日ぶん。新調した上着ごと採点すれば、たいへん立派な一番である。
「火を見て、肉を見て、客の顔を見られる者が厨の中心だ。煮出しなんぞ誰が引いても同じ。二番どころか、下働きに任せておけばいい」
厨の衆が笑った。
「では、クレオフェは三番か?」
「壺の番人に順番が要るのかよ」
笑いながらこちらを見る者と、肉の皿から顔を上げない者。どちらも口元は同じ形だった。伯爵家の広間は声がよく響く。よく響く場所で言われた序列は、よく働く。翌日には地下の薪割りまで知っているだろう。
クレオフェは煮出しを口へ運んだ客の手を見た。焼いた肉の脂で、今日は押し切れる。
あと二日なのに。
よりによって本日使う。料理長のご自信は四年寝かせても角が取れないのに、煮出しには二日もくださらない。なんという厚遇の差でしょう。わたくしも金糸の袖になれば、壺の奥で二百日くらい大切にされるかしら。
「聞いているのか、クレオフェ」
「ええ、料理長」
「何か言いたそうだな」
「あと二日ですわ」
ラザロの刃が止まった。
「何がだ」
「本日の煮出しでございます。舌に残るのは、煮出しより料理長のご自信かもしれませんけれど」
広間の端で、誰かが吹き出しかけた。ラザロは肉を一枚、ことさら厚く切った。
「肉がよければ客は食う」
「左様でございますか」
「おまえも覚えておけ。肉を焼く者が一番だ」
クレオフェは頭を下げた。
一番。二番。壺の番人は順番外。
それより困るのは、明後日の晩餐だった。今夜から火を細くし、明朝に根菜を足して、昼に灰を替えれば間に合うかもしれない。頼まれてはいない。けれど皿が残るのは、どうにも腹が立つ。食べ物に罪はないのだ。人間の見栄に付き合わされる仔牛が気の毒でならない。
さて、今夜も壺を救うか。
そう考えたところで、笑い声がもう一度、広間の梁へ跳ね返った。
* * *
【十日後・厨】
「骨を水へ放り込んで煮るだけだろう」
十日後、ラザロは本当に別の者へ骨を渡した。
「屑野菜も入れろ。クレオフェでなくともできると、皆へ見せてやれ」
見せてやる相手が誰なのかは不明である。クレオフェは少なくとも頼んでいない。頼んでいない見世物に、朝から上等な牛骨を三籠も使う。豪勢! そのまま焼いて髄を塩で食べたかった。職人の矜持と食い意地は、しばしば同じ胃袋で殴り合う。
骨は冷たい水から入れられ、強火で煮立てられた。浮いた脂が鍋肌で細かく弾ける。春なら火を落として四日。雨が続く今なら五日半。地下の壁がこれだけ湿っているなら六日でもいい。
「泡を取れ」
「もう取ったぞ」
「そこではございませんわ。鍋の奥——」
クレオフェは布を取ろうとして、指を止めた。
誰にも頼まれていない。
いつもなら、そのまま手を入れていた。夜番が薪を足し忘れれば足し、蓋がずれていれば直し、朝の湿りを指先で確かめて寝かせの日数を書き換えた。誰も気づかなければ上出来。客が平らげれば、それでよし。そうして四年、穴という穴へ自分を詰めてきたせいで、穴の形を知る者がほかにいなくなった。
実に見事な教育成果である。自分を便利な栓へ育てた。褒状があるなら、ぜひ壺の蓋にしていただきたい。
「何をしている。手が空いているなら根菜を刻め」
振り返ったラザロは、新しい上着を着ていた。濃紺の布に銀釦。袖には金糸。
煮出し、二百日ぶん。
二百日ぶんをお召しの方が、一日も数えていないのは不思議ですこと。上着の仕立屋には採寸を許し、壺の番人には日数を許さない。布は噛めませんのに。
「承りました。根菜を刻みますわ」
クレオフェは布を置いた。泡は鍋の奥へ巻き込まれた。
包丁を握れば、手はいつもどおりに動く。人参は同じ厚み、蕪は火が通る順、玉葱は崩れすぎない大きさ。仕事を雑にする気はなかった。それでは料理長と同じ秤に乗ってしまう。秤が壊れているからといって、こちらまで軽くなる必要はない。
ただし、頼まれていない穴は埋めない。
「煮出しの壺って、誰が開けても同じだよな」
