第31話:祈年祭Ⅱ
「ところで、ニーナ。あの噂は知ってる?」
「ああー……まだあるんですね。建国祭の時にできた、あの不穏な噂は」
以前、池に落ちた後に王城で療養していると、メイドたちから不穏な噂が聞こえてきたことがある。
無理心中だったとか、婚約者を突き落としたとか、殴り合ってベランダを破壊したとか……とにかく暗い噂が流れていた。
しかし、建国祭という華やかなイベントの際に起きたことなので、お偉いさんたちが火消ししてくれたはずだったのだが……。
「違うわ。今、貴族の間で恋愛結婚が流行るかもしれない、という噂が流れてるのよ」
どうやら早とちりだったみたいだ。
うちは親同士が決めた結婚なので、私たちに関する噂ではなさそうだった。
「そんなのがあるんですね。今後のために、詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
「いいわ。実は、とある貴族が随分とお熱い関係でね、それはもう幸せオーラを撒き散らしているのよ。周囲に見せつけているのか、自分たちの世界にどっぷり浸かっているだけなのかは、本人たちしかわからないわ」
「なるほど。幸せすぎて、有頂天になっているわけですね」
私もラズリーに言われるまで自覚がなかったから、その気持ちはとてもよくわかる。
これは、思った以上に今後の参考になりそうな噂だ。
「殿方はね、無愛想な態度を取る剣術馬鹿だったんだけど、今はすっかり丸くなっているの。令嬢の方も思った以上に心が動いたみたいで、だらしない顔でエスコートされているわ。お互いに、婚約者は自分のものだ~、ってオーラを放っているのよ」
「ラブロマンスの小説でしか見たことがようなバカップル貴族ですね。まさか実在していたとは」
「……」
どうしてラズリーは今、信じられない……と言わんばかりの驚愕な表情を浮かべているんだろうか。
貴族の間では、誰もが知っているような有名な噂なのかな。
「その婚約者たちを見たお偉いさん方は、こう考えているらしいの。二人の関係性次第では、これからの貴族たちは二人に憧れを抱き、恋愛感情で動くようになるのではないか、と。一部の家系では、早くも政略結婚を破棄しないように注意喚起が入ったらしいわよ」
「それはさすがに考えすぎではありませんか? 非現実的だと思います」
「ニーナは見てないから言えるのよ。男性陣は、俺もあんな風に女性に甘えられたいぜ……って思うみたいね。一方女性陣は、私もあんなふうに目をギラギラさせた殿方にエスコートされたいわ……って思うのよ」
「政略結婚が主流の貴族女性からすると、現実世界で相思相愛になれるなんて、夢物語と同じですからね。そんなバカップル貴族がいるのであれば、私も一度は見てみたいです。今日も来てますかね?」
「いつまでも気づかないからハッキリと言うけど、ニーナたちのことよ。周りからは、そういうふうに見えてるってこと。身に覚えはないのかしら」
衝撃的なことを言われた私は、開いた口が塞がらなかった。
噂の内容に共感できると思っていたら、まさか自分たちがそのバカップル貴族だったなんて……。
思い当たる節があるとはいえ、にわかには信じられない話である。
「私、そんなに幸せオーラが出てましたか?」
「出まくってるわね。彼の隣にいる時、頬が緩みすぎてダルンダルンよ」
「ほ、本当に言っていますか? 正直、未だにこういう気持ちは隠してきたつもりなんですけど」
「逆に本当に言っているのか聞きたいくらいの話ね。婚約者の腕を取るだけじゃなくて、頭を二の腕に持たれさせて、目がとろ~んってしてたわよ」
む、無意識って怖い。
腕を組んでエスコートされているだけだと思ってたのに……。
「うぐぐっ。まさかそんな失態を冒しているとは。アルト様も注意してくれたらよかったのに」
「彼も同じような状況なのよ。目をギラギラさせて必死にエスコートしているんだから、気づいていないんだと思うわ」
なんてことだ! しっかりとエスコートするように言い続けてきた結果、周囲の目だけを気にして、自分たちのことに目がいかなくなってしまうだなんて!
