第6話:王城の医務室にて
窓から差し込む光が顔に当たり、私は目を覚ます。
そこには、いつもと違う光景が広がっていて、知らない天井が目に留まった。
見慣れない場所に困惑していたのも束の間、これまた見慣れない表情を浮かべた人物が顔を覗き込んでくる。
「起きた、のか……?」
「……えっ? あ、はい」
「そうか。よかった……。本当に、よかった……」
今にも泣き出しそうなアルト様の表情に疑問を抱いたのも束の間、すぐに自分が置かれている状況を理解した。
パーティー会場のベランダの手すりが壊れて、二人で池に落ちたんだ、と。
さすがにあんなことが起きたら心配してくれたんだなーと思う反面、一つだけ理解できない状況が存在する。
アルト様が、私の手を両手で包み込みようにしっかりと握っているのだ。
今までこんな展開がなかっただけに、驚きを隠せない。
ただ、アルト様の表情を見ると、無理に振りほどこうとは思わなかった。
「私は、どれくらい眠っていたんですか?」
「今日で三日目の朝だ」
えっ、なんで? さすがに寝すぎじゃない?
「外が明るいので、なんだかおかしいなーと思っていたんですが、まさかそんなにも眠っていただなんて」
「冷たい池の中に落ちたこともあって、昨日まで高熱にうなされてたんだ。覚えていなくても、無理はない」
「その間、アルト様が看病してくださっていたと……?」
「当たり前だろ。俺が原因なんだから、さ」
意外だ。私の中では『余計なことしやがって。礼なんて言わないからな。ふんっ』みたいなことを言うタイプなんだけど。
でも、現実のアルト様は違う。
本当に心配していることが伝わってくるほど声音が優しく、握った手に力が入っていた。
「体は? どこか痛い場所はないか?」
「……。手が痛いです」
「何!? 手のどこだ? 手首か? 肘か? 二の腕か?」
「いえ、アルト様の手を握る力が強くて、痛いです」
「わ、悪い!」
慌てふためくアルト様は、勢いよくパッと手を放す。
しかし、なぜかわからないが、物凄い勢いもう一度ガシッと手をつかまれてしまった。
「あの……痛いです」
「逃げない。俺はもう、逃げないんだ」
「……私も逃げませんが?」
真剣な顔をしたアルト様は、心を落ち着かせるように深呼吸する。
そして、ゆっくりと手に入っていた力を抜いてくれるが、決して放すことはない。
申し訳なさそうな表情を浮かべて、下唇を強く噛んだ後、私から目を逸らした。
「今まで悪かった。女と話すことに慣れてなくて、どう接していいかわからなかったんだ」
アルト様が真剣に謝罪してくれているところ申し訳ないが、私は驚きを隠せなかった。
それは、打ちどころが悪かったのかな、などと失礼なことを考えてしまうほどである。
「婚約者の初顔合わせをした日、俺は戸惑うことしかできなかった。そこでニーナと向き合おうとしなかったことを、ずっと後悔してる。あれから共に過ごす時間が増える度、心が追い付いてこなくて、素直な気持ちを言えなくなったんだ」
もしかしたら、彼は想像を絶するほどの恥ずかしがり屋さんで、不器用な人なのかもしれない。
きっと今も女性との接し方がわからないから、目を逸らしているんだろう。
それでも、ちゃんと向き合おうと思ったから、自分が逃げないように私の手を握っているんだ。
「俺が一人で不貞腐れて、ベランダに行かなかったら、こんなことにはならなかった。俺が馬鹿だったんだ」
そして、後悔を表したかのように顔が歪んだアルト様を見たら、彼の言葉を疑う気にはなれなかった。
「本当にごめん! 全部俺が悪かった!」
ここまで頑張って謝っていることが伝わってくると、彼を責める気にはなれない。
もっと早く言ってくれたら……と思う気持ちはあるものの、それができなかったから、アルト様も苦しんでいたんだろう。
今までいろいろあっただけに憂鬱な思いもあるけど、彼が変わってくれるのであれば、前向きに考えてみよう。
少なくとも、これまでよりは良好な関係が築けるはずだ。