骨を任された者が笑った。
「ええ」
クレオフェは刻んだ根菜を籠へ移した。
「ですから、どなたかがあなたのお名前を呼んでから、あなたが開ければよろしいのではなくて?」
「俺の名を?」
「ご自分の仕事なら」
相手はきょとんとして、すぐ肩をすくめた。冗談だと思ったらしい。
クレオフェも、冗談らしく微笑んだ。
名を呼ばれてから、自分の壺を開ける。そんな贅沢は金糸の袖より高い。値段をつけようにも、これまで一度も売られていないのだから、相場さえわからなかった。
* * *
【一月後・献立の卓】
一月後、匙が止まった。
長卓の上には、同じ牧場から届いた骨と肉を使った煮込みが並んでいる。最初の客は一口含み、葡萄酒で流した。次の客は肉を切り、半分だけ噛んで皿の端へ置いた。三人目の指は匙へ伸びず、パンの籠へ向かった。
皿の底に残った褐色の汁は、冷えるほど濁って見えた。
「肉が悪い」
厨へ戻った皿を見るなり、ラザロは断定した。
「脂が重すぎる。納入した商人へ言え。次は若い肉を寄越せとな」
骨を煮た者は、空の壺の陰へ半歩下がった。ほかの者は皿を重ねる音を急に大きくした。責任というものは、声の大きい人の前ではたいへん足が速い。
クレオフェは煮出しを匙ですくった。舌の奥へ、苦みが膜になって残る。火を入れすぎた日に二日置き、雨の日に一日で開けた。それでは同じ骨でも別物になる。
「肉は悪くございませんわ」
「また壺の話か」
「ええ。寝かせる日数が足りません」
「骨を煮ただけの汁に、日数も何もあるものか」
ある。大ありである。けれど技術を一から講義するほど、クレオフェは親切な教師ではない。四年分の授業料を踏み倒されたあとで、補習まで無料で開く趣味もなかった。
それでも彼女は紙を一枚取り、必要な日数を書いた。今の湿り、今の火の入りなら、六日と半日。壺の横へ置き、風で飛ばないよう木匙を載せる。
一度だけだ。
「こちらをご覧くださいませ。次の壺は、この日まで開けなければ間に合います」
ラザロは紙を一瞥し、皿の肉を指で押した。
「脂が古い。原因はこれだ」
「左様でございますか」
翌朝、紙は木匙の下にあった。
その翌日もあった。
六日目、誰かが布巾を置く台にしていた。七日目には油の染みがつき、書いた数字の半分が読めなくなった。
クレオフェは拾わなかった。
献立から煮込みを外してほしいという客の言伝が来たのは、その日の夕方だった。
* * *
【その夜・厨】
その夜、クレオフェは預かっていた骨を量った。
塩漬けの骨が二籠、乾かした鳥骨が一袋、明朝使う分が桶に半分。受け取った量と使った量を綴りへ合わせる。灰の袋、薪の束、屑野菜の籠。足りないものはない。多いものもない。
四年分の手控えを、炉の脇へ重ねた。雨の日、雪の日、乾いた北風の日。薪が若かった夜。火床へ灰が溜まりすぎた朝。数字は細く、ところどころ書き直され、指の脂で紙の角が丸くなっている。
壺の底には、最後の煮出しが薄く残っていた。
クレオフェはそれを小鍋へ移した。湯を注ぎ、布で内側を拭う。縁へ指を回すと、四年かけて染みついた香りが、湯気と一緒にほどけた。
あと何日。火は強すぎないか。地下の壁は湿っていないか。
いつもなら勝手に回り始める査定が、そこで止まった。
壺の縁を拭う指も止まった。
この壺は、もう明日の味を待たない。
「何をしている」
戸口にラザロが立っていた。背後には厨の衆が二、三人、帰り支度のまま覗いている。
「洗っております」
「見ればわかる。なぜ今だ。明日の仕込みがあるだろう」
クレオフェは布を絞った。水滴が一つ、壺の腹を伝った。
「手控えは炉の脇にございます。骨の量も合わせました。明朝の分は桶へ」
「だから、何の話をしている」
彼女は壺を持ち上げた。
重い。空になった壺は、中身があったときより持ちにくい。腕へかかる重さの場所が変わるのだ。四年間、毎晩触れてきたのに、初めて知った。