「一応、他の噂も聞いておく? 訓練場でデートする約束をした話とか、ドレス屋さんの話とか、交際宣言した話とかは有名どころよ」
「もうお腹いっぱいなんですけど……。その交際宣言というのは、なんですかね。そんなことをした記憶はありませんよ」
「一部の貴族令嬢たちが言い出したことなのよ。ミーアたちに恋愛結婚なのか尋ねたところ、二人とも口をそろえて『付き合っています』と言ったことで、確定したらしいわ」
ううっ……。これも思い当たる節がある。
そう、あれは模擬戦が終わった翌日のことだ。
あまり話したことがない貴族令嬢たちに『お二人はお付き合いされているのですか?』と聞かれたことがある。
その際、婚約していますよ、という意味を込めて、付き合っていると返答したのだが――。
「ど、どうしてこんなことに……」
「幸せをオーラをまき散らしているからでしょうね。嫉妬されるよりはいいんじゃないかしら」
友人がフォローしてくれないほどには、自業自得である。
もしかしたら、今日の温かい視線の正体は『私も恋愛結婚をしてみたいわ』という憧れに似たものだったのかもしれない。
「自分で言うのもなんですけど、どうして嫉妬されないんでしょうか。普通はもっと女性たちの反感を買う気がします」
「建国祭でセンセーショナルな事件が起きた影響でしょうね。噂が噂を読んで、ラブロマンス化しているんだと思うわ」
「そ、そんなラブロマンスっぽいことは……。な、ない……はず、です」
「明らかに思い当たる節がありそうな言い方ね。さすがに非現実的だと思うけど、お姫様抱っこでもされてたりして。なーんてね」
「……」
「……されてる反応ね。まるでラブロマンス劇でも見ているような気分だわ」
ラズリーの言う通り、普通に日常生活を送っているだけなら、お姫様抱っこされるシチュエーションなんて存在しない。
しかし、実家でお花を観賞した際に照れたら、風邪と勘違いされて、一度だけされたことがあった。
そういうことを考慮すると、ラブロマンス化しているというのも、受け入れざるを得ないところがある。
……正直、そういうところを見られていると思うと、とても恥ずかしいけど!
まさか今までのことも噂で流れているなんて……と、一人で悶絶していると、ラズリーがハッとした。
「ごめんね、ニーナ。うちの家系と付き合いの長い方に呼ばれたから、行ってくるわ」
ラズリーの視線の先には、軽く手を振っているマダムがいる。
祈年祭である以上、そういうことは仕方ないのだが……。
「こんなに羞恥心を抱え込んでいる私を、一人にすると……?」
「あのまま知らずにイチャイチャしているよりはマシでしょう?」
「ううっ。確かに」
「そういうこと。まあ、彼とは早めに合流した方がいいと思うわ。模擬戦で活躍しているし、性格も大人っぽくなったから、変な女に狙われてもおかしくないもの」
客観的に見たアルト様の評価を聞かされ、これまた私の鼻が高くなってしまう。
これは、婚約者としての優越感というものかもしれない。
「ふふんっ。残念ながら、アルト様はそういう誘惑に負けないと思います」
「結局、最後まで惚気ているのは誰なのかしら」
「いえいえ、これは親が公認した話なので、惚気ではありません」
「調子いいのね。でも、酔った女が強引に……というのも考えられるわ。少なくとも、私たちはもともとうまくいっていなかったんだから、悪い噂が流れ始めたら、最悪の結果もありうるわ。ここはそういうことを起こす場所でもあるのよ。気をつけてね」
それだけ言うと、ラズリーはマダムの元に向かっていった。
確かに、すべての女性が嫉妬していないとは限らない。
貴族の権力争いに利用される恐れもあるため、早めにアルト様と合流した方が良さそうだった。