「今度からは、普通に話してくださいますか?」
「頑張って話す」
「手紙の返事は?」
「ちゃんと書く」
「パーティーのエスコートは?」
「しっかりする」
アルト様が真剣に向き合う意思があるのは、間違いないと思う。
しかし、私はここで『そこまで言ってくれるなら、これまでのことは許します』などと言っちゃうような心の広い女ではない。
なんといっても、婚約破棄の話を持ちかけようかと、真剣に悩んでいたくらいなのだから。
一年間にもわたって婚約者らしく振る舞ってこなかったのに、アッサリと許してしまったら、何をやっても許す女だと認識される恐れもある。
ちょっと意地悪かもしれないけど、ここは念には念を入れてさせていただこうか。
「アルト様の気持ちはわかりました。ですが、今回のパーティーでエスコートすると約束したのに、守ってくださいませんでしたよね」
「そ、それは……どう接していいかわからなくて」
「じゃあ、次もそうなるかもしれませんね。本当に私はエスコートしてもらえるんでしょうか」
「次は、絶対にする。あの花に誓うよ」
そう言ったアルト様が窓の方に視線を向けると、なぜか花瓶が三つも置かれていた。
ピンクや黄色の花をアレンジしたもので、バラ・ガーベラ・マリーゴールドなど……とても綺麗な花が飾られている。
私が三日も寝込んでいたから、三つもあるんだろうか。
こんなことを言うのであれば、きっとアルト様が用意してくださったものに違いない。
でも、なぜあの花に誓うと許されると思ったのか、私はまったく理解できなかった。
特に思い入れのある花でもないと思うんだけど。
「手紙に花のことが書いてあった。だから、あの花に誓うよ」
ちゃんと読んでくれていたんだ……と嬉しく思う気持ちと、読んでも返事を返さなかったことに対する悲しい気持ちが交差する。
何が悲しさを増長させるかといえば、私が手紙で書いた花は、バラでもガーベラでもマリーゴールドでもない。
ダリアとパンジーとスイートピーだ。
う~ん……。とても中途半端な機嫌取りで、逆に心がモヤモヤしてしまった。
面倒くさい女だと思われそうな気もするけど、今まで苦しんできた分、もう少し我が儘を言わせてもらうとしよう。
「手紙に書いた花の種類と違いますので、返事は保留させていただきます」
「……ん? 花の、種類?」
口をポカンッと開けて情けない顔をしたアルト様は、心底驚いているみたいだった。
やはり、謝れば許してもらえると思っていたのかもしれない。
危ない、危ない。もう少しでチョロイ女になるところだったよ。
「手紙にちゃんと書きましたよね。あっ、そうそう。うちの庭に咲いていた花を思い出していただければ、さすがにアルト様でもわかると思います」
「……。あ、ああ。もちろんだ」
今のは、嘘だ。絶対に忘れているとわかるほど、アルト様は狼狽えている。
まあ、彼も反省しているみたいだから、あまり意地悪するつもりはないけど。
「覚えていてくださったんですね。では、明日のお見舞いは、そちらの花でお願いします。『ダ』から始まって『ア』で終わる三文字の花ですよ」
「『ダ』から始まって『ア』で終わる三文字の花……?」
「あれ? もしかして、思っていたものと違いましたか?」
「い、いや。思っていた通りの花だった。『ダ』から始まって『ア』で終わる三文字の花、だよな」
「はい。よろしくお願いしますね」
この日、花に興味がないであろうアルト様は、その言葉を何度も呪文のように呟いていた。
絶対に忘れないようにしないと……と、強い気持ちを抱いてくれていたに違いない。
翌日、約束通りダリアの花を持ってきてくれたアルト様は、正解しているのか自信がないみたいで、妙にソワソワしていた。
私が出した条件に合う花は、この世に一つしか存在しないのだから、それで正解に決まっている。
ただ、そのことがわからなくてソワソワする彼の姿が、ちょっぴり可愛く思えてしまうのであった。