洗った壺を伏せる。底が作業台へ触れ、鈍い音がした。
「わたくしは、四年、この館の湿りを数えてまいりました」
ラザロが眉を寄せた。
「それが仕事だろう」
「ええ」
返事はきれいに出た。胸の内側だけ、熱い鍋を急に下ろしたあとのように、どこへ手を置けばよいのかわからなかった。
四年を壺へ残していくわけではない。手控えも置いた。骨も合わせた。借りたものは返した。では、この指が覚えた日数は誰のものか。
クレオフェは濡れた布を畳んだ。
「料理長がおっしゃいました。一番は肉を焼く者。煮出しは誰が引いても同じ、と」
「間違ってはいない」
後ろで、厨の衆の一人が小さく笑った。先日のような声にはならず、喉へ引っかかって消えた。
「承知いたしました」
クレオフェは作業着の紐を解き、畳んで壺の隣へ置いた。
「わたくしは二番でようございます」
「クレオフェ?」
「二番以下の仕事でしたら、一番の方々だけでも、お困りにはなりませんでしょう」
「待て。明朝の壺は誰が——」
「手控えは残しましたわ」
それ以上は言わなかった。
勝った、などとは思わない。四年ぶんの火を、自分の手で消しただけだ。けれど厨を出るとき、背中へ飛んできた「誰が」という一語は、悪くない値札に聞こえた。
今さら誰が、ですって。
それを四年前にお尋ねになっていれば、もう少しお安く済みましたのに。
* * *
【十日後・商人の店先】
十日後、クレオフェは店先で鍋を抱えていた。
バーナビー・ペンロウは五十代の商人で、各所の賄いを束ねている。倉庫番、御者、仕立屋の針子、劇場裏の大道具方。腹を空かせた者へ、決まった時刻に温かいものを届ける仕事だという。
「伯爵家の厨に四年おりました。骨の煮出しを——」
バーナビーは手を上げた。
「先に一口」
事情も紹介状も、四年分の悔しさも不要らしい。クレオフェは器へ煮込みをよそった。鶏骨の煮出しに豆と蕪、細かく切った燻製肉。昨日の雨を見て、寝かせを半日延ばしたものだ。
バーナビーは一口すすった。
もう一口、とはいかなかった。匙を置き、器をクレオフェへ差し出す。
「すすってごらん」
「わたくしが、ですか」
「君の鍋だ」
自分の煮込みを客の前ですするなど、伯爵家の厨では許されなかった。味見は奥で、立ったまま、余った匙で。まして出来上がった一杯を自分のために受け取るなど、とんでもない。職人が腹を空かせているほうが、なぜか勤勉に見える世界だった。
クレオフェは器を受け取った。
湯気が鼻先へ触れる。豆は崩れる寸前で、蕪には煮出しが染み、燻製肉の塩気が最後に舌へ残った。
温かい。
当然だ。今しがた鍋からよそったのだから。なのに腹の底が驚いている。いつも食べていたのは、給仕を終えたあとの冷えた端の賄いだった。作った本人が温かいうちに食べる。そんな難事業、四年かけても思いつかなかった。
「昔、俺は濁った煮込みを一杯出して、客を一軒失った」
バーナビーはそれだけ言い、懐から紙を出した。
「君の煮出しに、うちは月いくら払えばいい?」
クレオフェは器を持ったまま固まった。
「ええと。まず、どれほどの量を」
「日に三鍋。冬は四鍋。骨と野菜はこっち持ち。薪代も別。君が日数を決める」
慰めはなかった。「ひどい目に遭ったな」も「伯爵家は見る目がない」もない。代わりに数字が並ぶ。日に三鍋。冬は四鍋。材料費は別。薪代も別。
バーナビーが紙へ金額を書いた。
「月に、これでどうだ」
「……こちら、数字を一つ、お間違えでは?」
「少ないか」
「多いですわ!」
「じゃあ腕が上がるまで据え置きだ」
「下げるお話ではございませんでしたの?」
「嫌なら増やす」
なんという乱暴な商談だろう。金額で殴られるのは初めてだった。しかもかなり痛い。料理長の上着なら何着ぶんか。煮出しなら何日ぶんか。暗算を始めた頭が途中で嬉々として桁を見失う。落ち着きなさい、わたくし。淑女は月額を見て口を開けません。料理番の娘でも開けません。閉じて!
「条件がございます」
「言ってみろ」
「壺ごとに、仕込みをした者の名を入れたいのです」
バーナビーは紙の端を指で叩いた。
「それだけか」
「わたくしには、大切でございます」
「なら書け。名前のない壺は買わない」
クレオフェは、まだ温かい器を両手で持ち直した。
「お願いいたします、バーナビーさん」
「決まりだ」
* * *
【三月後・館の卓の評判】
三月で、伯爵家の卓には皿だけが残るようになった。
すべての皿ではない。焼いた肉は美しく切られ、香草も飾られた。けれど煮込みは匙が二口で止まり、肉だけ皿の縁へ寄せられた。汁物を外してほしいという言伝が重なり、やがて晩餐そのものを断る客が出た。
「肉が悪い」
ラザロは皿が戻るたびに言った。
「薪が湿っていた」
「骨が古かったんだ」
「鍋を見たのは誰だ」
「俺じゃない」
厨の衆の返事は短くなった。空いた壺の前で責任を投げ合いながら、誰も料理長と目を合わせなかった。
クレオフェが一度だけ残した日数は、使われなかった。油染みの紙はいつしか竈の火付けに混じり、数字から先に燃えた。客の手が止まった理由を、客は説明しない。ただ次の依頼が来なくなった。
バーナビーの店へ、伯爵家から使いが来たのは三月目の終わりだった。
「ペンロウ殿の煮出しを、当家の晩餐へ回していただきたい。名誉な話でしょう」
使いの後ろにはラザロがいた。濃紺の上着の銀釦を留め、顎を高くしている。
バーナビーは綴りから目を上げた。
「あいにく、おたくの卓は請けられませんので」
「こちらは伯爵家だぞ」
「腹の数で仕入れてる。家格は鍋に入らん」
ラザロの口元が痩せた。
「うちには長年、煮出しを仕込んできた者がいた。その程度の味なら、すぐ戻せる」
店の奥で、クレオフェは新しい壺の蓋を閉めた。顔を出さなかった。バーナビーも彼女を呼ばない。
ラザロは空になった注文書を睨んだ。
(煮出しなんぞ、骨を煮れば——)
館の厨へ返された皿の山が、その続きを許さなかった。
* * *
【翌春・新しい厨】
翌春、クレオフェは壺の腹へ細い筆を当てた。
黒い顔料で、まずCの曲線。次に、震えそうになる指を持ち直して、一文字ずつ書く。
クレオフェ。
乾くまで触れてはいけない。わかっているのに、何度も指先を近づけてしまう。名前というものは妙だ。綴りに書けばただの署名なのに、壺へ入ると急に香りまでよくなる気がする。もちろん気のせいである。名前で豆は煮えない。しかし金糸の上着だって煮出しにはならないのだから、少しくらい気分へ値段をつけてもよろしいでしょう。
新しい厨には、名入りの壺が並んでいた。クレオフェのものだけではない。骨を割る者、野菜を選ぶ者、火を見る者。それぞれの名が腹に入り、開ける日も一緒に記されている。
「クレオフェ、三番の壺を」
奥からバーナビーの声が飛んだ。
「はい、ただいま!」
名を呼ばれてから、クレオフェは自分の壺を開けた。
温かな香りが立ち上る。昨夜の湿りに合わせて半日延ばした煮出しは、舌に角を残さず、骨の甘みだけを深く抱えていた。
昼になると、皆が大鍋を囲んだ。豆と根菜、端肉を煮込んだ賄いである。売り物より具が多いのは、作り手の当然の権利だ。異論は認めない。とくに底へ沈んだ燻製肉の大きな一片は、発見者の財産である。
「それ、俺が切った肉だぞ」
「鍋へ入れた時点で煮出しの国へ帰化いたしましたわ」
「どんな国だよ」
「わたくしが税を取る国です」
バーナビーが器を一つ取り、煮込みをよそった。豆を多めに、蕪を一つ、燻製肉の大きな一片も入れる。
クレオフェは自分の器を取りに立とうとした。
「座ってろ」
差し出された一杯から、湯気が立っていた。
「バーナビーさん、それはわたくしが目をつけていたお肉ですわ」
「知ってる」
「では、没収ではなく支給ということにしておきます」
「月額から引くか」
「横暴!」
笑いながら器を受け取ったところで、表の戸が叩かれた。
配達の者なら裏口を使う。客なら店先でバーナビーを呼ぶ。こんなふうに、返事を待たずもう一度叩く者を、クレオフェは一人しか知らなかった。
戸を開けると、ラザロが敷居の外に立っていた。
濃紺の上着は同じものだった。銀釦の一つが曇っている。
「話がある」
「こちらで承りますわ、料理長」
「中へ入れろ。人に聞かせる話ではない」
「煮込みが冷めますので」
ラザロは奥の卓へ目をやった。並ぶ器、笑っている働き手、名の入った壺。クレオフェは半歩も退かなかった。
「館へ戻れ」
「戻る、とは」
「前と同じように仕込め。骨も野菜も用意する。おまえは壺を見ればいい」
謝罪はない。日数の話もない。名前も値段もない。
前と同じように。
冷えた端の賄いを食べ、誰にも呼ばれず壺を開け、皿が空なら肉を焼いた者の手柄になる。濁れば壺の番人が呼ばれる。ずいぶん懐かしい献立だ。三月置いても、まるで味がなじんでいない。
「今なら元の持ち場へ戻してやる」
「元の持ち場」
「煮出しだ。肉を焼く者の下につける」
クレオフェは器を持ったまま、敷居の内側に立っていた。湯気が頬へ触れる。背後で誰も口を挟まない。バーナビーは慰めないし、代わりに断りもしない。
だからクレオフェは、値段を言わなかった。条件も出さなかった。交渉の席へ載せるつもりがないものに、見積書は不要である。
「わたくしは二番でようございます」
ラザロが目を細めた。
「何を——」
「一番の方のお手を煩わせるわけにはまいりませんわ」
戸を閉じた。
閂はかけなかった。必要がなかった。向こうからもう一度叩く音はせず、足音だけが遠ざかった。
「冷めるぞ」
バーナビーが言った。
「まあ、大変」
クレオフェは卓へ戻り、温かい一杯をすすった。豆はほろりと崩れ、狙っていた燻製肉はきちんと自分の器に入っている。
「これですわ。煮出しは温みが命ですもの。冷えた床は、四年もあれば人を辞めさせますのよ」
「次の壺は?」
「明日の湿りを見て決めます」
「名前は乾いたか」
クレオフェは壺の腹へ指先を触れた。黒い文字はもう、かすれなかった。
「ええ、バーナビーさん」
彼女は自分の名が入った次の壺へ、骨を入れた。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
またどこかでお目にかかれましたら。




